第14話 戦場ヶ坂に着きにけり

ア、ソレ、ソレ、ソレ。

 ソレヤナーエ。


 朝の山の一の。

 水口に生えたる松は。

 なに松。


 ア、ソレ、ソレ、ソレ、ソレ!



 カサコソと音を立てながら、岩の隙間に身を隠したのは小さなカナヘビ(トカゲ)。


 小雨の降りしきる坂道を、歌をうたいながら意気揚々とやってきた奸党の風貌は異様そのものでした。

 頬被りや角笠を被りケラを着て、顔にはそれぞれ形が違うそっとく(ひょっとこ)面をつけています。

 

 

「ようよう急ぎ行くほどに、急ぎ行くほどに、山本彦兵エ間、戦場ヶ坂に着きにけりってな。悪党共、神妙にしろい!」


 坂の上に陣取る山本は、彼等を見下ろしながら破邪顕正の構えをとりました。


「何だ、手前てめえら!」


 にわかにざわめき殺気だつ四人のテァン衆。銘々、鎌や鉈、雁爪やのこぎりといった武器を構えます。


「あれで……やり合うつもりか……?」


 丸腰できた聡吉は、一人取り残されたように棒立ちになっていました。

 命のやりとりなど戊辰以来、その覚悟もなければ備えもないままここにやってきたのです。


 かたや今しがた暴れまわってきたばかりで興奮冷めやらぬ輩、かたやはじめから荒事ありきでこの場に挑んだ老手練。

 突然の奇襲に突然の招集、何がなにやらわからず連れてこられた聡吉とは心積もりに雲泥の差があります。



「ええい、構うもんか。殺っちまえ!」

 

 そしてついに手頃な石や枯れ枝を拾う間もなく、いくさは始まってしまいました。

 山本は足がすくんで動けない聡吉を背にしながら身軽に立ち回り相手を翻弄します。

 一方相手の方は山本の動きに合わせて左右に動きますが、隣同士でぶつかりまともに動くこともかないません。


「くっそお、退け!」


 彼等はどうにか横に広がろうとしますが、こうした道幅の狭い場所では聡吉達を取り囲むことはできないのです。



 山本はまず一人二人とかわしたあとに、二人目が振り向き様に出した鎌をかわしながら高低差を利用し稲妻(脇腹)を突いて倒しました。

 突かれた相手は鎌を落として腹をおさえながらぐう、とうめき声をあげ地に崩れ落ちます。


「うわあ!」


 迫りくる歪んだ顔のそっとく面。

 先ほど山本のかわした一人が聡吉に向かってきました。


「気をしっかり持て、相手に気圧されるな!」


 山本の檄が飛びますが、聡吉は迫り来る相手に身動き一つとれません。



「ちい!」


 下の二人を相手にしていた山本でしたが、房紐を掴んで踵を返し十手を投げつけ見事聡吉に迫る相手の雁爪を打ち落としました。

 同時に素早くその男に詰め寄り、手刀で雨戸うこ(首の側面)を強打し気絶させます。



「おっちゃん、後ろ!」


 紐を手繰りよせ素早く十手を回収した山本は、振り下ろされる鋸をいなしながら鉤をかけて止め、刀背を素手で掴まえたあと十手の鉤で相手の寸脈(内手首)を押し上げながら横へ投げ倒しました。

 受身をとり損ねて地面に顔を叩きつけられた相手は斜面を転がり面が外れ、白目をむき出し地に伏した状態で動かなくなります。


 流石は山本、大立ち回りも鮮やかに瞬く間に三人を征してしまいした。


 赤土を含んだ幾筋もの泥水が、流れる汗のように坂を伝って流れてゆきます。

 


 先ほどとは立ち位置が変わり、鉈を持った残りの一人は上に聡吉、下に山本とちょうど挟まれた状態になりました。


 そこへ山本が十手を逆手に持ち変えます。



「おえさん、死ぬぜ。大人しくお縄につきな」


 その様子を見ていた聡吉は、彼から発せられる殺気のようなものを感じとりました。


 そっとく面の賊は、堪らず山本に背を向けて上にいた聡吉を押し退け坂道を駆け登っていきます。

 山本もすぐにこれを追いかけました。



「テァン公め、逃がしゃしねえぞ。聡、これでそいつらを縛るんだ!」


 そう言うと山本は、聡吉に捕縛用の縄を投げ渡します。

 逃げた相手は雨で滑りやすくなっている坂道を構うことなくどんどん登り、あっという間に小さくなってしまいました。


「わ、だっ、縛り方がわかんね」

「縛り方は何でもいい、逃げられないようにするんだ!」


 山本は逃げた相手を追うのに必死で、聡吉に構っている暇などありません。

 そして雨足の方も徐々に強まり、ついに本降りとなってきます。

 さらにそこへ間の悪いことに、おリンが遅れてやってきました。



「ようやく見つけたわ! こら待てえええ!」

「なんで来てんだ! 帰れって!」


 聡吉の忠告などには耳も貸さずに猪突猛進、おリンは走ります。

 すると甘く縛った縄がほどけ、気がついた一人が起き上がりました。



「やっべ、くそっ!」


 賊を抑えようとして腰元に手を掛けた聡吉でしたが、泥に足を滑らせ倒れてしまいます。

 賊は聡吉を振り切り、坂を登ってきたおリンを捕まえました。


 人質をとられた聡吉はそのままなす術がなくなり、悲鳴を聞いて引き返してきた山本も状況を知るなり手が出せなくなります。


「お前ら持ってる物を捨てて脇に寄れ! 下手なことしたらこいつの首をかっ斬るぞ!」

 

 言われるままに道を開けた聡吉達。

 おリンを人質にとった賊は、ゆっくりと坂を登ってゆきました。そこへ。



「おらあ! いごぐな、お前達めだづ!」


 吠え猛りながらオニガワラが躍り出ると、あとに続いて警察や巡視達が次々と雪崩れ込みます。

 それを見た賊は堪らずおリンを蹴飛ばし、一人で逃げ出しました。


「待ちやがれ!」


 山本もすぐに追いかけましたが、ぬかるみに足をとられまんまと引き離されてしまいます。


 おリンは膝をついたまま、がっくりと項垂れ声も出ずにいるようでした。


 よほど恐ろしかったのでしょう。

 雨粒と共に頬を伝うものが見えます。

 

 まもなく彼女は、動員されてきた駒政の若衆に保護され山を降りました。


 先に帰った多美子は、巻き添えをくわずに自宅まで戻る事ができたのでしょうか。



 山中にこだます人々の呼び声。


 枯れた松の老木が、道の脇に朽ちて横たわっています。


 聡吉は土砂降り雨のなか、ただ呆然と立ち尽くしていました。

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