第2話
空を目指していた。
空には、未知の世界が広がっている。
一人乗りの小型飛行艇の操縦桿を握りしめ、呼吸も満足にできないほどの強烈な向かい風を受けながら、これから始まであろう大冒険に胸をときめかせていた。
最果て島――ここが僕が生まれ育った島だ。
人口1000人にも満たないほどの小さな島だ。
何と言っても、3時間もあれば島を一周できてしまうほど。
1000年前に起きたとされる≪神々の黄昏(ラグナロク)≫によって、世界は海で覆われ、地上の8割が消失したと言われている。
人々は空に浮かぶ大陸――七つの浮遊大陸に生活の場を移した。
当時は地上にもペガサスが生息していて、おそらくそれに乗って空を目指したのだろう。
しかし僕たちの祖先は地上に留まる決断をした。どうしてそのような決断をしたのかは、知る由もない。
今となっては地上からペガサスは絶滅してしまったし、空へと渡る手段はなくなってしまった。
そう、1年前のあの夏までは。
島屈指のエンジニアによって、内燃機関を原動力とする飛行艇の試作機が完成したとの一報を受け、僕の兄、ガラハッドはたいそう舞い上がった。
周囲の反対を押し切り、ろくにテスト飛行をしないまま、単身で空を目指した。
その結末は、あまりに惨いものだった。
幼い頃に両親を亡くした僕は、17歳にして天涯孤独の身になってしまった。
だから僕の中にも、兄と同じ想いが芽生えてしまったのかもしれない。
そして僕は今、兄の意志を受け継いで、空を目指している。
七大浮遊大陸の一つ、エーデルフェリアに降り立つために。
大地の底が見えてきた。
エーデルフェリアまでもうすぐだ。
しかし雲に覆われ、その全景を確認することはできない。
「一気に行くぞ……!」
プロペラ全力回転。
何層にも積もる雲を突き抜け、紺碧の空へと躍り出る。
「う……!」
太陽の光が眩しすぎて、目が眩んだ。
何度か刮目してから、ゆっくりと目を開く。
「おぉ……」
目に飛び込んできた絶景に、僕はつい感嘆の声をあげてしまう。
僕の眼下には、エーデルフェリアの景色が広がっていた。
あまりにも広大すぎて、その果てまで見通すことはできない。
青々とした大地。
広大な湖。
草原を流れる川。
切り立つ崖から落ちる滝。
上空には、地上では絶滅したはずのペガサスが優雅に飛び交っている。
「……すごい」
滞空したまま、僕は呟いた。
それはあまりにも感動的で……。まるで心が洗われるような気持ちだった。
しばらく僕は、そこに留まっていた。
よく見ると、ペガサスの中には人を乗せたものもいて、それらの人々は、胸にはプレート、甲冑を身につけ、長槍を構えている。
なんだか物々しい空気だ。
しばらくして、その集団が僕の方を見て、何やらざわめき始めた。
もしかして僕が外から来た余所者だから警戒されているのだろうか。
あれこれと考えを巡らせているうちに、彼らは一斉に僕のもとへと向かってきた。
僕は身構える。
「案の定、現れたな。キース、いや、≪禍い人(ジョーカー)≫よ」
先頭の男が言った。防具を身につけていても分かるほど筋骨隆々としていて、口髭を蓄えている。
どうして僕の名前を知っているんだろう?
「我輩は、空騎士長ことザカライアだ」
野太くて、貫禄のある声だった。
「貴様は≪預言(オラクル)≫により、≪パージ≫の対象となっている」
「は?」
オラクル。パージ。初めて聞く言葉でわけが分からない。
「皆の衆、かかれい!」
ザカライアの指示で、長槍を携えた男たちが僕を取り囲むと、全員が同時に一気に距離をつめてきた。
「……!」
僕は咄嗟の判断で”涙石灯”をかざし、目が瞑れるほどの眩い光を放つと、それを目眩ましにして、飛行艇を斜め下へと傾けた。
≪涙石≫――それは、天から降ってくる魔力を秘めたクリスタルで、5センチほどの大きさだ。地・水・火・風・時の五属性を持ち、魔工職人により魔道具として加工してもらうことで、様々な用途に活用できる。魔法を使えない僕でも擬似的に魔法を使うことができるのだ。
「逃がすものか!」
5秒ほどの間を置き、連中は体勢を立て直し、僕を追走してくる。
エンジン全開で、ひたすら逃げる。
「な、何なんだよ……一体!」
そもそもどうしてこんなことになっているのか分からない。
一体僕が何をしたっていうんだ!
縦横無尽に空を駆け巡る。
おそるおそる背後を振り返ると、30にも近い追っ手が僕へと迫りつつあった。
突き出された長槍の先端が僕の肩口を抉る。
「ぐっ!!」
鮮血が溢れ出る。
続けて正面へと躍り出た男が僕の心臓を貫こうとする。
「ぐはぁ!」
すんでのところでかわしたものの、わき腹をやられた。
こいつらは本気だ。本気で僕を殺そうとしている。
全身に怖気が走る。
僕は、今度は別の棍棒型の魔道具を取り出し、出力限界で涙石風を起こし、連中を退けようとする。
連中の動きが止まったが、振り落とすまでは至らない。
そう、≪涙石≫によって行使できる擬似魔法は、本来の魔法と比べればだいぶ威力は劣る。
負けじと涙石風を敵勢に当て続けるが、10秒としないうちに、僕の手にしていた魔道具に収められていた≪涙石≫が粉々に砕け散る。
≪涙石≫が持つ魔力を使い果たすと、このように壊れてしまう。
「だめだったか……!」
出力全開でとにかく追っ手をまくことを試みる。
しかし、
「あっ……!」
エンジンが火を吹いている。
これ以上は、操縦不可能だ。
眼下には鬱蒼とした森が広がっている。
僕は吸い込まれるように落ちていった。
「絶対絶命か……」
僕の頭の中には”死”の文字が浮かんでいた。
そして――。
「いたた……」
気がついたときには僕は、全身傷だらけで地面に倒れていた。
どうやら生い茂る樹冠がクッションになって、一命を取り留めたか。
すぐ傍には飛行艇の残骸が散らばっている。
よれよれにながら立ち上がると、追っ手が上空から降り立とうとしているのが見えた。
早く逃げないと……。
しかし、満身創痍の体は言うことを聞かない。こうして、どうにか突っ立っているだけで精一杯だ。
観念しかけたそのとき、
「こっちよ!」
誰かが僕の右腕を握った。
女の子だった。
僕は女の子に手を引かれ、森の中を駆けていく。
「痛い! 痛いから、もっとゆっくり!」
「そんな悠長なこと言ってたら、あいつらに追いつかれちゃう! 我慢して!」
季節は夏だというのにベージュの外套を羽織り、フードを深々と被ったその少女の顔をはっきりと窺うことはできない。
背丈は標準体型の僕よりかなり低い。僕の肩の位置に、少女の頭があるといった感じだ。
生きるか死ぬかの切羽詰まった状況だというのに、今まで男兄弟2人で過ごしてきて、ろくに同年代の少女と関わったことのなかった僕は、終始ドキドキしっぱなしだった。
鬱蒼とした森を抜けると、そこは谷だった。
谷を越えた先には、草原が広がり、その先には街並みが見て取れる。
「まさかここを……」
少女は、力強く頷く。
「わたしに掴まってて! ……せーのっ!」
気がついたときには、僕は空を飛んでいた。
この身一つで。
下は、奈落の底だ。
落ちれば死は確実だ。
まるで翼のもげた鳥にでもなった気分だ。
胸の鼓動は激しく高鳴っている。
恐怖とか不安とかそういう感情を通り越して――僕は昇天するように、気を失った。
◇◇◇
「はっ!」
目を覚ますと、天井の梁に張り巡らされた蜘蛛の巣が目に入った。
埃臭いし、カビ臭い。
天井に備え付けられた一個のランプ型の魔道具だけが部屋を照らしている。
「ここは……」
おもむろに僕は上体を起こす。
自分の体を確認すると、ご丁寧に傷口に包帯が巻かれていた。
「ようこそ。わたしの隠れ家へ」
声のした方を振り返ると、少女が木箱に腰掛けながら僕を精悍な眼差しで見下ろしていた。
今はフードを被っていないので、はっきりとその顔を窺うことができる。
肩の位置で切りそろえられた黒髪。ややつり上がった双眸は、気性の荒い子猫のようで。しかしどことなく上品さを漂わせている。
「君がここまで連れてきてくれたの?」
「うん。引きずって連れてきた」
にこり、と少女は笑う。
「あなたは?」
「僕はキース。地上から遙々飛行艇に乗ってやってきたばかりだというのに……。意味が分からないよ……」
僕は深く溜息を吐いて、肩を落とした。
「そっか。外からやって来た人だったんだね。なのに運悪く≪ジョーカー≫に指定されちゃったのかぁ……。ご愁傷様っ!」
少女は木箱から飛び降りると、僕の目の前でやってきて、慰めるように僕の肩を叩いた。
「わたしはステラ。かくいうわたしも≪ジョーカー≫よ。毎日毎日あいつらから逃げ回って、どうにか生き延びている状態」
ジョーカーって……。何も禍いをもたらすようなことはしていないというのに。
「はぁ……。どうしてこんなことになってしまったんだか……」
僕はうなだれると、脱力して仰向けになって倒れた。
「エーデルフェリア神権皇国。この国では大預言者≪アカシックレコード≫が授ける預言こと≪オラクル≫のもとに全てが決められている。あいにくわたしたちは、災禍をもたらす者として排除――≪パージ≫の対象となってしまったわけ」
「でも僕、まだここに来たばかりで、悪いこととか何もしてないのに……」
「わたしだってそうよ」
ステラは、あっさりと言った。
「……だけど、わたしたちが生きていることで、何らかの災禍を招く引き金になるかもしれない。たとえば、わたしに一目惚れした1000万の男たちが、わたしを取り合ってエーデルフェリア全土を巻き込む戦争に発展したりね」
へへへ、とステラは笑う。
「いや、さすがにそれは大げさすぎると思うけど」
僕もつられて苦笑してしまった。
「そこっ。野暮な突っ込みしないっ!」
ステラは、びしっと僕を指さす。
「とにかく、わたしが言いたいことはそういうことよ。直接的に間接的にせよ、災禍を招く引き金となるであろう者は間引く。それがこの国の在り方なの」
そして一呼吸置いて、目つきを険しくすると、
「あいつら――教皇庁直属空騎士軍≪翡翠の牙≫を甘く見ない方がいいわ。どんな手段を使ってでも殺しにかかるからね」
「…………」
僕はおもむろに上体を起こす。
「まあ、とにかくわたしたちは、この国では許されざる存在なのよ。でも、だからといって、おとなしく殺されるのもバカバカしいよねっ! だからこうして、≪ジョーカー≫に指定された人を救う活動を始めたってわけ。記念すべき一号はキースくん! おめでとう!」
ステラは微笑み、ぱちぱちと拍手を送る。
なんていうか、天真爛漫な女の子だ。まるでこの状況を楽しんでいるかのようにも思えてくる。
「物騒な話になってきたなぁ……。あいにくだけど、僕は退場させてもらうことにするよ。ここから出れば追ってくることはないんだろう?」
「そうだね。あいつらの使命は、あくまでエーデルフェリア領域内における災禍の排除だから……」
そう言うステラの顔は、どことなく寂しそうだ。
言い方が素っ気なかったかもしれない。
「よかったら、君も一緒に来るかい?」
ぎこちない笑みを浮かべて、僕は提案する。
「誘ってくれるのはありがたいんだけど……でも、どうやって?」
「……あ」
やっと思い至った。そう、僕の乗ってきた飛行艇は全壊してしまっている。帰る手段がもはやないのだ。
「どこかに飛行艇貸してくれるとこないかな?」
ステラは首を横に振る。
「そもそも、飛行艇自体、ここには存在しないわ。だって、ここにはペガサスがいるからね」
「そうか……。ペガサスの利便性が高すぎて、飛行に関する技術自体が発展しなかったんだね。……あっ」
僕は、はっとする。
「ようやく勘付いたみたいじゃん。そう、ペガサスを従えること。もっとも素質ある者にしか操れないって言うけど……。試してみる価値はあるんじゃない?」
「そうだね。ぜひそうしてみよう」
僕が張り切って部屋を出て行こうとすると、
「今日はもう遅いわ。ペガサスたちは眠りについてる時間だよ。明日にしよう」
ステラが家屋の中を案内してくれる。
どうやらここは地上二階建ての煉瓦造りの建物で、さっきまで僕がいた場所は地下の倉庫のようだ。
「簡素だけどシャワーも浴びれるようになってるから。先、わたしが浴びちゃうね」
そう言ってステラが外套を脱ぐと、布生地の半袖。下はキュロットスカートを履いている。露出が多めだ。
雪のように白い肌に、思わず目が釘付けになってしまう。
「どうしたの?」
怪訝な目でステラは僕を見る。
「い、いや、何でもない!」
僕は思わず目を背ける。
すると、ステラは僕の額に手を置いてきた。
「顔赤くなってるけど……熱でもある?」
「ないから、大丈夫!」
そして僕は頭を抱えてうずくまるのであった。
同年代の少女に額に手を当てられるのは初めての経験で、顔から火が出てしまいそうなほど恥ずかしかった。
そして、ステラが出てきてから、浴室に入る。
水属性の≪涙石≫が収められた蓮口型の魔道具で冷水を頭から被り、ざっと体を流してから、倉庫に戻り、亜麻布のシーツの上に仰向けになって眠りについたのだけど……。
すぐに目覚めてしまった。
慣れない場所だと眠りが浅い。
「すぅ、すぅ……」
僕の隣でステラは、可愛らしい寝息を立てて眠っている。その寝顔は、まるで穢れを知らない天使のようで。
「…………」
なんだろう、さっきから僕、ドキドキしっぱなしじゃないか。
置かれている状況は深刻なのに、出会ったばかりの少女に胸をときめかせて。
僕ときたら、何を考えているんだろう……。
ステラの目がうっすらと開く。
「今、見てたでしょ?」
頬をふくらませて、ステラが言う。
「ご、ごめん!」
僕は顔を両手で覆い、そのままうつ伏せになった。
なかなか眠りにつけなかったけど、急激に睡魔が襲ってきて、今にも意識が落ちようとしていたそのとき、
「むごぉ!」
熟睡しているステラに思いっきり鳩尾に踵落としをくらった。
見ると、手足も大胆に広げて、髪はぼさぼさだ。
「寝相悪すぎでしょ……」
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