第15話

 ――まもなく、この地に終焉が訪れるだろう。まるで地獄の蓋が開くかのごとく大地は崩れ落ち、ここに生きる全ての人を呑み込む。何人もその運命から逃れることはできず、それを止める方法は存在しない。


 それが、ステラが残した最後の預言(オラクル)だ。

 その預言が民に伝えられることはなく、≪翡翠の牙≫の内部は混乱の状況にあるらしい。

 総帥であるガーレイスは、腹心であるザカライアを失ったことで、狂乱状態に陥り、ついに寝込んでしまった。

 僕は裏切り者になってしまったわけだけど、ライナスと志を同じくする者が僕以外にも紛れ込んでいたらしく、その人を介して僕はそれを知ることになった。ステラが去った日の夜のことだ。

 なんでも聞くところによると、ステラは預言(オラクル)を授けることを拒否しているらしい。どうせこの地は終わるのだから、何をしようが無駄だということだろう。

 エーデルフェリアに生きる2000万の民たちは、何も知ることなく、普段通りの生活を送っている。

 僕は、その日のうちにステラから受け取った呪いの解除術式をクララに解読してもらって、近隣に生息する1200体全てのペガサスの呪いを解いた。

 もちろん、グィネヴィアとクララに施されていた呪いもだ。

 さっそく翌日からウォーレスさんの残した設計図を元に、先日の僕らの奮闘でどうにか救い出した徒弟たち150人によって巨大浮遊船の建造が急ピッチで進んでいる。必要となる風の涙石は、あの日、ガールウェンに落ちてきた巨大涙石も含めて、現時点でガールウェンに残っているものを余すことなく利用することにした。

 脱出ができる準備は整いつつある。


 しかし、どんなに足掻こうとも救える人数には限りがある。

 僕はステラの残した終末預言をみんなに伝えることはできなかった。

 なぜならそれは、死の宣告にも等しいからだ。

 ならば、7日後に迫った終焉を止めるしかない。

 だけど、どうすればいんだろう?

 何と言っても、あの大預言者たる≪アカシックレコード≫ですら匙を投げている状況だ。

 僕みたいな取るに足らない一介の少年に過ぎない奴に何ができるというんだろう……。

 そう考えると、もはや八方塞がりだった。


 だけど別れ際、ステラは”並行世界”を垣間見ることによって、呪いの解除術式を得たと言っていた。

 並行世界って、一体何だ?

 僕はステラがいなくなった翌朝、図書館に出向いて、それについて調べた。

 どうやら、それは、近年の一部の物理学者たちの間で提唱されている学説で、僕らが生きている世界とは似て非なる世界が無数に広がっているとするものだ。

 たとえば、それらの世界のどこかではガラハッドが生きていてもおかしくないし、ライナスやクララの姉のフレデリーカさんも生き延びることができていたかもしれない。

 どうやら学会では異端だとして、一笑に付されているらしいけど。

 だけど、ステラの言う並行世界が真実だとするなら……。


 それと、ザカライアによって、≪アカシックレコード≫として仕立て上げられていた少女は、あれからすぐに、僕とクララで家族のもとへと送り届けた。少女の家族は、シルヴェスタの窓のついていない空き家に監禁され、見張りとして空騎士2名がついていたらしいが、もうどうでもよくなったのか、庭には誰もいなかった。

 施錠は解除できそうになかったので、クララが魔法で扉を破壊した。

 両親からは何度も頭を下げ、感謝された。

 ただ、気になるのは、少女に”人心を読む力”と”人々の望むもの”を具現化する術があるということだ。

 きっと少女も、大魔女パーシヴァルの血を引いているのだろう。

 脱出のためにどうにか協力してもらえないか、終焉のことは伏せた上でそれとなく聞いてみたが、未熟なゆえに、適切に力を制御できないらしい。


 帰り道、時計塔の前を通りがかった僕は、時刻を確認する。

 ちょうど午後を回ったあたりだ。

 今日も雲一つない晴天だ。僕の心とは裏腹に、憎たらしいくらいの青空だ。

 シルヴェスタの街を行き交う人たちの顔は笑顔で溢れている。

 まもなく終焉のときが迫っていることを知りもせずに。

 ふとレストランの鏡に移った自分の顔を見た。

 自分の顔とは思えないほど青ざめていた。

 クララが去った今、僕には変装魔法はかかっていない。素顔のままだ。しかし誰も、僕を殺しにくる者はいない。災厄指定された≪ジョーカー≫が、普通に街を歩いているにもかかわらず。

 僕はこれからどうするべきなのだろう。

 どうやれば、最善の答えを出すことができるのだろう。

 妙案は何一つ思い浮かばなかった。


 あてもなく歩き続けて、噴水広場の前まで来たとき、上昇気流が舞った。

 グィネヴィアが僕の目の前に降り立った。

『よう、一日ぶりだな』

「ああ、元気なようで何よりだ」

 呪いを解いたあと、グィネヴィアは『探りたいことがある』と言って、僕の前から姿を消していた。

『それよりも、分かったことがある。ミーナ……いやミーナだけでなく、オレのいた群れのやつら全員が空騎士に従えられて宮廷に集結しているらしい。おそらくステラの見張りにあたっているのだろう』

 グラン=ス=ロット宮廷――。

 グィネヴィアは、はぁと深い溜め息を吐く。

『元から族長の野郎は、≪パージ≫に協力することに積極的だったんだ。群れのみんなを食わせなきゃいけないという事情もあったんだろうが……。まあ、そんなこともあって、あいつのことは気にくわなかったんだよ。そして、よりにもよって、ミーナはオレを捨ててあいつとくっつきやがった。しかもガキまで拵えたときた。なおさら腹が立つんだよ……』

 グィネヴィアは苛立ち紛れに石畳の地面を蹴った。

『オレは、これから宮廷に乗り込むつもりだ。そして、決着をつける』

 グィネヴィアは背を向ける。

「そうか……健闘を祈るよ」

『……情けないやつだな、お前さんは』

 呆れたようにグィネヴィアは言った。

「……どういうこと?」

『オレはてっきり”僕も一緒に行くよ”と言い出すと思ってたんだがな』

「…………」

 僕は意表を突かれたような思いだった。

『お前さんにもいるんだろ? 守りたい人が。だったら、いつまでも腐ってねえで、会いに行ってやれよ。たとえそれで命を投げ出すことになったとしてもな』

「僕は……」

『理屈がどうのこうのじゃねえ。大切なのは、想いだ。オレはこれからミーナに、オレの想いの全てをぶつけに行くつもりだ』

「…………」

 僕は言葉に詰まってしまった。

 グィネヴィアは自分の為すべきことを見つけている。目の前の現実にただただ圧倒されるばかりで、未だに判断を下せない自分が恥ずかしく思えた。

『……まあ、お前さんにはお前さんの事情もあるんだろう。だから無理強いはしねえ。あと、2時間やる。それまでにどうするか決めておけ。腹が決まったら、時計塔の前に来るんだな』

 そう言って、翼を広げてグィネヴィアは去っていった。


 僕は虚空を仰ぎながら想う。

 僕はあまりにも多くのものを抱えすぎていたのかもしれない。

 何もかもがごっちゃになって何が何だか分からないけど、ただ一つ確かなものがあるとすれば……僕はもう一度、ステラに会いたい。

 ステラの本当の気持ちを確かめたい。

 だって、僕はステラのことが……。


 『ヴァンダーファルケ』に戻ると、姿を消したはずのクララが戻ってきていて、カウンター席に座って、顔を埋めていた。

 にゃるがクララの頭に手を置いて、慰めている。

 あれ以来、カフェは休業状態だ。

「クララ……」

 僕は背中から声をかける。

「えぐっ……えぐっ……」

 何度か嗚咽したあと、クララは涙に染まった顔をこちらに向ける。

「あたし、悔しいです……。やっと幸せになれたと思ったのに……それが失われてしまったことが、たまらなく悔しいんです……!」

「……クララの気持ちは分かるよ――なんて、そんなたいそうなことは簡単には言えやしない。君には君の抱えている悲しみがあるのだろう。だけど、クララはよくやってくれたよ。君のおかげで、呪いは解除できたし、浮遊船の建造も順調に進んでいる」

「……あたしは、あたしにできることをやっただけです」

 僕は、思い切ってクララに覚悟を告げることにする。

「僕は行くつもりだ」

「……どこにですか?」

「”籠の中の鳥”を連れ戻しにさ」

 クララは俯く。

「……そんなことしたって意味ないじゃないですか。ステラはあたしたちのもとを去りました。自分の意志で、あそこに戻ることを決めたんです。たとえもう一度会うことができたとして、それで事態は良くなるんですか? 終焉は止まるんですか?」

「ああ、分かっているさ。たとえそうだとしても――僕は、ステラの本当の気持ちを知らなければいけないんだ」

 僕は、クララの前にステラが置き残していった手紙を置いた。

「これは……」

「手紙一つで終わらせようなんて、ステラにしてはあまりにも薄情すぎるよ……。僕は直接、ステラの口から聞きたいんだ。

 なぜ、素性を隠して僕らの前に姿を現したのか。

 なぜ、僕たちと家族になることを望んだのか。

 僕は確かめなければいけないんだ」

「……キース」

 虚ろな顔で、クララは僕を見つめる。

「一緒に行こうなんて言わないさ。クララにしてみれば、もはやステラは、フレデリーカさんが殺される原因となった憎い仇に過ぎないだろう」

 クララは拳を握りしめる。そして、何度も机を叩いた。

「はい、憎いです。ステラのことが……とても憎いですっ!」

 そして、涙を零す。一滴、また一滴と、床に滴り落ちる。

 僕は見ていられなかった。

「……クララ、元気でな」

「……なんですか……まるで最期の別れみたいじゃないですか……」

 視線を合わせないまま、クララは呟く。

「……宮廷には、空騎士が集っているらしい。何と言ってもあの日、僕たちの追撃から逃れた精鋭たちだ。はっきり言って、生きて帰ってこれる保証はない。……まだ14歳の君にこんなことを言うのは無責任だけど、後は頼んだよ」

 そして、僕は踵を返した。

「待ってください!」

 僕は、足を止める。

「あたしも行きます!!」

「……でも、さっきも言ったように、生きて帰ってこれる保証はないよ。それでも――」

 遮って、クララは言う。

「それでも、あたしは行きたい! ステラに文句を言ってやらなきゃ気が済みませんから! ずっとひとりぼっちだったあたしに温もりを与えて……こんなあたしには勿体ないくらいの幸せをくれて……永遠に続くと思っていたのに、ある日突然それを取り上げて……こんな残酷なことってないよ! このバカ! 人でなしって!」

 僕は、頷いた。

「それが、クララの”想い”なんだね。分かったよ。一緒に届けにいこう」



 そして、僕らは、時計塔を目指して歩く。

 僕もクララも変装はしていない。もうその必要はないからだ。

 僕は長槍を手に、クララは漲るマナを全身に秘め、それぞれの決意を胸に抱きながら、一歩一歩を踏みしめる。

 にゃるもまた思うところがあるのかもしれない。クララについて離れようとしなかったが、あえて『ヴァンダーファルケ』に置いてきた。もし僕らが死ぬようなことになったとしても、にゃるまで巻き添えにするわけにはいかないからだ。

 僕らが到着したときには、グィネヴィアは時計塔の三角屋根の上にいた。

 僕とグィネヴィアの目線が合う。

 グィネヴィアは翼を羽ばたかせ、僕らの目の前に降り立った。

『やっぱり来やがったか。お前さんも懲りないやつだな』

「負けん気だけは誰にも負けないんだ」

『けっ、殊勝なやつめ。……さすが、オレが見込んだ男なだけはあるな』

「ははは、僕には恐れ多い言葉だよ」

 時計塔の鐘が鳴り、ちょうど15時になったことを告げていた。

「じゃあ、頼むよ」

『おうよ!』


 そして、僕らの想いを届けるための戦いが始まる。

 僕らを乗せたグィネヴィアは、グラン=ス=ロット宮廷へと一直線に突っ込んでいく。

 やはり、宮廷の門前にはたくさんの空騎士が集っていて、警備が厳重に固められていた。

「一気に突破するぞ!」

 僕の合図で、グィネヴィアは滑空の体勢に入る。

 迫り来る空騎士たちを、僕は長槍で、クララが火弾で迎撃する。

 全てを相手にしていたら余裕がないから、進行の邪魔となる者のみを排除して、そのまま宮廷の内部へと突っ込んでいく。

 ここまでわずか10分もかかっていないのに、僕らの体は傷まみれだ。

 宮廷内の床には赤絨毯が敷かれ、複雑に入り組んだ形状になっている。

 案の定、数え切れないほどの空騎士が警備にあたっており、見通しが悪い。

 僕らは苦戦を強いられる。

 グィネヴィアの体は傷だらけだ。

「グィネヴィア! 大丈夫?」

『はは……案ずることはない……これくらい……』

「いきますよ!」

 クララが火弾を乱反射する。

 その一つが、迫り来る空騎士の顔面を直撃した。

 地面に叩き落とされる。

 グィネヴィアから身を乗り出して、そいつの胸ぐらを掴み上げる。

 どこかで見た顔だと思えば、この前、ライナスにしばき上げられていた筋肉男だった。

「≪アカシックレコード≫はどこだ?」

 僕は男の喉元に長槍の切っ先を突きつける。

「ひっ……ひぃ……!」

「どこだと聞いてるんだ! 口を噤むのならば、このまま穿つ!」

 僕は声を張り上げる。

「……ここの突き当たりを右に曲がった奥だ……どうか命だけは……」

 僕はそいつを放り投げた。もう用はない。

 男に言われた通り、突き当たりを右に曲がる。

 長い通路が続いていた。その先に青白く光る扉が見える。

 あと、少しだ。

 しかし、そう簡単にはいきそうにない。

 そこには、400……いや、500を優に超える空騎士が待ち構えていたからだ。

「まとめて片づけるぞ!」

 僕がそう言ったときだった。

 僕の体が揺らぐ。

 何を思ったのだろう、グィネヴィアは僕らを振り落とした。

「きゃ……っ!」

 僕はクララの手を咄嗟に掴み、その体を支える。

「グィネヴィア……!?」

『ここはオレに任せろ』

「何言ってるんだよ! ずっとここまで一緒に来たじゃないか!」

『ここにいるペガサスたちは、オレがいた群れの連中だ。……そして、ここにミーナもいる』

「…………」

『オレには分かる。ここにいる空騎士共のほとんどが、ペガサスと意思を交わす能力を持ってねえ。適当に操縦しているだけだ。つまり、群れの奴らは完全にこいつらの言いなりになっているというわけじゃない。

 ……分かるよな? オレが注意を引きつけるから、お前らは邪魔なやつだけ蹴散らして進むんだ! いいな!?』

 僕は暫しの間、逡巡するが、頷く。

「……分かった」

 それはグィネヴィアを捨て置くとも同じ決断だった。

 しかし、グィネヴィアにはグィネヴィアの想いがある。

 僕は、それを無碍にすることはできない。

 僕とクララは目を見合わせ、頷き合う。


 ――そして僕らは走り出す。

 視線の先の扉へ向かって。


 空騎士たちの追撃は凄まじかった。

 しかし僕らは歩みを止めることなく、目の前の障害となる者だけを着実に排除していく。

 前から横から、上から後ろから、攻撃がひっきりなしに続く。

 グィネヴィアが攪乱させてくれていなければ、さらなる苦戦を強いられていたことは想像に容易い。

 僕らは全身血だらけになりながら、やがて痛いという感覚もなくなってきて、それでも走り続ける。


 ステラにもう一度会うために。


 ステラの本当の気持ちを知るために。


 そして、ステラに僕たちの想いの全てをぶつけるために。


 絶対に、こんなところでくたばるわけにはいかないんだ!!


 扉は、目と鼻の先だ。

 そこに2人の空騎士が立ちふさがった。

 クララが火弾を発射するが、見事にかわされてしまう。

 さすが生き残りの精鋭たちだ。素早さが段違いだ。

 これは激戦になるだろう。そう予感したとき――。

『うおらあああああああぁぁぁぁ!』

 グィネヴィアが頭から突っ込んでいった。

 2体のペガサスはそれぞれ反対の方向に弾き飛ばされ、道ができる。

 僕はその一瞬の隙を見逃さず、扉を蹴り開けると、一気に中へと突入する――。

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