第19話 備前の鉱夫

「おい兄ちゃん、大丈夫か?」


 覆い被さる丸太の隙間から見えた栄螺灯らとうの明かりと人の声。

 駆け寄った鉱夫達が木材を押し退け、ようよう聡吉は助け出されます。

 幸い聡吉に大した怪我はありませんでした。



「材木は立て掛けておくなとあれほど言ったはずだろう!」


 掘った穴が崩れてこないよう柱で補強をしていくのが仕事の留大工とめだいく(支柱夫)が、若いのをしかりつけます。するとその若いの

「すんません……。しかし、おっかしいな。斜めに立て掛けていたのが横に倒れるのならわかるけど、正面に倒れてくるはずはないんだけどなあ……」

と言いながら不満気に首をかしげるものですから

「ばか野郎、言い訳するんじゃねえ!」

と遂に熟練から拳骨をくらい、聡吉が慌てて

「まあまあ、おらはこの通りなんともないからさ」

とその場を収めるはめに。


 聡吉としては、これしきのことでへこたれるわけにはいきません。

 備前の鉱夫に話を聞くため、彼等には礼もそこそこに勇み竪坑を目指します。


 貨車トロッコ軌道レールの終着点、雁木梯子がんぎばしごが架かる竪坑の穴の脇には下層から運び込まれた鉱石の山があり、そのそばで樋引といびき(排水夫)が地下から水を汲み上げていました。

 といというのは水鉄砲の原理を応用した排水道具ですが、人力によるものでこちらもまた一昼夜交代の重労働です。



「下三番坑道はこの一番下だったな」


 一層下が十尺下にあるので、三層下の下三番坑道は三十尺下ということになります。

 ぽっかりと口を開けた縦穴の下は底の見えない暗闇で、梯子から足を踏み外せばそのまま地獄まで落ちていきそうな恐ろしさを聡吉は感じました。


 下に降りていくと穴はだんだん暗く狭くなり、そのうえ蒸し暑くもなってきます。

 そして底の下三番までくるとその先もまた灯りのない暗闇で、奥の方からつちたがねを叩く乾いた音だけが侘しく響いてました。

 排水の便が悪いのか足下には至るところに水溜まりがあり、油燈カンテラを壁に翳せば狸掘りの狭い穴が目につきます。



「亀子の砒はどっちだ?」


 いくらも歩かぬうちに分かれ道にでくわしたので、聡吉はさっそく立ち止まって絵図を確認しました。

 網の目のように複雑に入り組んだ坑道は、いまはまだ降りてきた竪坑を基準に自分の位置を確認できますが、奥に進むと目印が無くなり目的の場所に辿り着くのが困難となります。

 

「無理だって……これ現場に行くのも無理だし、戻ってこれなくなるって……」


 絵図を睨みながら暫く立ち往生していると、ぽう、ぽうといくつかの灯りが向こうから近づいてきました。鉱石を運ぶ運搬夫です。


「あの、すんません。亀子の砒に行きたいんすけど、どっちに行けばいいですか?」

「ああ、それなら……」


 彼等は聡吉が持っていた絵図と照らし合わせながら分かりやすく説明をしてくれました。

 そう、鉱夫達に道を訪ねながら進めばよいのです。



 暗さ、狭さ、そのうえ粉塵による息苦しさと蒸し暑さ。それらは竪坑から遠ざかるほどに酷くなってゆきます。


 鉱山やまは多く掘られて揉まれるほどに熱が生じて暑くなる。


 額からこぼれ落ちる汗を拭いながら聡吉は、店の常連であった元鉱夫から聞かされたその話を思い出しました。


 最下層であるここ下三番坑道には軌道レールが敷かれておらず、掘り出された鉱石はいまだ人の背で運ばれています。


 道を行き交う鉱夫達はみな褌一丁に草鞋を履き、栄螺灯の明かりだけを頼りに各々の生き様を示す自慢の彫り物を筋肉で盛り上がった腕や背中に刻みこみ、くる日もくる日も岩と格闘をしているのです。

 

 聡吉の脳裏にふとヨロケに侵された鶴松の顔が浮かびました。


「こりゃあ、寿命が縮むわけだ」



 横壁に手をかけて前屈みになりながら、人がすれ違うのもままならぬ坑道を進む聡吉。

 そこへ灯りがともる横穴の奥から鉱夫達の話声が聞こえてきます。



「腹が減ったのう」

「昼はまだかいな」


 ここでは鏨を叩く鎚の音と共に、様々なお国言葉が飛び交っていました。

 鉱夫は全国津々浦々から集まっていて、中野など例外はありますが飯場の名前にも大抵は播磨や伊勢、越後など親方の出身地名がつけられているのです。

 


「おい、そういや……ヒキ……取り立て……どうなっちょう?」

んね……どうせ……デマだっぺよ」


 近いところで話をしているようなので、聡吉は接触を試みますが暗くてどこで話をしているのかわかりません。



 しかたなく諦め少し進むと、今度は人々の話し声の他に灯りも見えてきました。


 高さはありませんが奥行きのある空間には等間隔に丸太が並べられ、岩場から流れ出る地下水が岩壁の隙間に刺しこまれた灯竹ともしだけの小さな明かりに照らされ輝いています。



「おおい、昼間だ昼間だあ!」


 時を知らせる香番こうばんの掛け声。


 待ちに待った昼休憩の時間がやってきました。

 鉱夫達はいっせいに仕事の手を止め、こうした坑内にある休憩場所へと集まります。


 手拭いを外して汗を拭き、地下水で泥だらけになった手を洗う筋骨逞しい偉丈夫達。

 短い休憩時間を無駄にすまいと、ほとんど言葉を発しない彼らの顔はどれも朝からの重労働を物語り疲れきった表情をしていました。

 


「しっかし暑いなっ、しょう」

「うん、暑い暑い」


 丸太に腰掛け手提弁当に食らいつく男が、横でごくごく喉を鳴らしながら水を飲んでいた男に話しかけます。


「あげなんを運んできて、なんばしよっと?」


 これに水を飲む男は手の甲で口を拭いながら、得意気に答えました。


「んん? ドカンと一発、ドカンと一発よう」


 弁当を抱えた男はそれを聞いて、大根漬をボリボリ噛みながら苦笑い。

 そこへ聡吉が行って尋ねます。


「あの、お休みのとこすんません。備前の人達はここにいるすか?」

「そんならほれ、むこうにかたまっとるよ」


 彼が指差す方にいた鉱夫達を見て、聡吉は内心助かったと思いました。

 彼等に道を尋ねながらとはいっても、やはり亀子の砒まで辿り着くのには自信がなかったからです。

 ここで事が足りるのであれば、竪坑まで戻ることも難しくはありません。


 早く外に出たい、早くここから抜け出したい。

 暗く狭い穴の中にいると、そのような気になってくるのです。



「なんじゃ、お前は?」

「確かこいつ、山本の子分やけ」


 さっそく備前の鉱夫達が集まっているところへ行き友造と親しくしていた人間がいないか尋ねると、彼等の表情がみるまに強ばりあからさまに警戒をされてしまいました。

 たとえ知っていたとしてもお前になど教えるものか、そういいたげな顔です。


 そんななか鉱夫の一人が空になった弁当を眺めながら

「もう、みて(なくなって)もうたわ」

などと言うものだから

「友造を見た? どこで?」

と聡吉が身をのり出し一同大笑い。


友造あいつなら今ごろ柳町の遊廓にでもおるんじゃないか。料亭はぎやに馴染みの芸妓がおる言うてよう自慢しとったわい」

「トロ押しは女に好かれてええのう。あの若いのも、こないだ仕事放っぽって女工とええことしとったしのう」


 話が盛り上がってくると、それに張り合うかたちで古株が

「因みにわしには女房ちう一番の上物がおるど」

などとだらしなく鼻の下を伸ばしながら冗談を放ち、再びその場に笑いが起こりました。


 彼等はこちらの問いかけにたいして真面目に答える気はないようです。

 やはり山本が言っていたように、彼等からすれば聡吉達は自分達の粗捜しをする迷惑な存在でしかないのでしょう。

 かといって聡吉にはなんの権限もないので、これ以上無理に問いただすこともできません。

 話をしながらカヤ場にいた仲間らしき男がいないか注意深く観察もしましたが、少なくともこのなかには話し方や声が似た人間は見当たりませんでした。



 振りだしに戻り、また他をあたることにした聡吉。さきほどのトロ押しといい質問の仕方が悪かったのだろうかなどと回想しながら歩いていると、竪坑の方から話し声が聞こえてきます。


 それを確かめようと竪坑に行き穴の上を覗き込むと、急に上から鉱石が転がり落ちてきました。


 聡吉は間一髪でこれをかわします。


「うわ、あっぶねえな! 誰だ!」


 怒り心頭の聡吉は雁木梯子を駆け登り下から二番、一番と調べた後で大切坑道を確認しますが、そこには誰もいません。


 静まり返った坑道には、雨垂れのような水滴の音だけが虚しく響いているだけでした。


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