第3話

 夢を見ていた。

 兄のガラハッドがまだ生きていた頃のことだ。

 ちょうど今の僕と同じ年齢――17歳だっただろうか。

 当時、僕は13歳だった。

 2人して島の外れの砂浜の堤防に腰を下ろして、雲一つない青空を見上げていた。

 蒼穹の彼方には、浮遊大陸の底が見て取れた。

「どうして僕らが生きている世界は、こんなに狭いんだろう」

 ふと、こんなことを僕は呟いた気がする。

「確かにあまりにも狭くて、窮屈な世界だ」

 そう言って、ガラハッドは立ち上がり、空を指さした。

「だけど、空には未知の世界が広がっている」

 一呼吸置いて、ガラハッドは僕を見た。いつになく精悍な眼差しだった。

「俺は空を目指そうと思っている」

 そのとき、僕は初めてガラハッドの決意を耳にしたのであった。


 そして、3年の歳月が流れ、エルスト博士を筆頭とするチームにより、史上初めての2人乗りの飛行艇の試作機が完成した。

 テスト飛行をするにあたって、真っ先に名乗り出たのはガラハッドだった。

 エルスト博士同乗のもと数回ほどテスト飛行を重ねて当面の安全性は保証されたものの、浮遊大陸まで果たしてたどり着くことができるのか、そこまでの確証はなかった。

 しかしガラハッドは周囲の反対を押し切り、一人でエーデルフェリアを目指す。そう宣言した。


「じゃあ行ってくるからな」

 その日の朝のことを今でも覚えている。長い梅雨が明け、本格的な夏が始まろうとしていた折のことだった。

 僕は切り立つ崖の先端に立ち、飛行艇に乗り込もうとしているガラハッドを、何も言わずに見つめていた。

 見送りに来ていたのは僕とエルスト博士だけだった。

「そんな寂しそうな顔するなよ。帰ってきたら、たくさん土産話を聞かせてやるからさ」

 僕は泣きそうになりながら頷いた。何度も何度も。力強く。

 そして、やや間を置いて、こみあげる感情を押し殺しながら言った。

「気をつけてね」

 ガラハッドは満面の笑みで頷いた。


 それから半年の月日が流れた。

 あまりにも長い時間だった。

 いつしか僕は日曜学校が終わると、脇目も振らずあの崖の先端まで駆け出していって、まだかまだかとガラハッドの帰還を待つようになっていた。

 最果て島にその年最初の雪がちらつき始めた頃のことだった。

 虫の息のガラハッドが海岸に打ち上げられたのは。

 その知らせを受けた僕は、いてもたってもいられず教室の窓から飛び出し、全速力で駆けつけた。

「ガラ兄!」

 僕は波打ち際で横たわるガラハッドの肩を掴んだ。

 全身が傷だらけで、左胸には風穴が空いている。

 応急措置にあたっていた医者も、「致命傷だ」と一言言って、首を横に振った。

 ガラハッドの命は間もなく尽きようとしていた。

「キース……実はお前にずっと秘密にしていたことがある」

 ガラハッドは僕の目を見据えると、声にならない声でそう言った。

 そして、僕の手首を掴む。

 なにやら温かいものが僕の中に流れ込んできた。

「これは……」

 僕とガラハッドの間には、幾何学模様の紋章のようなものが浮かび上がっていた。

 もしかしてこれは、魔法?

 魔法――それは、科学に仇なす禁忌として封印された神なる力。

 大昔に行われた魔女狩りによって魔法を使える者は死滅したと思われていたが、今もひっそりと息を潜めているという。

「我が一族に伝わる力だ。これをお前に託す。……そう、一族のただ一人の末裔となるお前にな」

 何かが僕の中で呼び起こされたような気がした。

「じゃあな……」

 そして、ガラハッドは静かに目を閉じた。

 再び目を開けることはなかった。

 今生の別れだった。

 なのに、涙が出てこない。

 大声をあげて泣くことができたら、と思った。しかし涙一つ出なかった。

 どうやら僕は本当に悲しいとき、泣くことができない性分らしい。

 ようやく人目をはばからず泣くことができたのは、翌日、ガラハッドが埋葬されたときだった。


 そして、僕は、ひとりぼっちになった。


 何回、この夢を見たことだろう。

 そして、僕はいつも泣きながら目覚めるんだ――。


     ◇◇◇


「ねえ! ねえ! キースったら!」

 どこからか声がする。

 埃とカビの臭いが充満している。

 あ、そうか。僕は、エーデルフェリアに着いた初日から追われの身になって、ステラのアジトに匿ってもらっていたのだった。

「あいたっ!」

 後頭部に衝撃。

 慌てて起きあがると、暗黒微笑を湛えたステラがフライパンを片手に立っていた。

「目、醒めた?」


 くらくらする頭を抱えながらステラに連れられて一階へ移動する。

 一階は広々とした空間だった。

 テーブルが一つだけ置かれていて、その上に、湯気の立った料理が並べられていた。

「さ、さ。遠慮なく食べて」

 促され、席につく。

 とりあえずパンをちぎって、それを琥珀色のスープにつけて、口にする。

「どう?」

 何回か咀嚼する。

「おいしい……」

 思っていた以上に美味で、感激してしまった。

「これ、君が作ったの?」

「うんっ。こう見えて、わたし、料理、得意なんだー」

 えっへんとステラは胸を張ってみせる。

「(実は全部、レシピ本に書かれていた通りに見よう見まねで作っただけなんだけどね……)」

 小声で何かを呟いたが、僕の耳には届かない。

 ここで、ちょっとした疑問が浮かぶ。

「でも、ここ、隠れ家だよね? 食材とかは一体どうやって調達したわけ?」

「ここ、昔はレストランだったらしいんだよねー。倉庫の中に食材の備蓄が残っていてさ、勝手に使わせてもらったのっ」

 なるほど。どうりで一階は、広々とした空間になっているわけだ。昔は大勢の客で賑わっていたのだろう。

「でもま、今キースが口にしているパンは、たくさんカビとか生えてたけど平気だよね。火通してるし」

 そう言って、にんまり笑うステラ。

 ま、確かに火を通せば安全だとは言うけど……。

 食欲が失せてしまった。

「どうしたの? 全部食べてよ?」

 パンにスープ。サラダに蒸し鶏。まだたくさん残ってる。

「起きたばかりで食欲が……」

「あら? わたしの料理が食べられないの?」

 再び暗黒微笑。背筋が凍りつくような感覚に思わず身震いする。

「あ、突然お腹すいてきた! 全部食べるよ! うん、おいしい!」

 そして僕はがつがつと腹にかきこむのであった。ついさっきまでカビの生えていた食材を使った料理を。

 ステラは全く気にするそぶりなく、食事にありついている。

 なんだろう、肝が据わっているなぁ。


「さ、行くよ」

 食事を終えた僕らは、さっそく行動を開始することにした。

「はい、これ。倉庫から調達した変装道具一式」

 外套を纏い、フードを深く被ったステラは、布袋に入ったそれを僕に手渡してくる。

「でもこれは……」

 女性用の衣装とボブのカツラだった。

 僕に女装しろってか。

「見つかって殺されるよりはマシでしょ?」

 確かに背に腹は代えられないのは事実だ。

「あとは魔道具だね。適当にいくつか渡すから持っておいてよ」

「うん」

 渡されたそれをよく見ると、収められている≪涙石≫が1つだけではなく、2つだったり3つだったりする。

「エーデルフェリアの魔道具には、たくさん≪涙石≫がついてるんだね」

「え? 普通、これぐらいついているものだと思うけど?」

「僕のいた島では、魔道具1つにつき1つしかなかったよ。そうでもしないと、数が足りなくなるから」

「余裕がないんだねぇ……」

「もしかしたらここは空に近いから、たくさん≪涙石≫が降ってくるのかな?」

「うん。大体、毎日、2000個は降ってきてるらしいよ」

 2000……。想像を絶する数に、僕は驚愕してしまう。

「僕のいた島では、毎日5、6個だけだったよ」

「うわっ! 少なっ! よくそれで生活していられたねっ!」

「まあ、ちっぽけな島だからね」

 そう、僕らは魔道具に頼って生活をしている。それは、エーデルフェリアにおいても同じようだ。

 火を起こすのだって魔道具だし、僕らを照らす灯りも魔道具だし、さらに言えば魔道具を作る工具だって魔道具だ。

「さ、行こっ!」

 ステラに連れられ、外に出る。



 雲海に染まった街並みは、壮観の一言だった。

 エーデルフェリア神権皇国・皇都シルヴェスタ。まだ夜が明けたばかりだというのに、多くの人で溢れている。

 中央広場の噴水を中心に、煉瓦造りの建物が放射線状に立ち並び、遙か先には宮殿のようなものが見える。

「うわ、すごい……」

 つい僕は目を見張ってしまう。

 僕は視線の先の時計塔を指差すと、

「すごい大きいね。ここからでも、はっきりと時刻を確認することができるよ」

「ま、シルヴェスタのシンボルマークみたいなものだからね」

「これも時の≪涙石≫で動いているんだね。すごいなぁ……」

 ≪涙石≫には地・水・火・風・時の五属性があるが、全てが均等に降ってくるわけではなくばらつきがある。とりわけ時の≪涙石≫は、僕のいた島では、1年に1つ降ってくるかこないかだ。だから時計なんてものは高級品だし、こんな立派な時計塔なんてものも存在しない。いや、過去に建造されたこともあったが、1年と持たず正確な時刻を示さなくなり、結局壊れてしまった。

「違う。純粋な科学の賜物よ。時の≪涙石≫はここでは降ってこないの」

「へえ。ここでもそうなんだ。僕のいた島でも滅多に降ってこなかったけど」

「違うよ。1つとして、ここでは降ってこない」

「え?」

 妙な話だ。毎日2000も≪涙石≫が降ってきているというのに、どうして時の≪涙石≫だけが降ってこないのだろう?

「それはどうして?」

「さあ、それは分からないわ。国によって回収されているという噂もある。とにかく時の≪涙石≫が使えない以上、敵の行動を遅らせることもできないし、自分の行動を速めることもできない。時間を巻き戻すこともね」


 しばらく歩いていて、僕はあることに気づいた。

「なんかみんな、背高いね」

「そりゃもうここは浮遊大陸だから、太陽に近いわけでしょ? お日様の光を燦々と浴びているから、ぐんぐん背が伸びるのよ」

 男は僕より遥かに背が高く、女の人も僕と同じかそれより低いくらいだ。

「でもその割には君は背が伸びなかったね――むがっ!」

 思いっきり踵で足を踏まれた。

「それは禁句? 分かった?」

 胸ぐらを掴み上げられ、殺意のこもった低い声で言われる。

 そのときだった。

 宙ぶらりんになっている僕の足の下を、一匹の子猫が駆け抜けていった。

「にゃるーーーー」

 猫にしては変な鳴き声をあげながら、近くの家の屋根に器用にのぼっていった。そして煙突の上に、ちょこんと座る。

「分かった? いい?」

「はひ……」

 ようやく僕は地面に足をつけることができた。どうやらステラは背が小さいことをかなり気にしているらしい。

 乱れた胸元を直していると、

「あっ!」

 今度は小さな女の子が僕に体当たりをしてきた。よろけてしまうが、腹筋に力を入れて留まる。

「ご、ごめんなさい!」

 ステラよりも小さい。まだ13、4歳くらいの女の子だ。

 尻餅をつく少女に僕は手を差し出してあげる。少女は僕の手をゆっくりと掴んだ。

「あの……、この近くで、ネコちゃん、見ませんでしたか?」

 眉毛を下げ、さぞ困った顔で僕を見つめてくる。

「体格はまだ小さくて、ブルーの瞳の、マルチカンなんです」

「さあ? 知らないけど?」

 ステラはあっさりと言うが、それらしき存在を僕は目にしていた。

 僕は子猫が上っていった煙突の方へ顔を向ける。

「あっ! いた! にゃる! こっちおいで!」

 少女は膝まで伸びたブロンドのツインテールを揺らしながら駆け出していった。

 壁沿いに立てかけられた梯子に手をかけ、上っていく。

 どうにか無事にこの女の子が猫を捕まえられることを祈ろう。


 シルヴェスタの西門から街道へ出ると、青々とした草原地帯が広がった。

 穏やかな川が流れている。

 なんとも長閑な光景だ。

 しばらく街道沿いに進み、分岐を右に曲がると、そこには小高い丘が聳えていた。

「ここは、ブレスゴッド。ペガサスたちの生息地よ」

 視線を上げて見渡すと、そこかしこにペガサスが見て取れる。

 どうやらペガサスたちは丘の頂上付近に集まっているようだ。

「しかし、どうやって捕まえたらいいんだろう?」

「まあ、そこはどうにかするしかないわね」

「どうにかすると言っても……」

「とりあえず当たって砕けろの精神でいいんじゃない?」

 なんとも行き当たりばったりな。

「まあ、それもありかな」

 そんな会話を交わしながら、足を進めていたときだった。

「……う!」

 急に耳鳴りがした。

「どうしたの?」

 頭を抱え、うずくまる僕に、ステラが心配そうに声をかける。

「聞こえるんだ。声が……」

「声?」

 そう、声なき声。はっきりと言葉で伝わってくるわけじゃないけど、感覚として理解できるというか……。

「わたしには何も聞こえないけど……」


 このとき、僕はふと思い出した。

 ガラハッドが飛び立つ前に、僕に語ってくれたことを。


『いいか? これは誰にも秘密だぞ?』

 そう言って、ガラハッドはいつになく真剣な面もちで口にした。

『俺には、特殊な能力がある。俺ら一族に伝わる力だ』

 このときは、はっきり言って何を言っているんだろうと思った。どうせまた僕をからかっているんだろうと。

『どんな力?』

 僕が笑いながら訊ねると、

『声を聞く力だ。いつか、お前にもそれを見せてやるよ。あの大陸に行くことができたらな』


「そっか……。あのとき、ガラハッドの死の間際に僕が受け継いだ力は……」

 地上では絶滅してしまったペガサスの声を聞く力だったんだ。


 僕は目を見開き、大声で叫んだ。

「おーい! 聞いてくれ! みんなにお願いがある! 僕を背中に乗せてくれないか!」

 まだペガサスの姿は遠目にしか見えない。

 しかし返答は返ってくる。

『何バカ言ってるんだよ、人間風情が』『そうだそうだ、見返りもなしにそう易々と乗せられるかってんだ』『バーカ。帰れ帰れ』

 もはや罵倒しかなかった。

「はぁ……だめか」

「ねえ、ちょっと、キース。何を――」

 ステラが言いかけたところで、どこかから争う声が聞こえてきた。

「しっ!」

 ステラを黙らせると、僕は耳を傾ける。

『この俺様に頭突きなんぞ食らわせやがって! 俺は群れを率いる族長だぞ! お前なんか追放だ!』

『ああ、出てってやらあ! こんな山! ミーナ、お前も来い!』

 しばしの沈黙。

『けっ! 結局お前はこの男についていくってわけか! あー分かったよ! 勝手にしやがれ!』

 声が聞こえてきた方角から大体の場所は分かった。

 ステラと一緒に駆け足でその場所まで向かう。

 すると、顔を真っ赤にしたペガサスが、さぞ苛立っているのだろう、樹木に蹴りを入れ、辺りに唾を吐き捨てながら、速足で歩いていた。

 見たところ、比較的他のペガサスより体格が大きく、目元もキリっとしている。

「追ってみよう!」

 僕らは茂みに隠れてペガサスを見守る。

「ねえ、こんなところで油を売ってないで……」

「いや、もしかしたらこれはチャンスかもしれない」

 話の内容を聞く限り、このペガサスは群れから追い出されたようだ。これから先、いろいろと困ることも多いはずだ。

『……腹減った』

 ペガサスが、ぼやく。

『ちくしょう!』

 翼を広げて、それを平行に振ると、草葉を切り裂いた。その破片に食らいつくが、どうやら腹の足しにはならないらしい。

 よし、ここで僕の出番だ。

 僕は茂みから出て行って、パンを差し出した。

 ペガサスを手懐けるためにと、ステラからパンをいくつか貰っていたのだった。

「よかったら、これ食べるかい?」

 ペガサスは眉を顰める。

『人間風情がオレ様に何の用だ? てか、なんで男のくせに女装してるんだ、お前?』

 言われて思い出した。そうだ、僕は女装していたんだった。

「これには深い事情があるんだ。それと、ちょっと相談したいことがあって」

『相談だぁ?』

 ちょうどそのときだった。

 殺気だったペガサスが10体ほど、僕らのいる方へと向かってきた。

『おい! グィネヴィア! 貴様……あろうことか族長殿に頭突きを食らわせるとは……! もはや俺らも我慢の限界だ! かかれ!』

 先頭の一体が命令をすると、他のペガサスたちも翼を羽ばたかせ、一気に襲いかかってくる。

「そうはいくかよ!」

 飛び立とうとするところを、

「あ、ちょっと待って! ステラ、行くよ!」

 僕はステラの手を引き、その背中に飛び乗った。

 僕が先頭、ステラは後ろに続く。

『どうしてお前らが乗ってくる!』

 空を駆けながら、ペガサス――グィネヴィアは言う。

「ついでに頼むよ」

『ついでって人数じゃねえだろ!』

「たったの2人じゃないか」

『オレは1人乗りなんだよ!』

「君は体がでかい。1人ぐらい多くてもどうってことないだろ?」

『ああ、もう! しゃあねえな!』

「よかった。よかった。じゃあ、さっさとずらかろう」


 敵対しているペガサスたちも血眼で追いかけてくるが、グィネヴィアの方が早いみたいだ。瞬く間に距離が離れていく。

「ねえ、どういうことよ、キース?」

 ああ、そうか、まだステラにはまだ何も説明していなかった。

「どうやら僕には、ペガサスと意志疎通をすることができるらしい」

「え?? わたしだってできないのにどうして?」

「僕自身もよく分からないんだけど、どうやら魔法の一種みたいだ。僕の一族にはそういう力があるみたいで……。直接会話をしているというより、観念的に意思を伝え合っているようなんだけど、詳しいところは何も分からない」

 兄から受け継いだこの力。まさかこんなところで役に立つときがくるとは。


『ふぅ、どうにか巻いたな』

 10分ほど逃げ回って、滞空する。

 眼下にはシルヴェスタの街並みが見て取れる。積もっていた雲も、だいぶ晴れたようだ。

「グィネヴィアと言ったっけ? 折り入ってお願いがあるんだけど、僕を大陸の外まで運んでくれないか? まずいことになっちゃってさ」

『ふんっ。一宿一飯の恩もあるし報いてやりたいところだが、それはできねえな』

「ど、どうして?」

 僕は目を丸める。

『エーデルフェリア全土に生息するペガサスには、共通の祖先のトリスタニアってやつがいてな。どうやらそいつが宮廷の高官に契約魔術をかけられたようなんだ。っつーわけで、代々その子孫はこの大陸から離れられないようになっている。試しにオレのたてがみを捲ってみろ』

 言われた通りに、グィネヴィアのブロンドのたてがみを捲ってみると、そこには契約紋と思しきルーンが浮かび上がっていた。

『それでも自由を求めて飛び立つ奴はたくさんいたが、大陸を越えた瞬間に翼がもげて真っ逆さまだ。言うなれば、オレらをこの地に縛り付けるための”呪い”みたいなもんだよ』

 一呼吸置いて、グィネヴィアは言う。

『そういや、つい最近もいたな。”ガラハッド”ってやつを乗せた野郎は、ついに帰ってこなかった』

 はっとする。

 ガラハッドは僕の兄だ。

 ということは、僕の兄は、あれからエーデルフェリアに辿り着いたことは確からしい。そして、僕と同じようにペガサスと心を通わせた。

『聞くところによると、ガラハッドはここから出たがっていたらしいぜ。あいつとガラハッドは心から通じ合っていたと聞くから、何としてでも大陸の外まで送り届けてやりたかったんだろうな』

「そっか、ありがとう」

 ガラハッドのことを少しでも知ることができて良かった。

「ねえねえ、ちょっとちょっと」

 後ろに乗るステラが僕の腰の裾をくいくいと引っ張る。

「なんかさっきから一人で話していて、何がなんだかさっぱり分からないんだけど」

「つまり、ようするに、ペガサスに乗って島から外に出ることは不可能になった」

「……それは残念ね」

 しかし、新たに分かったことがある。

 ペガサスが大陸の外に出れない理由が魔法による呪いだとしたら、それを解除する術式もどこかに存在するはずだ。

 それを手にいれることができれば……。

 しかし、そのための手段が思いつかない。

 顎に指を置いて思考を巡らせていたときだった。どこからか叫び声のようなものが聞こえてきて、僕は咄嗟にその方向に顔を向けた。

「……! これは!」

 シルヴェスタから西方のちっぽけな村が炎に包まれていた。

 その上空をペガサスを従えた騎士たちが行き来している。

 逃げ惑う住民たちを背後から長槍で突き刺していた。

「≪パージ≫よ。新たな預言(オラクル)が下ったのね」

「惨すぎる……」

『オレに言わせりゃ、心底くだらんと思うぜ。≪オラクル≫なんてな』

 吐き捨てるようにグィネヴィアは言った。

『さらに言えば、その≪オラクル≫とやらを授けている大預言者≪アカシックレコード≫って野郎もな」

「……僕も同感だよ」

 なんだろう、無性に苛々してくる。

 目の前で惨劇が繰り広げられているというのに何もできないもどかしさ。

 この気持ちを何と表現したらいいのだろう。

「……気に病むことではないわ。これが、この国の在り方なんだから」

「……在り方と言っても……。国の人たちは、どう思ってるの?」

「民の意見は二分しているわ。栄えある国の未来のためなら≪パージ≫は致し方ないという人たち。そして、いつ自分が≪パージ≫の対象になるのか、不安に思いながら暮らしている人たち……」

 ステラが言い終えたときだった。一陣の強風が駆け抜けていって、僕の変装が解けてしまった。

 ステラは僕の後ろにいるので風を真正面から受けることは免れたが、僕はそうはいかなかった。身に着けていた衣装が風に乗って、空の彼方へと吹き飛ばされていく。

 さらに運が悪いことに、巡回していた空騎士の一人に見つかった。

「いたぞ! ≪ジョーカー≫だ!!」

 掛け声と共に、ぞろぞろと集まってくる。

「捕らえるぞ!」

『グィネヴィア、頼む! 掴まったら殺される! 全速力で逃げてくれ!』

「しゃあねえな! もう!」


 ひたすら逃げ続ける。

 風を切り、木々の隙間をすり抜け、川のすれすれのところを滑空する。

 時には魔道具を用いてフェイントもかけてみるが、やはり奴らには通用しない。

 奴らが従えているペガサスは、グィネヴィアに引けを取らないほど早い。

 気がつけば、シルヴェスタの街並みを縦横無尽に駆けていた。

 人々がざわつきながら僕らを見つめている。

 もはやここがどこなのかも分からない。

 ただひたすら人々の往来の間隙を縫いながら、駆けていく。

 目の前には、時計塔が聳えていた。

 正午を告げる鐘が鳴っている。

「こっちです!」

 鐘の音に紛れて、声が聞こえた。

 幼い声だ。

 何が何だかよく分からないけど、グィネヴィアにお願いして一気に高度を上げる。

 上空50メートルほどに達しただろう、そのときだった。

 背後で爆音が鳴った。

 振り返ると、僕らを追いかけていた空騎士の一人が宙に投げ出され、炎に包まれながら、地上へと落ちていった。

 次々と火弾が発射されていく。

 それらは時計塔の頂点に立つ人物から放たれているらしく、一つとして狙いを外すことなく、空騎士たちに命中する。

 あっという間に、僕らを追いかけていた空騎士は全滅してしまった。

 ほっと一息ついた僕は、時計塔に立つ人物に目を向けた。

「ふぅ。助かったよ。ありが――」

 言いかけたところで目を見張った。

「あなたは……」

 ステラも驚いた様子だ。

 その人物は、さきほど猫を探していた女の子だった。

 足下には例の子猫がちょこんと座り、「にゃる~」と甘ったれた声で鳴いている。

「あたしは、クララです。これからよろしくお願いします!」

 元気に頭を下げるとバサっとツインテールが垂れた。

「あ、それとこの子は”にゃる”。あたしの飼い猫ちゃんです。この子のことも、よろしくです」「にゃる~」

 子猫もぺこりと頭を下げた。

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