第9話 ウブなヒロイン
鬼月霞の反応は、彼女がゲーム内で設定されているウブという属性の影響だろう。
俺はにやりと笑いながら真に軽く肘で合図を送った。
先ほどの誘拐未遂の現場を離れて、気持ちを落ち着かせるために、少し鬼月さんから距離を取って休んでいる。
俺は鬼月霞の方を見ながら、真をからかうような口調で言った。
「真、やっぱり鬼月さんって可愛いよな!」
「拓真君……」
呆れた顔をする真も、鬼月を見て満更でもない顔をしている。
「本気でそう思っているんだよね?」
「もちろんだろ! お前は思わないのか?」
俺の言葉に対して、少し困惑している真。
真と鬼月は結ばれる運命にあるんだ。
だからこそ、俺は軽く笑みを浮かべて答えた。だが、真の視線は鬼月に向けられており、その目には少しだけ敬意が込められていた。
「あの騒動でも冷静な対処をしていた彼女は尊敬するよ」
倒れた黒衣の者たちは、先生に報告をしたが、姿を消していた。その対処をしたのが鬼月で、恋心というよりも尊敬が勝ってしまった感じだな。
「まぁそうか。普段は気高くて近寄りがたい雰囲気を漂わせてるのに、無防備な姿を見せてくれるって、嬉しいじゃん」
「僕は、君という人間を信じていいのか疑いたくなってきたよ」
「そうか? 鬼月さんの薙刀を振るう姿もかっこよかっただろ? 今の顔を見るとやっぱり美少女だよな」
「ハァ〜否定はしないけど」
俺がそう言うと、鬼月霞がゆっくりと顔をこちらに向けた。
「あなたたち先ほどから私を放っておいて、何を話しているのかしら?」
彼女の声には冷たさを感じさせるものがあったが、よく見るとその頬はほんのり赤く染まっている。もしかしたら、聞こえていたのかもしれない。
可愛い表情を見逃すわけにはいかないな。彼女は十分に可愛い。
先ほどの事件の影響で気持ちが動揺していて、心が乱れているんだろう。
「いや、別に悪いことは言ってないさ。俺たちは、君のことを可愛いって話してただけだよ。なぁ、真?」
「……コホン。うん、確かに鬼月さんは美しい。普段の気高さも素敵だけど、今はちょっと……可愛いと思う」
真が同意すると、霞の表情が一瞬で凍りついた。次の瞬間、彼女は立ち上がり、薙刀を持っていた手を振りかざす。
「可愛いですって!? この鬼月霞に向かって何を言っているのですか?!」
怒りの声が響く中、俺たちは一瞬動揺したが、真剣に怒っているというよりは、照れ隠しのようにも見えた。
先ほどまでの冷たく高貴な雰囲気とは打って変わり、今の彼女はどこか可愛らしく見える。
「ま、待て! 誤解だって!」
「誤解も何もありません! あなたたちは私を馬鹿にしているんですね!」
彼女の薙刀が振り下ろされそうになる寸前、俺はなんとか間に合って声をかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺たちは真剣に言ってるんだ。本当に、君のことを美しいと思っただけで……」
そう言うと、霞の動きがピタリと止まり、その場に静寂が訪れた。薙刀を握る手がわずかに震えている。
「……な、何ですって?」
霞は顔を赤く染めたまま、呆然とした表情で俺を見つめていた。
「本当だよ。普段の君の気高さや強さもすごいけど、さっきみたいに素直な顔を見せると、やっぱり可愛いって」
俺は本心からそう言った。
ゲームの中で見た彼女の冷徹で、闇によって傷ついて堕ちていく姿とは違い。
今の霞はまだ純粋な心を持ったまま可愛い女の子だった。
その瞬間、彼女の怒りはふっと消え去り、代わりに微妙な沈黙が漂った。
「……そんなこと、言われたことがないわ」
霞が小さな声で呟く。俺も真も、その言葉に驚いた。
「ええ、それだけの美貌で?」
「うん。とても綺麗だと思う」
俺の意見に真も同意するので、観念したように霞が座り込んだ。
「私……今までずっと、誰にも頼らずに生きてきたわ。鬼月家は教育が厳しくて、家族であっても気を許すことなどできない。今も跡目争いに巻き込まれて、信頼できる人なんていなかった……。だから、こうして誰かに助けられるのは初めてで、正直戸惑っているわ」
その言葉に、俺はゲームの中の彼女を思い出した。
彼女は誘拐された後に、主人公に助けられるまでに闇堕ちさせようと拷問を受ける。その拷問によって、最初は誰も信用できない冷たい人物に変わってしまった。
だが、今の鬼月霞は拷問を受ける前だ。闇堕ちする要素は何もない。
まだ人に助けを求めることができる、優しい一面を持ったままだ。
「鬼月さん……俺たちは君のことを助けたいんだ。だから、無理に一人で抱え込む必要はないよ」
俺がそう言うと、彼女は少し目を伏せ、かすかに微笑んだ。
「ありがとう、朝霧君……。そして、神楽君も。今回のこと、本当に感謝しているわ」
その表情は、今までの気高い彼女とは違い。心からの感謝の気持ちがこもっているものだった。
俺は思わず、その可愛らしい一面に心を打たれた。
「……ああ、気にするな。俺たち、友人だろ?」
「友人?」
「なぁ、真」
「ハァ、拓真君は、誰に対しても馴れ馴れしすぎると思うよ」
真は呆れた様子で答え、俺は軽く笑った。
心の中ではゲームで見てきた彼女とのギャップに驚きを隠せなかった。ただ、彼女が本来持っていたはずの優しさ。それを知れたことが、何よりも嬉しかった。
霞はふと静かに息を吐き、表情にわずかな疲れを見せた。
「ふふ、あなたたち、面白いのね」
彼女がそう言った瞬間、俺も真も、少しだけ驚いた。普段の彼女の凛とした佇まいからは想像もつかない、とても綺麗な笑顔だった。
「そうか? 面白いのは真だけだろ?」
「なんでそうなるんだよ! どっちかというと拓真君の方だろ?!」
「ふふ、もう、笑わせないで」
俺たち三人は、普通のクラスメイトとして、笑い合った。
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