第5話

 ……ここはどこだろう。

 今、僕がいる場所は見渡す限りの白で、どっちが上でどっちが下かも分からない。まるで虚無の空間を漂っているみたいだ。

 しばらくして、僕の前に、ぼんやりとした人影が浮かび上がる。

 僕はすぐに悟った。なるほど、これは夢か、と。

 なぜなら、そこに姿を現した人物は、僕の亡き兄ガラハッドだったからだ。

「よう、久しぶりだな」

 相変わらず、精悍な眼差しだ。

「うん、久しぶり」

 僕も、夢だと分かりつつも、普段接するときと同じ調子で答える。

「おいおい。どうやら大変なことになっちまったみたいじゃねーか。これからどうするんだ?」

「分からない……。僕はどうしたらいいのか……」

 僕は頭を垂れた。

「だっせえな、お前」

 ガラハッドは呆れたように言うと、頭を指さした。

「頭を使え、頭を」

「そんなこと言われても……」

 どんなに思考を巡らせても、突破口は思い浮かばなかった。

 この大陸には飛行艇は存在せず、頼みの綱のペガサスも大陸の外には出れないという呪いがかけられているときた。

 もはや万事休す、だ。

「本当に、何も思い浮かばないのか?」

「ペガサスたちにかけられている術を解除すれば、脱出はできそうだけど……。それを施したのが≪翡翠の牙≫だとするなら、彼らがその解除術式を持っている可能性はある……。でも、それを手に入れるのは不可能だよ。だって僕は追われの身だし」

「なんだよ。ちゃんと分かってるじゃねーか」

 ガラハッドは、ふっと笑う。

「ならば、やることは一つだろ? 危険を承知の上で敵の懐に飛び込んでいくしかないんじゃねえか?」

「…………」

 はっとした。

「俺ならそうするぜ?」

 そう言って、ガラハッドは背中を向けた。

「ちょっと! もう行っちゃうの?」

「ああ、もう時間だ。健闘を祈るぜ」


 そして、周囲の景色が混濁していって――。


「ほら! 早く起きてってば! 時間よっ!」


 ステラのフライパンの一打で目を覚ますことになるのであった。



「今日も一段と賑わってるなぁ」

 倉庫を出て、階段を上り一階へ移動すると、多くの客で賑わっていた。

「これもあの子の”ニャン通力”のおかげね」

「まったくだ」


 あれから僕らはクララの発案で、アジトを猫カフェに改修することにした。

 確かにここで生きていくからにはお金が必要なわけで、僕としても賛成だった。

 三日かけて屋内を大掃除し、そこらから野良猫を拾い集め、食材も調達し、猫カフェとしての体裁を整えた。

 あ、外に出かけている間は、クララの変装魔法によって全くの別人に姿を変えているので追っ手にばれることはない。

 ただし、クララの魔法は8時間で効果が切れてしまう。さらに、魔法の源であるマナが完全に回復するまでさらに8時間かかるので、あまり油断はできない。

 僕は、元の髪色はダークブラウンで前髪は眉毛にかかるくらいの短髪だけど、思いっきって銀色に染めて、前髪も鼻の辺りまで伸ばす形態にしている。目の色もブルーからパープルに変えた。

 ステラは、肩につくくらいのセミロングに弱めのパーマをかけて、髪の色はピンクになっている。猫目は相変わらずだ。

 クララは特に姿を変えていない。どうせ追っ手が来ても秒速で叩き潰すから問題ないらしい。


 最初こそ全然人が入らなかったものの、次第に口コミで評判が集まり、開店して7日がたった今は大賑わいだ。

 僕はひっきりなしに給士として働き、ステラは料理を作り、クララは猫と会話をすることでご機嫌を取っている。

 そう、クララには猫と会話をする能力がある。本人は”ニャン通力”と呼んでいるけど。

 僕のペガサスと会話ができる力と似たようなものだろう。

 ちなみに客の間で一番の人気者は、にゃるだ。

 しかし、良いことばかりではなくて……。

 そして今日もまた、”事件”が勃発する。


「にゃる~~~~~~~~~っ!」


 店内に、響き渡るにゃるの悲鳴。

「ああ、もう!! またですか!!」

 にゃるを追いかけ、外へ飛び出していくクララ。

 僕は扉を開けて顔だけ出して様子を窺う。そこには、にゃるを肩に抱えて、人混みをかき分けながら走り去っていく大男の後ろ姿が見えた。

 そうだ。また、さらわれたのだ、にゃるが。

「気の毒に……」

 つい僕は同情した。にゃるを連れ去った大男に。

 走りながら、クララが叫ぶ。

「許しません! 出禁です!」

 その直後。

「むごおおおおおぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 男の背中を火弾が撃ち抜いた。男はうつ伏せに倒れる。その隙ににゃるは男のもとを離れ、クララの胸へと飛び込んできた。

「にゃるるるぅぅぅ……」

 にゃるはクララの胸に顔を埋め、ぷるぷると体を震わせている。

「ほうら、よしよし。怖かったよね、そうだよね。でももう大丈夫だよ、あたしがついているから」

 熱い抱擁を交わすクララとにゃる。

 一方、件の男はと言うと、あっという間に全身に火が回り、火だるまになってのたうち回っている。

 猫カフェを開業して七日。にゃる泥棒は、これで三人目だ。

「くっ……。フィアンセにプレゼントするはずが……! ちっくしょおおお!!」

 そう叫びながら、男は井戸へと飛び込んだのだった。


「奪還完了です!」

 店に戻ってきて、キッチンに立つステラにピースサインを送るクララ。

「にゃる!」

 にゃるもクララの真似をして、肉球を突き出す。頑張って指を開こうとしているようだが、ピースサインになっていない。

 微笑するステラ。

 僕は思う。

 僕には一つの魔法にしか恵まれなかったのに、クララときたら実に多彩なものだなと。

 クララは火弾を瞬時に放つ力、人の形態を変えてしまう力、ニャン通力と、実に多岐に渡っている。

 さすが大魔女パーシヴァルの血を引いているというか。

 そのせいで≪ジョーカー≫の烙印を押されてしまうことになってしまったわけでもあるけど……。



「ねーねー、”お姉ちゃん”」

 正午を回ろうとしていた頃だった。

 客の注文を受けて僕がキッチンにそれを伝えにくると、まな板に置かれた野菜を器用に切り捌くステラのもとに、クララが困り顔をして寄ってきた。

「”お姉ちゃん”。あの……、ミルク切らしちゃったみたい……」

 今、クララはステラを”お姉ちゃん”と呼んだ。

「わたしは……お姉ちゃんでは……」

 ステラも困惑しているようだ。

 もしかしたら、クララは亡くした姉の面影をステラに重ね合わせているのかもしれない。

 ステラはしばらく思案顔でクララを見つめていたが、笑顔で頷く。

「うん、分かった。じゃあ午前の部が終わったらわたしたちが買い出しに行ってくるから」


 正午から13時までの1時間は、休憩のため店を閉めることにしている。

 その日の営業が終わるのは、15時だ。

 ちょっと早いと思うが、クララによる変装魔法の効果は8時間しか持たないので仕方がない。

 僕らはシルヴェスタの商業区を歩いていた。

 最初こそどこに何があるのか全然分からなかったけど、今はだいぶ見聞が広まった。

 けれども、皇都であるシルヴェスタはあまりにも広大で、まだまだ末探索の場所が多い。


 買い物を終えて、ステラが言う。

「それにしても、早くカフェの名前決めないとね。いつまでも、”あれ”のまんまじゃ、どうかと思うし」

 本当ならば開店の前に名称を決めていないといけなかったのだけど、カフェとしての体裁を整えるのに忙しくて、じっくりと考えている余裕がなかった。だから今はとりあえず、『にゃるカフェ』というセンスの欠片もない仮称となっている。

「わたし思うんだけど、”ヴァンダーファルケ”ってどうかな?」

「ヴァンダーファルケ?」

「”ハヤブサ”を意味する古語だよ。だって、キースがグィネヴィアを従えて空を飛んでいる姿が、まるでハヤブサみたいだったから」

 そう言って、ステラは微笑む。

「……うん、そうだね。それ、いいかもしれない」

「でしょでしょ?」


 僕とステラは肩を並べて歩く。もうすぐで中央広場だ。

「どう? ここでの生活、だいぶ慣れた?」

 ステラがもともと丸っこい目をさらに丸くして訊ねてくる。

「うん、ぼちぼちといったところかな」

「そんなんじゃだめよ。これからキースはずっとここで暮らすことになるんでしょ? もっとエーデルフェリアの空気を体に染み込ませなきゃ」

 そう、ステラは僕がずっとここで暮らすものだと思っている。帰る手段を探ろうとしないまま10日が経過してしまったわけだから、そう思われるのも仕方ないけど。

 しかし、僕はまだ諦めたわけではなかった。

「あの、そのことなんだけど、僕――」

 言いかけたときだった。

「ちょっと待って」

 ステラに制止させられる。

 僕たちの行く先――噴水のある中央広場に甲冑を身につけた兵士が10人ほど集っていた。

 なにやら物々しい空気だ。

「なんだと! 空騎士がまた20人も減っただと!?」

 口髭を蓄えた男が言う。筋骨隆々としていて厳めしい。

 どこかで見たような気がする。

「あの人は?」

「ザカライア。≪翡翠の牙≫が擁する空騎士隊のトップね」

 思い出した。

 初日に僕を追ってきた空騎士の部隊を率いていた男だ。あいつは確かザカライアと名乗った。

「はい、それが何者かによって、撃ち落とされているようで……。どいつもこいつも人事不省の状態で、とても使い物にはなりません」

「……えぇい! また増員するのだ! すぐに募集をかけろ!」

 そう言って、撤収していく。

「クララの仕業だよね」

 僕は、ぽつりと言う。

「うん、間違いなく」

 ステラも頷く。


 あれは、猫カフェを開業した初日の昼休みのことだった。

 クララの姿が見あたらないのでグィネヴィアに乗ってステラと2人で探していたら時計塔の三角屋根の頂点に立つクララを見つけた。足元には、にゃるもいる。

 ひたすら火弾を打ちまくっているようだ。

 僕はグィネヴィアに頼んで、高度を上げると、クララのいる三角屋根に飛び移った。足場は大きく斜めっていて、バランスを保つだけでも精一杯だ。

『クララ、何をしているの?』

 僕が呼びかけると、

『決まってるじゃないですかっ。復讐ですっ』

 そう言いながら、強烈な一撃を放つ。

 それは、2キロは離れているだろう、空騎士に見事命中した。

 反動による衝撃で地面が大きく揺れる。僕はよろけるステラの手を取り、屋根の先端にしがみついた。

『こいつらが、あたしの故郷を焼き討ちにしたんですから! あたしにとっては唯一の肉親の姉――フレデリーカもあいつらに殺されました! さらなる犠牲を生まないためにも、見つけ次第撃ち落とすんです!』

 そう言ってクララは奥歯を噛みしめる。そして、火弾を乱反射する。

 空のどこかで空騎士に命中したようだ。僕の視力では捉えることができないけど、かすかに爆音が聞こえてくる。

『きゃはは! また一匹しとめた!』

 さらに火弾を連射する。

『それそれ! あははははは! また撃墜しました! ざまあみろです!! 苦しめ、苦しめーー!!』『にゃるにゃるー!』

 高笑いをするクララと、にゃる。

『…………』

 呆気に取られる僕とステラ。

『まあ、ほどほどにね』

 ステラが苦笑いを浮かべながら言った。

『そうだね。あまり大げさにやって目をつけられても困るからね』

 僕もステラに同調する。

 しかし、クララの耳には届いていないようだ。

 まあ、好きなようにやらせておくしかないだろう。

 僕らは傍に待機させていたグィネヴィアに跨がると、その場を去ったのだった。


 そんなことを回想しながら、広場の掲示板に何気なく目をやる。

 すると、空騎士募集の張り紙が目に入った。

 ”急募! 入団希望の者は、宮廷内・≪翡翠の牙≫本部棟まで。適性を見極めたのち、採否を判断する”と記されている。

 僕には関係のないことだ、と一瞬思った。

 しかし、どうにも素通りできなかった。

 僕の中で引っかかるものがあった。

「ねえ、早く行こうよ?」

 ステラに急かされる。

 だけど、僕は立ち止まったままだ。

 これはもしかしたら、状況を打破するに足る好機に成りうるかもしれない。

 ふと、今朝の夢で、ガラハッドに言われたことを思い出した。


『ならば、やることは一つだろ? 危険を承知の上で敵の懐に飛び込んでいくしかないんじゃねえか? 俺ならそうするぜ?』


「……そうだ! これだ!」

 気がつけば、口走っていた。

 僕は駆け出していく。

「ねえ、ちょっと! キースったらっ!」


 僕はアジトに駆け戻ると、よく分からないけど残念そうに肩を落とすクララのもとへと駆け寄っていく。

「今日はあまり狩れませんでしたぁ……。たったの一人……あぁっ悔しいです!」「うにゃあるぅ……っ!」

 机をどんどんと叩いて、悔しがるクララ。にゃるもクララの真似をして床を肉球で叩いている。

 他の20匹の猫たちは、そんな1人と1匹の様子を怪訝に眺めていた。

 遅れて、ステラが到着する。

「もうキースってば……何をそんなに急いでるの?」

 息を切らしながらステラが言う。

「2人に話があるんだ」

「うん?」「はい?」

 ステラとクララの声が重ねる。

 そして、僕は思い切って、自分の計略を告げることにした――。


「はぁ!? ≪翡翠の牙≫の入団テストを受けるんですか!?」


 クララは目を見開き、まるで「こいつ、ついに頭が狂ったか」とでも言いたげな表情で僕を見た。

「ああ。そうすれば大陸から出る方法を探れるんじゃないかって思ってね」

「あたしは反対です! そうするってことは、つまりキースはあたしの怨敵になるってことじゃないですか! 反対です! 絶対に反対です!」

 クララは、ぶんぶんと首を振る。そして顔を上げると、僕をきっとした目つきで睨みつけた。

「いざとなったら撃ち落としますから」

 重く、低い声音で言った。背筋がぞっとするが、あくまで僕は冷静沈着に言葉を紡ぐ。

「大丈夫だよ。僕は≪パージ≫になんて協力しない。あくまで敵の根城に侵入して、突破口を探るってだけさ。言わば諜報活動みたいなものだよ」

 ステラは何も言わない。きっとたくさん思うところもあるはずだ。だけど黙って僕の話に耳を傾けてくれていた。

 クララはどことなく歯がゆい表情で、「ですが……」と言い掛けるが、僕は遮って続ける。

「それにもし、事前に大預言者≪アカシックレコード≫に接触して、≪パージ≫が行われる場所を知ることができたら、前もって手立てを打つことが可能かもしれない」

「それでも、あたしは……」

 そう言うと、クララは唇を尖らせて、そっぽを向いた。

「あまり無茶はしないでね」

 ステラが言う。

「もちろんさ」

 クララは黙ったままだ。

 そういえば、クララにまだ伝えていないことがあった。

「あ、そうだ、クララ。このカフェの名前……ハヤブサを意味する『ヴァンダーファルケ』にしようと思うんだけど、どうかな?」

「どうでもいいですっ!!」

 クララは、ぷくっと頬を膨らませて、にゃると一緒に外に出ていってしまった。

「「……」」沈黙が重なる。

 やっぱりクララが辿ってきた境遇からすると、はいそうですかと簡単に頷ける事柄ではないのだろう。

『おうおう、ずいぶんと騒がしいじゃねえか』

 グィネヴィアが階段を上がってきた。そのタテガミはボサボサで今起きたばかりのようだ。

『どうでもいいけどよ、腹減った。メシくれ、メシ』

 最近はグィネヴィアの背中に乗せてもらうこともないため、今となってはこの通り、食っては寝てのニートと化している。

「グィネヴィア。さっそく明日、協力してもらいたいことがあるんだけど」

『あん?』

 そう、この作戦は、グィネヴィアの協力なしでは実現し得ない。

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