第13話 立てば芍薬

「かまぼこ冷やがけの台をきん(多め)で」

という聡吉の声と

「あいよ」

というおかみさんの返事。


 小蔵通りのマル蕎麦では、お昼時ともあって威勢の良い掛け声が飛び交っていました。

 

 鉱山町から戻った聡吉は、休む間もなく本業に取りかかります。

 午前中は事件について調べて、午後は蕎麦屋の仕事を手伝う。と、誰が決めたわけではありませんが、そうしたことがなんとなく定着しつつありました。



「いやあ、これこれ。この味噌たまりの良い香り……ほほ、美味い!」


 冬は温そば、夏は冷やがけで。


 どんぶりを抱えて嬉しそうに蕎麦を啜る常連さんは、なにか良いことがあると必ずかまぼこ入りの蕎麦を注文します。

 

「今日はなんかいいことあったんすか?」


 聡吉が尋ねると、常連さんは聞いてほしかったと言わんばかりに

「ふふふ……ついにね、丹号にごうが餌を食べたんだよ」

と満面の笑みで答えました。


 峠の山に狩場を持つ若手鷹匠の常連さん、立子たちご(野生から飼い慣らす鷹)である丹号の据え込み(調教)には苦労していただけにその喜びもひとしおです。

 そんな彼が、はたと思い出して話を変えました。



「ああ、そうそう。そういえば昨日、峠で妙な奴等を見かけたよ」

「妙な奴等?」


 常連さんの話ではその妙な奴等というのは野良着を着た四人組で、講でもないのに昼間から酒盛りをしていたそうです。


「話しかけるのもなんだしそのまま帰ってきたけど、こっちを見て酒を飲みながらにやにやしている気味の悪い連中だった」



 嫌な雲に覆われた空、今日は朝からカラスが騒がしい。


 常連さんと外の床几で話をしていると、ふとむこうの樽辺通りを東へ新町本通りにむかって歩くご令嬢の姿が聡吉の目に映りました。



「話の途中でごめん、クロちゃん。おかみさん。ちょっと、おら行ってくるわ」


 お供も連れずに一人で出かけるところといったら、手習い先の与左衛門家くらいのもの。それがいまは全く違う方向に歩いているのです。

 聡吉は与左衛門家の女中達が話していたことを思い出しました。



 立てば芍薬なんとやら。日傘を揺らし俯き加減に前を歩く百合の花。

 島田の下に覗くうなじの白艶かしく、ふわりと漂う瓶付け油の香りにあてられ聡吉は一瞬目的を見失いかけてしまいます。


 同じ日本人でありながら、わからぬ言葉にわからぬ姿。内に何かを秘めたような物憂げな眼差し。

 聡吉はどこか浮世離れした彼女のことを量りかねていました。それは聡吉だけではなく、村人のほとんどが感じていたことなのかもしれません。

 幽霊の正体はもしや……などと考えながら息を殺して歩いているところへ突然。



「なにをしてるの?」


 後ろから声がしたので、聡吉は心臓が飛び出るところでした。


「おどかすな!」

「尾行なんて、いい趣味とはいえないわよ」



 なにやら誤解をされたようなので、聡吉は慌てて事情を話したのですが。


「ふーん」


 とまあ、彼女の反応は冷たいもの。

 なにか見透かしたような目で聡吉を見るおリン。こういうときの彼女の嗅覚は鋭いものがあります。


「な、なんだよ……なんだよ! 文句があるなら帰れよ!」


 聡吉が怒ると

「わたしも行くわよ」

と結局ついてくることになりました。



 人で賑わう新町本通りの街道も、南の山の方へ曲がれば一気にひと気が無くなります。

 多美子は聡吉の予想通り、村外れにある駕籠屋に入っていきました。


 やはり駕籠に乗ってどこかへ行くつもりなのでしょうか。


 少しするとねじり鉢巻きに半纏姿の駕籠かきが二人、多美子を駕籠に乗せて出ていきます。向かった先は大伽耶峠。


「あまり近づくと気づかれるな」


 聡吉達は駕籠から離れて後を追うことにしました。


 多美子を乗せた駕籠は、盗賊沢の手前にある延命地蔵の脇道へと入って行きます。それは駒政が所有する討伐山に通じる作業用の林道でした。


 そこへきて急におリンが立ち止まります。

 


「ちょっと待って、手拭貸してちょうだい」


 そう言い聡吉から手拭を借りると、何を考えたか彼女はおもむろに着物の裾を持ちあげました。

 真綿のような足が露わになっています。


「はあ!? ちょっ、おま……」


 困惑して目のやり場に困る聡吉を眺めながら首を傾げるミソサザイ。


「よし、お待たせ」


 声がして振り返ると、おリンの両足には自分と聡吉二人分の手拭を紐で縛った即席の脚絆が巻かれていました。


 股引を履いている聡吉ならまだしも、おリンは鋭い荊や笹葉のなかを歩くための備えをなにもしてきてはいません。


 不格好は否めませんが、やらないよりはましなのです。



 追跡を再開し林道を進むとまもなく、沢目を過ぎたあたりから左手に山の前面が伐採され月代さかやきのようになっている討伐山が見えてきました。


 えらく物騒な山の名は、かつてこの山地をねぐらにしていた山賊を討伐したことが由来となっているようですが、賊がいなくなったいまとなっては小鳥がさえずりのどかなもの。

 反対側の林の隙間からは、別所村の家々が豆粒ほどに小さくなって見えます。


 多美子達は討伐山に続く杣達そまこの作業道ではなく、まっすぐブナやコナラが生える雑木林の方に入っていきました。


 セミの声が響きわたる道らしき道の見当たらない鬱蒼とした森の中、顔に群がるメマトイを払いながら木々の間を縫うようにして歩いてゆきます。


 やがて林がきれ、背丈を越えるカヤの群生地に入りました。


 町歩きの服装でやって来た聡吉達は、草やらの中で悪戦苦闘。

 フジツルやツタに足をとられているうちに、多美子達からどんどん離され見失ってしまいます。


「山行きの格好をしてくればよかった」


 それでも多美子の跡を追う二人は大粒の汗を手で拭いつつ、さらに藪と雑木が入り交じるもはや道とは呼べないような道に入りました。

 そしてその後は沢に挟まれた尾根に沿って山の急斜面を登っていきます。


 斜面と平行に生える低木はさながら天然の茂木さかもぎ(合戦に用いられた障害物)といったところでしょうか。

 山を登る聡吉からすると、自分達の行く手を阻んでいるかのようにしか思えません。


 ところが、おリンの方は聡吉とは違っていちいち枝を避けることなく直進していました。


「枝があると助かるわ」 

等と言いながらと枝を掴んで支えにしながら器用に潜り抜けていきます。


 なるほどそういう登り方もあるのかと感心しながら斜面の上までくると、再び道が判別できなくなり方角もわからなくなってしまいました。



「むこうに三角山があるから……あっちだと思う」


 肩で息をし木々の間から見る山の峰。三角と言われればそう見えなくもありませんが……。


 聡吉はおリンが指し示す方に向かいます。

  

 すると、今度は雑木の中に苔の生えた大岩がいくつも露出する場所に来ました。


 分かれ道です。


 一つは森へとつづく道、もう一つは下り坂の細い道。


 近くではコマドリがヂャッヂャッと騒がしく警戒の声をあげ、遠くからは微かに沢のせせらぎのような音が聞こえてきます。


「ここは、こっちだろう」

「違う、こっちよ」


 ここで二人の意見が分かれました。


 聡吉の指し示したのは深い森へ続く道。


 言い合いをしたところで埒があかないのでおリンに構わず行こうとしたところ、森の方から低い唸り声が……。


 ウォウ、ウォウ、ウォウ、ウォウ。


 足下に目をやると、草の上にあったのは少量ではない糞の山。


 クマです!



「やっぱり、そっちだな」


 異論の余地もなく、二人は坂を下りました。


 それにつけてもこの辺りの木々を見るとどれも皮がめくれ落ち、あたりには風雪で折れた倒木や枝が散乱しています。

 まるでここだけが冬のようです。


「虫に食われたのかな?」


 しばらくして、奥に草木が全く生えていない赤茶けたはげ山が見えてきました。


 ここからでは排煙の煙は見えませんが、あれが赤毛山だとすると足下を流れるこの沢はタライ沢ということになります。


 はたしてクマザサをかき分け沢筋に沿って道を下っていくと、目の前が開けてたどり着いたのは製錬施設のある懸川地区。



 なるほど多美子はいつもこの道を通り製錬所に来ていたのです。


 父のいる事務所の前を通って堂々と門監から沈澱池まで行けるのであれば、わざわざ両親に隠れ手習いの日に合わせていく必要はありません。

 以前、彼女と会ったとき足元が綺麗であったことにもこれで合点がいきました。

 

 おそらく脅迫状の差し出し人も、別所村からか鉱山町からか、どちらにしてもこの道を通って来たことに間違いはないと思われます。

 しかし同時に、それが多美子である可能性もほとんど消えてしまいました。

 なぜなら、脅迫状が持ち込まれたのは夜中だからです。

 

 普段から親の目が厳しく昼間の外出すら難しい彼女が、夜に家を出る事は難しいでしょう。

 仮に何らかの方法で外出できたとしても、夜間は駕籠屋がやっていないので一人で暗い山道を通ってくるしかありません。

 そう考えると、ほとんど不可能とみて差し支えないはず。


 やはり彼女自身が言うように、たんにギアシの話が聞きたくて昼間に来ているだけなのかもしれません。



 聡吉達が坂道を下りきった頃、製錬施設の前で駕籠を降りた多美子は真っ直ぐ沈澱池の方に歩いて行きました。

 それを待っていたのは休憩中のギアシです。


「わしが教えた秘密の抜け道も、この頃はすっかり皆に知れて秘密ではなくなってしもうたようだ……」


 椅子がわりに置かれた丸太に腰をおろし、ギアシは独り言のようにぼやきました。 


「どうやらつけられたようですな、お嬢様」


 彼に言われてこちらを振り返り驚く多美子。


「悪いけど後をつけさせてもらったよ」


 そう言う聡吉に、ギアシは

「お嬢様を疑うのか? わしの戯言に付き合ってもらっているだけだ」

と警戒心を露にします。


「それはいま、はっきりとわかったよ」


 聡吉が釈明すると、そのあとは皆二の句を継げずにいました。


 

 すると炭庫の脇で寝そべっていた牛達が、むくりと起き上がり鳴きだします。


 ポツリ、ポツリと手に当たるものを感じたおリン。


「やだ、雨降ってきた……。そうだ、ギアシさんにあのことを聞いてみたら? 大風の日のこと」


 髪型を気にしながら辺りを見回しおリンが提案しました。

 普段であれば自分から直接聞くはずのおリンが珍しく消極的です。

 いまの彼女にとっては一刻も早く雨宿りできる場所を探し、乱れた容姿を整えることの方がよほど重要なことのようでした。


 しかたなく聡吉が切り出そうとすると、今度は多美子が

「お話を窺うのは、また今度といたしますね」

と言って、おリンに後でまたと目配せをし帰ってしまいます。彼女なりに、こちらにたいして気をつかったのでしょう。



 しかし結果的に出鼻をくじかれるかたちとなった聡吉は調子が合わずに話しづらくなってしまい、そうこうする間に今度はけたたましい半鐘の音が懸川地区に鳴り響きます。

 

 いったい何事かとあたりを見回す聡吉達。


 それからほどなくして、山本が血相を変えこちらに向かって走ってきました。



「おお、聡の字。いいところにいた。お前も手伝え」

「火事か?」

「いや、テァン衆の襲撃だ」


 山本に促されるまま、とるものとりあえず、聡吉は走ります。


「わたしも行く!」

「ついてくるな!」


 おリンをおいて走る二人が向かった先は、標的にされた工作場ではなく、聡吉達がいまやって来たタライ沢の抜け道。


 逃げ道を塞ぐのが目的です。



 テァン衆が通るのが先か、聡吉達が着くのが先か。


 味方を集める山本の呼子笛が、山中へ高らかに鳴り響きました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る