第15話 真如の月

 雨上がりの夕まずめ。

 赤提灯に三味線の音、賑やかな花街に通じる思案橋の袂で怪しく揺られる柳の葉。

 見返り柳に寄り添うように立つ盛切屋もっきりややま卯の貝焼かやきと書かれた箱看板は、今日も煌々と明かりを灯していました。


 縄暖簾を潜るとすぐ見える広い板間の入れ込み座席に広がるのは、これから夜の街に挑まんと息巻く脂ぎった旦那衆のダミ声と焦がした味噌の香ばしい香りです。


 春はツブ(タニシ)、夏がドジョウで秋冬になるとデロカモ(カルガモ)やチカ(ワカサギ)。

 旬の素材に山菜や大根などの季節の野菜を添えホタテ貝の殻を鍋がわりにして味噌などで味を調え食すこの店の名物料理、貝焼かやき

 

 一人前三銭にお銚子を付けて五銭と少々割高ではありますが、精がつくと評判で場所柄もよく店はすこぶる繁盛しておりました。



「ほら、いねえ。どんどん焼かねえとけえが割れちまうぜ」


 焼けた馬肉を口に運びながら貝焼風炉きゃふろの火加減を見る山本は、暗然とした様子の聡吉など気にもかけず講釈をはじめます。


「干支の方位で南がうまだから南向なんこうってな。鉱山衆の馬肉貝焼なんこかやきだってえ百姓等は笑うが、これがなかなかどうして」


 今度はしゃきしゃきとした食感のミズを、馬肉にくるんで一献。


「くあ、たまんねえなあ!」


 酒は上等、嶺ノ曙が五臓六腑にしみわたれば山本でなくとも膝を叩いて喜びます。



面目無めんぼくねえ……」


 山本に誘われここにくるまで、ずっと閉口したままであった聡吉の口からようやく出てきた言葉がそれでした。

 

 それを聞いた山本は、なにも言わずに酒を勧めます。


「まあ、飲めよ」

「自分でぐからいい」

「手酌は偉くなれねえぜ」

「おっちゃんだって、さっきから手酌じゃねえか」

「おいらは良いんだよ、老い先がみじけえからな。ほら、未来ある若者よ、杯を持て!」


 注がれるまま胃に流し込んだその酒は、いまの聡吉にとっては随分と不味く鉛のように感じられました。

 山本も背中を丸めながらくいっとやると、貝焼の様子をみながら聡吉の方を見ずに話を始めます。



 山本の話によるとテァン衆はあのあと全員捕まったそうで、脅迫状の関与については未だわかってはいませんが、彼らの一人から度重なる襲撃の動機は大伽耶川に流れる毒水であったことがわかりました。


「奴等は寺田集落の百姓で、沈殿池から毒が流れたせいで田が死んだと言っていた」

「沈殿池からって、なんで山向こうの集落の奴等がそんなこと……まさか、亀蔵?」


 亀蔵がテァン衆と繋がっているのではないかという鶴松の言葉が聡吉の脳裏を過ります。


「いや、奴等にその事を教えたのはヒキデってえ野郎で、峠の抜け道もそいつから聞いたらしい」

「別所鉱山の内部事情を知っているということは……鉱山町の鉱夫ってこと?」

「か、もしくは鉱夫と繋がりのある人間だろうな」


 ヒキデと聞いて聡吉はすぐには思い出せませんでしたが、山本と話すうちに今朝の立町で声を掛けられたことを思い出しました。

 

「そのヒキデとは違うかもしれないけど……」


 山本は少し逡巡したものの

「まあ、そいつのことは調べが進むうちにおいおいわかるだろう。それより明日は脅迫状にあった銭の受け渡しの日だな。まあ来ないとは思うが……鬼がでるか蛇が出るか」

と言い、胸の高鳴りを抑えきれないといった様子で口の端を上げます。


 そんな彼の顔を見て、聡吉はやはりこの男は自分とは違う。根っからの目明しなのだと思いました。


 外の雨で蒸し暑くなった店のなか、やけに貝焼きの煙が目に沁みます。

  


「そういやあ、まえから探していたおえの親父さんのことだけどな……」


 それを聞いた聡吉は、山本が話し終わらないうちに

「だから、もういいって、それは……」

と途中で遮りました。


 ただでさえ自信を失い落ち込んでいるというのに、さらにまた耳の痛い話をされるのかと思うとうんざりしてしまう。

 それでも山本はとても大切なことなので、聡吉に話しました。


「親父さん、亡くなってたぞ」


 それを聞いた聡吉は驚いてしばし言葉になりませんでしたが、やがて平静さを取り戻し

「そうか……やっぱしか」

とだけ答えました。


 聡吉もなんとなくそうではないかと思っていたのです。



 幕末の当時、着の身着のまま藩の遊撃隊に参加した聡吉でしたが、戦況は悪化の一途を辿っていました。

 そんなある日、別の隊にいた父親を見かけたのです。かねてからの念願であった立身出世のためだとすぐにわかりました。

 聡吉は当然のことながら話しかけずにいると、彼は味方が退却するなか単身敵陣へと乗り込んでいったのです。

 とても正気の沙汰ではないと思いましたが、それが父を見かけた最後でした。

 

「まあ、お世辞にも立派だったとはいえないが……勇敢ではあったよ、親父は」


 そう思い返しながら聡吉は杯をあおります。

 すると山本は核心を突く言葉を投げかけました。


「確かおえ、亀蔵が親父さんに似てるから好かねえとか言ってたな。それってえのは奴に親父さんが似てるんじゃあなく、おえが奴に似てたからじゃあねえのかい?」

「どういうことだよ?」


 聡吉は山本をジロリと睨みます。


「おっ母さんが死んだのは親父さんのせいだとおえはいつも言ってたけどよ、おえのおっ母さんは親父さんのことを恨んでたのか? 仮にそうだとしてもだ、おえがそれで親父さんを恨むってえのは、亀蔵が倅のことで鉱山に逆恨みしているのとおんなじことじゃあねえのかい?」


 聡吉は返す言葉が見当たりませんでした。

 確かに山本の言うように、自分は亀蔵と同じで自身の怒りを正当化するために母を使っていたに過ぎなかったのかもしれない。

 そして自分に似た亀蔵とあい見えたときに、目を背けていたその事実を突きつけられたようで焦慮に駆られたのだと聡吉は理解します。

 しかし、いまの聡吉にはそれをどう断ち切ったらよいのかがわかりません。


 そもそも父はなぜそこまでして武士になりたかったのか?



 戦国時代、姫を守り龍に呑まれた伝説の人物である采女うねめを初代とする木崎家は、何代かにわたり地元の主君に仕え給地を支配しました。

 転機となったのは天正十八年1590ねん。木崎家は奥州仕置に伴う太閤検地の反対一揆に加わり、仕置軍に鎮圧され土地の支配権を失います。

 その後、生き残った木崎の子孫は帰農し汚名を雪げぬまま徳川の世を経て現在に至りました。

 それがいまの聡吉というわけですが、父は戦をしていた頃に戻りたかったのでしょうか。


 貝焼を見ながら山本は酒を呷ります。


「お前ら御一新世代にゃわからんかもしれんが……徳川の時代に生まれ育った世代は家の名誉を重んじたりする。親父さんはよ、自分のためじゃなくてな、一揆で没落した家を再興したかったんだと思うぜ」


 家のため。そのようなことを聡吉は考えた事もありませんでした。

 

「どっちにしろ、いまとなっちゃあ武士にはなれないけどね」


 出かかった溜め息と共に酒を呑みくだした聡吉。

 山本が貝焼を口にしながらそれに答えます。


「それに代わるなにかを、おえが見つけりゃあいいのさ」


 

 それを聞いた聡吉は、ようやく心持ちが少し楽になりました。

 あせる必要は無い、時間をかけてゆっくりと己の気持ちに折り合いをつけていけば良いのかもしれない。

 それがいまの聡吉にとって無理のない答えのように思えたのです。


 ようやく箸も動きだし、味噌が絡んだ深みのある馬肉の味もはっきりと感じられるようになってきました。


「んん、おらもビビってらんないな」


 聡吉がぐいと酒をあおると、山本は安心したのかにんまり笑います。


「騒動が落ち着いたら弔ってやんな」


 そんな山本の言葉に聡吉が答えました。


「まあ……落ち着いたらね」

 

 二人は揃ってご飯を一口大に軽く潰し、貝焼きの汁に潜らせます。

 つけごは貝焼きの旨味を最後まで味わうシメの定番。



 それから店を出ると雨はいつの間にか止んでいたようで、カエルの声がこだます夜空にぼんやりと月が浮かんでいました。

 

 明日は金銭受け渡しの日、月の周りには白い輪がかかって見えます。


 よし、今度こそ!


 聡吉は雲の隙間から覗く月を見て心に誓いました。

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