第8話 鬼月霞 

 教室の中は、生徒たちが談笑し、何気ない日常が続いている。しかし、俺の視線は自然と一人の生徒に向けられていた。


「おい、真……あそこ見てみろ」


 俺は真に小声で言い、彼の視線を促す。真は一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、俺の指し示す方向に視線を移す。


 教室の隅。窓際に立つ彼女は、まるで周囲とは異なる空間に立っているかのようだった。


 黒髪が美しく揺れ、彼女の周囲には誰も近寄ることができない。


 その存在感は圧倒的だった。


 生徒たちが彼女の周囲を避けるように距離を取っているのが分かる。


「鬼月霞さん……か、それがどうしたんだ?」


 真が呟くように言った。その声には不思議な色が含まれていた。


「彼女、すごいよな。まさに特別な存在って感じだ。でも、誰も彼女には近づけない……」


 俺も同じように言いながら、真の反応を伺う。


 鬼月霞は退魔の名家、鬼月家の出身であり、右大臣を務める国の御三家の一家だ。


 その美貌と強さは、ゲーム内でも群を抜いて人気を誇るメインヒロインだ。


 だが、彼女もまた鬱展開が用意されたキャラであることは間違いない。


「なんで誰も彼女に近寄らないんだろう?」


 真が首をかしげながら発した言葉に俺は苦笑いを浮かべてしまう。


 階級や立場を知らない平民の真にとっては、彼女が雲の上の存在であるとは思わないんだろうな。


 だからこそ、ヒロインたちも真に心を開いていく。


「なんでだろうな? 真、話しかけてみたらどうだ?」

「えっ? なんで僕が?」

「名家の令嬢と仲良くなって、悪いことはないと思うぞ」

「うーん、だけど何を話せばいいかわからないよ」

「それもそうだな」


 俺としても、選択肢が現れるイベントしか覚えていないので、普段の会話をどうすれば良いのかわからない。


「そうだな。これは極秘なんだが、真にだけ教えてやる」

「極秘なのにいいの?」

「ああ、俺は友人だからな。情報提供をしてやるのも一興だ」


 ゲームの中で朝霧拓真も、神楽に女子の情報を提供しているシーンがあった。友人キャラとはそういう役回りをするものだ。


「最近、彼女の周りで事件が頻発してるって話を聞いたんだ。もしかしたら、彼女が狙われてるのかもしれない」

「事件?」


 イベントを思い出しながら、真に彼女のイベントを進ませるための話をする。


 俺が考えた闇堕ち回避ルートは二つだ。


 一つは全員と付き合うハーレムルート。


 ゲームの中では存在しなかったルートなので、もしかしたら全員と付き合えば、ヒロインが死ぬことなく主人公の闇堕ちを防げるかもしれない。


 もしも俺がサポートすることで全員を救って、恋人同士になるルートを導き出せるならやる意味はあるはずだ。


 もう一つのルートは、俺にとっては最悪のルートだ。


 闇堕ちする前、バッドエンドを迎えるために、真を殺す。


 真が死ぬとゲームでは、ゲームオーバーになる。だが、その後の世界がどうなったのかわからない。可能性の一つとして、封魔の復活を阻止できるかもしれない。


 だが、その道を俺は選ぶつもりはない。


 真と共に全員が幸せになる最高のエンディングを迎える。


 そのために情報を提供する。


「ああ、どうやら最近、彼女の周りで不穏な気配がしているようでな」


 俺の言葉に真は少し考え込む姿を見せた。


 彼女が抱える闇である、鬼月家の跡目争いを話すことはできない。


 右大臣家という、雲の上の存在であり、家族の問題だけではなく、命の危険が伴う。恐ろしい争いが彼女の周りには付きまとう。


 彼女にとっては日常的な恐怖だったに違いない。


「それじゃあ……」


 教室の扉が静かに開く音が聞こえた。鬼月霞が無言で教室を出ていった。その時、俺は少しだけ違和感を覚えた。


「今から授業なのに……?」


 俺は彼女の後ろ姿を見つめ、つい声に出してしまう。真も俺の隣で顔をしかめた。


「どうしたんだろうな。急用でも思い出したのかな?」

「いや……なんか妙な感じがするんだ」


 言葉にできない違和感が胸に残る。教室を出て行った彼女の姿は、まるで何かに急かされるかのようだった。


「ちょっと様子を見てみるか」


 そう言うと、俺は教室を飛び出した。真もすぐに俺の後を追ってくる。


 廊下を歩き、彼女が向かった先を目で追う。鬼月霞の姿が庭園の方へと消えていくのを確認すると、俺の胸に不安が押し寄せてきた。


「ただの散歩……じゃないよな」

「……俺たちも行こう」


 俺は真にそう言い、すぐに立ち上がった。


「今から授業なのに?!」

「授業よりも、人の命の方が大切だろ? 俺たちは日本を救う魔道士だ。仲間を助けるのが仕事だろ?」

「……」


 俺の言葉に真は疑問を抱きつつも、立ち上がってくれた。


「大袈裟だな」

「そうか?」


 教室を出ることに躊躇いはない。廊下に出ると、霞の背中が少し遠くに見えた。


「拓真、どうするつもりなんだ?」

「言っただろ。彼女は狙われてる可能性がある。俺たちで助けるしかないだろう?」


 真は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに決意を固めた様子で頷いた。


 こいつは素直だな。普通なら俺の言うことなんて信じないで、ついてもこないだろう。だが、俺の言うことを聞いて、一緒に霞の後を追いかけてくれる。


 歩き続ける彼女の背中は、どこか孤独な影を感じさせた。


 やがて、鬼月は学園の外れにある静かな庭園に足を止めた。その瞬間、俺の胸に不安が走る。


「待て、真。これ、何かおかしいぞ……」


 言葉を発した直後、数人の影が木々の間から姿を現した。彼らは全身黒衣に包まれ、顔を隠している。


「くそっ、やっぱりか!」


 俺はゲームのシナリオを思い出していた。

 鬼月霞は、本編が始まった直後に誘拐される。


 チュートリアル的なイベントで、誘拐された鬼月霞を神楽真が助けにいくことで、初めて妖魔と戦うという戦闘チュートリアルが始まる。


 誘拐された鬼月は、妖魔に衣類を剥ぎ取られ、あられもない姿を真に助けられる。


 だが、ここで彼女を誘拐させるわけにはいかない。これは最初の分岐点だ。


 この誘拐は、鬼月霞を闇堕ちさせる因子を埋め込んでしまう。後々、彼女が鬱展開に至る道筋になってしまうのだ。


 すぐさま魔力を手のひらに集中させ、魔法陣を展開した。


「拓真! 何をしているんだ?! ここでの魔法の使用は禁止されているんだぞ!」

「わかってるよ。だけど、あれを見過ごすことができるかよ! 俺は行くぞ!」


 俺は飛び出して、走り出した。霞に向かって襲いかかる影たちの前に立ちはだかった。


「あなた!」

「鬼月、邪魔するぞ!」


 黒衣の男たちは一瞬驚いた様子だったが、すぐにナイフや刃物を取り出し、こちらに向かってきた。


「魔銃! 凪!」


 俺の魔法は魔弾を通して、多種多様の技を放つことができる。だが、それは魔銃がなければ何もできない。


「ぐっ!?」

「やめなさい! あなたは何をしているのかわかっているの?」

「うるせぇよ、お嬢様! 何があってもここであんたを誘拐させるわけにはいかねぇんだ!?」

「誘拐ですって?!」


 どうやら霞も状況を理解していなかったようだ。敵も俺が事情を知っていることに動揺しているが、動きを止めることはない。


 俺の魔弾を避けて距離を詰めてくる。


「やぁっ!!」


 真が警棒を振りかざし、一人の男の腕を打ち砕いた。


「真!」

「無謀だな、拓真君! だけど、君の行動、僕は嫌いじゃない!」


 俺は鬼月を庇いながら、魔力を込めた魔弾を放ち、もう一人を吹き飛ばした。だが、残り二人!


「鬼月お嬢様! 大丈夫か?」

「あなた、私を誰だと思っていますの!?」


 その瞬間、朱の薙刀が彼女の手元に現れて、一人を吹き飛ばす。


「ヒュ〜、やるねぇ」

「調子が良すぎだよ、拓真君!」


 最後の一人を倒した真が、警棒を片付けながら、俺たちの元へと近づいてくる。どうやら魔法使用禁止を守るために黒刀以外の武器を持っていたようだ。


「さすがは特待生! 強さはピカイチだな!」

「僕を利用したのか?」

「馬鹿野郎、美少女が困っていたら助けるのが男ってもんだろ?」

「本当に君は調子がいいな」

「だっ、誰が美少女ですって!?」

「うん?」


 先ほどまで高貴な雰囲気を放っていた黒髪美少女が、顔を真っ赤にして、俺の言葉に反応していた。


「それは鬼月お嬢様だろ」

「まぁ、そうだな。この場では美少女は君だけだ」

「なっ!?」


 俺が真顔で伝えれば、真が普通に同意する。


 それに対して、褒められ慣れていないのか、鬼月お嬢様は顔を真っ赤にして、余計に可愛い顔をしていた。

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