第11話
――そして、時は流れていく。
ガールウェンの≪パージ≫を阻止した二日後。ガラハッドの墓前で昼食を共にしながら僕とライナスは作戦を練っていた。
「――よし、次は”これ”でクララに連絡を取って、現場で合流って流れでいいな」
僕らが手にしているのは、手のひらに収まるほどの長方形型の遠隔通話魔道具だ。風に乗せて、声を伝達するというものである。必要となる涙石は、風属性の涙石で、あの日親方の形見にと託された風の涙石を材料に、工業区の職人に至急頼んで作ってもらったのだ。オーダーメイドで4台ということもあって、本来ならとても僕の資金力では払えない額になるが、手持ちの涙石を全て渡すことでチャラにしてもらった。
「……あ、そうだ。クララの交通手段はどうするんだよ? クララはペガサスと会話を交わす魔法は身に着けていないんだろ?」
「グィネヴィアにはクララが3回たてがみを引っ張ったら、至急クララを乗せて中央広場の上空まで来てくれって言ってある。そこですれ違うふりをして一旦落ち合って、僕がグィネヴィアに目的地を伝えてから、現場で集合という流れにしよう」
「それが無難だな」
「で、現場で集合したら、クララが魔法で敵を蹴散らしている隙に、僕らはそれに紛れて――」
そんな感じで、作戦を練る日々が続く。
空騎士たちの日課はと言うと、≪パージ≫が下されない間も、腕を鈍らせないよう、ペアを組んでの自己鍛錬だ。ペガサスを従えて空を駆け巡りながらで槍で打ち合う者もいれば、僕のように練武場で訓練に励む者もいる。
僕は毎回、ライナスとペアを組んだ。本気を出したライナスは手も足も出ないほど強かったが、徐々に僕の反応速度や膂力も追いついてきたような気もしないでもない。
気が付けばライナスとの仲は、傍目には古くからの友人と言っても差し支えないほど深まっていた。
ペガサスの呪いを解く方法がないことを知って、僕はどこか吹っ切れてしまったのかもしれない。
もし僕が、ペガサスの呪いを解いてしまったら、僕はこの大陸を去らなければいけない。
ステラのためにも、それが最良だということは分かっている。
だけど、僕の本心としては、いつまでもステラと共に在りたかった。ステラが幸福を実感するたびに、その命を擦り減らしていく定めにあることを知りながら、そんなことを願ってしまうなんてとても自分本位だと思うけど、僕は……それでも僕は、ステラを失いたくない。
我ながら、自分の身勝手さに呆れる。
ステラは、あれから特に変わることはない。
ただ、あのとき口にした”別の世界”についてそれとなく訊ねると、あからさまに話をはぐらかされた。
「あ、埃が落ちてる。掃除しなきゃっ!」
こんな具合に。
僕は空気を読んで、これ以上、探りを入れるのはやめることにした。
クララはと言うと、僕がアジトに戻るたびに、にこにこ笑いながら成果を報告してくれる。
「今日は13人も撃ち落としたんですよ~♪ 気分爽快、大満足ですっ!」
クララは、時計塔ではなく、僕とグィネヴィアが出会った丘の頂へと場所を変えた。
というのも、時計塔の屋根に”猫”が待ち構えていて、猫が空騎士を撃墜しているとの噂が広まってしまったのだった。
そして相変わらず、地震は頻発している。原因は不明だ。何か不吉なことが起きる前触れのような予感がするのは、気のせいだろうか。
――そんなこんなで、月日は流れ。
ちょうど今日で僕がエーデルフェリアに来て、2ヶ月がたったことになる。
夏が終わり、周辺の樹木には紅葉が始まっているものもちらほら見受けられる。
本部棟の2階と練武場の2階を繋ぐ連絡通路を歩いていると、二人組の男が向かい側から歩いてきた。
「今日もパージなしか」
痩せの方が言った。
「腕がなまっちまうよなぁ」
もう一人の方は2メートルを優に超えるほど背が高く、筋骨隆々としている。
「ああ、人を殺したくてうずうずするぜぇ……それも無抵抗のガキをな……。横一列にガキ共を並べて、首をスパーンと一刀両断。親共が泣き叫ぶ姿が見たいぜぇ……」
……なんなんだ、こいつは。
何か一言嫌味でも言ってやろうとしたところで、ライナスが後ろから歩いてきて、わざと筋肉男にぶつかっていった。
「お、悪ぃな。てめえの図体がでかすぎるもんで、わざとぶつかっちまったわ。ははは」
あからさまに挑発されているにも関わらず筋肉男は文句一つ言わず、バツが悪そうにその場を立ち去ろうとしている。
「おい待てや、このデカブツ上腕二等筋野郎。俺が稽古をつけてやるよ」
「あ、い、いや、オレは!」
「いいから来い」
有無を言わさず、首根っこを掴んで引き連れていく。頭一つ分違う相手を、いとも簡単に。
一人残された痩せの方は、顔面を蒼白としながら、速足でこの場を去っていった。
さて、これから何が起こるのか……。簡単に想像できてしまう。
そのまま練武場へと向かった僕だったが、案の定、さっきのデカブツがライナスにフルボッコにされていた。
もはや槍術の稽古でも何でもなく、殴る蹴るの何でもありだ。断末魔のような悲鳴が辺りに響いている。
正直、ざまあみろとしか言いようがなかった。
しかしペアとなる相手がいないとなると、僕は何もできない。
まあ、もうすぐで勤務時間は終わりだし、適当に時間を潰すか。
そう思ってあてもなく中庭をぶらぶらしていたら、ガーレイス総帥の姿が目に入った。
≪翡翠の牙≫のナンバーワンだ。おそらく年齢は70を超えているだろう。今や前線に立って戦うだけの力はなく、参謀を統括する高級指揮官的な存在だ。
「まだ見つからないのか!」
部下と思しき男に怒鳴りつけている。
「≪アカシックレコード≫の授ける預言(オラクル)がなければ、何も進まん!」
「誠に申し訳ございません!」
部下は深々と頭を下げる。
「それに昨今頻発している”揺れ”はどうなんだ!? 不吉な予感しかしないぞ! ……あぁ、≪アカシックレコード≫よ。我々を正しき道に導いてくれ」
そう言ってガーレイス総帥はこちらに向かって歩いてきた。
僕は咄嗟に茂みに身を隠す。
「……どういうことだろう」
どうやら話の内容から察するに、大預言者である≪アカシックレコード≫が行方不明になっている。それゆえに預言が授けられず、≪パージ≫を実行することができない。そういうことだろう。
ザカライアが立ち去ったのを確認してから、僕は立ち上がり、虚空を仰ぐ。
大預言者≪アカシックレコード≫とは、そもそも何者なんだろう?
なぜ姿を消したのかも気になるが、彼なりの考えがあってのことなのだろうか。
手を顎に置き、いろいろと考えを巡らせていると、
「よう、キース」
ライナスに話しかけられた。全身血塗れでもはや顔さえも判別不可能な筋肉男を引きずっている。
「よかったらこれから一緒に飯でもどうだ?」
「……うーん。僕はまだそんなにお腹すいてないから」
こんなグロテスクな姿を見たら、食欲も沸いてこない。
「じゃあまた今度な」
ライナスは残念そうに、去っていこうとする。
「あ、そうだ」
立ち止まって、振り返る。
「俺の槍、折れちまってさ。悪いけど武器庫に行って使えるやつを適当に持ってきてもらってもいいか? 俺はこいつを医務室まで送り届けなければいけないからさ」
「うん、分かった」
練武場3階の武器庫まで向かった僕は、手頃な槍を探る。
ふと、あるものが目についた。
「……ガラハッド」
ガラハッドの名前が彫られた長槍だ。
回収されてここに保存されていたのだろう。
ガラハッドの遺品か……。
慈しむように、それに触れたときだった。
「ん?」
何かが僕の中に流れ込んできた。
「これは……」
声が聞こえる。
ガラハッドの声だ。
『よう、俺だ。俺と同じ血が通っている者に反応して発動するように、俺と志を同じくする魔術師によって術をかけてもらった』
僕の人差し指には、先日のライナスとの訓練でついた傷口からわずかに血が滲んでいた。なるほど……これに反応したのか。
『今お前がこの声を聞いているということは、お前も俺と同じことを考えて、ここにいるのだろう。
あいにく俺は生きてこの地を離れられそうにねえ。
だから、俺はこの地で使命を全うすることにする。一族に代々伝わる力をお前に授けられなかったことが無念だ。
だけどお前が、何らかの手段でこの地に渡ることに成功したときのことを考えて、遺言を託す。
工業区のウォーレス氏を訊ねろ。そこにお前の求めているものがあるはずだ』
そして、声は途切れた。
どうやら当時のガラハッドは、僕に力を授けられなかったことを悔やんでいたらしい。
だけど、それからザカライアとの激戦の果てに海に落とされたことで、最果て島に命辛々流れ着き、幸いにも僕にその力が受け継がれることになるわけだけど。
「…………」
果たして何が待っているのかわからないけど、そこを当たってみる必要がありそうだ。
◇◇◇
翌朝。
僕たちはいつものように朝の食卓を囲んでいた。今となっては、すっかり日常と化した光景だ。
「おいしーですっ」
にんまりと笑いながら、クララが言う。
クララはかれこれ三日ほど一人も空騎士を撃ち落としていない。復讐よりも、ステラと一緒にいる時間の方が楽しい、らしい。
時折見せる殺気だった眼差しは、すっかり消失していた。
これが本来のクララの顔だと思うと、≪翡翠の牙≫に対してやりきれない怒りが込み上げてきた。もちろん預言(オラクル)なんてものを授け続けてきた≪アカシックレコード≫に対してもだ。
「あ、ご飯粒ついてるよ」
ステラがクララの口元についたご飯粒を指で取ってあげる。
「あ……」
クララの頬が、ほんのりと赤く染まった。
とても微笑ましい光景だった。
クララの足元では、にゃるが「うにゃぁあ!」と鳴いて、どうやらご機嫌斜めのようだ。クララをステラに取られたと思って嫉妬しているのだろう。
「なんか君たち、本当の姉妹みたいだね」
「じゃあキースは、あたしのお兄さんですね」
「お兄さん……」
僕は思った。
「まるで家族だ」
もしかしたら僕は、かけがえのない時間の中にいるのかもしれない。
「そして、キースとお姉ちゃんは、新婚ほやほやの夫婦!」
無邪気にクララは言うが、ふとウェディングドレスを着たステラを想像してしまって、頬が紅潮してしまう。
ステラと向かい合っているのが恥ずかしくなってしまって、壁際の時計に目を向ける。
「あ、もう時間だ」
今日はいつもの40分ほど前に『ヴァンダーファルケ』を出ることにしていた。今、クララに変装魔法をかけてもらえば、帰宅までの時間を加味してもぎりぎり持つはずだ。
「どこ行くの?」
ステラが訊ねてくる。
「散歩がてら、ちょいと早めに出かけることにするのさ」
「散歩……?」
ステラが僕を見る目は、訝しげだ。まずい。疑われている。
「違う。本当に散歩なんだ。信じてくれ」
「目が泳いでいるよ、キース」
「う……」
言葉に詰まる。
「へへーん。もしかして、もしかして……”女”ですか?」
クララがジト目で僕を見る。
「へぇ……キースって浮気性だったんだー。女だったら誰でもいいんだー。そういう人だったんだー」
ステラは目を細めて、さぞ軽蔑するように言う。
「全然、違うから!!」
工業区は、シルヴェスタの南西部にあった。ここを訪れるのは、遠隔通話魔道具を作りに行ったとき以来だ。
寂れたコンビナートがいくつも連なっている。
すれ違った人にウォーレスさんについて訊ねて、何度も道に迷いながらようやくその場所に辿り着くことができた。
そこは一件の木造住宅だった。
何度か木戸を叩くが反応がない。
「失礼します」
勝手に中にお邪魔させてもらうことにした。
家の中には、シンナーの臭いが漂う広々とした空間が広がっていた。
そこに、繋ぎを着た薄白髪の初老の男性が、金槌型の魔道具を片手に作業をしていた。
「あなたがウォーレスさんですか?」
僕が声をかけると、男性はこちらを振り返った。
「おうよ。このワシが魔工技師ウォーレスだ。で、何の用だ。小僧?」
「いや、用というほどのことではないんですけど。僕、この大陸を出て、いろんなところを旅して回ってみたいと思っていまして。ちょうどいい人がいるって聞いたので、訪ねさせてもらいました」
ウォーレスさんは金槌を地面に置いた。そして立ち上がる。
「ふん、こっちに来い」
ウォーレスに案内されて向かった先は、広々とした庭で、そこには小型の飛行艇が停泊していた。
「これは……」
思わず僕は目を見張った。
「飛行機だ。風の涙石を動力源としたな」
最果て島で開発されていたのは内燃機関を動力としたものだから、根本から原理が異なるようだ。
「試行に試行を重ねて、ようやく完成間近のところまで来た。これさえあればどこにだって一っ飛びよ」
ウォーレスさんは火の涙石が収められた着火器型の魔道具を使って葉巻に火をつけると、一服してみせた。
「ワシは、この大陸の下に広がる景色を見たいと思っていた。なんでも下界には”海”と言われる光景が広がっていて、ちっぽけな孤島が一つだけ浮かんでいるらしい」
ああ、僕がよく知っている光景だ。なんといっても、僕の故郷なのだから。
「なんならお前さんも一緒に行くかい?」
「…………」
胸がざわついた。
「どうなんだよ?」
「はい。そのときはぜひ」
……本当に、それでいいのか?
「……ところで、完成にはどれぐらいかかりそうですか?」
「いや、それが風の涙石を切らしてしまってよ。今は作業が滞っている状態なんだ」
「あ、それなら心当たりがあります」
というのも、ガールウェンとは、あれ以来頻繁に行き来をしていた。そもそも彼らには風の涙石の市場を独占して利益を独り占めしようという意図はなくて、結果としてそうなってしまっているだけとのこと。ガールウェン一帯に偏って涙石が降り注ぐという地形的な事情、そして各地に涙石を届けるには人員が足らず、それらが価格の高騰を招いてしまっている一因らしい。よかったらここで日雇いで働かないかと打診され、僕とライナスは休日のたびにガールウェンまで赴いて、運搬作業の手伝いをしている。報酬は受け取っていない。
そういうわけで、僕から頼めば、少しぐらいは涙石を融通してくれるだろう。
「……必要なだけの量を調達してきます。今夜にも持ってきますから」
……僕は何を言っているのだろう。
言い終えてから、その言葉を口にしてしまったことを後悔した。
「それはありがてえな。だが、早くて14日と少々といったところだな。とりあえず7日後には、”ユークリス”でテスト飛行を行うからよ。良かったら見に来いよ」
「ぜひそうさせてもらいます」
外へ出て、僕の中では、ありとあらゆる思考がごちゃまぜになって、自分がどうしたいのかすら分からなくなっていた。
そう、僕は、奇しくも大陸を脱出するための手段を見つけてしまったのだ。
遠くに見える時計塔を見上げれば、とっくに出勤の時刻を過ぎていた。
なのに、身動き一つできなくて。
「14日か……」
虚空に向かって、僕は呟いた。
あと14日で、僕はステラとクララとお別れすることになる。
ここに来たばかりの頃は、こんな大陸、さっさと出て行きたいと思っていたのに。
だけど、今の僕は、2人と別れたくなかった。
もう少しだけ、家族ごっこを続けていたかった。
背後に気配を感じて振り向くと、ステラの姿が目に入った。
「……ステラ」
「ごめんね、気になっちゃってつい」
どうやら僕は後をつけられていたらしい。
「良かったね。これで島から出れるじゃん♪」
ステラは、微笑みながら言う。
「…………」
「どうしたの? 嬉しくないの?」
「いや、嬉しいさ。やっとこのときが来たわけだからね」
続く言葉を口にしようか、一瞬だけ迷った。それを口にしてしまったら、取り返しがつかなくなるかもしれない。だけど、この込み上げる想いを抑えることができずに、僕は、
「……だから、3人で一緒に行こうよ。これからも3人で生きていこうよ」
ついに言ってしまった。
ステラが幸せになればなるほどステラの寿命はすり減っていくというのに、僕のしたことが、ずっとステラと一緒にいたいという気持ちを抑えることができなかった。
我ながら情けない。
「……わたしは行かないよ」
「とにかくここから出れば自由になれる。後のことからそれから考えようよ」
ステラは無言で僕に背を向けると、襟足をかきあげた。
「これは……」
グィネヴィアのたてがみの下に隠されていたものと同じ契約紋だ。
つまり、これが意味することは……。
「クララのうなじにも同じルーンがある。クララの場合は、≪ジョーカー≫に指定されて、空騎士に捕らえられそうになったとき、この呪いを施されたみたい」
解除術式の存在しない術を、無理やり……。
「……だから、わたしたちは、ここから出ることのできない定めなの」
いざとなれば、僕はステラの最期を看取る覚悟だった。
だけど、それさえも叶わないなんて。
僕は拳を握りしめる。
どうして運命というのは、こんなに残酷なんだろう。
初めて天に向かって唾を吐きかけたい気分になった――そのときだった。
地面が大きく揺れた。
ステラがバランスを崩す。
「ステラ! 掴まって!」
僕は咄嗟にステラの腕を引く。
すると、ちょうどその場所に、荷車から倒れてきた。間一髪だ。
「…………」
僕は呆然として、その場に立ち尽くす。
何かが始まろうとしている。それも大陸全土を巻き込む規模の、何かが。――そんな予感がした。
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