第13話

 ――いや、それは、空騎士を乗せたペガサスの大群。

 僕は刮目する。

「空騎士隊……」

 辺りがざわめき始める。

 一体、また一体と降り立ってくる。

 さっきまで長閑だったユークリスの空気は、あっという間に不穏なものとなった。

 空を旋回していたウォーレスさんも、滑空してくる。

 やがて、4体のペガサスに前後左右を保護されるように、1体のペガサスが降り立った。

 降りてきたのは、黒衣を身に纏った人物だった。

 顔まで覆い隠されていて、性別さえ分からない。

「大預言者≪アカシックレコード≫!」

 誰かが叫んだ。

 この人が≪アカシックレコード≫?

「どうして……そんなはずが……」

 ステラは絶句している。まるで幽霊でも見たかのような様子で、体を小刻みに震わせている。

 続けて、降り立ってきたのは、あの男だった。

「ザカライア空騎士長……」

 僕は呟く。

 ザカライアは大きく息を吸い込むと、声を張り上げた。

「聞け! 今、新たな預言(オラクル)が授けられた! これよりユークリスの≪パージ≫を開始する! 対象はユークリスの原住民のみだが、判別が困難なゆえ、ここにいる全ての人物を≪パージ≫する!」

 そして、斜め前方から激しい爆音が鳴った。

「あ、飛行機が!」

 クララが指さす。

 ウォーレスさんの飛行機は爆炎に包まれていた。


 ウォーレスさんは這いつくばりながら、顔を上げ、奥歯を噛みしめる。

「貴様ら……! ワシの血と涙の結晶によくもっ!」

 ウォーレスさんは立ち上がると、槌の魔道具を手に、空騎士の集団に向かっていった。

「だめだ! ウォーレスさん!」

 僕が叫ぶも、ウォーレスさんは大声を上げながら疾走を続ける。

 傍にいた騎士がウォーレスさんを囲む。

「ぐふぅ!!」

 四方向から長槍で貫かれる。

「ウォーレスさん!」

 僕は即座に駆け寄るが、ウォーレスさんの体の至るところに風穴が空いている。目は見開いたままで、おそらく即死だろう。溢れ出た鮮血が草原を真っ赤に染めていく。

「そんな……ウォーレスさん……」

 背後で悲鳴が聞こえ、振り返ると、ウォーレスさんの徒弟たち5人も喉や胸を貫かれ、息の根を止められていた。

 僕は拳を握りしめる。

 ……こんなことが許されていいのか。

「「キース!」」

 遠くで僕をステラとクララが呼ぶ声が聞こえてきたが、右から左へと通り抜けていった。

『おい! 何をしてやがる! 早く戻ってこい!』

 グィネヴィアも僕を心配しているようだ。

 しかしこの激情をもはや抑えられそうにない。

 僕はザカライアを睨みつける。

「”グレイ”よ。どうして貴様がこの男の協力者なのだ? ふん、まあ、どうでもいい。お前もさっそく≪パージ≫に加わ――」

 言い終える前に、僕はザカライアの胸倉を掴み上げる。

「……ザカライア! お前は悪魔だ! どうしてお前みたいな奴がのうのうと生きているんだ! 真に≪パージ≫されるべきは、このお前だ!」

 もう自分でも歯止めが効かなかった。

 ガラハッドを、ウォーレスさんを、そして無辜の民を殺し続けてきたこの男を一秒でも長く生かせてはおけない。

 刺し違えても、この男を葬り去ってやろう。

「はっ。戯れ言を……。ここで叛意を示すとは……。せいぜい、情にでも絆されたか? どうやら貴様に期待しただけ無駄だったようだな」

 僕は身を屈め、ウォーレスさんの亡骸が握り締めている槌を手に取る――そのときだった。

「ちょっと待ちな」

 僕とザカライアの間に、ライナスが割って入ってきた。

「先にお相手願おうか。ザカライア騎士長殿」

 ザカライアの表情が歪む。

「キース。はっきり言うぜ。今のお前に勝ち目はない。だからここは俺に任せろ。俺が代わりに仇を取ってやる。お前はお前のできることをやるんだ」

「僕にできること……」

「早く行け! もう≪パージ≫は始まっている!」


 僕は全力で走る。

 僕は何を血迷っていたんだ……。今ここであいつと刺し違えたところで、犬死にだ。

 僕には僕のやらなければいけないことがある。

「クララ!」

 僕は、大声で呼ぶ。

 クララはとうに覚悟を決めた様子だった。胸ににゃるを抱きしめ、グィネヴィアと共にこっちに向かって駆け出してくる。

 空騎士の数は、ガールウェンのときの比ではない。総力を結集して、ここを潰すつもりか。

「……本当ならば”兄”として、”妹”である君を連れて逃げるべきなのかもしれない。でも、この状況を見過ごすわけにはいかない。お願いだ。力を貸してくれ」

 クララは力強く頷く。

「言われなくても分かってますっ!」

 そして、僕はグィネヴィアに跨がり、クララも僕の後ろに続く。


      ◇◇◇


 同刻。

 ステラは、黒衣の人物と向き合っていた。

 ほとんど背丈は変わらない。

 ステラは知っていた。≪アカシックレコード≫の不在を。そして、二度と表舞台に姿を現すことはないことを。

 なのに、どうしてだろう。こんなことが起きてはいけないのだ。

「大預言者≪アカシックレコード≫。あなたが、ここにいるはずがない」

 黒衣の者は何も言わない。

「あなたは、誰なの?」

「…………」

 やはり、何も言おうとしない。

 ステラは一気に距離を詰めると、その顔を覆い隠していたフードを剥ぎ取った。

 一瞬手をかざし抵抗されるものの、ステラの方が早かった。

 その人物は、面識のない少女だった。自分と同い年か、やや下か。幼げな顔つき。腰まである銀髪のロングヘア―が風に吹かれて揺れている。

 踵を返し、慌てて逃げようとする少女。

「待って!」

 その腕を、ステラが掴む。

 少女は泣きながら何度も謝る。

「ごめんなさい……ごめんなさい……。わたしには人心を読み取る力があるから……そして、人々が望むものを”具現化”する力があるから……だから、預言者を演じろって言われて……さもなくば、わたしのパパもママも弟も妹も、みんな殺すって……」

 予想通りだ。

 ステラは確信した。

 今回の≪パージ≫は、ザカライアによって意図されたものだ。

 この少女を≪アカシックレコード≫として仕立て上げ、それを”権威”に、今後は自分が国を導いていくつもりなのだ。

 最初にここを≪パージ≫の対象区域に選んだのは、魔工技術を用いて風車やら発電器などをこの土地に初めて建造したのがウォーレスだからだろう。以来、ここにはウォーレスの徒弟たちが多く住まいを構えている。

 まさか飛行機を建造する技術まで開発していたとは自分も知らなかったが、おそらく徒弟たちの中にスパイがいたのだろう。ザカライアに情報が伝わっていたんだ。

 二度と飛行機などを建造できないようにするために、――そう、エーデルフェリアの民から大陸からの脱出手段を奪うために、まとめて根絶やしにするつもりなのだろう。


     ◇◇◇


 グィネヴィアはキースの指示に従いながら、空を駆ける。

 頭上では、鳴り止むことなく火弾が放たれる音が聞こえる。

 そのたびに、空騎士がペガサスから投げ出され、撃ち落とされていく。

「よっし! また討ち取りました!」

「体は大丈夫かい?」

「あたしは全然平気ですっ! もっと出力上げていきますよー!」

 人々は逃げ惑い、我先にと山を駆け下りていく。

 どうにか人々が逃げ切るまでの時間を稼ぐのが、キースの意図するところだ。

 キースの手には空騎士から奪い取った長槍が握られており、地上すれすれのところで戦闘が続く。

 キースの狙いは正確だった。確実に相手の胸をつき、よろけそうになったところを、さらにもう一突きし、胸当てを破壊し、地面に叩き落とす。

 グィネヴィアは思う。ガールウェンのときも思ったが、こいつの練度はかなりのものだと。

 火弾が飛び交い、剣戟の音は鳴り止まず、もはや自分には何がどうなっているのか分からない。

 動体視力には自信があったが、キースやクララには幾分負けてしまっているようだ。

 キースたちの勝利を願い続けることしか、自分にはできなかった。

 キースの指示でさらに上昇する。

 地上に近いこの場所だと人々を巻き込んでしまうというキースの判断だった。

 あんなに大きく見えた風車も、ここからだとすっかりちっぽけになってしまった。

 間髪入れず、追っ手も上昇してくる。

 キースもクララも全力で応戦する。

 グィネヴィアはキースの指示で、小刻みに移動する。

 こりゃなかなか翼にくるぜ、とグィネヴィアは思った。

 しかし、なかなか悪いもんじゃない。

 どこにいったって鼻つまみ者だったこの自分が、初めて誰かの期待を背負って飛ぶことができているんだ。

 ある意味、爽快とさえ感じる。

 こいつらとなら、どこにだって行ってやろうじゃないか。

 たとえ行き着く先が地獄であったとしても。

 次々と空騎士が地上へと叩き落とされていく。

 キースの指示で、下降する。

 自分たちが戦っている間に、下に空騎士が集ってしまったらしい。

 

 ――そのときだった。

 ミーナの姿を見たのは。


 思わずグィネヴィアはそこで制止する。

『ミーナ……』


 ミーナは空騎士を乗せていた。すぐ傍には、群れの族長もいる。

 すっかり懐柔され、≪パージ≫に協力させられてしまっているようだ。

 いや、よく見ると、ミーナの背中には、小さなペガサスも乗せている。


『あいつら……いつの間にかガキまで拵えてやがったのか……』

 とすると、時期から考えて、自分がまだミーナと交際していた頃には、すでに族長との子を身篭っていたことになる。

『この阿婆擦れが……っ!』

 グィネヴィアは舌打ちをする。

「グィネヴィア! 早く!」

 キースに急かされて、はっとする。

『あ、ああ! 悪ぃ!』


     ◇◇◇


 時刻はやや遡り――。

 向かい合うライナスとザカライア。

「ライナス。貴様までもが何を考えているのだ……? さりとて、我輩を弑することで天下を治めるべく目論見か?」

 ライナスはザカライアに長槍を突きつける。

「はっ。そんな野望は俺にはねえよ。ただてめえが気に食わないだけさ! さあ、逃げも隠れもしねえ! かかってこいや! ザカライア! あいつの――ガラハッドの仇を今、取ってやるよ!」

「言ってくれるものよ……!」


 そして、始まる激戦――。


 両者ともに目にも止まらぬ早さで攻撃を繰り出している。

 ライナスは思う。きっとこのときのために俺は生きてきたに違いない、と。

 俺が物心がついたときには、両親はいなかった。

 後から聞いた話によると、≪パージ≫によって犠牲になったらしい。

 命辛々逃げ出した両親は空騎士に追いつかれ、まだ赤子だった俺を滝壺に落としたという。

 俺が落ち延びることを願ってのことだろう。

 そして、俺が滝から落ちてきたところを、崖下の飛瀑で釣りをしていた人に偶然拾われ、シルヴェスタの孤児院に預けられることになった。

 きっとそれからの18年間が一番幸せだったと思う。

 多くの友達ができた。10歳も年の離れたシスターに恋をして、告白して、玉砕して、飲んだくれて、チンピラ相手に喧嘩をふっかけて、傷だらけになって帰ってきて、俺を振ったシスターが優しく介抱してくれて……。

 だけど、もう誰もいない。

 俺のいた孤児院も≪パージ≫の対象となって全焼してしまったからだ。

 皮肉にも俺は、敵から奪い取った槍で最後まで抵抗したことで槍術の才を見出され、生かされることになった。

 奴らは、俺が≪翡翠の牙≫に入団することを条件に俺を幸せにさせてやるなどとほざいてきた。

 以後、俺は、がむしゃらだった。

 兵站部門に所属し、来る日も来る日もペガサスたちの世話と調教に明け暮れながら、ザカライアの首を取るその日のためだけに、俺は生きてきた。

 俺が20歳の誕生日を迎えて間もない頃、あいつ――ガラハッドと出会った。

 俺は≪翡翠の牙≫の人間は誰一人として信用していなかったが、あいつは違った。

 あえて敵の懐に飛び込むことで、≪パージ≫をやめさせる方策を探っていたのだ。

 そして、それからすぐのことだった。

 得られる情報の幅を広げるために、2人して空騎士隊への移籍を希望したのは。


 そう、俺は今、かけがえのない人たちの思いを、魂を背負ってここに立っている。

 なのに、どうして、こうもツいていないんだろうな。


 結構、肉薄したつもりだったんだけどな……。


「ぐっ……」

 それは、あまりに致命的な一撃だった。

 ライナスの下腹部には、風穴が開いている。

 いつの日かザカライアを討ち取るその日まで、必死に腕を磨いてきたはずだったが、まだまだ研鑽が足りなかったか……。

「我が輩にかなうと思うか、小童が」

 ザカライアはとどめを差すべく、長槍を後ろ手に構える。

「人は、攻撃を繰り出すその瞬間は、無防備になる」

 ライナスは、虚ろな声で言った。

「あいつの口癖だ」

 ライナスは口から血を吐き出しながらそう口走ると、大きく目を見開き、ザカライアが突き出した長槍を掴んだ。

「な……まさか、貴様!」

「うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」


 最後の力を振り絞って、ザカライアを道連れに、火口へと飛び込む。

 深さは計り知れない。

 ザカライアを討ち取ったという確信があった。

 死はすぐそこまで差し迫っているというのに、ライナスは、どこか得意げに笑った。


「ふふ、はは……やったぜ……ついに、俺は……」


 そして、ライナスは遠い目で空を仰ぐ。

 もはや光さえも差し込まない、漆黒の闇の中を落ちていく。


「……今から行くからよ……酒でも飲もうや……ガラハッド…………」


     ◇◇◇


 ザカライアを道連れに火口に落ちていくライナスを僕は遙か上空から見ていた。

「そんな……ライナス……」

 ザカライアを失った空騎士たちは多いに戸惑っているようだ。

「去っていきました……」

 中には空に留まったままの者もいるが、どうしていいか分からず、うろたえている。

 かと思いきや、気でも触れたか、がむしゃらに≪パージ≫を続けようとするが、クララが火弾を放ち、撃ち落としていく。

 僕らは急いで地上へと戻った。

「クララ……!」

 クララの姿が元に戻っている。

 いや、クララだけじゃない。

「あ、僕の姿も……」

 山々の稜線に沈みゆく夕日を見て、はっとする。

 おそらく魔法の効果が切れる午後の五時を回ってしまったのだろう。

 ステラも元の姿に戻っていた。

 とにかく長居はまずい。ステラと合流して、ここに残っている人たちを全員逃がしてから僕らも撤収しないと。


「大預言者≪アカシックレコード≫」


 誰かがぽつりと言った。

 その者は、クララに撃たれたことでペガサスから投げ出され、地面に這い蹲っている空騎士だった。

「≪アカシックレコード≫よ! 我々は指導者を失いました! はやく次の預言(オラクル)を……!!」

 空騎士たちが、ざわめき始める。

 空騎士の視線は、ステラに集まっていた。

「嘘……でしょ……」

 クララが小声で言う。

「ステラ……まさか、君が……」

 そのときだった。

「ちくしょう! お前が……お前が、預言(オラクル)なんか授けやがったから……!」

 かろうじて生きていたのだろう、ウォーレスさんの徒弟の一人が金槌を手に、ステラめがけて走り出す。

「うおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!」

 ステラは動じようとしない。

 虚ろな眼差しで、呆然とその場に立っている。

「ステラ!」

 ステラは、そっとこちらを向いた。

 だめだ、もう間に合わない。

 そう思ったとき、男が手にしている金槌を、クララの火弾が弾き飛ばした。

 すでに多量のマナを消費してきたから威力は弱い。

 クララは、ゆっくりとステラのもとへと歩いていく。

「嘘だよね? お姉ちゃん? 嘘って言ってよ」

 ステラは首を横に振る。


「……本当だよ。わたしが、≪アカシックレコード≫。預言(オラクル)を授け、大のために小を間引いてきた張本人だよ」


「……っ!!」

 クララは奥歯を噛みしめ、ステラに手のひらを向ける。

 幾何学模様が描かれ、ステラめがけて、火弾を放つつもりだろう。

「やめろ! クララ!」

 僕は駆け出していって、クララの腕を掴む。

「きっと何か事情があるはずだ! だから、その腕を下ろしてくれ!」

「事情って何ですか!? どんな理由があったとしても、罪のない人を殺していい理由なんてあるんですか!!??」

「それは……」

 僕は何も言えない。

 クララは、腕を下ろす。

 そして、ステラをきっと睨みつけると、声にならない声で叫んだ。

「……嫌い……あんたなんか……お姉ちゃんじゃない……っ!!」

 クララは背中を向けて、去っていく。

「クララ!」

 僕は慌てて後を追いかけようとするが、立ち止まって振り返る。ステラのことも気がかりだった。

「何してるんだ! 早くグィネヴィアに乗って!」

 ステラは首を横に振る。

「いつか、お別れするときが来ることは分かっていたわ」

 そして一枚の紙を取り出し、僕に手渡した。

「これは?」

「”並行世界”を垣間見ることによって、やっと手にした呪いの解除術式だよ。後のことは任せるわ。これで呪いを解いて、クララを連れて脱出して」

 ステラは背中を向ける。そして、小声で言った。


「……七日後。エーデルフェリアは、滅びのときを迎える。


 ……さようなら……今まで楽しかったよ……。


 ……わたしは帰るべき場所に帰る。


 だからどうかお願い。後を追わないで」


 そして、ステラは空騎士たちに連れられていった。


「ステラ……」


 そっと呟いた僕の言葉は、虚空に吸い込まれていった。

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