第8話 親子

「オウ! 貸した金をいますぐ返さんか!」

「お金だば、昨日返したはずなんし」


 口に含んだマツヤニをくちゃくちゃ音を立てながら噛んで斜に構えていた百一の我助は、その言葉を聞いてニヤリと口の端を上げました。


「お前は利息ってものを知らねえのか? あれぢゃア足りねえなあ」


 朝に百銭(一円)借りたら、その日の日没には一銭の利子がつく。百一という彼の通り名の由来です。



「せっかく寝かしつけた子供が起きてしまうんす。お金は必ず返しますから、もう少し、もう少しだけ待ってい」

「もう少しってのはいつなんだ?」


 我助はおナツの方を見ようともせず金目の物がないか辺りを物色していましたが、あいにく目ぼしいものはなにもなかったようで。

 

 そこへ、そのようなやりとりを見るに見かねた聡吉がようやっと重い腰を上げました。



「もうそのへんでいいだろう? 金は払うって言ってるんだから引き下がれよ」

「なんだお前は? 俺は金を返してほしいだけなんだよ。代わりにお前が払ってくれるのか?」

「それは無理だ」

「ぢゃア、話にならねえなあ!」


 我助は再び暴れだします。そして勢い余って追いすがるおナツの顔を殴ってしまいました。

 殴られたおナツは板の間に倒れこみ、その衝撃で嬰詰エンヅコ(揺りかご)に寝ていた娘が起きて泣きだします。


「ちょっと!」


 我助に目をむくおリンを押し退け、聡吉がずいと前に立ちました。



「怪我をして働けなくなったら、金は戻ってこないぞ。商売道具が壊れて稼げなくなったら、金は戻ってこないぞ。本当に金を返して貰いたいだけなら、今日は黙って引き下がれ」


 聡吉は我助を睨め付けたまま、一歩も引こうとはしません。

 ですが、我助も我助で生活がかかっている以上、このままおめおめと引き下がる訳にもいかず眉間を震わせ立ち尽くすしかありませんでした。


 そこへ

「三日後に金が入る」

と咳き込みながら後ろの方で身を起こしたのは、おナツの夫である鶴松です。


 三日後という言質がとれたことで、ちょうど落としどころを探っていた我助はそれ以上の催促はせず

「三日後に必ずだぞ。お前も覚えておけ」

と聡吉を指さし捨て台詞を吐いて立ち去ってゆきました。



 我助の姿が見えなくなったのを確認した聡吉は、どっとその場に尻餅をつきます。


「ひゃあ。まだ膝が……ガクガクしてら。おリン、悪いけど代わりに話を聞いてくれ」

「たく、せっかく見直してたのに……」


 身動きのとれない聡吉に代わって、おリンが話を聞くことになりました。

 おリンはまず、おナツと一緒に散乱した部屋の物を片付けます。


「こんなに散らかして……」

「ありがどあんし、もう大丈夫なんし。お見苦しいとこば、お見せしあんした」


 おナツは聡吉達に深々とお辞儀をしたあと、外の野次馬にたいしても一礼をし聡吉達を家のなかへと案内しました。



「なんにもえすども、まんつ御座おざってい」


 そう言われ、飛び跳ねるノミ達の歓迎を受けながら腰を下ろした板張りの四畳半、行灯もなければ煮炊きをする囲炉裏もありません。

 代わりにあるものといえば、明りとりを兼ねた煙出し用の押上げ窓と物干しもっこ(逆さにして火鉢に被せ着物を干す籠)に入っている小さな火鉢、調理用の七輪が一つずつ。


 おナツがいうには、意外にそれだけでもやっていけるのだそう。

 この地域では、冬になると家がすっぽり埋まってしまうくらいに雪が積もります。

 なので、冬場は隙間風も吹かずに以外と暖かいそうで。


 とはいえ、横になっている鶴松を見れば、丸太を半分に割っただけの木枕と薄っぺらい借り物の藁布団。

 これで寒くないわけがない。


 雨漏り対策のため床に置かれた飯櫃に溜まる水の中、やがて飛び立たんとしきりに体をくねらすボウフラ達に板壁の隙間から光が射し込んでいます。


 確たる証拠を掴みに行くと意気込んでやってきたおリンでしたが、これらを目の当たりにしてすっかり意気消沈したのか黙り込んでしまいました。


 それを察したおナツが、気を利かせて自ら話をしはじめます。



「ここで暮らすのに借りた元手がまだ返せず……。ご覧の通り、生活するのもままならぬ有り様なんし」


 おリンの目線が夫に移ったことに気がついたおナツ、今度は話題を彼のことに。


 おナツの夫である鶴松はもともと別所村の百姓でしたが、家を継がずに鉱夫となってギアシのいる中野の飯場で働いていました。

 おナツとはその時に知り合い所帯をもつこととなったわけですが、鉱山特有の病であるヨロケ(塵肺)を患うと働けなくなってしまい山を降りることになります。

 その後は実家へは戻らずおナツと子供の三人でこの長屋を借り、養生をしながら身過ぎ世過ぎ桶屋や木端こば屋に納める板材を作り日々を食いつないでいました。

 

 鶴松の実家は地券を持った自作農ではありましたが、地主などではなく地租を払うのもままならない零細農家で、現在は鶴松の父である亀蔵が一人で生活をしています。

 亀蔵は気の荒い鉱山の鉱夫を嫌っていて、もともと鶴松が鉱夫となることに反対をしていました。

 それを押し切って鉱山に行った鶴松は、それいらい亀蔵と顔を合せてはいません。祝言のときですら亀蔵は姿を現さなかったそうです。


 

 そこへ隣で死人のように横になって話を聞いていた鶴松が口を開きました。



「あの人は鉱山の全てが気に入らないんだ。あんな狼藉に手を貸して……。これからの時代、鉱山とともに生きていかなくてどうする」

「狼藉?」

「鶴松さんは義父おとっつぁんが、テァン衆でねえかと疑っているのだす」

「テァン衆って……まえに製錬所を打ち壊しにきたっていうあの輩のこと?」


 おリンが尋ねたところで鶴松が声を荒らげました。


「如何にもあの人のやりそうなことじゃないか!」



 ヒューヒューと息を漏らしながら声をあげる鶴松の頬はそげ落ち、ボロ着から覗く胸元は骨が浮き出て見えます。


 鬼気迫る彼の表情を前に皆が言葉を失っていたところ、聡吉はというと七輪にくべるために寄せてあった桶材の鉋屑を拾って眺めていました。


 字を覚えようとしていたのでしょうか?


 木屑にはつたない文字が、細かくびっしりと書かれています。


「あや、こっ恥ずかしいす。事務所で働ぐのに、鶴松さんがら字を教わってだなんし」


 赤面し慌てておナツが弁解すると、ようやく動けるようになった聡吉は木屑を戻してやおら立ち上がりました。


 字を書けるといっても、これでは脅迫状を書くことはままならない。

 脅迫状を書いたのが彼女でないとわかったいま、ここにいても仕方がありません。



 聡吉は鶴松の父である広仲亀蔵のもとを訪ねることにしました。

 鉱山に不満を持っているのだとすれば、脅迫状に関係している可能性もあります。会って話を聞いておかねばなりません。

 聞けば、この時間帯だとおそらく懸川地区にある田んぼの方にいるだろうとのこと。



 聡吉達は川岸通りを北へ歩き、まずは広い街道に出ました。


 トビにカッコウ、アカショウビン。梢の夏には緑の尾根が間近に迫る翠黛に鳥達の声が溢れます。


 右手前に見えるは愛宕山、左奥には立瀬山。


 新町地区の南を西北に流れた大伽耶川は、村の西側を流れたあとで山々の並びに沿って今度は北東へ村を横断し北の平野部へと流れてゆきます。


 亀蔵の田んぼは南の懸川地区にあるのですが、製錬施設からは金洗沢を隔てて対岸に位置しているため、いったん北に架かる田子橋を渡って対岸に出た後で、再び大伽耶川を上っていかなければ辿り着けないのです。

 


 広仲の家を過ぎ目的の橋が見えてきたところで、橋向こうの中町地区からやって来たのはこの村きってのご令嬢でした。

 日傘をさしているので顔は解りませんが、着ているものから一目で彼女とわかります。


「多美子さん、ご機嫌よう!」


 例のごとくおリンが元気いっぱいに挨拶をすると、向こうも控えめに手を振りそれに答えてきました。


 親友同士が道でばったり会うわけですから、ひとたび立ち話がはじまると長くもなります。


 倦んだ顔で聡吉は、道端に生えるエノコログサを一つまみ。

 しかめっ面で鼻の下に挟みながら、石に腰を下ろし頬杖をつきました。


 他の人達と比べて多美子の話し方は歌でも詠むかのようにゆったりとしているので、そばで聞いている聡吉は眠たくなってしまします。



「嫁入り修業は順調?」

「ええ、順調よ」


 多美子嬢は手習いに行ってきた帰りだったようで、話題は自然とそのことに移りました。


 お相手というは肥後(熊本)の出身で、主任が藩政時代に御世話になった肥後の恩人の仲介でこのたびの縁談がまとまったそうです。


「たしか海軍の少尉さんだったよな」


 知っている話題だったので、聡吉も黙っていられずつい話に割り込んでしまいました。


「なんであなたが知ってるのよ?」

    

 おリンが少し驚いた顔をしたので、聡吉は得意になり

「へへん、選鉱所の姉ちゃん達から聞いたんだよ。軍人さんったら頑固者で亭主関白だろうから、どっかのおてんば娘じゃあ相手は務まらんな」

とおリンへ当てつけの様なことを言ってしまい、さらに勢いそのまま話題を変えます。


「あ、そうそう、そういえばあんた、こないだ製錬所にいたよな?」

「え、ええ……」

「ギアシとはしょっちゅう会ってんの?」

「はい」


 急な聡吉の質問攻めに、少し困惑気味の多美子嬢。


「ちょっと、あんた、まさか多美子さんを疑う気?」

「おリンちゃん、わたくしは平気です」

「そうそ、隣の付き人は控えておれ」


 聡吉は草を上下に揺らし、まるで扇子を持った殿様のようにふんぞり返ります。

 それを見て憤慨するおリンをよそに、多美子は問いかけに応じ相変わらずのゆったりとした口調で答えはじめました。



 彼女とギアシは特にやましい関係というわけではなく、親しい知人にすぎないようです。


 きっかけは、副島一家が村にやってきて間もない頃のこと。

 関係者の案内で鉱山を見学した際に、ギアシは荷物持ちとして彼等に同行していたそうです。

 その道すがらギアシから聞いた不思議な山の話に興味をもった多美子は、以来彼のもとに度々話を聞きに行くようになりました。

 見知らぬ土地にきて心細い思いをしていた彼女にとって、彼の話は良い気晴らしとなったようです。


 ちなみにおナツが鉱山分局事務所で働くことになったのは多美子の口添えがあったからなのですが、それは日ごろ彼女がギアシにたいして恩を感じていたからなのでした。


 

「あの、多美子さん。差し出がましい様だけど、嫁入り前だしあまりそういうのは……」


 心配そうにおリンが言うと、多美子はクスクス笑い出します。


「おリンちゃんの近頃の口癖ね。いつも手習を終えてからお話を伺いに参っております。ただ、お父様とお母様には秘密にしていることですので、どうか二人にはふせていただけませんかしら」


 多美子の願いにおリンが即答。


「もちろんよ…………ね!」


 聡吉は多美子の話を聞いて一応納得したものの、まだなんとなく違和感が残ります。

  

 彼女は両親に内緒でギアシと会っていると言っていますが、もし彼女が懸川地区に行くのに門鑑を通れば彼女の父親である主任に知られてしまう。

 他の道、例えば抜け道を通ったのだとすれば、昨晩のおナツのように足元が汚れるはず。

 しかし、あのときの多美子は足元どころか着物の裾にすら汚れが無かった。


 まさか幽霊ではあるまい……。


 などと一人で考えながら川の方を見ていた聡吉は、不意に殺気の様なものを感じてそちらを振り向くと二人の視線。


 特におリンの圧はすさまじく、思わず

「……ああ、うん」

とたじろぎながら圧に屈して返事をしてしまいます。


 おリンが大人になったらおかみさんみたいになりそうだなと、聡吉はそのとき思いました。

 


 その後、親友の二人はまたあとで、と手を振りますが、去っていく多美子の背中を眺めていた聡吉は黙っていれば良いものを

「お前もさあ、こんなことしている暇があったら少しはご機嫌姉ちゃんを見習って……」

などと余計なことを言ってしまい、怒ったおリンから肘鉄砲をもらいます。


「ぐぅ! くっ、おま……」


 当たり所が悪く、鳩尾を押さえながら崩れ落ちる聡吉。


 おリンはそんな彼をおいてすたこら先に行ってしまいました。


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