第8話
時刻は正午。
ステラに作ってもらったおにぎりを3分ほどでかきこむと、勘付かれないように細心の注意を払いながら本部棟の捜索に当たっていた。
昼休みの間は食事のために多くの人が出払っているから、行動を開始するには絶好のタイミングだった。
螺旋階段を上り、空き部屋を一つずつ調べていく。
翡翠の牙に入団して、1ヶ月。来る日も来る日も日課のように行ってきたことだ。
ようやく11階まで調べ終えたが、
「うーん、やっぱりだめか……」
出るのはため息だけだった。
成果はゼロ。
脱出の手がかりとなるものは見つけられそうにない。
僕が探しているのは、それだけではない。
次にどの場所で≪パージ≫が行われるのかといった情報もだ。
事実、この1ヶ月で12人の罪なき国民が殺された。全て後になってから知ったことだ。
「そもそも大預言者≪アカシックレコード≫とはどんな人なんだろう?」
螺旋階段を下りながら、僕は、ふと呟いた。
もし、アカシックレコードとやらに接触することができれば……いや、その側近でもいいからコネを作ることができれば、何らかのヒントが得られるかもしれない。
しかし、今の僕の職位では知り得る情報が限られている。
「こうなったら……」
ずっと迷っていたが、ここで覚悟を決めなければ、僕はいつまでも指を咥えながら無辜の人たちが殺されていくのを見ているだけの傍観者のままだ。それなら、敵の懐に飛び込んだ意味がない。
時期は来た。
この一ヶ月間の活躍で僕は信頼を勝ち取っている。
突然、打診したところで怪しまれることはないだろう。
僕は踵を返すと、螺旋階段を駆け上がる。
「ザカライア空騎士長!」
僕は本部棟最上階の空騎士長室へと向かった。全速力で走ってきたので、息が途切れ途切れだ。
「ちょっとお話が……!」
ザカライアは手にしていた紙の束を机の上に置いた。
僕は乱れた呼吸を整えると、思い切って提案した――。
「何? 空騎士隊に志願したいだと?」
ザカライアは目を見開く。
「はい。ぜひこの僕も第一線で活躍したいと思いまして」
僕は深々と頭を下げる。
「どうかお願いします。僕もエーデルフェリアの民を幸せに導きたいのです」
「そうか。我輩の耳にも貴様の活躍は届いているぞ。なんでも馬舎のペガサスたちを全て手懐けてしまったそうじゃないか。……いずれは頃合いを見計らって我輩の方から打診しようと思っていた。まさか貴様の方から来るとはな」
ザカライアは僕が気概を示したことを気に入ったようで、相好を崩した。
「だが、そのためには貴様の実力を確かめなければならない」
僕らは螺旋階段を下り、中庭へと出る。
「では、頼んだぞ」
ザカライアが連れてきたのは、ライナスだった。入団初日に、僕を案内してくれた青年だ。相変わらず凛々しい眼差しで僕を見据えている。
風は強めだ。僕の前髪がかきあげられる。
「容赦はしないぜ」
僕らは長槍を構える。
「望むところさ」
両者同時に地面を蹴り、一気に距離を縮める。
殺傷能力を持つ武器を用いた実戦はこれが初めてだが、棍棒を用いた訓練は常日頃からガラハッドと行ってきたことだ。
ガラハッドが言うには、”オレらはいつの日か、空を目指す。空にはどんな強敵がいるか分からねえ。だからオレがお前を鍛えてやる”とのこと。
ガラハッドは槍術ならびに棒術を極めた宗匠のもとで学んでいた。
僕はそこまでの興味はなかったので、しぶしぶガラハッドに付き合ってあげているという感じだったんだけど。
このライナスという男は、なかなかの腕前のようだ。
おそらくガラハッドと同等か、それ以上。
完全に僕が押されている格好だ。
僕らは決闘に当たって木製の胸当てを身につけていて、先に相手のそれを破壊した方が勝ちという実に明快なものだ。
僕の胸当てはすでに三カ所ほどヒビが入っていて、後一撃でも加えられれば壊れてしまうだろう。
僕は腕に力を込めながら、いつの日か、浜辺でガラハッドに稽古をつけてもらっていたときのことを思い出した。
当時の僕は――おそらく、12歳くらいのときだったと思うけど――全身砂まみれになりながらガラハッドに立ち向かった。
しかし、何度刺突を繰り返そうが、瞬時によけられてしまって、僕は顔から地面に突っ込んだ。
一応簡易な防具は身につけているから傷一つついてはいないけど。
手も足も出ないというのは、まさにこのことで。
僕は悔しくてたまらなくて、涙目になりながら、食い下がり続けた。
『いいか? キース? どんな強敵でも必ず弱点はある。そこを突くんだ』
砂浜で突っ伏す僕にガラハッドは言った。
『たとえば――』
そう言って、ガラハッドは模造刀を振り上げる。そして立ち上がろうとしている僕の脳天すれすれのところで止めた。
ひやっとした。
『分かるだろ? 攻撃を繰り出すときは、どんな相手であれ一瞬だけ隙が生まれるんだ。そこに切り込み、一気に崩せ』
そして、何度目かの試みのあと、初めてガラハッドに一本取ることができた。
ガラハッドの胸に渾身の一撃を叩き込んだのだった。
ガラハッドの胸当ては砕け散り、ガラハッドは背中から海に叩きつけられた。
押し寄せてきた波がガラハッドを呑み込む。波が引いたときには、ガラハッドの顔は砂だらけだった。ガラハッドは目についた砂を手で払うと、満面の笑みで、僕にグーサインを送る。
『そうだ。なかなかのもんじゃねえか!』
ガラハッド。今、僕はその教えを役立たせてもらうことにするよ。
僕はわざとフェイントをかけ、ライナスの前へ躍り出る。
ライナスは一歩下がり、瞬時に突きを繰り出そうとする。
その一瞬の隙を見逃さなかった。
僕は腰を屈める。
ライナスの突き出した槍が僕の頭すれすれのところを掠る。
今だ……!
立ち上がり様に、渾身の力で、突く。
「ぐっ!」
ライナスの顔が歪む。
よし、計算通りだ。
足をかけ、ライナスを転倒させる。
そして仰臥したライナスに馬乗りになり、ライナスの胸当てめがけて長槍を突き立てた。
ライナスの胸当ては真っ二つに割れた――。
――ガラハッド。僕、勝ったよ。
「勝負あり!」
ザカライアが声を張り上げ、僕の勝利を告げた。
昼休みが終わるまで、あと5分ほどある。
僕は中庭のベンチに腰掛けながら、呆然と空を見上げていた。
雲一つない晴天だ。
エーデルフェリアに来て、1ヶ月と少し。夏ももうそろそろ終わろうとしている。
あまりにも多くのできごとが目まぐるしく通り過ぎていった。
体感時間では、1年ぐらいの月日が経過したかのように思える。
僕は唯一の肉親であるガラハッドを亡くして以来、一人ぼっちだった。
だけど今の僕には、家族と呼べる存在がいる。血は繋がっていないけど、大切な人たちだ。ステラもクララも、そしてグィネヴィアも。
できれば、ずっとみんなと一緒にいたい。たとえ追われの身であっても。
だけど皮肉なことに、僕が幸せだと思えば思うほど、ステラは命をすり減らしていく。
だからやはり、僕はこの大陸を去らなければいけないんだ。
そんなことを空を見上げながら考えていたら、僕の隣に誰かが腰掛けてきた。
「”グレイ”って言ったか。かなりの腕利きだな。これからも期待しているぜ」
ライナスだった。
「あ、うん。ありがとう」
「……あの」
実は僕には、ちょっと引っかかるところがあった。なので思い切って聞いてみることにした。
「ライナスさん。本当のことを言ってほしいんだけど、手、抜いたでしょ?」
「ばれたか」
ははは、と笑うライナス。
「なかなか鋭いな、お前」
「うん。明らかに僕の行動に合わせて、動きを止めていたから」
そう、まるでわざと隙を与えてくれたみたいに。
僕には分かる。ライナスは強い。今にして考えてみれば、その場の思いつきのフェイントが通用するほど甘い相手ではないはずだった。
「どうしてそんなことを?」
「そりゃお前の諜報に協力してやるためだよ」
「……っ!」
まるで心臓を掴まれたような気持ちになった。
「俺はしっかり見ていたぜ。お前が本部棟を虱潰しに捜索しているところをな」
ばれないように細心の注意を払っていたはずなのに……。
「俺は隠密行動には自信があってな。自分で言うのもおかしいが、気配を消すことに長けているんだ。よく”お前、ここにいたのか?”って言われるぜ?」
僕はすっかり感心させられてしまった。――さすが空騎士。ただものではない、と。
「まあ、そんな顔すんなって。俺も同じなんだからよ」
「え?」
僕は目を丸くする。
「じゃあライナスも、大陸から出る方法を探して?」
「違う。俺はもともとエーデルフェリアの人間だ。ただ、どうしても受け入れることができないんだよ。大のために小を間引くという思想がな」
「…………」
獅子身中の虫は僕だけじゃなかったことに、ほっとしたような気持ちになった。
「だから俺は空騎士としての身分を利用し、≪パージ≫が行われる区域やら人物を事前に特定して、その場所に出向いては、それとなく注意喚起を促していた。
まあ、最初の頃はそれでうまくいったんだがな。だが、あまりに都合よく人がいなくなるもんだから、身内に内通者がいると疑われる事態になってしまってな。今では当日の朝になって初めてパージの対象が知らされることになっている。これじゃあさすがの俺もどうにもならん」
はぁと、ライナスは深い溜め息を吐いた。
「ま、確かにそうだよね。下手に動いたら、君が殺されかねないし」
「ああ、そうさ。俺は逃げまどう民衆に攻撃を加えるふりをしながら、惨めに逃げ回っていた臆病者さ」
ライナスは、どこか遠い目をして言った。
「だけど、奴は違った。――ガラハッド。俺のマブダチだった奴さ」
ガラハッド……。
「俺と同い年だ。ただあいつの方が半年生まれるのが早かったから、今生きていれば、俺より1つ上――21歳になっているんだろうな。あいつは最後まで民を逃がそうとしたんだ。それをザカライアに見つかり、”逆賊”と罵られ、地上へと叩き落とされた」
「…………」
ガラハッドがエーデルフェリアに辿り着いた後の半年間は、どのようにして過ごしていたのか分からなかった。
まさか≪翡翠の牙≫に入団して、人々を≪パージ≫から救おうとしていたとは……。
「お前もとっくに気付いているだろうが、ここに生きるペガサスにはエーデルフェリアから出れないという枷(かせ)がある。ザカライアと一騎打ちになって、あいつは境界線の外へと押し出されてしまったんだ」
そう言って、ライナスは立ち上がる。
「見せたいものがある。ちょっと来い」
そして僕を連れて、中庭を抜けて、小高くなっている丘の上へ移動した。
「ここが、ガラハッドの墓だ。体はないけどな。俺が作ってやったんだ」
一見、墓だとは分からない、ただの祠のように見える。
確かに彼らにしてみればガラハッドは裏切り者なわけだから、表だって墓を作ることはできなかったのだろう。
「あいつも元は外から来た人間だ。最初は帰りたい、帰りたい言っていたさ。だけど、いつしか使命に目覚めてしまったようだ。そして、最後は……。生きていたとしても、そう長くはないだろう。あいつは致命傷を負っていたんだ。はたして、あいつは最期に、故郷に帰ることができたのかな……」
そう言って、ライナスはガラハッドの墓に手を置いた。
ライナスのその目を見て、僕は正直に告げることを決めた。
「……できたよ。だって、ガラハッドは僕の兄だから」
ライナスは無言のまま、僕を見た。
「ガラハッドは満身創痍の体で、最果て島の浜辺に打ち上げられたんだ。そして僕に力を授けた……。そう、ペガサスと会話をする力を」
ライナスは、悟ったように言う。
「……なるほどな。さっきの試合でお前と打ち合ったときの理合が、ガラハッドとそっくりだったと思えば、まさかあいつの弟だったとはな」
そう言って、ライナスは目を細めた。
「聞かせてくれないか? お前のこれまでのことを」
そして、僕はライナスに打ち明けた。≪ジョーカー≫の烙印を押され、追われの身になったこと。同じように烙印を押された人たちと生活を共にしていること。今の自分は仮の姿で、仲間の一人の変装魔法によるものだということ――。
「――なるほどな。なかなか、うまくやってるじゃねえか。大したもんだ」
一呼吸置いて、ライナスは言う。
「さて、これは提案だ。俺と組まないか?」
「え?」
「斥候部門の幹部連中の動きが普段と違うんだ。近日中にどこかで≪パージ≫が執行される可能性が高い。俺はもう指を咥えて眺めているだけなんて御免だぜ。その際は、その変装魔法とやらで、お前は別の姿に、俺は何でもいいから適当な姿に変えて、別人に成りすまし、二人掛かりで奴らを迎え撃つんだ」
断る理由はなかった。
「もちろんさ。こんな非道な行為、認めるわけにはいかない」
自信をもって言ったところで、はっと思う。
「……だけど、≪パージ≫の際に、僕らが現場にいないということは許されないんじゃ……」
「大丈夫だ。策がある」
「策?」
「全力で殴り合うんだよ。武器を取り合って、争っているように見せかけるんだ。それで相打ちになって、気絶したふりをする。そんで奴らが去ったのを確認してから、お前の仲間とやらと落ち合って、変装魔法をかけ、作戦実行だ」
一度だけしか通用しなさそうな手段ではあるけれど、とりあえず最初の一回はこれで欺くことにした。
「……結構痛そうだけど、頑張って演じるしかないね」
「ああ! 期待しているぜ。相棒!」
僕とライナスは、握手を交わした。
その夜――。
「はぁぁぁぁぁ!????? 空騎士隊に入隊することになったって、本気で言っているんですか!!!?????」
クララは食卓をバンっと叩き、身を乗り出して僕の胸ぐらを掴んだ。
「にゃる! にゃる!」
にゃるも毛を逆立てて、たいそう怒り心頭のようだ。
「撃ち殺します♪」
僕を地面に突き倒すと、手のひらをかざした。瞬く間に円形の幾何学模様が描かれていく。
「わぁぁ! ちょっと待って! そうするしかなかったんだって!」
僕は仰向けになったまま、両手をばたつかせる。
「大預言者≪アカシックレコード≫の動向を探るには、それしかないんだ! 分かってくれ!」
「ですからって、あんなゴミクズ共に与するなんて、はっきり言って論外ですからっ! やっぱり今この場で、心臓ごと打ち抜きます!」
「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
ステラが席から立ち上がると、クララの肩に手を置く。
「落ち着いて、クララ。きっとキースにはキースの考えがあるんだと思う。大丈夫だよ。キースは無辜の民を殺したりなんてしない。わたしが保証する」
クララの張り詰めた表情が和らいでいく。
「……お姉ちゃんがそう言うなら」
クララが腕を引っ込めた。幾何学模様が消失する。
「とにかく!」
クララは、びしっと僕を指さす。
「キースがどんな形であれ、≪パージ≫に協力するようなことがあれば、問答無用で心臓を打ち抜きますからっ!」「にゃる! にゃる!」
「ちょっと待ってくれ! 話したいことがあるんだ!」
「いやです! いやです! もう何にも聞きたくないですっっ!」
そう言って、にゃるを連れて部屋へと戻ってしまった。
僕は起き上がると、頭をぽりぽりと掻いた。
「まさかここまで怒られるとは思ってなかった……」
一番肝心なことを告げる機会を失ってしまった。僕とライナスの作戦を実行に移す際には、クララの変装魔法が必要不可欠になるから、前もって伝えておこうと思っていたのに。
「でも、本当に大丈夫なの? 空騎士長のザカライアって人、相当の手練れだと聞くけど……」
「それに関しては心配いらないさ。実はもう友達もできたんだ。ライナスと言って、僕と同じ志を持った人さ」
「同じ志?」
「ああ。ライナスが言うには近日中に≪パージ≫が執行される可能性が高いらしい。だからもしその際には、二人で阻止しようって約束したんだ。クララによる変装魔法で、別人に成りすましてね」
「そうなんだ。……でも、≪パージ≫を止めるって、はっきり言って不可能に近いよ。たったの二人で、あの空騎士隊を蹴散らすなんて……」
「それでも、やれるだけのことはやるしかない。せっかくこの地位まで上りつめたのに、指を咥えて傍観しているだけなんて御免だからさ」
「……うん、分かった。クララには、あとでわたしから伝えておくから」
と、ステラが口にしたときだった。
「……!!」
地面が揺れた。かなり大きな揺れだ。棚の上の木箱が床に落ちるその寸前、その真下で丸まって寝ていた猫が飛び起きて、慌てて逃げていった。
「地震か……」
僕は何気なく呟くが、ここは浮遊大陸だ。
地震というのは、大地と大地の噛み合わせがずれることで起きるっていうけど……。そもそもここは浮いているから、そういう理屈は当てはまらないし。
「ここでも地震って起きるの?」
「地震……」
ステラは、ぼそっと言った。
「そっか。キースのいた島では、大地の揺れのことを”地震”って言うんだね。エーデルフェリアでは、そんな言葉はそもそもないわ。だって地震自体が起きることはなかったから。そう、これまでは……
」
――翌朝。
目を覚まして上体を起こすと、扉の前にクララが立っていた。申し訳なさそうに目を俯けている。
「クララ? どうしたんだ?」
「……ステラお姉ちゃんから聞きました。ごめんなさい……。キースは命を張る覚悟を決めてくれたというのに、何も知らないで、拒絶するような態度を取っちゃって……」
「僕は気にしていないからいいよ。ただ、一つだけお願いがあるんだ。その際には僕とライナスの二人に、変装魔法を――」
言いかけたところで、
「もちろんです! あと、二人じゃなくて三人ですから! あたしも協力します!! バンバン撃ち落としてやりますから!!」
そう言って、クララは、にっと笑った。
なんていうか、とても健気で、可愛らしくて――そして、心強い。
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