第1話 頼まれ事



 一星姉妹が家族と共に住む一軒家である一星家は、一星堂のある繫華街ではなく、そこから少し離れたベッドタウンに建っている。蒼水魔導学院から繫華街までは徒歩で行くことが選択肢になり得る程度の距離だが、そこからさらにベッドタウンまで足を運ぶとなると、徒歩を選択肢から消すことを考える人もいるくらいにはやや距離がある。


 そんなベッドタウンから学院までの移動経路のうち、最も早く着くのが街を繋ぐ路線を走る電車だ。


 なのだが――


「もうちょっと寝てたい……」


「遅れて電車に飛び乗ってすし詰めギューギューでもいいならまだたっぷり寝られたね」


 凛月と日織は、夏になる前のまだ若干寒さが残る朝の道を、自転車を緩めにこいで移動していた。


「流石に嫌かなぁ……」


「うん。私も嫌」


 平坦な道を緩やかな速度で進みながら、満員電車の愚痴を言う2人。彼女たちが電車を使うことは、余程ひどい雨の日か、いつも先に起きる凛月が寝坊して日織共々遅れた時くらいしかない。


 満員電車に詰められて痴漢されるのが嫌だから、というのがその理由で、色違いの自転車に乗って、蒼水魔導学院までの道のりを行くのが2人の中等部の頃からの日常である。


 日織をどうにか起こし、無事いつも通りの朝を迎えていた2人は、今日もすし詰めされて嫌になることだけは避けるべく家を出て、手持ちカバンを自転車の籠に入れた後に、一星家を出発。



 そこから緩やかなサイクリング通学を続け、今に至っている。


 そして時間を今からさらに数分進め、自転車をこいでいくと、蒼水魔導学院の広大な敷地の一角にして、これまた大きい校門が見えてくる。



 滑らかな動きで減速なしに凛月が敷地へと入り、その後からスピードを緩めた日織が追いかけて、2人は駐輪場へと向かう。


 横並びの位置に自転車を止め、生徒玄関へ向かうべくくるりと向きを変えた2人の目に、校舎の外壁にかけられた大時計が自然と入ってくる。


「思ったより早く着いたね、お姉ちゃん」


「そうだねー。残ってる宿題とかもないし、若干暇しそうだね」


 目に見えた時刻を話の話題にしながら、凛月と日織は自動ドアを抜けて生徒玄関へと入っていく。


 上履きに履き替えた後は、市役所の待合室、あるいは複合施設に点在する休憩スペースのような空間が広がるエントランスエリアを抜けて、2人は自分たちのホームルーム教室に向かう。


 と、その道中。


「あ、高松先生」


「お、一星姉妹か。早いな」


 高松陸。


 一部の面々の間ではゴリラとも呼ばれている、いかつい風貌の教師。風の便りで年齢が知れ渡った時、『人は見かけじゃ分かんないねぇ』と開口一番に凛月が話したくらいには、まだ若い教師である。


 明確な接点がない生徒も、その特長的な風貌等々の事情から、『高松先生』と聞いて名前と顔が一致しない生徒はほとんどいない。


「高松先生おはでーす」


「おはようございます、高松先生」


「姉の方はいつもながら、リスペクトの気があるかどうか分からん挨拶だな……」


「これがデフォなんで」


 呆れ口調の高松先生に、あっけらかんとした口調で凛月がそう続ける。


「いつもすみません高松先生。お姉ちゃんこんなで」


「まぁ、授業の方は優秀だし、別になめてるわけでもないのは分かるし、言うことはないんだがな……」


 日織の謝罪に、高松先生が言葉を返す。


 その性格や雰囲気からは想像がつきづらいが、凛月の成績は非常に優秀だ。見た目でも分かる日織も同じくらいに勉学面では優秀なのだが、凛月はわずかながらその上を行く。


「それはそうと、そんな一星姉に頼みたいことがあるんだが」


「ん、なんですかー?」


「今日、この前あった試験の再試験を行うんだがな、ちょっと力を貸してくれないか?」


「うーん……再試験のお手伝いか……」


 高松先生の依頼を聞いた凛月は、明らかに気乗りしない物言いだった。


 放課後に行われる再試験の手伝いとなると、確実に放課後すぐ帰宅、とは行かない。時間が削れてしまうとなれば、渋らないわけがなかった。


「ダメもとで聞きますけど、別に対価が出るわけじゃないですよねー……?」


「ちょっとお姉ちゃん……!」


「いやまぁそうだな。対価は正直出せない。強いて言うなら成績に少し加点するくらいだが、正直一星姉にその類はいらんだろうからな……」


 たしなめる日織に対して、凛月に対して一定の評価を添えて肯定する高松先生。


 一方で頼まれている側の凛月は、首を縦にも横にも触れない状態のままで、何とも言えない表情をしていた。


「別に扱いづらい私じゃなくても、もっと従順な日織でも、他の生徒でもいると思うんですけど……なんで私なんです?」


「本当の意味で万能型の生徒は、蒼水とはいえどもそうはいないからな。在学中はおろか、卒業生ですらそこまでおらんだろう」


「褒めても何も出ませんよー」


「そうかもしれんが、なかなか人がいなくてな。すまんが、頼みたい」


「どうしよっかなー……」


 一度ではなく複数回頼まれれば、凛月も若干断りにくい気持ちがあった。


 そんな揺れる心の決め手を求めるべく、問いかけを口にする。


「ちなみに、再試験って誰のなんです? 私誘うからには、同じ学年なんでしょうけど」


「……まぁ本人のプライドもあるかもしれんが、一応言っておこう」


 凛月の問いに対して、高松先生が少し渋い表情をしながらも再度口を開いた。


「宵星雫。流石に同じ学年だし、名前は聞いたことあるだろう」


 その名前には、当然聞き覚えがあった。


 昨日、一星堂での凛月と日織の会話の中に、同じ名前が出てきたからだ。


「あー、前にうちに来たあの子か。全然不真面目には見えないんだけどなぁ」


「真面目かどうかと、成績が伴うかどうかは必ず釣り合うとは言えないのが辛いところだな……」


 渋い表情のまま放たれる高松先生の言葉に、日織だけが少し悲しそうな表情で同意する。


 一方の凛月は、少しの考える素振りの後で口を開いていた。


「興味はあるし、引き受けますかぁ」


「おお、それはありがたい。場所は高校生用の訓練場だから、頼んだぞ」


「はーい」


「じゃあ、また放課後によろしく頼む」


 そう言って、高松先生がその威厳のありそうな背を向けて去っていく。その姿を少し見た後で、凛月と日織は再び教室への道を歩き始めていた。


「帰り、遅くなったらごめんね?」


「待つくらい平気だから気にしないで」


「あんまり遅かったら先帰ってもいいんだよ?」


「やだ」


「清々しいくらい即答だねー」


 道中の会話は、高松先生を交えての時とは違い、2人だけの時専用の雰囲気になっていた。

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