第11話 そこ退け椋鳥

 朝焼けに輝く雲の峰。

 百枝を広げるオオシマザクラの緑陰では、早くもムクドリ達が先を争うように実を啄んでいました。



 聡吉が山本に会うため早朝から小蔵通りを歩いていたところ、なにやら深刻な顔をしながら汁粉屋で店主と話をするおリンを見かけます。


「本当に、本当に、他には誰もいなかったの?」

「へえ、誰も……」

「そう……わかったわ…………って、ちょっと!」



 気づかぬふりをしてやり過ごそうとしたのですが、残念、見つかってしまいました。


「こんな朝早くから、どこへ行くつもり? さては、また抜けがけをする気ね? ちょっと、ここ。ここに座って!」


 おリンは床几をバンバン叩いて着席を促しています。

 

 朝から厄介なのに捕まってしまいついてないなとしぶしぶ聡吉が床几に腰を下ろすと、今度は店主の

「いらっしゃいまし!」

という溌剌たる挨拶。


 これには思わず聡吉も商売人の性で

「はい、らっしゃい!」

とつい反射的に挨拶してしまい、隣にいたおリンを凍りつかせました。


「いまのは、なんなの?」


おリンが目を白黒させ覗き込むと、聡吉は

「挨拶につい反応しちまうんだよ。こうゆう食べ終わった皿とか見ても片付けたくなるしな。病気だよ……」

となんともバツが悪そうに答えます。


 するとおリンは腹を抱えて肩を震わせ

「なんだかあなたの顔を見たら、いろいろ悩んでいたわたしが馬鹿馬鹿しくなってきたわ」

とさらりと失礼なことを言いながらついに吹き出してしまいました。


 甘く煮込んだ小豆の香りが蚊除けの煙に混じって鼻をかすめます。



「わたし、朝ご飯まだ食べてないの。ここで食べていくから、お茶でも飲んで待っててよ」


 居候、三杯目にはそっと出し。


 気兼ねして普段からお腹いっぱいご飯を食べることのできない聡吉は、甘い香りを嗅ぐと空腹のあまり思わず唾を飲み込みました。 


 実のところ、前々からこの汁粉屋の前を通るたびに一度でいいから食べてみたいなとは思っていたのです。


 いい機会なので自分も食べてみようと早速注文を済ませると、聡吉は昨夜あったことをおリンに話して聞かせました。



 するとおリンは

「二人組! どんな人達だった?」

とはじめは物凄い喰いつきでしたが

「計画は中止……あの連中……」

と言い急に黙り込んでしまい、さらに妖怪じみた女の話になると途端に興味が失せてしまったのか適当に生返事を返すばかり。


「ああ、そういえばその女、お前と同じ格子柄の着物を着ていたぞ」

「わたしじゃないから。わたし、そのとき家にいたし。駒政の人達に聞いてみれば?」


 とまあ、こちらも見ずに黙々と汁粉を食べています。



 別に疑っていたわけではないのにと聡吉は彼女の態度に納得がいきませんでしたが、汁粉をひとくち口にするとなんだかそんな気持ちも失せてしまいました。


 なるほどたしかにここの汁粉は人気があるのもうなずける。

 餡に使われている黒糖のほのかな甘さが、あっさりとしていて胸焼けせずに食べられる。

 付け合わせのノイチゴも、酸味があってちょうどよい箸休めになります。


 聡吉は食べ進めるうちに、すっかり汁粉のとりことなってしまいました。



 たまにはこういう贅沢も悪くないよなと聡吉がお茶を啜っていると、おリンが今度はもぞもぞし始めます。年頃の娘というのはせわしないものです。


「ねえ、もう少しそっちに行ってくれる」


 座れといったかとおもえば今度は離れろと。


 まあ勝手なことを言っていますが、あいにく床几の反対側にはまだ下げられていない器があるので避けることが出来ません。

 場所がないのだから仕様がないだろうと取り合わずにいた聡吉にたいしておリンは食い下がります。


「いつも一緒にいて、好き連れと間違えられたら嫌でしょう?」

「別に。そうなればお前の親父さんが出てきて、警察ごっこはこれぎりい……ってなるわけで、おらにとってはめでたしめでたしだ」


 カラカラと笑う聡吉におリンは憤慨し

「それとこれとは別だから!」

と力業ではね返しました。


 ぼちぼち混みはじめてきた小蔵通りの人通り。

 日が昇るにつれ熱を帯びだす薫風に白いおがくずの煙は揺れ、鴬色の水引暖簾がはためいています。


 

 汁粉を食べ終え外門鑑へ。聡吉は山本に会うため、おリンは駒政のお使いということで難なくここは通過できました。


 ところが、鉱山町にやってくると内門監の前は長蛇の列となっていて、二人は橋の前で足止めを食らってしまいます。


 門の外側に巡視の姿はなく、かわりに普段上司の茶野と詰所の中でお茶飲みをしている散切り頭の下掛達が濡れ手に泡で人の列を捌いていました。


「ああ、そうか。今日は立町たちまち(月並市)だったな」


 すっかり忘れていたと頭をかく聡吉。門を通るにはしばらくかかりそうです。



 ここ別所鉱山では藩政時代から続く専売制を踏襲しており、米や味噌、木炭などの生活必需品は鉱山町内にある供給詰所を通してしか購入が許されていません。

 しかしそれだけでは日々の生活が成り立ちませんので、鉱山町の住人は毎月五のつく日に山神神社下の広場で開かれる市にいき不足のものを買いそろえていました。


 この日のために集まった商人達は、荷掛棒が折れそうになるほど背負梯子しょいこいっぱいに物を積んでいる者や大八車を押してきた者など様々で、なかには十里も離れた村からやってきた剛の者もいます。

 市で商売をするための鑑札(許可証)はあらかじめ鉱山分局から委任された市場取締人に市場銭まちせんを払って購入しますが、小間割こまわり(売場)にに関しては早いもの順なので皆良い場所をとるために朝早くから門鑑に詰めかけていたのでした。



「ねえ、見てあれ。すごいきれい」


 おリンの方はというとなんとも気楽なもので、飴売りの色鮮やかな風車かざぐるまを見つけて目を輝かせています。


 虎列刺が流行してからというもの、これだけの商人が集まる光景にはめったに遭遇する事がなく、気持が高揚するのも無理はありません。



 そうこうするうちにようやく順番がきたわけですが、肝心の山本は異人さんの付添で昼過ぎまで帰ってこないとのこと。


 官吏達にとって巡視のなかでも年かさであった山本はなにかと扱いづらい存在でしたので、なるべく自分達から遠ざけるために厄介事を押しつけているのです。


 詰所脇の厩から異人さんの愛馬、栗毛のこおぼるどの嘶きが聞こえてきました。


「せっかく来たんだから、市を見に行こうよ」


 おリンの提案で立町の会場である山神神社の広場にいってみることに。



「いらっしゃい!」


 元気な掛け声に出迎えられた二人。


 広場には地べたに敷かれた菰の上に雑然と物が並べられただけのにわかづくりの店が所せましとたち、笊を持って集まった客でまるで縁日のような賑わいです。


 

 並んでいるのは、ネマガリダケ(チシマザサ)、フキ、ミズ(ウワバミソウ)、マスダケ、ワカエ(ヒラタケ)などの山の物を中心に、アジウリ(マクワウリ)やアンズなど季節の地物。

 串焼きで売られているカワガニ(サワガニ)やカジカ、クキ(ウグイ)、アユ、ヤマメ、イワナなどといった魚の他に、鶏肉や卵などの食料品はたいてい午前中のうちに売りきれてしまうそうで。


「まげっから、買っていがんがぁ」

「これ、しなや」

「んだす、今朝採れだ物だも、買ってくんなし」


 広場にこだます賑々しい掛け声は、触れ声なのか客の声なのか訳のわからぬ状態でした。

 


 食器や竹籠、藁細工などの日用品に、櫛や簪などの装飾品と店の種類も様々ですが、客の方もまた半纏、浴衣に褌一丁の裸奴と十人十色。


「今日なば、街道きゃどぽんぽじ(温か)くて大したいんしな」

「じっちゃ、まめ(元気)でらが?」

「まめでら」


 呼び声に混じり、腰の曲がったばば達による朝の挨拶もそこかしこから聞こえてきます。



 奥にある古着屋では麻、木綿、半晒のほかに二三尺度のしぼくさきれ(木綿きれ)が売られていているのですが、これが同じ目方でどれでも値段が同じとあって大人気。

 群がる人々はみな気に入った物を見つけようと必死で、あねさん被りのご新造さんも背中に背負った赤子が泣いてもおかまいなしで人と端切れの山を掻き分けていました。

 市風に当たれば子供は健やかに育つといいますが、あれでは当たりすぎで具合が悪くなってしまいます。


 

 それを遠目で見ていたおリンは急に血が騒ぎ出したのか 

「わたし……わたし行かなきゃ! 可愛いしぼくさ、いま行くからね!」

と袖をまくり叫び出したかと思えば、古着屋いくさば目指していざ行かんとムクドリ達の群れの中へ勇み駆けてゆきました。


 それにしても、彼女のあの激しい気勢はいったいどこから湧いてくるのか? 


 鉱山に生きる者が持つ血の気の多さのようなものを彼女も受け継いでいるのでしょうか、こうと決めたら一直線なところが傍からみると生き急いでいるように思えてなりません。


 彼女がもつその強い情が、いつか彼女自身を苦しめる事になりはしないか。


 一抹の不安を覚える聡吉でしたが、そこは元来お気楽な性分。人混みを避け一人悠々、木陰で一休みを決め込みます。

 


 青々とした葉を茂らすシダレザクラの下で、こうばしい香りを漂わせおやきを売る店。

 その近くでは、風車を持った子供達が笑い声を上げながら駆けまわっていました。


 聡吉は木に寄りかかってうとうと、そこへ近くの盛切もっきり酒の屋台にいた妙な男が近づいてきて声をかけます。


「あんたがヒキデさんかい?」


 それは仲の良い友人に声をかけるといった親しげな感じではありません。


 鉱夫と思われるその男は聡吉のことを誰かと勘違いしていたようで、聡吉が首を傾げるとすぐに別の男がやってきて

「すまない、人違いだ。行くぞ」

とその男を連れて去っていきました。



 ほどなくして戦利品を手に意気揚々おリンが戻ってくると、今度は市場の方でざわめきがおこります。


 当然のように見に行こうとするおリンに袖を引かれ、今日は慌ただしい日だと溜め息まじりでついていく聡吉。


 集まった人々のその先に見えたのは、いままでに見た事もない程の大男でした。

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