第18話

 ――そして、3年の歳月が流れた。


 僕は20歳になり、クララは17歳になった。

 あのときはあんなに小さかったレイドも、今は僕を背中に乗せて優雅に空を駆けている。

 ミーナはクララを乗せ、レイドの横を駆ける。

 クララにはペガサスと会話する能力はないが、クララの考えていることなら大体分かるようだ。

 ”あたしってそんなに単純ですかっ!”と、本人としては不服のようだけど。


 あれから僕たちは各地を転々と旅をしながら、僕は槍術の腕を磨き、クララは魔術師としての修行を積んだ。

 『ヴァンダーファルケ』で飼っていた猫たちの貰い手はすぐに見つかったが、にゃるだけは頑としてクララの傍から離れようとしなかった。

 修行のために、半年ぐらい離れ離れの時期もあった。再会したとき驚いたのは、クララの身長が伸びたことよりも、にゃるがぶくぶくと肥え太っていたことだ。これじゃあまるで豚だ。

 まったく、僕がいないと、際限なく甘やかしてしまうから。こうなったら、にゃるのためにも、ずっとクララと一緒にいるしかないじゃないか。

 僕は各地で槍術の大会が開催されると聞くたびに駆けつけては、優勝し、賞金をかっさらった。

 その賞金だけで、食いつなぐことができたほどだ。

 ガラハッドとライナスの2人の師匠から叩き込まれた教えは、僕の中で確かに息づいている。

 僕にとって2人は兄のような存在だったが、そんな僕も今では当時の2人と同い年になってしまった。

 まだまだ僕は未熟だ、と思う。

 2人の背中は、まだまだ遥か先にある。

 しかしだからこそ、遣り甲斐がある。

 必ずや、追いついてみせるから。


 クララは、さすが魔女パーシヴァルの血を引いていることもあって、その実力は指折りだった。

 つい先日までいたエリュード大陸のダイラード王国では王宮魔法師団にスカウトされたほどだ。

 エリュード大陸には”魔物”が跋扈していて、その対処に困惑していた。

 そこには冒険者ギルドなんてものも存在していて、与えられた任務をこなすことで、報酬を受け取ることが可能だった。

 僕らは放浪の身だから正式に所属することはなかったものの、適宜魔物の討伐依頼を受けては、2人で容易く達成し、路銀を稼いでいた。

 クララの上達は凄まじかった。何と言っても僕が宿で昼寝をしている間に、SSS級の魔術師が集う、暗殺を生業とする闇ギルドの本部まで一人で出向き、1時間もかけずに一網打尽にしてしまったというのだから驚きだ。


 そして、今年も夏が巡ってくる。


 僕らは、ペガサスに乗って、かつてエーデルフェリア大陸が存在していた場所まで来ていた。

『本当にやるの?』

 レイドが心許なげに訊ねてくる。

「ああ、そのために僕らは、お世話になった全ての人たちに挨拶回りをしてきたんだからね」

 この3年間、多くの出会いと別れがあった。

 ひと月かけて僕らは七つの大陸を渡り歩き、お別れの挨拶を済ませてきたのだった。

「クララ、本当に大丈夫かな?」

「はい。今のあたしなら、できると思います。だって、3年間も鍛えてきたんですから。ちょっとやそっとのことではくたばりませんからっ!」

 見違えるほど大人びたクララは、ダイエットに成功したにゃるを胸に強く抱きしめ、そう言ってみせた。ツインテールはやめて、ブロンドの髪を腰まで垂らし、当時のステラの身長を優に追い抜いていた。

 僕は息を呑む。

 いよいよこのときが来たのだ。

 3年間、待ちに待った、この瞬間が。

『寂しくなりますね、これから』

 ミーナが、どこか寂しい口調で言う。

「今までありがとう。ミーナもレイドも」

『お礼には及びません。むしろ私の方こそ感謝しているくらいです』

『ボクも2人といられて楽しかったよ! お別れするのは悲しいけど、元気でね!』

 僕は微笑むと、レイドの頭を撫でてやった。

「……では、始めますよ!」

 クララが宣言すると、僕らのすぐ下の空間に、とびきり巨大な幾何学模様が描かれていく。

 今までクララが行使してきたどんな魔法より、多大なマナを要するものだ。

 やがて、それは淡く輝き始める。

 僕とクララは互いに見つめ合うと、頷く。


 そして、僕らは――淡い光の中めがけて、飛び込んだ。


     ◇◇◇


 果てしない荒野を歩く、一人の女性。

 女性の名は、ステラ。

 ステラの全身は返り血で染まっていた。

 今し方、歴史上初めて並行世界を垣間見る”目”と、並行正解から万物を手繰り寄せる”手”を授かった女性を見つけ出して、殺したのだ。

 これでこの力は後世に伝わることなく、人々は預言(オラクル)による呪いから解放されるだろう。


 ここは、1000年前のエーデルフェリア。

 空は灰色に染まり、土地はほとんど未開拓だ。

 自分はおそらく、この荒野をさまよい続けながら、いずれ独りで死んでいくのだろう。

 いや、未開の部族たちに殺されるのが先か。

 当然の報いだろう。

 十分すぎるほどの幸せを得た。何も後悔はない。


 ステラは立ち止まり、ここにはない世界で過ごした日々のことを思い出す。

 夢のようなひとときだった。

 自分にはもったいないくらい温もりに満ちた日々だった。

 もう二度と手にすることはできない時間。


 それにしても、疲れた。

 飲まず食わずで歩き続けて、何日が経過したのかさえ分からない。

 空はずっと灰色だ。移り変わりがない。

 そういえば、誰かが言っていたような気がする。人は3日間、何も口にしていないと、餓死してしまうと。

 ふと頬に手を触れてみた。

 鏡で見なくても分かるほど、げっそりと痩けていた。

 辺りを見渡しても、殺伐とした荒野が広がるだけで、水がある場所は見あたらない。


 ステラは観念して、その場に座り込む。

 いずれ自分は死ぬのだ。無駄に足掻く必要もない。このまま飢えて死ぬか、野生の獣に食われて死ぬか……。

 観念して、目を瞑ろうとしたそのときだった。

 目の前に淡い光が広がった。

 思わず、ステラは目を見張る。


 その中にいたのは、キースと、にゃるを抱えたクララだった。


「そんな……どうして……」


 見違えるほど成長したクララは涙ながらに、

「お姉ちゃん!」

 そう言って、抱きついてきた。そして胸の中で、えぐえぐと泣きじゃくる。

「ずっと会いたかった……会いたかったよぉ……!!」

 キースはステラの前まで来ると、そっと口を開く。

「僕らは決めたんだ。ステラと共に生きていくってね。だからこれからも、ずっと一緒にいさせてもらうよ」

 ステラの瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。

「バカ……こんなところまで来ちゃって……もしものときに帰れなくなったらどうするの?」

 クララは涙に染まった顔を上げる。

「もう帰れません。一世一代の特大魔法だからっ。次使ったら、きっと死んじゃいます!」

「そういうことだよ、ステラ。僕らは家族だ。最後まで幸せでいようよ。いつかそのときが来たら、君の墓は、僕とクララで立ててあげるからさ」

「……キース!」

 ステラは、感極まった様子で2人を抱きしめた。

 そして、泣いた。

 穢れを知らない少女のように、ステラは泣き続けた。

 それは悲しみとか嬉しさからくるものではなく、よもや魂が発する声だ。


 たとえ幸せを実感するたびに命を擦り減らしていく定めにあったとしても、わたしは、それでいい。

 

 幸せは、確かに今、ここにある――。


(終)

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終わる世界、始まるクロニクル @ikaarashi

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