第7話
翌日。僕は宮廷(グラン=ス=ロット)のある敷地内に構えられた≪翡翠の牙≫の門の前に立っていた。
目の前には本部棟。高さ50メートルは下らないであろうそれに対して、その左右に構えられている塔はその半分程度だ。
勤務時間は、朝の10時から夕方の5時までということになっている。
クララの変装魔法は8時間しか持たないから、9時にかけてもらってもぎりぎりだ。
猫カフェ『ヴァンダーファルケ』は7時から営業しているが、魔法をかけてもらう時間を遅らせたことで、カフェを手伝うことはできなくなった。
今日のところはステラとクララの2人で、何とか切り盛りしている。
「よろしくな。新入り。俺はライナスだ」
僕を出迎えてくれたのは、好青年風の男だった。
腰まで伸びた赤髪を後ろで一本に束ねており、眼差しは凛としている。
「”グレイ”です。よろしくお願いします」
慣れない偽名を口にし、僕は頭を下げた。
「ざっと説明するが、≪翡翠の牙≫の人員は約1万人。中核となる部門は次の三つだ」
ライナスは僕に背を向け、本部棟の右隣の塔を指さす。
「あれが、前衛部門。≪パージ≫を実行する空騎士隊がメインとなって活躍しているセクションだな」
次に、本部棟の左隣の塔を指さし、
「あれが、斥候部門。≪パージ≫を実行する際において、事前の調査を担うセクション。そして――」
ライナスは本部棟を指さす。
「あれが、お前が配属されることになる、兵站部門だ」
思わず、僕は目を見張った。
「いきなり本部棟にですか?」
「いいや、その裏だ。俺についてこい」
ライナスの後について本部棟の裏に回ると、そこには広大な牧草地帯が広がっていて、その最奥には全長500メートルはあるであろう馬鹿でかい平屋の木造の小屋が構えられていた。
「兵站っつっても、ペガサスの餌付けと訓練が主だ。表に出て活躍することは少ないが、非常に重要な役回りだ。こいつら飼育員がいないと≪翡翠の牙≫は成り立たねえ。ま、縁の下の力持ちってやつだな。てなわけで、新しく5体のペガサスが捕獲されたらしいから、調教を頼むぜ。一通り終わったら空騎士長に報告しておけよ。それじゃあな」
そう言って、手を上げてライナスは去っていく。
どことなく、僕の亡き兄、ガラハッドを彷彿とさせるのは気のせいだろうか。こうして話をしている限りでは、決して悪い人物には見えないのだけど……。
だけど、彼のような人でも、預言に従い罪なき人物を殺すことが正義だと信じ込んでいるのだろう。そう、大のために小を切り捨てる――。やはり、僕と《翡翠の牙》は根本的に分かり合うことができないのかもしれない。
「とりあえず僕がやるべきことは――」
……当面の間は、与えられた仕事を愚直にこなしていくことだろう。
今は何もかもが不透明だけど、実績を作り、信頼を積み重ねていけば、必ずや活路を見出すことができるはずだ。
僕が馬舎に入ると、手前の一区画で、5体のペガサスが鎖に繋がれ、大暴れしていた。
餌の入った桶を手にした5人の飼育員は、どうにか手懐けようとしているものの、手をこまねている様子だ。
僕は、さっそく兄から受け継いだ力をもって、ペガサスたちと会話を試みる。
「たいそう怒っているみたいだけど……。良かったら僕に聞かせてくれないかな?」
『おい! いきなり縄で拘束してこんなところに連れてきやがって! 何様のつもりだ、こらぁ!』
「ごめん。手荒い真似をしてしまったようだね。だけど怖がることはない。ここにいれば、衣食住は保証される。外敵に襲われる心配はない。ただ、たまに僕を背中に乗せて飛行してくれるだけでいいんだ。だめかな?」
『……そんな甘い言葉につられっかよ! 俺には仲間がいるんだ! 仲間を置いて、悠長にこんな場所でのうのうと暮らしていられるものかよ!』
「分かった。じゃあ、君の仲間もここに連れてこよう。さっそく僕を背中に乗せて案内してもらっていいかな?」
『……ううむ。……だけど、あいつらが首を縦に振るかは分からないからな!』
さっそく、彼の仲間のもとへと案内してもらう。
シルヴェスタから10キロほど離れた高原地帯に連なる小さな山の頂。そこには彼の仲間4体が、彼の帰りを待っていた。
さっそく僕は対話を試みるが……。
『んな、条件示されたところで、俺らは《パージ》なんかに協力しないぞ!』
仲間の1体が怒鳴った。
僕としても、そう来ることは想定していた。
「協力なんかしなくていい。あんなものは悪魔の所業だ」
『だったらどうして、てめえはこんなところに――』
「僕は潜入工作員なんだ。情報を収集しているのさ。だから当然、背中に乗せるのは僕だけでいい。もしも他の奴が無理に従えようとしてきたら、振り落としてやっていいから」
別の1体が重々しい声で言う。
『……てめえは信用に値するのか?』
「じゃあこうしよう。僕が新たな情報を得るたびに君たちにそれを開示する。そして、繋ぎのカギを藁の中に隠しておく。もし君たちに不服に思うところがあるなら、連中が目を光らせていない深夜のうちにそれを使って施錠を解いて逃げ出せばいい。たとえばこういう風に」
そう言って僕は鉄製の馬繋ぎをポケットから取り出すと、手にしたカギで開け閉めしてみせた。
「これで繋ぎは外れるから」
彼らは僕の提案にしぶしぶ頷いた。
彼らを引き連れ馬舎に戻る。
残りの4体のペガサスについても同様に住処に案内してもらい、彼らの仲間をこちらへと引き入れることに成功した。ペガサスの数は一気に20体に増えた。
なんだかんだで、6時間もかかってしまった。
ステラお手製のパンはペガサスたちのご機嫌を取るために彼らに与えてしまったので、昼食は抜きだ。腹が減ってしょうがない。
「こんな感じでいいですかね?」
馬舎に残っていた飼育員に訊ねる。
「けっ!」
あからさまに舌打ちされた上に、無視された。
そういえば、任務を終えたらザカライア空騎士長に報告することになっていた。
本部棟へと入り、螺旋階段手前の、会議室と思しき部屋の前を通りがかったときだった。
話し声が聞こえてきた。
僕は立ち止まって、耳を傾ける。
「……の行方は見つかったのか?」
「いや、それがまだらしい」
「あの方がいなくなってもう二ヶ月だ。このままじゃ国が正常に機能しなくなる」
「でもまだ、いくつかの”それ”が残されている。俺たちは粛々とそれらを実行するだけさ」
「だな」
よく意味が分からないが、要人が行方不明になっているらしい。
まあ、今の僕にはどうでもいいことだ。
無視して螺旋階段を上る。
本当なら目に入る部屋の一つ一つを開けて調べていきたいところだが、時刻は午後4時。今日はもう時間がないから難しい。
明日以降は、任務を装って、《パージ》に関する情報と、呪いを解くための解除術式が保管されている可能性が高いこの棟を入念に探索する必要がある。
それにしても、やけに長い階段だ。確か空騎士長室は最上階にあると聞いたが、10階を超えているのにまだ辿り着く気配はない。
これからザカライアと話をする際には、彼ら(ペガサス)に協力してもらって、窓から入った方が楽かもしれない。
ようやく終点が見えてきた。13階。僕は空騎士長室の扉をノックする。
「グレイです。成果の報告に参りました」
「入れ」
おそるおそる僕は扉を開けた。
ザカライア空騎士長は椅子に腰かけ、足を組んでいた。その背後の窓は開け放しで、穏やかな風が流れ込んできている。
「貴様の活躍は、この窓から見ていた。初日にしては、なかなかやるじゃないか。大儀であったぞ」
「誠に恐れ入ります」
僕は下げたくない頭を下げた。
「これは、特別報酬だ」
そう言って、ザカライアは束になった紙幣を差し出してくる。僕とステラとクララの一か月分の食費に相当する額だ。
「本当にいいんですか?」
「それほど我輩は貴様に期待しているということだ。せいぜいこの調子で、かいがいしく働くのだな」
長い長い螺旋階段を下り、外に出る。時刻は5時に近い。もう少しで変装魔法の効力が切れてしまう。早くアジトに戻らないと。
敷地内を行く人たちは、門へと向かっている。
歩調を早めようとしたそのときだった。
――殺気。
僕は囲まれていることに気が付いた。
誰かと思えば、馬舎で手をこまねいていた5人の飼育員たちだ。全員が全員、棍棒を携え、僕を睨みつけている。樹木の陰に隠れて、僕を待ち伏せしていたか。
「おい、お前。新入りのくせに調子こいてんじゃねえぞ」
「金まで貰いがって、この野郎」
「生意気な奴だな。これから焼き入れてやっからよ。歯食いしばれや」
近くにいる人たちは、足を止め、こちらを窺っている。ものものしい空気だ。おそらく僕に同情しているのだろう。
僕は深くため息を吐く
「……あいにく、そういう暴力沙汰は僕は苦手なんだけど」
「かかれ!」
僕は、樹木の枝をへし折る。長さにして、約1メートル。こんな連中、これで十分だろう。
――そして。
僕は1分とかからず、そいつらを叩きのめした。それらの顔ぶれは、もはや誰が誰だか分からないくらいに顔中血まみれだ。せめてもの情けとして目は潰さないでおいであげた。
「なんだよ! こいつ、見かけによらず、めちゃくちゃ強いじゃねえか!」
敵たちは背中を向けて逃げ出していく。
周囲にいた人たちは、誰もが目を見張り、呆気に取られていた。
僕は虚空を見上げ、呟く。
「ありがとう。ガラ兄。あのとき、叩き込まれた”棒術”。役に立ったよ」
◇◇◇
アジトに戻ると、ステラではなくクララが僕を出迎えてくれた。胸ににゃるを抱きしめて。
営業時間は4時半までなので、客はもう残っていない。
「お、おかえり、なさい……」
僕を見るクララの顔は引きつっている。にゃるも、目と口を大げさなまでに開いて、凝り固まっている。
意味が分からない。
おそるおそるクララは言う。
「この棒……どうかしたんですか?」
「…………」
しまった。急いでいたので、血まみれの棒を手にしたまま帰路に就いてしまった。棒の先端からは鮮血が滴り落ちてている。
「あ、」
ちょうどここで変装魔法が解けた。
本来の姿に戻った僕は、頭をぽりぽりとかく。正直に説明するしかないだろう。
「なんていうかさ、新入りということで目をつけられてしまったみたいでさ。5人がかりで僕をリンチしようとしてきたんだ。本当なら手荒な真似はしたくなかったんだけど、向こうから襲いかかってきたから悪いけど返り討ちにさせてもらったんだ」
クララは瞠目している。
「そうだったんですか。……強いんですね! 見かけによらず!」
どうやら、すっかり感心させてしまったようだ。ただ、”見かけによらず”は余計な気がするけど。
「ははは。これも兄に叩き込まれた棒術のおかげさ」
僕は得意げに言ってみせる。
「あれ? キースには、お兄さんがいるんですか?」
「うん。もう帰らぬ人になってしまったけどね。両親も亡くしているから、僕は天涯孤独の身さ」
クララは、どこか遠い目で僕を見た。そして、そっと言葉を紡ぐ。
「……あたしたち、似た者同士かもしれませんね」
クララはにゃるに視線を送る。にゃるは、首を垂れ、うとうとしている。
「実はこの子も、そうなんです」
「にゃるも?」
「はい。二か月前に、とある里が焼き討ちにされて……。時計塔のてっぺんからその光景を目の当たりにしたあたしが駆け付けたときには、すでに手遅れで……。里の人たちは全員息絶えていました。その巻き添えをくらったのがこの子なんです。母ネコはこの子を庇うように全身黒焦げで倒れていました。あたしは思いました。この子もあたしと同じなんだって。それからあたしは、母ネコの亡骸を土に埋めて……気が付けば、震えるこの子を抱きしめて帰路に就いていました。以来、ずっと一緒なのです」
「……そんなことが」
「はい。なんでも後で聞いた話では、この里でまもなく疫病が流行するから、国全体にそれが蔓延する前に里ごと滅ぼせという預言(オラクル)が下っていたそうです」
「……大のために、小を間引いたんだね」
クララは、こくりと頷く。
「……憎いです。預言者≪アカシックレコード≫が……。あいつが、そんな未来さえ予知しなければ、この子は幸せに里の人たちに可愛がられながら暮らしていたはずなのに」
「……僕も同感だよ」
クララは眠りについたにゃるを椅子に置くと、箒を手に取った。
「さて、後片付け、頑張らないとっ!」
「ところで、ステラは?」
「あそこです」
クララが指さした先には、箒を手にしたまま、壁に背をもたれ、うたた寝をしているステラの姿があった。
僕は、はっとする。
「ごめん。僕がいなかったせいで、二人に負担をかけさせてしまったみたいで」
「ま、正直きつかったですけど、直に慣れますよ。だいじょーぶですっ」
「クララ……」
弱音を吐かないところが、健気で可愛らしかった。
「それに、さっきまでグィネヴィアも手伝ってくれたんですよ」
「え? あいつが?」
「はい。テーブルの上や、床に落ちているパンの食べかすを、がつがつと口にしていました。他の猫ちゃんたちと一緒に」
「…………」
それは食い意地が張っているだけだろう。結果的に手伝ったことになるのかもしれないけど。
僕は、座り込んで眠るステラに視線を向ける。
あのときのステラの言葉が、僕の脳裏に反響する。
――わたしに両親はいない。いえ、いたことはいたんだけど、生まれてすぐにわたしを手放した。なぜならわたしには、呪いがかけられていたから。
――幸せだと思えば思うほど、わたしの寿命はすり減っていく。
――わたしは幸せになりたかった。生きているという実感が欲しかった。たとえそれで死んでしまったとしても、わたしは……普通の女の子としての幸せを噛みしめたかったから……。
――呪いの解除術式? そんなもの、ないよ。だって、これは、遥か昔に、始祖なる人物が、自身に施したものだから。
――血は”適格者”を選び、呪いを施すと同時に力を授ける。世代ごとに誰が選ばれるか、分からない。解除術式なんて、最初から用意されていないの。
「どうしたんですか? ぼーっとして」
クララの一言で我に返る。
「ごめんごめん。僕も手伝うから、掃除に取りかかろう」
「はいっ!」
もちろん、ステラを起こさないように、気を使いながら。
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