第5話 何かがおかしい


 ズキズキと、背中が痛む。

 昨日…カリアに命じられたままに、宿題をしたのだが。筆跡をうまく変えたつもりが…「字が下手すぎる!」と、虫の居所が悪かった彼女の逆鱗に触れた。我ながらそっくりだったのに…


 そのせいで、背中を鞭で打たれてしまった。巧妙に、服で隠れる部分だけ狙って。

 皮膚が破れて熱い。朦朧とする意識の中、どうにか物置部屋まで戻って来れた。だが薬も使わせてもらえず…くたびれたシーツを裂き、せめてと思い包帯代わりに巻いた。

 昨夜はうつ伏せで横になるも、痛みで一睡もできなかった。はあ…今日はアルフィー殿下を招待してのお茶会の日。お菓子を作らなきゃ…



 歯を食い縛り、痛みを堪えて。寝巻きを脱いで包帯もどきを解けば、血が滲んでいる。ちゃんと薬を塗らないと、また膿んでしまうかな…


「……はあ…」


 思わずため息をつく。幸せが逃げると言うけれど、最初から無いものは逃げようもないわよね。


 ふと窓の外に目を向けると、バサッ… と小鳥が飛んで行った。…いい、なあ。



 私も、いつか。いつか…自由に…



 無駄な夢を見ながら、次の包帯を巻こうと手に取ると。



 バタバタ…


「?」


 何かしら。廊下を足音を立てて走るなど、公爵様に知られたら叱責されてしまうわよ?

 ただそれは…こっちに近付いてくる?カリアのメイドが何か用事?早く仕込みをなさい!とか。


 ドタ バタバタ! ゴンゴン!!


「え。しょ、少々お待ちを?」

「…………」


 ノックされた?私を訪ねるなんて、カリアと2人のメイドだけ。その3人はノックなどせず勝手に開ける。じゃあ誰?と不審に思うけれど。

 私は今、上半身に何も纏っていない!相手が待ってくれている間に急いで支度した。



「お待たせし……えっ!?」


 キイィ…と古ぼけた扉を開けると。目の前に立っていたのは、アルフィー様…!?


「エディット…!よかった、無事だったか!!」

「な…っ!」


 彼は私の顔を見ると、目に涙を浮かべた。そして力いっぱい私を抱き締め、た。



「……っ!!」どんっ!!

「わっ!?エ…エディット…?」


 う…彼が、背中に回した腕が。傷を抉るかのように、私に激痛をもたらした。

 反射でアルフィー様を突き飛ばし、私はその場に蹲った。傷が…熱く脈打つ…!


「(ま、さか。彼女も、記憶が…!?それで私を拒絶するのか!?)」


 ズキン… ズキン… あ、これは無理。

 疲れと、苦痛と、不安と、動揺と…様々な感情が交差して。


「エディット!!」


 私は意識を失い…前のめりに倒れる。誰かが、抱き止めてくれたけど。違う…アルフィー様の訳がない…



「危なかった…エディット。…眠っているのか?

 ん…?なんだ、この血の付いた布は!?どこか怪我をしているのか?エディット!」



 私の事が大嫌いなアルフィー様は。

 こんな風に優しく…私の名前を、呼んでくれない。


「…ごめんね、エディット」

「……だ…め…」


 謝罪の言葉が耳に届き、服を脱がされる感覚が。抵抗する力もなく…私の意識はそこで途絶える。








「……?」


 目を覚ますと何か、暖かくて柔らかいものに全身を包まれている。布団…?こんな上質な物は初めて。

 あ、背中が…相変わらず痛むけど、随分マシになっている。誰かが処置してくれた?


 ってよく見ると、ぼろぼろの寝巻きがシルクのネグリジェに!?部屋も広く、家具は一目で分かる高級品がずらりと並び、天蓋付きのベッドで眠っていたみたい…?なんだかいい匂いもする。



 コンコン


「っ!?」


 現実が受け入れられず、みっともなく呆けていたらノック音が響いた。ここは寝たフリ!!


 ガチャ…

「姉上…?まだ寝てる…?」


 は?姉上?誰が???

 これはカロンの声だと思うけど。いえ…声質が似てるだけの別人?


「カロン。あまり彼女に負担を掛けるな、顔だけ見たら出ろ」

「殿下…」


 本人だった。え、どういうこと…?

 しかも2人は出て行かず(直前の会話はなんだったの?)ベッドに近寄り、どちらかが枕元に腰掛けた。

 そして私の金の髪が、少し引っ張られた。引きずり回す気?と思ったけど、すぐ離されたわ。


「……生きてる…」


 殺すな。


「ああ…私達は間に合ったんだ」


 は?


「姉上の誕生日まで、あと1ヶ月ある。もう、絶対に間違えない…!!」


 ???


「ああ。これで9回目…今度こそ、幸せな未来を掴もう」


 …?これまで8回、何かを失敗している?察するに、私の誕生日に…?まさか始末する気、ではあるまい。扱いはともかく、立場上私は公爵令嬢で王太子殿下の婚約者だもの。

 それに殺すなら、誕生日でなく目立たない平日にするはず。



 そ…っと薄目を開ける。

 そこには…頬を染めて、私に熱のこもった視線を送るカロンが。


「姉上、姉上…!これからは、僕が守るからね」

「…………」


 彼は私の手を握り、指先にキスをした。そんなカロンの手をアルフィー様が叩く。


「おい!エディットは私の婚約者だぞ!」

「それがなんです?これまで散々放っておいたくせに」

「う、ぐ…!」


 いやそれは…カロンにだけは言われたくないと思う…


「…なんと言われようと、私が彼女を妻に迎えるのは変わらない!私が愛しているのはエディットだけだ!」

「姉上が望むなら、ですけどね」


 2人はぎゃあぎゃあと騒ぎながら、私の部屋(暫定)を出て行った。

 扉が閉まり、完全に人の気配が消えて私は上半身を起こす。


 さっきの…私を見つめるカロンの顔と、アルフィー様の私に対する熱い想いを心の中で反芻すると。私は…



「え…気持ち悪…」



 総毛立ち、腕には鳥肌が。控えめに言って、キモいというやつ。

 彼らにどんな心境の変化があったか、知らないし知りたくもないけれど。


「逃げたい」


 過去最高に、そう思う。

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