第12話 お控えなんせ

昔々のとんと昔、雲に届くほどの大男がおったそうな。

 気立てのよい大男は、人々の仕事を手伝い大層喜ばれたそうな。

 そんな大男の通った足跡が、沼や谷地になっていまでもこのあたりに残っておるそうな。


 

 人々の雲海から突きだした峰のごとく、見上げる程の大男が目の前に立っています。


 聡吉はそのとき、幼い頃に母親から聞かされた大人おおひとの言い伝えを思い出しました。


 

 厚手の背広ジャケットにニッカボッカと護謨ごむ製の長靴ウェリントンブーツという出で立ちで現れたお雇い独国人器械師のアドルフ=ハンザーさんは、目深に被った鳥打帽から覗く彫りの深い顔の半分が黒髭で覆われ身の丈のほうも六尺はあろうかという長身です。


 聡吉はこれまで西洋通りの異人さんなどと言いながら切妻屋根の宿舎を面白半分で見に行くことはありましたが、近づけば殴られるのではないかといつも話しかけずに遠目から眺めているに過ぎませんでした。


 立町にきた客も皆、離れたところでひそひそ話をしています。


 異人さんに好奇な視線が注がれるなか、聡吉は前に出て片方の手のひらを上に向けると屈みこんで口上を述べました。


「へ……へい、お控えなんせ!」



 首をかしげるハンザーさん、続いておリンが前に出ます。


「ここは、わたしに任せて。はい、ぜあ、えあふろいと!」


 それは多美子から教わった挨拶の言葉。

 ぎこちない片言でも物怖じすることなく堂々と俉して振る舞う彼女に日耳曼ゲルマン紳士は敬意を払い、胸に手を当て笑顔で会釈をしながら

「ハジメマシテ」

と日本の言葉で返事をしました。


 呆気にとられていた聡吉達の前に、ひょっこり現れたのは山本彦兵エ間。



「ハンザーさんなら、おいら達の言葉がわかるぜ」

「おっちゃん、いたのかよ!」


 山本は苦笑いしながら

「この通り、荷物持ちさ。ハンザーさん、この辺でいいかい?」

とジダレザクラの側に折り畳みの椅子と手提げ鞄から出した画架イーゼルを設置します。

 

 この立町の賑わいを写生スケッチしようというのです。



 独国東部の町フライベルク出身であるアドルフ=ハンザー氏は、地元の鉱山大学を出て鉱山管理官の資格を取得した後に日本の鉱山改良技師に任命され別所鉱山にやってきました。


 数人いる御雇い外国人の中でも唯一日本語が堪能で水彩画を嗜む彼は、日本人技師の育成や鉱夫の指導、工部省への提言や報告書を書く傍ら、こうして町の様子を写生スケッチすることを趣味としています。


 

 ハンザーさんの来訪でにわかに色めいていた群衆でしたが、次第に落ち着きを取り戻し広場にはもとの賑々しい振れ声がかえっていました。


 言葉が通じると知って安心した聡吉も、異人さんの描く絵を覗き込み背景の木々から店に並ぶ人々と下書きがあっという間に描かれていくのを見て

「へえ、上手いもんだなや」

と感嘆しながらため息を漏らします。

 

「タイセツナノハ、コンポジッションデス」


 大好物である味噌たまりを塗った煎餅を咥えながら、得意満面で絵の具をのばす異人さん。

 聡吉達の質問にたいして、一つ一つ嬉しそうに答えていました。


 絵には描いた人の人柄がでるといいますが、ハンザーさんは人好きなのでしょう。

 市場に集まる人々の様子が生き生きと描かれています。


 子供を拐うだの人の生き血を飲むだの村では散々な言われ方をしているが、異人さんも同じ人間なのだと聡吉は改めて感じさせられました。


 おリンが彼の絵に夢中になっているところで、聡吉を呼び出した山本。



「んで、どうだった?」

「ああ、そうだ」


 聡吉はハンザーさんからもらった味噌煎餅をかじりながら、昨夜のことも含めて昨日わかったことを全て山本に伝えました。


「なにかあるとは思っていたが……亀蔵の奴、そんなことを企んでいたか」


 山本は火打をチャキチャキ一服吸いつけ、煙を吐きながら唸ります。



「嘆願書一枚でどうにかなるものなのかな?」

「いや、ならんだろう。鉱山側からすれば保証しろと言われたところで被害の全容がわからんし、だいいち原因が毒水それなのかもはっきりとしていないからな。突っ返されるのがオチだろうよ」


 自らの権限が及ばない手に余る問題ということか、暗にそこまでは干渉するなと言いたげな山本は、話を昨夜の二人組に移しました。


 彼等の会話や詳しい特徴を聞いた山本は、煙管の口を舐めながら

「龍の彫り物、計画、女の幽霊……」

と言い唸りながら一点を見つめ黙考します。


 せっかくつけた煙管の火が、ぶすぶすと小さくなって消えてしまいました。



「そういえば鶴松が亀蔵はテァン衆でねえかって言っていたんだけど、テァン衆ってどういう奴等なの? つか、テァンてなに? 異人の言葉か?」


 聡吉の問いに山本ははっと我に返り答えます。


「テァン、トン、キンってな。大伽耶川下流、北の松ヶ山を越えた麓にある三集落。寺田、殿口、城野畑のどこかから来ているただ闇雲に火付けや蔵やぶりをする癖の悪い連中だ」

「ちょっと待った。その三集落って、別所村を通らないとこの鉱山には来られないよな?」

「いや、松ヶ山から別所村に出ずに、東にある愛宕山を通って山伝いに峠まで行き、例の山地の抜け道を使って鉱山まで来ているんだ。追いかけても途中で見失ってしまう。山向こうから来ているのは確かなんだが……」


 それを聞いて、今度は聡吉が口に煎餅を押し込み思案しました。



「やっぱり鉱山に不満を持っているのかな? そいつ等が脅迫状を出したとは考えられないかな?」

「いまのところ、その線が最も濃いとみて巡視達おいらたちは動いているんだが、どうだか……」


 唸る山本。


「鉱山に不満を持つ者ったら、身内にもいるからなあ。特に去年の暴動に参加したやつらとか……」



 別所鉱山は明治になって官営となったあともしばらくは鉱夫達が全てを請け負い、産出した鉱石を経営者が買い取る藩政時代のやり方を続けていました。

 しかし近代経営への移行を目指す政府は現地に官吏や御雇い外国人 を送り込み、こうした古いやり方の刷新に着手させます。


 彼等が手始めに行ったのは、全ての坑口を一つに繋げる貨車軌道の設置と当時険しい渓谷であった懸川地区の開発でした。

 陣頭指揮をとったのが肥後出身工学寮卒のやり手で知られる技術主任の真木で、その狙いは鉱夫達がこれまで独占して請け負っていた探鉱、採鉱、選鉱、製錬という作業行程のうち、選鉱と製錬の部分を切り離すため。


 当然こうした動きには反発もありましたが、それまで表だったものはなかったのです。

 それがついに昨年になって表面化し、暴動が起こりました。


 騒ぎは警察のほかに剣客団を雇っての大捕物に発展、多数の死傷者を出しながらようやく鎮圧されたものの、鉱夫達との間に遺恨を残すこととなります。



「ようするに、心当たりがありすぎてわからねえんだよ」


 なんとも煮えきらない山本の態度に、聡吉は不満を感じました。それでは自分が調べてきたことは、全くの無駄だったのかと。


 それを察してか山本は

「いまは一つずつあてを潰していくほかはねえ。なにもなければないで、それがわかることもまた収穫だろ」

と弁解しますが、それでも聡吉の靄は晴れません。



「おっちゃんの調べていた友造ってのは、どういう奴なんだ?」

「おいらも直接会ったことはないんだが、これが大層評判の良い奴でな」

と口火を切って出てきたそれは、出るわ出るわ悪評の数々。枚挙に暇もありません。


 それもそのはず。トロ押しをしていた友造は、備前親方の娘を手篭めにしようとしたあげく帳場の金を持ち逃げしたようで、飯場からすれば恩を仇で返されたようなもの。


 ただ気がかりなのは、彼の素性が一切わからないということです。

 

 必ずではないものの、鉱夫として鉱山で働くためにはどこの山でも親分子分の契りを交わす友子に入らねばならず、友子が他の鉱山に移る際には親方から行先を記した先々証明書を書いてもらい、身元を証明する友子の免状とともに移動先の山で当番に提示をしなければなりません。

 おなじみの、お控えなんせと言いながら飯場親方と交わす仁義や結盃式はそのあとで行うこととなります。


 友造は陸奥国りくあうのくに産の渡り鉱夫ということでしたが、調べたところその内容は出鱈目のようでした。


「偽の免状がバレたから、金をもってドロンしたってことか」

「首尾よく鉱山に入り込むには、中の事情も知らなきゃならねえ。手引きした奴がいるんだろうな」



 山本がポンと煙管を叩くと、ちょうどむこうから写生スケッチを描き終えたハンザーさんがおリンと二人で煎餅を食べながら戻ってきます。


「終わったようだな。じゃあ、またな」


 そう言いハンザーさんの荷物を預かる山本の背中には、何とも言えぬ哀愁が漂っていました。


 

 近くから聞こえる女性達の笑い声。


 山本達が広場から去ったあとも、立町には客足が途切れることはありません。

 昼を前に品物を全て売り切った百姓の嫁コらは、気持ちも荷物も軽やかに世間話に花を咲かせているのでした。

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