第10話

 時刻は正午。僕は、螺旋階段を駆け足で上り、空騎士長室へと向かった。

「申し訳ありません。くだらないことで喧嘩をしてしまったせいで、今回の作戦に参加できませんでした」

「ふん、もういい。どうやら向こうは用心棒を雇っているようだ。かなりの手練れと見て、間違いない。こちらとて貴重な人材を減らしたくないので、しばらくガールウェンの≪パージ≫は見送ることにする」

「……そうですか」

 ほっとする。

「それに我輩は、あの老獪の首を取れただけでも満足なのだ」

「老獪?」

「現場の指揮を執っていた監督だ。我輩が彼奴の心臓を穿ち、屠った」

 ……僕が救うことのできなかった、あの年配の人か。

「奴は20年前に、レジスタンスを結成し、皇国に対してクーデターを起こしたことがある。その際の混乱で、間近に予定されていた≪パージ≫を執行することができなくなったのだ。その結果、どうなったと思う?」

「………分かりません」

「彼奴の故郷は守られた。だが、その後、彼奴の故郷で疫病が発生。当時我輩が暮らしていた隣村にも、その毒気は広がった。結果として、多くの感染者を生み出し、我輩の妻と生まれたばかりの幼き娘は命を落とすことになった。守るべき者を失った我輩は、決意するに至ったのだ。≪パージ≫こそが正義であると」

「…………」

 なるほど。確かにあの人は、自身が≪パージ≫の対象になると知ったとき、妙に達観していた。抵抗一つしなかった。きっとそれは、そういった経緯があるからなのだろうか。もしかすると、人知れず自責の念に駆られていたからなのかもしれない。

「貴様はどう思う? この国の在り方は歪んでいると思うか?」

「それは……」

 僕の胸が、ちくちくと疼く。

「……未来なんて、誰も知らなければいいと思います」

 咄嗟に口を突いて出た言葉だった。

「誰も未来なんて知らなければ、自然の摂理に任せて物事は動くはずなのに……」

「それもまた、一つの考え方だろう。だが、我々は、未来を知る力を手に入れてしまった。ならば、≪アカシックレコード≫が示す最善の未来へと、我々は邁進するべきだ」

「その通りですね。僕も、そう思います」

 心にもない出まかせを言う。

「貴様にとって、≪アカシックレコード≫とは、何だ? 率直に答えてみろ」

「……それはもう、僕たちに預言(オラクル)を授けてくれる存在としか言いようがないです」

「神聖視し過ぎだな。我輩に言わせれば、ただの”権威”だ」

「権威……」

「つまり、≪アカシックレコード≫が授ける預言の下に国が動いているという事実こそが重要なのだ。民の間で、≪パージ≫について、様々な意見があることは我輩も承知している。だが、その意見のどれもが、≪アカシックレコード≫の神格性を前提としたものだ。そう、≪アカシックレコード≫とは、この皇国において、神にも等しい存在なのだよ」

「……はい」

 いろいろ思うこともあるが、僕は頷くことしかできなかった。

「しかし、もし≪アカシックレコード≫が死んだとき、未来永劫それに類する存在が生まれ出でることができないと確定したとき、この国はどうなると思う?」

「間違いなく、混乱するでしょうね」

「その通りだ。だから人々には、畏怖の対象となる”権威”が必要なのだ。たとえそれが絶対的な正しさを有していなくても構わない。人々を惹きつけてさえいればそれでいいのだ」

「…………」

「我輩には今や、人としての血は流れていないのかもしれないな。粛々と≪パージ≫を執行するだけの、人形だ」

「それは違うと思いますよ」

「……どういうことだ?」

「あなたは、実は≪パージ≫というのは建前で、個人的な恨みで、あの方を屠ったのではないのですが? それは、人であるからこそ発露しうる激情です」

 僕は何を言っているのだろう。ザカライアに人としての心を取り戻してほしいと願ってしまったのだろうか。そんなことはもう無理なのに。ザカライアは、人として超えてはいけないラインをいくつも超えてきた。もう引き返すことなんてできないんだ。

「……ふん。貴様と話していると調子が狂うな。……もしかすると我輩は……。いや、やめておこう。さあ、今日のところは帰るがいい。今後の活躍に期待しているぞ」

「あ、ついでに一つ聞いていいですか?」

「なんだ?」

「僕のような者がこのような提案をするのは憚られますが……。この世界はとても広くて、そして窮屈です。多様な価値観を取り入れることで、見出せる活路もあるかもしれません。今後、ペガサスの呪いを解いて、周辺の大陸と外交を結ぶ考えはありませんか?」

 それとなく訊ねてみることにした。

「不可能だ。なぜなら、ペガサスに施された呪いの解除術式は、この世界ではすでに失われてしまっているからだ。そう、”この世界”ではな」

 この世界……。

 やはり引っかかる。

「分かりました。失礼します」 

 とにかくこれで確定した。僕がこの大陸から脱出することは事実上不可能になったことを。

 しかしそれは、喜ばしいことなのかもしれない。なぜなら、これからもずっとステラとクララと暮らすことができるから。

 たとえ永遠に追われの身であったとしても、僕は……それでいいのかもしれない。


 アジトに戻ると、ステラは目を覚ましていた。しかし、ひどく疲労困憊しているように見える。

 正直、料理は得意ではないけど、クララと悪戦苦闘しながらリゾットを作り、それをスプーンで掬ってステラの口に運んであげた。

 ステラは笑顔で言った

「ありがとう」と。


     ◇◇◇


 時刻は、夜8時。ザカライア空騎士長の姿は、宮廷内部にあった。

 グラン=ス=ロット宮廷。皇族や侍女、女嬬などが住まう場所だ。その最奥に、ザカライアが目指している間がある。

 ザカライアが扉を開けると、その広々とした部屋には、監視役の高官が3人。少女が部屋の中心に座り込んでいる。年齢は16歳と聞いている。年の割には背が低く、顔つきも幼い。腰まである銀髪のロングヘア―。円らな瞳が、ザカライアを一瞬だけ捉える。

 ザカライアは高官に外に出るように促す。

 二人きりになったことを確認してから、ザカライアは女の子の傍まで寄っていくと、女の子はびくっと体を震わせた。

「そんなに怯えることはないだろう。貴様は我輩の言う通りに演じていれば、衣食住は保証されるのだ」

「……でも、わたし、未来を見る力、ないです……」

「そんなものはどうでもいい。重要なのは、”権威”だ」

「……権威」

「≪アカシックレコード≫は死んだ。今や、彼女が残した預言(オラクル)を一つずつ実行しているだけに過ぎない。だが、それももう尽きた。まっさらだ。だからこれからは我輩が、貴様の権威を利用して、国を導いていくことにする」

「……なぜ、わたしなのですか?」

「貴様は人心を読み取る魔法が使える。しかも、それによって、人々を望むものを”具現化”する力もあるときた。エーデルフェリアの民を一つにまとめるには、類稀なる逸材だ」

「国を導いていく。……それって、嘘、ですよね?」

「……さっそく、我輩の心を見抜いたか」

「あなたは、エーデルフェリアの民に復讐をしようとしている。≪パージ≫こそが絶対正義だと信じてそれを忠実に執行してきたあなたは、やがて本来持っていた優しさを失っていき、いつしかこの世界の在り方そのものを憎むようにはなったのではないですか? そして今や、≪パージ≫という名の下に、民に復讐をしている。こんな国など滅び去ってしまえばいいと本心では願っている。それが貴方の――」

「戯言もそれぐらいにしてもらおうか」

「…………」

 少女は押し黙る。

「認めよう。我輩は憎んでいる。エーデルフェリアの国を。民を。そして、この自分自身もな」

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