第15話 闇に

 廃墟の空気は、冷たい風が吹き抜けるたびに鋭く肌を突き刺してくる。


 どこかしらから感じる視線は生きているかのように不気味だった。壁に染みついた血の跡や、散乱する瓦礫が目に入り、息をするのも忘れそうなほど息苦しい。


 俺たちがここで経験した戦い、そして目にした死の光景が、まざまざと脳裏に浮かんで離れない。


 ようやく学園への帰還を果たしたものの、実習に参加した仲間たちが次々と倒れていったことが信じられず、胸が痛んだ。冷たい汗が背筋を伝い、指先はまだ微かに震えている。


 周囲を見渡しても、生還者の顔に浮かぶのは安堵ではなく、恐怖と疲労ばかり。命を賭けた実習が、本物の地獄であることを改めて実感した。


「十組いたはずの生徒が、半分か……」


 誰かが呟いた言葉が耳に届く。


 言葉の意味を理解するのに少し時間がかかったが、やがてその残酷な現実が突き刺さるように実感した。


 戦闘の余韻でまだ耳が鳴っていたせいか、声が遠くから聞こえるような錯覚を覚える。数時間前まで笑顔で話していた仲間の姿はもうそこにはない。


「……くそ……」


 乾いた喉から呟きが漏れる。


 心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、震える手で自分の胸元を押さえた。


 さっきまで一緒に戦っていた仲間の何人かが、もう二度とこの場に戻ることはない。それを思うと、胃の奥がじわじわと痛み、吐き気さえ覚えた。


 そのとき、ふと目に入ったのは氷結玲奈先輩の背中だった。


 完璧な実力を誇る先輩がいることでどれほど心強いかと思っていたが、実際に行動を共にしてから、何かが違うことに気づき始めていた。


 先輩の背中から漂う冷たさは、今まで感じたことのないほど冷徹で、それが心のどこかに引っかかっていた。


 息を整え、俺は意を決して口を開いた。


「氷結先輩……どうして、もっと早く俺たちを助けてくれなかったんですか?」


 声が少し震えたのを自覚しながらも、先輩の冷たい瞳に視線をぶつけた。


 周囲の誰もが、同じ思いを抱えているはずだった。多くの仲間が命を落とした今、その原因を問いただすべきだという気持ちが自然と湧き上がっていた。


 だが、玲奈先輩はその質問に少しも動揺を見せず、ゆっくりとこちらを振り返った。彼女の瞳は冷たく、氷そのもののように感情が宿っていない。


 視線がぶつかった瞬間、無意識に一歩後ずさってしまった。


 彼女の視線には、こちらの感情を一瞬で凍りつかせるほどの力があった。


 玲奈先輩は口元に微かな微笑を浮かべたが、その笑みには温かみの欠片もなく、冷淡さだけが際立っていた。そして、静かな声で逆に問い返してきた。


「どうして、私があなたたちを助けなければいけないの?」


 その問いに、俺は言葉を失った。息が止まり、喉の奥が締め付けられる。


 さっきまでの怒りや焦りが一瞬で霧散し、代わりに得体の知れない恐怖が込み上げてきた。


 どうして……? そんなの決まってるだろう。仲間だから、同じ学園で、同じ目標を持つ者同士だからだ。


「た、たくさんの仲間が……俺たちが一緒に戦っていたみんなが、命を落としたんですよ! それなのに……!」


 自分でも驚くほどの強い口調が出た。しかし、玲奈先輩の目にはまるで響いていないようだった。その瞳は、深い底知れぬ冷たさで満たされていた。人間の感情など遠い過去に置き去りにしてしまったかのように。


「命を失うことは、この学園で訓練を受ける者たちにとって当然のリスクよ。彼らがそのリスクを理解していないなら、所詮そこまでの者たちだったということよ」


 玲奈先輩の冷徹な声は、冷たい氷の刃が突き刺さるような感覚を覚えた。


 彼女の視線が俺を射抜くたびに、肌が刺さるような冷たさを感じる。彼女の言葉には、情けや慈悲の影すらなかった。


「彼らは彼らの命を懸けて戦った。ただそれだけ。命を惜しむのなら、戦場に出なければいいのよ」


 冷ややかな瞳の奥に、ほんの少しの揺れも見られない。


 俺はその言葉にただ唖然とし、思わず視線を逸らしたくなったが、彼女の目に何かを確かめようとして視線を合わせ続けた。


「死ぬことは名誉なことよ」


 その瞳には、暗い闇が宿っているかのように見えた。それは、俺が見慣れた人間のものではない、もっと冷たく、無機質な光だった。闇に堕ちた妖魔のような瞳。


「俺たちは……俺たちは仲間じゃないんですか? あなたは俺たちの監督としてここに来ていたはずなのに……」


 玲奈先輩は微かに笑みを浮かべるが、それは冷たい蔑みを含んでいるかのように見えた。


「人の命に執着し、怯えている限り、強さは得られない。感情に囚われる者は、ただ弱さに引きずられるだけよ」


 その言葉が、胸に重く響いた。


 俺たちの命が彼女にとってどれだけの価値があるのか、改めて理解させられた気がした。自分の存在が、ただの消耗品でしかないかのように感じてしまう。


 俺は反論する言葉を探したが、声にならなかった。代わりに心の中で、嫉妬に似た感情が湧き上がってきた。


 この冷酷さ、この力を持つことで、彼女は誰にも屈することがないのか? そんなことを考えてしまう自分に驚きつつも、羨望の念が止まらなかった。


 どうして、玲奈先輩はここまでの力を持っているんだ?


「どうして……そこまでの力を手に入れられたんですか?」


 俺の問いに、玲奈先輩は少しの表情も変えず、ただ冷静に答えた。


「闇に近づけばいい」


 その言葉が、妙に冷たく、そして怖ろしい響きを持って耳に届いた。


 氷結先輩はそれだけを呟くと、静かに背を向けた。


 そのまま月明かりの下を歩き去っていく彼女の背中は、影そのもののように、冷たく、虚ろで、孤独に満ちていた。


「闇に……近づけばいい……か?」


 その言葉を反芻するうちに、俺の中で何かが音を立てて崩れていく気がした。

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