第17話
激戦が終わり、静まり返った室内。
ステラはその場にしゃがみこみ、激しく深呼吸をしている。
二人を呼び寄せるにあたって、かなりの力を使ってしまったのだろう。
「ステラ、大丈夫かい?」
僕が手を差し出すと、ステラはそっと僕の手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「聞かせてくれるよね?」
ステラは、静かに頷いた。
そして、そっと口を開く。
「わたしは世界を正しい道へと導くために、預言(オラクル)を授けてきたわけではないの」
ステラは虚空を仰いだ。
「見ているの。世界の可能性を」
「世界の可能性?」
僕が言うと、ステラは頷く。
「わたしに与えられた力は、並行世界を垣間見る”目”。そして、並行世界から万物を手繰り寄せる”手”。
無限の可能性を垣間見て、その中から最善と思われる可能性を選択する。……そう、より犠牲が少ない可能性を、わたしは選んで授けてきたの。
だけど、あるとき、分かった。今、わたしが垣間見ることができる並行世界の全ては、やがて同じ結末へとたどり着くことを」
そして、ステラは視線を落とすと、僕とクララの目を交互に見つめた。
「――エーデルフェリアの大崩落だよ」
僕は息を呑む。
「現状、止めるすべはない。そう、この並行世界は、まもなく終わりを迎える」
僕もクララも、はっとする。
「ちょっと待って。それって……」
「あたしたちは、並行世界の人間だったということ……?」
つまり、ここは本当の世界ではなく、そこから分岐した並行世界の一つだった?
「そう、この世界は、可能性の一つに過ぎないの。いえ、今、存在している全ての世界が無限に広がる可能性の束と言ってもいいかもしれない。それぞれの世界に生きている人たちにしてみればその全てが本当の世界だし、俯瞰的に見れば、全てがただの可能性に過ぎないわ」
そして、ステラは、凛とした眼差しで僕を見た。
「真にみんなが幸福になれる世界を、これからわたしが創る」
「「みんなが幸福になれる世界……」」
僕とクララの声が重なった。
「エーデルフェリアが壊れるに至った原因。それは、わたしたち、預言者の一族が代々、エーデルフェリアの理に干渉しすぎたから。エーデルフェリアは理を失い、その在り方を保てなくなり、崩壊を始めている。
だとすると、答えは一つ。遙か過去へと遡り、この血脈を絶やしてしまえばいい。並行世界を垣間見る”目”と、並行世界から万物を手繰り寄せる”手”を持った最初の人物が存在しない世界を”選択”すればいい。そうすれば、この大地は壊れない。きっといつまでも存続することができるわ」
「でもそれって……」
クララが小さな声で言う。
僕も同じことを思った。過去へと遡るということは、そういうことだ。
「そうよ。この世界からわたしは消える。
だから、きっとわたしは願っちゃったんだろうね。わたしが消える前に、せめて、人並みに 幸せでありたいって。
家族の温もりというものを知りたいって……。
……そして恋をして、普通の女の子としての幸せをひとときでもいいから噛みしめたいって……。
わたしが、そんなことを願う資格はないことは分かっている。
でもわたしは、願ってしまったの」
ステラは僕を見据える。
「ごめんなさい。そのために、キースを≪ジョーカー≫とする預言(オラクル)を授けなければいけなかった。そう、わたしとキースが出会うきっかけを作るために……」
「どうして僕だったの?」
「それは……いくつもの並行世界を垣間見て、どの世界のキースも人々を救うために懸命に戦っていたことを知ったから。ただ一つとして例外はなかった。
わたしは、もしかしたらキースに惹かれてしまったのかもしれないね。
だから、キースと一緒に、幸せになりたいって思ってしまったんだと思う」
そして、ステラは壁へと向かって歩いていく。
ステラが壁に触れると、その壁が横へとずれた。
その先は空洞になっていて、透明な容器の中に、真っ赤に輝く巨大なクリスタルが納められていた。僕の背丈のゆうに三倍はあるだろう。天井すれすれのところまで達している。
「これは……」
「時の涙石を収めた魔道具だよ。1000年かけて、これだけ集まった。……時は満ちたわ」
はっとした。
時を司る涙石のみが天から降ってこなかったとされる理由は、こういうことだったのか。
預言(オラクル)を授けるために必要な材料だと言って、騎士たちに調達させていたのだろう。
おそらく……大地が限界を迎えたときに、リセットをするために、1000年も昔から、代々と。
「お別れだよ、みんな」
ステラは、向き直って、僕らを見つめる。
「わたしはこれから、過去に遡って、わたしの祖先を――この”目”とこの”手”を最初に持つことになった人物を、≪パージ≫する。そして、預言が存在しない世界を作る」
そして、ステラの瞳から一筋の涙が雫れた。
「ありがとう。キース、クララ……。ほんのひとときだけでも、家族になれて……嬉しかった……」
クララが、はっとして、ステラに駆け寄る。
「だめ……だめだよ……行っちゃだめ! お姉ちゃん!」
しかし、淡い光はステラを包み始めている。
クララがステラに触れようとしたとき、その手は何もないところを掠った。
クリスタルが音を立てて崩れ始める。
ステラの姿は、どこにもいない。
世界から消失してしまった。
もはやステラは僕らの思い出の中にしか存在しない。
……この世界の、どこにもいないんだ。
「そんな……お姉ちゃん……嫌だよ……こんなのって……」
クララの体から力が抜けていき、その場に膝をつく。
僕はただ茫然とその場に立ち尽くしたまま、今までステラと共に過ごしてきた日々が走馬燈のように駆け抜けていった。
一緒に笑って、
一緒に泣いて、
一緒にデートをして、
一緒に同じジュースを飲んで、
一緒に思い悩んで……。
「ステラ……きっと僕は、君のことを……」
ああ、今なら確信を持って言える。
「好きだったんだ」
◇◇◇
部屋を後にした僕らを待っていたのは、ミーナとその子のレイドだった。
ミーナはその胸にグィネヴィアの亡骸を抱きしめていた。
何があったか、あえて僕は聞かなかった。
僕はグィネヴィアの頭を撫でてやった。
「今まで君はよくやってくれたよ、ありがとう」
僕はグィネヴィアを背負いながら宮廷を脱すると、『ヴァンダーファルケ』へと引き返した。
新たに生まれたであろう預言が存在しない世界で、今頃グィネヴィアは元気に空を駆けていることだろう。ミーナとレイドを連れて。
「あたしたち、これからどうしましょう……」
6日後に迫った終焉を回避するのは、もはや不可能だ。
僕の心は、もう決まっている。
ガラハッドとライナスの生き様を見て、僕は決心するに至った。
「本当のことをみんなに告げよう」
クララは顔を俯ける。
「……でも、それって、大多数の人にとって死の宣告をするにも等しいじゃないですか」
「ああ。残念ながら、今僕らに協力してくれている全てのペガサスと、建造中の巨大浮遊船をもってしても、全ての人を救うことはできない。僕が真実を語ったところで、まさかそんなことがあるものかと一笑に付されるかもしれない。だけど、僕らを信じて連いてきてくれる人たちもいるはずだ。救える命は全て救いたいんだ」
クララは唇を噛みしめ、にゃるを強く抱きしめる。
「……悔しいです……とても悔しいです! ……でも、あたしもそうするしかないと思います」
僕はミーナを見る。
「君はどう思う?」
『私も賛成です。やれることは全てやりましょう。こうなったらとことんお供させていただきますから!』
そう語る表情を見て、僕は思うところがあった。
「君は、似ているね。グィネヴィアに」
『よく言われます。だからこそ、私は、どこに行っても鼻つまみ者だった彼に惹かれてしまったのかもしれませんね。気がつけば、群れを追い出されて彷徨うグィネヴィアの後を追いかけていました。以来、エーデルフェリア全土の山々を点々とし、群れに属しては追放され、また別の群れに属してはやはり追放され……そんなことを100年も続けてきました』
自分の伴侶を亡くして胸が張り裂けそうなほど辛いはずなのに、あくまで気丈に振る舞うミーナ。
ミーナは強い子なんだなと思った。
それから、僕らは、ステラの終末預言を世に広めることにした。
もちろん全員が全員信じてくれたわけではないけど、余震が続くこの状況下で、あながち冗談とは見なされなかったのだろう、瞬く間にエーデルフェリア全土へと伝えられることになった。
野生のペガサスたちに頼み、僕が先導する形で、近隣の浮遊大陸に民を送り届けた。
それには、≪翡翠の牙≫が擁している1000のペガサスたちも協力してくれる運びとなった。
彼らは僕に非常に懐いていたので、僕が呼びかけたら、みんなついてきてくれた。
指導者を失い、≪アカシックレコード≫を失い、ペガサスまでも失った≪翡翠の牙≫は無力化されたも同然だった
誰も僕らに牙を剥けてくる者はいないどころか、”金ならいくらでも積むからどうか助けてくれ”と地面に頭を押し付け、懇願する者まで出てくる始末だった。
ペガサスたちはエーデルフェリアの空を駆けめぐり、最終的には、7500のペガサスが僕らに協力してくれた。
空を駆けて人々が移動していく様は、まるで空に無数に描かれた飛行機雲のようだった。
そして終焉を迎えるその前日に、浮遊船が完成した。
一度の飛行で2000人を運べる、大型船だ。
エーデルフェリア周辺の7つの大陸を何度も往復しながら、民を送り届けた。
そして、終焉は訪れる。
鮮やかな夕焼けに包まれながら、僕とクララは浮遊船の甲板から、崩れ落ちるエーデルフェリアの大地を眺めていた。
僕の隣には、ミーナとその子もレイドもいる。
もちろん、僕らが『ヴァンダーファルケ』で飼っていた猫たちも。
「いよいよ終わってしまったんですね……」
クララが遠い目で言った。
「そうだね……終わってしまった」
やれるだけのことはやったと思う。
正確に数えたわけではないが、90万人程度の人たちを送り届けることに成功した。
「全ての人を救えなかったのが心残りです……」
「……僕もだよ」
結局、僕らが救えることができたのは、全体の20分の1にも満たなかった。
救えなかった人たちにしてみれば、僕らのしたことは、まさに死の宣告に他ならなかっただろう。
僕らは人々に、希望と同時に絶望を与えてしまったんだ。
エーデルフェリアを構成していたあらゆるものが、堕ちていく。
その中には、もちろん人間の姿もある。
僕らが救えなかった人たちだ。
「ごめんなさい……」
僕は頭を下げた。
許してほしいとは言わない。
僕は一生この光景を忘れることはないだろう。
死ぬまで、胸に刻んで生きていくのだ。
本当にごめんなさい。希望を与えておきながら、それを取り上げるようなことをしてしまって。
「……キースはこれからどうするんですか?」
「分からない……。何も決めていない……」
「あたしもです……今はまだ何も考えられません」
『ならば、一緒に行きませんか?』
ミーナが言った。
『あいにく私もこの子も、帰る場所がなくなってしまいました。こう見えて、私、実はとても心細いんです』
僕は頷く。
「じゃあ、しばらくみんな、一緒にいようか」
「そうですね。当面の間は、傷を舐めあって生きていくのも悪くはないかもしれません」
クララは、ぎこちなく笑う。
「よし、じゃあ決まりだね」
僕は空を仰ぐ。
空の遥か彼方から、ステラが微笑みかけているのを見た――そんな気がした。
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