第2話 想定は崩れて



 その日の放課後。


 授業終わりの凛月と日織は、人がまばらになった教室にいた。


「さてと、私は朝高松せんせに言われた通り再試験のお手伝いに行くけど……日織はその間どうするの? 多分待ってるんだろうけど」


「今日は課題もないし、誰かとお話したり、図書館で本を読んだりしてると思う」


「そっか。あたしの方、途中抜け出来るか分かんないし、あんまり長くなりそうだったらさ――」


 先に帰ってて、と半ば反射的に続けようとして、凛月は一度言葉を切った。


 朝の高松先生との三者でのやりとりの後に、日織が嫌だと即答したことが脳裏に浮かんできていた。


「だったら?」


「そうだねぇ……荷物持って迎えに来てくれると、お姉ちゃん的には嬉しいかなぁ」


「その時は喜んですっ飛んでいくね」


「日織がそう言うと、本当に魔法使ってすっ飛んできそうだから、緩めにお願い」


「大丈夫だよ。そんなことしないよ」


 一星日織は、基本的には礼儀正しく、人受けのよい人物ではある。


 だが、唯一簡単に狂ってしまえるのが、姉である凛月のことだった。特に2人きりになるとそのシスコン度合いがよく分かるようになる。


 過保護ではないことは間違いなく、凛月と日織の間に強固な信頼関係があることも確かなのだが、それでも日織は、凛月が絡むといつの間にかリミッターが外れているのだった。


「それじゃー行ってくるねー」


「ん、お姉ちゃん、ちゃんと魔導装器持った?」


「あ、忘れてた」


 日織の指摘を受けて、凛月は教室の外に向かおうとしていた体をくるり反転させて、また鞄の中を探った。


「ほい、ここにあります」


 そう言って凛月が取り出したのは、全体的に暗めの色合いをした小型の銃が2丁。いわゆる拳銃とは明確に違うそれは、六角形型の藍色の物体を中心として、黒い部品がついている。


 それこそが、凛月の魔導装器(エーテリア)だった。


 SF世界におけるライトセーバーや光線銃のようなものから、スマートフォンのようなデバイスまで、魔力を動力源とする機器を総称して魔導装器(エーテリア)と言い、それは魔力をため込む六角形型のコアと様々なパーツを組み合わせて形成される。


 蒼水魔導学院の生徒には基本的にテンプレートのパーツとコアが貸し出し、もしくは購入後に渡されるが、凛月のそれは、諸事情により大幅に専用改造が施された特注品だった。


 特注品にはそれぞれ名前もつけられ、凛月のそれには『ルネイラ・シャドール』という名前がついている。


「じゃあ今度こそ、行ってきまぁす」


「うん、いってらっしゃーい」


 そんな狂いっぷりとはまだ無縁の、どこかほのぼのとしたやりとりを終えて、凛月は日織に背を向けつつ教室から出ていく。


 ルネイラ・シャドールが入ったホルスターのようなポーチを腰に提げて向かう先は、高校棟からはやや遠い演習場。万が一内部での事故の余波を受けないようにという配慮で遠くなっている距離は、基本的には少し恨めしいものだった。


――授業で毎度行くの、ちょっと遠すぎてしんどいんだよねー……


「なんとかならないかな……」


 半分無意識に、愚痴が零れ出てしまうほどの距離。


 実践演習系の授業は基本的に固まっている、必ず長めの休憩時間の後にある、ということを加味しても、それだけの距離を毎度移動するのは、凛月に限らず結構な数の生徒から不評が出ている。



 基本的に不測の事態を除いて、校舎内での魔法の使用は明確に校則で禁止されているのだが、身体強化に類される魔法はその校則の適用外である。鍛錬の時間確保が難しいということで日々を鍛錬の時間にするという名目の元そうなっているのだが――


――絶対この距離、使うこと前提だよねぇ


「はぁ……」


 ほんの少しだけ意識を己の中心に向けて、移動速度を少し上げる魔法『アクセル・ステッドギア』を感覚的に発動する凛月。少し急ぎ気味に校内を走り、演習場がある渡り廊下方面へ向かう。


 放課後になっているためか人の姿はまばらであり、かつ移動速度も平常よりも少し上昇した程度なので、曲がり角にさえ気を付ければ残りの意識は急ぐことに全力を注いでも問題なかった。


 髪をなびかせ、ホルスターを揺らして、道中の階段は終わり際の数段を飛んで飛ばしながら進むと、気持ちはやく視界の明るさが少し変化する。


 光源が人工から自然になったことに向ける意識はほんの数ミリしかなく、残りは渡り廊下を抜けて、演習場へ向かうことのまま。


 そんな凛月が演習場に入り、エントランスを一直線に抜けた先の廊下に入ると、少しだけ話声が聞こえてきた。


――もしかして、もう人いる?


 演習場の廊下に入ると、奥の方の扉が既に空いていた。何かが行われていることを分かりやすく示しているそこが目的地と一致することを目視で確認して、凛月は強化魔法を解きつつ、駆け足で中へと入った。


「すいませーん! 多分思いっきり遅れました!!」


 規模感が小さいことをいいことに、若干ふざけ気味の言葉を吐きながら、おそらくそこで行われていたであろう会話に合流する。


「おお、遅かったな一星。まぁまだ雑談程度だから気にしなくていいぞ」


「えーじゃあ割と急ぎ目に来たの損じゃないですかぁ。教室からここまで割と遠いのに」


「そう言うな。学生時代にちょっと遠いなとか思いながらここまで何十往復もするのは、この学校の生徒が皆通る道だ。先生も漏れなく通った」


「せんせ、それ、宥めになってない」


 どことなくしみじみとした言葉に突っ込んだ後で、凛月はくるりと周囲を見回した。


 そこにいたのは、凛月を抜いて3人。高松先生以外には、見たことのない顔と、見たことのある顔が1つずつ。


 ある方の顔に視線を向けて、凛月がそう口にする。


「お、やっぱり昨日のお客さんだ」


「あ、昨日の……」


 凛月とその少女――宵星雫の間に展開されようとしていたやりとりに、


「ん、なんだ知り合いなのか?」


「んー、知り合いってほどじゃあないんですけど、まぁ、たまたま顔は知ってた、的な感じですねー」


 高松先生の反応に、凛月は途中頭を掻きながら答える。凛月基準では、知り合いというには流石にお互いを知らなさ過ぎていた。


「その顔は多分、『一星さんだと分かるけど、どっち?』って顔だね」


「あ……」


 図星だったのか、雫に明確な反応が見られる。


 凛月と日織は、よく知れば知るほどに違いが多くあることに気づけるが、外見における一致する要素が多すぎて初見ではほぼ見抜けない。


 分からない、はもう数えられないほどに遭遇した、始めましてのリアクションだった。


「どっちでしょー、はまたの機会のお預けとして……私は一星凛月。同じ学年だし、固いのなしでお気軽にリッキーちゃんと呼んでねー」


「宵星雫です」


 戸惑い顔に向けた凛月の気軽な挨拶に対して、雫から丁寧なお辞儀と短い自己紹介が返ってくる。



「先生! 早くしず姉の再試始めようよ! 早く図書室に行って本整理しないと!」


 凛月にとって、たったこの場で唯一の顔も名も知らぬ人物となった男子生徒が、再試験を急かす。


「おお、そうだな――」


 その声に、高松先生が反応した次の瞬間。


 爆発音、後に轟音が響き渡り――



 天井が崩れ始めて、結果出来た瓦礫が凛月たちを襲う。


「ふ……っ!」


 その瓦礫に対して、凛月は崩壊の次の瞬間から脳内で迎撃方法を組み上げていた。


 他の3人のことは一旦脳内から外して、自身が生き残るために、魔法を唱えようとし――


「!?」


 見上げているその先で瓦礫が静止しているのを見て、普段若干ダウナーな凛月でも驚きの表情を顔に宿さずにはいられなかった。


 否、よく見れば瓦礫は少しずつ近づいている。かなり緩やかな速度での落下に変わっているのが、瓦礫に纏わりつく黒い靄のせいであることは、なんとなく想像がつく。


――いったい誰が……?


 その靄の発生源を探るために、凛月の視線が再びいつも通りの高さに戻る。


 そこから視線をぐるりと回した先で、視界の中に入った高松先生の視線と、凛月の視線が同じ位置に刺さる。


「宵星さん……?」


 まだ夕暮れ時で、光量は十分にある。


 しかし、視線の先の雫は、そんな周囲の光景から明らかに浮くように輪郭がぼやけ、薄暗く見えている。


 そして、運の悪いことに、異常事態はこれだけではなかった。


――……誰か来る……!?


 聞こえてきた大量の足音が、凛月の聴覚に引っかかる。


 明らかに多く、そして雑多な足音の方を、ホルスターから覗いているグリップに左手をかけながら振り向いた。


 その次の瞬間には、ライフルを持った武装した集団が押し寄せ、入口の方を塞いでしまう。



「ラビット・ウェールズだと……!?」


 高松先生が口にした名前に、凛月も少し聞き覚えがあった。


 魔法が体系化したことで、魔法に関する個人間の能力の差異は否応なしに生まれている。もちろん、その差異による差別も、差別によって魔法にいい思いを抱かない人間もいる。


 そのような人々が集まった中の、最も危険な過激派と呼ばれる武装集団の1つに、高松先生の口から出たラビット・ウェールズが存在する。『東に兎あれば西に亀あり』というフレーズは、ここ十数年で魔法使用者界隈ではそれなりに通じるものだった。



――なんでそのラビット・ウェールズがここに……!!


 相手が本物の過激派集団であるならば、相応にマズい状況である。少なくとも、他3人を置いて無理やり逃げる以外の択は、今の凛月には残されてない。


「動くな!手を挙げろ!」


 ラビット・ウェールズの人員が持つライフルの銃口が、この場にいる全員に向けられる。


 詰みの瞬間がすぐそこまで迫っているかもしれない状況下で、冷や汗が背中を伝う。日織に謝るのも厳しい、という考えが頭の片隅を過りながら、目の前の状況を打開できないかを凛月は表情を変えずに必死に考える。




 そんな中で、不意に声が聞こえた。


「『虚数』」


 次の瞬間、訓練場の内部に、どす黒い煙のような何かが発生する。


 光を飲み込むような黒さで存在感を発している、得体の知れないそれに、凛月の脳内では危険信号が出ていた。


 それに関してはラビット・ウェールズの人員も同じようで、瞬間的に注意が雫に集中する形で残り3人から逸れる。


――今なら……!!


 チャンスを逃すまいと、加減を考えずに、凛月は魔法を放つ。


「フォビドゥンカーテン!!」


 氷、地、闇属性複合魔法であるそれは、万が一銃口が再度向けられ、凶弾が降り注いでも凌ぐことが出来ると踏んだ防御の魔法。


 凛月が師匠と仰ぐ人物から教わったそれを唱えた後で、侵食し続ける闇から逃れるべく、今度は残る2人の方へ向く。


「失敗したらごめんね!!」


 今度は、高松先生たちの方へと魔法を放ち、高松先生たちを入口から最も遠い地点へ飛ばす。


「アクセル・ツーデイギア!!」


 超加速魔法『アクセル・ツーデイギア』で彼らよりも先に目的の地点に到達すると、今度は強力な地属性魔法で、彼らに加えられたベクトルを引き剥がす。吹っ飛んできた彼らを受け止めきったのを見て、凛月は少し息を漏らした。


「ふう……」


「おお、すまんな、一星」


「いいんですけど、流石に疲れました……」


 退避を問題なく終えたことで湧き出た疲労感を声ににじませながら、凛月は先程までいた方を向く。


「うわ……」


 そこには、先ほどよりも巨大化した黒い靄が存在し、雫やラビット・ウェールズの人員を覆い隠していた。


「先生、これは……?」


 そんな凛月の横で、同じように飛ばしていた男子生徒が、高松先生に対して問いかけながら疑問符を浮かべる。



「バカか!?どこを撃っている!?」


「何故だ!?なぜ弾が当たらない?!」


「目標は!?目標はどこだ!」


 声から推測するに、ラビット・ウェールズの人員は皆、あらぬ方向に銃を撃っているようだ。フォビドゥンカーテンにひっかかる銃弾が1つもなかったことを考えるに、発生している黒い靄が強烈な認識阻害の魔法をかけているようだった。



 その靄も、凛月たちが見守る前で、少しずつ薄れていく。


 同時にその向こう側から聞こえていた音も薄れていき、靄が完全に晴れた時には、雫だけがそこに立っていた。


「しず姉……?」


 男子生徒が戸惑いの色濃く問いかける中、声が向く先の雫は、ラビット・ウェールズの人員が倒れ、自身もまだ黒い靄をうっすらと纏った状態でその口を開いた。


『さようなら、ヒカリ――世界は、終わる』


 その言葉の後、残りの黒い靄も薄れ消えると同時に、雫がその場に静かに倒れこむ。


「しず姉!」


 男子生徒が慌てた様子で駆け寄って行き、その後ろから凛月と高松先生も追うようにして雫の元へ向かう。



 倒れ込んだラビット・ウェールズの人員を少し避けながらついた場所では、男子生徒が雫を抱きかかえ、上体を確認していた。


 目視でその状態を確認する限りは、気を失ったわけでもなく、ただ寝ているようだった。


 この状況下で寝ていることに凛月は少し戸惑ったものの、ひとまずは安心できる状況になっているのは事実だった。


「一星、白崎、とにかく外に出よう。天井を抑えている闇魔法がいつきれるか分からんからな」


「「はい」」


 凛月は、雫を抱えた男子生徒と共に、高松先生の言葉に従って外へと避難し、程なくして起きた天井の再崩壊から逃れられたのだった。




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