第6話

 翌朝。

 さっそく僕は単身で、グラン=ス=ロット宮廷のある敷地内に構えられた20階建ての≪翡翠の牙≫本部棟まで出向いた。

 素質を見極めるというのは、ようするに僕にペガサスを乗りこなす能力があるかということだ。

 グィネヴィアにはあらかじめ街道で待機してもらっていて、あたかも偶然出くわしたかのように装って、その場でグィネヴィアを従え、指示された通りの飛行をしてみせた。

「よし、合格だ。”グレイ”、貴様の活躍を期待しているぞ」

 ザカライア空騎士長直々に採用を伝えられる。

 ちなみに今回、採用されるにあたって、グレイという偽名を用いた。クララの変装魔法によって髪の毛が銀色に近い灰色に染まっているから、適当にそう名付けたのだった。

 キースという名前に慣れているので、若干の違和感はあるけど。

「なんともまあ、あっけなかったなぁ」

 街道の上空を飛行しながら僕は呟いた。

『ふん、オレ様に感謝するんだな』

「そうだね。グィネヴィアのおかげだ」

 そう言って、僕は懐から、あるものを取り出す。

「ほら、蒸し焼きパン。レーズン入り」

『おうよ! 分かってんじゃねえか!』

 グィネヴィアの口に運んでやると、翼を休めることなく、むしゃむしゃと咀嚼する。

 グィネヴィアはパンが大好物だった。肉は一切口にしようとしない。食べるのはライスやパンばかりだ。

 肉食動物のはずなのに、炭水化物が好きって、ずいぶんと偏食家だなと思う。

『んあ……?』

 グィネヴィアが立ち止まる。

 ぽっかりと口を開け、口に含んでいたパンがこぼれ落ちる。

 視線の先には、2体のペガサスが肩を並べて飛んでいた。

「どうしたんだよ? 幽霊でも見たような顔をして?」

『ミーナのやつめ……。そんなにあいつがいいのか……』

 グィネヴィアは悔しそうに奥歯を噛みしめた。

「どうしたの?」

『オレがお前と出会った日、オレが頭突きを食らわせたやつがいただろ? そいつに恋人のミーナを寝取られたんだ』

「なるほど……だからあんなに怒ってたんだね」

『ああ、そうさ。思い出すたびに怒りに震えてたまらない! オレたちは婚約もしていたんだぞ? なのに、こんな裏切り方しやがって! くそったれめが!』

 そしてグィネヴィアは翼を羽ばたかせると、猛スピードでアジトへと向かった。

「ちょ、ちょっと、早いよ!」

 僕が言っても、グィネヴィアはスピードを落とそうとしない。

 やりきれない思いを振り切ろうとしているかのように、グィネヴィアは風を切り続けた。




「――どうだった? 入団試験?」

 アジトに戻ってくるやいなや、エントランスでステラが僕に訊ねてきた。

 ヴァンダーファルケは今日は休業日だ。なので、今ここにいるのは僕ら3人と、グィネヴィアと猫たちだけ。

「合格だったよ」

「よかったね」

 そうは言うものの、その表情は複雑そうだ。

『じゃあオレは寝るぜ。あばよ』

 階段を降り、ねぐらに戻っていくグィネヴィア。

「そういうわけだから、クララ。今後もよろしく」

 僕が呼びかけるも、クララは僕の方を見ようともしない。長椅子に仰向けになって猫たちと戯れている。

「食事、できてるよ」

 そういえば、もう昼か。

 僕とステラがテーブル越しに向かい合って席につくと、クララも唇を尖らせながらステラの隣に腰を下した。

 今日のメニューは、リゾットだ。

 しばらくの間、僕らは無言で食事にありついていた。

「これからいろいろと大変になるね」

 スプーンを手に持ったまま、ステラが言った。その眼差しは、心なしかやや険しい。

「そうだね……」

 正直なところ、僕も不安も大きい。しかしここで怯んでいたら、突破口を切り開くことができない。だから、

「まあでも、大丈夫だよ。何事もやってみなければ分からないし。当たって砕けろの精神で、挑んでみせるから」

 強がって、僕はそう言ってみせた。

 すると、

「……本当に砕けちゃえばいいのに」

 ぼそっとクララが口走る。

「そんな物騒なこと言わないでくれよ」

 僕は苦笑いする。

「分かってますよね? 少しでも変な動きを見せたら、バキューンですからっ!」

 そう言って、クララは席を立った。

「なんか気持ちが煮え切らないんで、シューティングに行ってきますっ!」「にゃるーっ!」

 クララとにゃるはアジトを出て行ってしまった。クララのリゾットは半分以上残っている。

「…………」

「…………」

 僕らは無言で見つめあったあと、スプーンを動かし続けた。

 気まずい空気だが、何も言葉が出てこない。

 ――そして。同じタイミングで食事を終える。先に口火を切ったのはステラだった。

「ところで、ちょっと出かけない?」

 そう言ってナプキンで口元を拭いながら、僕を見た。


 僕らは肩を並べて、シルヴェスタの街並みをあてもなく歩く。

 出発する前に、グィネヴィアが起きてきたときのために、揚げたてのロールパンを10個ほど枕元に置いてきた。

 そうするとたまに猫たちに奪われてしまうこともあるが、まあ、一食ぐらい飯を抜いても餓死することはないだろう。

「なんかこうして歩いていると、わたしたち、カップルみたいだね」

 カップル……。確かに傍目から見れば、そう思われてもおかしくない。

 そう考えると、やけにステラのことを意識してしまうというか。恋人でも何でもないのに。

 あれ? よく見てみると、道行く人たちの様子が、ちょっと特殊な気がする。

 みんながみんな、肩を並べながら仲睦まじげに歩いている。

「そういえば今日は恋人連れが多いような気がするね」

「リーベアムール」

 ステラは澄んだ瞳で僕を見つめると、そう言った。

「何それ?」

「一年に一度、恋人同士が愛を祝う日」

 心臓がばくんと鳴る。

「え、もしかして……それを分かっていて、僕を連れ出したの??」

「うん、そうだよ♪」

 ステラは、にんまりと笑う。

 体中か、かっと熱くなっていくのを感じた。

 今すぐにでもここから逃げ出したいくらいだ。

 しかしステラの左腕は、僕の右腕にがっちりと絡められており、逃げ出すことはできない。

「いいじゃん、いいじゃん♪ わたし、ずっとそういうのに憧れてたんだ♪ 気分だけでも味わおうよっ」

 やばい……やばいぞ、これは。

 心臓がバクバク、胸がドキドキなんてレベルじゃない。今すぐにでも卒倒してもおかしくないくらい僕は緊張してしまっている。

 ステラはすっかり恋人気取りで僕の腕に頬を押しつけているし、時折、肘がステラの胸に当たって、そのたびに心臓が飛び出そうになる。

 ちょうど時計塔の下を通りかかったときだった。

 頭上から甲高い声が聞こえた。

「きゃはははははーーーーーーっ! 苦しみ喚いて落ちやがれです! ゴミクズ共~~~~~っ♪ ひゃははははははーーーーサイコーーーーーーーー!!」

「順調なようだね」

 僕がそう呟くと、ステラはこくりと頷いた。

「うん。寒気がしてくるくらい……」

 呆気に取られていると、

「あ、そこのカフェなんかどう?」

 ステラが指さした先にあったのは、洒落た雰囲気のカフェだ。

 中に入ることにする。

 店内は、案の定、カップルで溢れていた。

 窓際の席へと案内してもらう。

 そしてカップルらしく、クリームソーダを注文して、向かい合いながらそれを麦藁のストローで一緒にすすった。

 ステラは嬉しそうにしているけど、僕にとっては何となく気まずい。

 僕には未だかつて恋人がいたことがないから、余計に緊張するのかもしれない。

 言葉に詰まっていると、

「わたし、もしかしたら今が一番幸せかもしれない」

 ふと、ステラが切り出した。

「追われの身なのに?」

「うん。わたしはずっと、籠の中の鳥だったから」

「籠の中の鳥?」

 ステラはこくりと頷く。

「キースになら話してもいいかな? ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」

 そして、ステラはこれまで自分の身に起きたことを語り出す。


「わたしに両親はいない。いえ、いたことはいたんだけど、生まれてすぐにわたしを手放した。――なぜならわたしには、呪いがかけられていたから」

「……呪い?」

「うん。わたしは幸せになったらいけないの。幸せだと思えば思うほど、わたしの寿命はすり減っていく」

「…………」

 僕は絶句して、言葉が出てこない。

「わたしは、それと引き替えに、特殊な力を授かった。それが何なのか、今は話すことができないけど、その力を行使するために、わたしは狭い部屋に軟禁されて過ごすことになった。

 今まで誰一人として友達ができたことはなかった。

 唯一、話をすることができたのは、メイドと、義理の父上だけ。

 ろくに日も浴びることはなかったから、この通り、全然背が伸びなかったけど」

 ステラは苦笑いを浮かべる。

「そんな状態で、気がつけば17歳になっていた。

 わたしはそこを出ることを決めた。わたしは幸せになりたかった。生きているという実感が欲しかった。

 たとえそれで死んでしまったとしても、わたしは……普通の女の子としての幸せを噛みしめたかったから……。

 それからは、身分と年齢を偽って、いろんなところで仕事を転々としながら、糊口を凌いだ。屋敷の人たちはわたしを血眼になって探していたから、ばれそうになるたびに、わたしは夜逃げを繰り返した。

 とても理不尽だと思うでしょ? でも、わたしには確かに生きているという実感があった。仲良くなった人たちともう会えなくなるのは寂しいけど……」

 僕は咄嗟にテーブルに身を乗り出して、言った。

「だったら、その呪いを解いてしまえばいい。僕がその解除術式を――」

 見つけ出してあげると言おうとしたところで、

「呪いの解除術式? そんなもの、ないよ。だって、これは、遥か昔に、始祖なる人物が、自身に施したものだから。血は”適格者”を選び、呪いを施すと同時に力を授ける。世代ごとに誰が選ばれるか、分からない。解除術式なんて、最初から用意されていないの」


 僕は唇を噛みしめることしかできなかった。どうして僕ときたら、こうも野暮天なのだろう。気の利いた言葉の一つも思い浮かばない。


「あとのことは言わなくても、いいよね。想像の通りよ」


 ……それから≪ジョーカー≫に指定され、命を狙われることになったのだろう。そして僕と出会った。

「変な話だよね。追われの身で自由を制限されているはずなのに、今が一番自由だって感じているんだから」

 ステラは遠い目で虚空を仰いだ。

「キースと恋人ごっこもできたしっ」

 ステラは、にこりと笑う。

 だがまたすぐに、物憂げな瞳で、僕を見た。

「ずっとこんな生活が続けばいいって願っちゃうのは、わがままなのかな……」

 僕は、そっと言葉を紡ぐ。

「もし、僕がエーデルフェリアを脱出する日が来たら――」

 言い掛けて、口を閉ざす。

 一緒に行こうなんて、生半可な覚悟で口にすることはできない。

 なぜなら、ステラは幸せを実感すればするほど、命をすり減らしていく。

 たとえステラを連れて脱出したとしても、僕はその現実に耐えられるだろうか。

 今の僕には、自信を持って頷くことはできなかった。


 店の外へ出たときには、すっかり日が落ちようとしていた。

 空は夕焼けに染まっている。

 唖然とした。

 こんなに時間がたっていたなんて。


 アジトに戻ると、満悦の笑みでクララが出迎えてくれた。

「へへへっ、あたしも今、帰ったばかりですっ! 今日は11人も撃ち落としたんですよっ♪ 我ながら、大満足ー♪」

 一方グィネヴィアは白目を剥いて、玄関先に仰向けになって倒れていた。

『腹……減った……死ぬ……』

 やっぱり用意していた餌を、寝ている間に猫たちに奪われてしまったようだ。

 クララは僕を見る。そこに、やるせなさは感じらない。真顔で、クララは口にする。

「なんだか、吹っ切れました。あたしは、あたし。キースはキース。信じる道を往きましょう。ただ一つだけ約束してください。今後どんな苦難に直面しようと、罪のない人たちを手にかけることはしないって」

「もちろんだよ」

 僕は笑顔で頷いた。

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