第12話

 時刻は午前9時前。

 クララが会わせたい人がいると言うので、僕らは開店間近のホールに集っていた。

「じゃーんっ!」

 クララは自慢げにその人を紹介した。

「よろしくお願いしま~す」

 ほんわかした声で、その人は言う。

 ブロンドのセミロング、毛先にはゆるふわパーマがかかっている。衣装はフリルのついた黄色の可愛らしいドレス。

 年上の優しいお姉さんといった感じだ。

「こんな感じでいいですか?」

 笑顔を崩さぬまま女性がクララに訊ねる。

「はいっ。上出来です!」

 僕もステラも首を傾げる。

「どういうことかな?」

 ステラが訊ねると、

「大繁盛につき、ついにアルバイトを雇うことにしました!」

 まあ、当面資金繰りには不自由しそうにないので好きにすればいいと思うけど、なんとなく違和感を覚えるというか……。

「これからもよろしくですっ!」

「よろしくですにゃ~」

 と、そのとき、入店を告げる鐘が鳴り、2人組の女性客が入ってくる。

「いらっしゃいませにゃあ~」

 にゃあ……って。

 なんか、猫っぽいぞ、この人。

「お客様はお2人様でごにゃいますかにゃ?」

 頷く2人。

「では、こちらの席にどうぞですにゃる~」

 にゃる……?

「あっ」

 クララが目を見張る。

 新人のバイトだったその女性の姿が消え失せたかと思うと、そこには、にゃるが、ぎこちない二足立ちで立っていた。

 二人組の女性客も何が起きたか分からない様子でおろおろしていたが、すぐに目を輝かせながら「かわいー」と言いながら、にゃるを胸に抱く。なんとかうまいこと、ごまかせたようだが……。

「「やっぱり……」」

 僕とステラの声が重なる。

「ぅにゃるぅ……」

 女性に抱かれながら、残念そうに鳴くにゃる。

「なるほど。そういうことだったんだね。魔法で、自分の”お姉さん”を造ったのね?」

 がくり、と肩を落とすクララ。

「ばれてしまいましたか……。猫には変装魔法の効果があまりなかったようです……。作り替えなければいけない部分が多すぎますから」

「クララ……」

 クララのあまりに悲痛な表情に、僕は何て言葉をかけてあげたらいいのか分からなかった。

「分かってます。分かってますよ。フレデリーカはもう死んだって。でもちょっとぐらい、夢を見たっていいじゃないですかっ」

 クララの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。

 そのときだった。

「……あ」

 ステラが、優しくクララを抱きしめた。

 そして、ステラは語りかけるように言う。

「わたしは、フレデリーカさんの代わりになれない。でも辛いときや悲しいとき、こうやって抱きしめてあげることはできるから……」

「お姉ちゃん……」

 クララの瞳から、一気に涙が溢れだした。まるで今まで堪えていたものが、一気に解き放たれたかのように。

「どうして……今まで泣いたことなんてなかったのに……ぐすん……ぐすん……うああああぁぁぁぁああああんっっ!」

 そんな2人の姿を見ていて、僕は思った。

「姉妹、か」

 血は繋がっていないけど、僕には本当に姉妹のようにしか見えなかった。

 僕は願う。

 どうか、2人がいつまでも一緒にいられますように、と。

 そのためだったら僕の寿命を分け与えたっていい。

 心からそう思えた。


 午後。僕は空騎士長室へと出向き、改めて明日を留守にする旨を伝えた。

「じゃあ、そういうわけで明日はよろしくお願いします」

「ああ、聞いている。せいぜい休暇を満喫してくるんだな」

 僕に目を合わそうともせず、手に持った資料を眺めたまま、ザカライアは答えた。

 一礼して踵を返す。

 扉を開くと、ライナスが腕組みをして、壁にもたれかかっていた。

「お? デートか?」

 盗み聞きされていたか。

「ちょっとね。みんなでユークリスにハイキングに行こうと思って」

「はは、そうか。せいぜい楽しんでこいよ」

 僕とライナスは一緒に螺旋階段を下っていく。

「それにしても、本当によく似ているな、お前は」

「え?」

「あいつ――ガラハッドにそっくりだ。その眼差しがな。……ったく。血というのは争えないんだなぁ」

 その一言を聞いて、僕の中でこみ上げるものがあった。

「ねえ、ライナス」

「あん?」

「君のこと、これから”お兄さん”って呼んでいいかな?」

「なんだよ、突然?」

 照れくさそうに笑うライナス。

「似ているんだ。亡くした兄に。……その眼差しがさ」

「ふ……。何を言うかと思ったら……」

 ライナスは、はにかみながら前髪をかきあげた。

「ああ、好きにしろ。じゃ、俺はこれから穀物倉からかっぱらった食料を貧民街区の住民にばらまいてこなきゃいけないんでな。あばよ」

 僕は思う。

 ライナスとは、良き兄弟になれそうだと。

 血は繋がっていなくても、それ以上に心の繋がりが大切なんだ――。


     ◇◇◇


 シルヴェスタ東部の街道をひたすら東に向かった先にそびえるテーブルマウンテン山頂の高原地帯。そこに、ユークリスという小さな街があった。

 街の中心には広大な草原が広がっていて、僕らはそこに立っていた。

 この街には風車が各所に点在し、吹き渡る風が一面に生い茂る草葉を揺らしている。

 ここまでグィネヴィアに乗って、1時間ほど。

 ちなみに普通にシルヴェスタから街道を進んで赴くとなると、馬車で3時間かかるらしい。

 山道が整備され、馬車に乗ったまま上れるという立地のため、多くの観光客やら行商人で溢れている。


「わぁ~、綺麗です~」

 クララは目をきらきら輝かせながら、雲一つない晴天に描かれた虹に見とれている。

 ちなみに今日は、遠出ということもあってクララも変装してきた。ツインテールはポニーテールに変わり、頬が膨らんだ丸顔はちょっとだけ顎先の尖ったシャープな逆三角形になっている。後はそのままだ。

 足下の牧草が少し湿っているから、今朝小雨が降ったのだろう。

「おぉ。お前もここに来ていたのか?」

 話しかけてきたのは、ガールウェンの作業員だった。

「先日はどうもありがとうございます。あれほどの量を工面して頂いて」

 僕は指定された量の風の涙石をウォーレスさんに渡し、何度か試行錯誤を繰り返しつつも、本当に七日間で完成にまで漕ぎづけたのだった。

「ぜんぜんいいってことよ。おかげでついに今日、この歴史的瞬間に立ち会えるっていうんだからよ」

 そう、飛行機なんてものは、エーデルフェリアには存在し得なかったもの。

 ひっそりと告知が行われてから、6日。あっという間に口コミでそれは広まり、どれだけの人がこのテスト試行が行われる日を心待ちにしていたことか。

「あれは!」

 ステラが指さした先には露天商がいて、その屋台にはお菓子が並べられていた。

 グィネヴィアも反応する。

『ユークリス名物の鷹せんべえだ! 今すぐ買ってこい!』

 グィネヴィアの命令をステラに伝えると、

「ちょうとよかった! わたしもそれ大好物なのっ! 買ってくる!」

 ステラが駆け出していく。

「あたしも行きますー!」「にゃるーっ!」

 クララとにゃるが続こうとするが、

「ふわっ」

 躓き、よろけそうになる。

 僕は咄嗟にクララの手を取った。

「足下には気をつけないと、だめだぞ」

「ごめんなさぁあい」

 テーブルマウンテンとは噴火を繰り返したことにより、山頂部が平たくなっている山のことだ。陥没穴も点在している。落ちたらひとたまりもないだろう。遠くには火口のようなものも見て取れる。

 近くにいた老夫婦が微笑ましげに僕らを見ていた。

「あらら、仲の良い兄妹なこと」「ええもんだのぉ」

「兄妹……」

 僕は、ぽつりと呟いた。

 そっか。もはや傍目にはそう見えてもおかしくないくらい、僕らの絆は深まっていたんだ。

 クララは、僕とステラの共通の妹だ。


 僕は、ふと考える。もし、僕らがこれからも一緒にいれるとしたら……。

 ステラが、幸せを実感すればするほど寿命を擦り減らしていく定めになんてなかったとしたら……。

 普通の男女として、巡り会うことができていたら――。


 僕はステラのことが好きだ。僕は思い切ってステラに告白をすることにする。照れながら、それを受け入れてくれるステラ。

 はれて恋人同士になった僕たち。クララは、どこか寂しそうだ。時には嫉妬して、いじけたりもする。だけど、何だかんだで僕らの関係を応援してくれるんだ。

 やがて、僕とステラは結婚をして、これまでと同じように猫カフェを経営して生計を立てつつ、こつこつと金を貯めて、一軒家を構える。

 「一緒に来ないか?」とクララに提案する僕ら。クララは「ラブラブの二人を邪魔するわけにはいけません!」と固辞するが、にゃるが居着いてしまったことで、結局クララも一緒に暮らすことになる。

 僕とステラはやがて子を授かり、今度は逆にクララが「お姉ちゃん」と呼ばれて慕われるようになる。

 クララは自分が「お姉ちゃん」と呼ばれていることに対して「あたしはそんな柄じゃないですよ~」とぎこちなく笑うが、満更でもなさそうだ。

 月日は経過し――大人になったクララは良い人を見つけて、結ばれる。

「紹介したい人がいるんです!」と打ち明けられたときは、兄としてもちろん嬉しかったけど、ちょっとばかり寂しい部分があったなぁ。

 想像しただけで目頭が滲むというか。だけど幸せだ。ああ、この上ない幸せ。


 ……到底叶うことのない夢物語を、僕は夢想した。


「買ってきたよっ!」「えへへー♪」

 2人が戻ってくる。

『おう! でかした!』「にゃるにゃるっ!」

 喜ぶ2匹。

 僕は、空を仰ぐ。

 こんなに澄み切った空なのに、僕の気持ちは澄み切らない。

「キース、泣いてる……」

 ステラが言った。

「違う、これは……っ!」

 僕は涙を袖で拭う。

 何度拭っても拭っても、一度溢れた涙は止めることができなかった。

 いつか思い出に変わってしまうからこそ、目に焼き付けておかなければいけないのに。

 神様は意地悪だ。

 僕にこれ以上ないほどの幸せを与えておきながら、それを奪い去ろうとしているなんて。


「あ、来たよ!」

 ステラが指さす。

 すると、そこにはウォーレスさんの姿。

 ウォーレスさんの後ろを続くひときわ大きな馬車の剥き出しの荷台には、完成したばかりの一人乗り用の飛行機が積まれている。

 ウォーレスさんは徒弟に指示を送り、5人がかりでそれを地面に下ろす。


 そして、「じゃあ、一っ飛びしてくるぜ!」のかけ声と共に、テスト飛行が始まった。


 その場にいる人たち全員が、その光景に見とれていた。

 旋回を繰り返し、その場に滞空しながらグーサインを送ったり、上下に行き来してみせたり……。

 まるで曲芸でも見ているようで、見事の一言だ。


「わぁぁぁ、すごいですー」

 クララは目を見開き、瞬きもせずに、釘付けになっている。

「ほらほら、キースも見てください!」

 クララがくいくいと僕の腕の裾を引っ張る。

「やっぱり僕はいいや」

 僕は顔を背けたままだった。

「ちゃんと見ておいた方がいいよ。だってこれに乗ってキースは大陸を出ることになるんだから」

 ステラに諭されるが、

「見たくないんだ」

 僕は背を向ける。

「戻ろう、みんな」

「……キース」

 ステラが寂しげな声音で僕の名前を呼ぶ。

「僕は、この島から出て行きたくない」

 僕は、きっぱりと言った。

「ステラ、クララ……君たちはかけがえのない僕の家族だ。ライナスだってそうだ。……みんなと離れたくないんだ」

 ステラもクララも何も言わず、どこか憂いを湛えた顔つきで僕を見つめている。

「僕はずっとこのままでいいよ。追われの身で、一生過ごしたって構わない。だから――」

 言いかけたときだった。

 僕の遠隔通話魔道具から、声が聞こえてきた。

「おい、俺だ! ……やっと通じたようだな。今すぐ戦闘――」

「え……」

 ここで、涙石が砕け散る。

 シルヴェスタとは距離がかなり離れていたから、無理があったのだろう。

「まさか……」


 空が黒く染まった。

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