第6話 夜泣き岩の怪

 パキパキと小枝を折りながら、勢いよく滑り落ちていく聡吉達。

 とちゅう大きな木に打ちつけられながら落ちるに任せていたところ、やがて強烈な痛みのあとに聡吉はゴツゴツとした固く冷たい感触を背中に覚えます。

 そしてすぐ隣でジャンという大きな音が聞こえ、その後に上から土がパラパラと落ちてくるのを感じました。

 おリンもこの崖下の川原まで落ちてきたのです。



「おい、無事か……?」

「痛ったた……擦りむいた」

「そうか無事か……。お前、殺す気か!」

「え、だって……。押して駄目なら引いてみろって言うから、引いたんじゃない」

「いつの話だよ!?」


 おリンは中野の飯場で聡吉が言った言葉を実践したというのです。

 思わぬおリンの返答に面食らってしまい、開いた口が塞がらない聡吉。


 ようやくおリンの顔がわかるくらいに意識が戻りはじめたとき、突如目の前に二つの火の玉が現れました。

 不意に鼻をかすめる粘っこいマツヤニの香り。


 狐火でしょうか、こちらにどんどん迫ってきます。


 もはやこれまでかと、聡吉が諦めかけたその時です。



「そこにだれかいるのか?」


 薄暗がりに浮かぶ松明の後でぼう、と現れたのは異常に右に身体が傾いた白髪頭の初老と乱れた髪型の足がない若い娘。


「ひいっ! お化け!」


 恐れおののく聡吉とおリン。おリンは履いていた足駄あしだ(高下駄)の片方をどこかへやってしまい、逃げることすら出来ません。


「あの……もしかして駒政のおリンさん?」

と娘の方に声をかけられると、呼ばれたおリンは半べそをかきながら彼女の方を振り返りました。


「ふえ? えっと……どちら様で?」


 聡吉も気になって娘の方に目をやると、なんと彼女の足は無いのではなく泥だらけで見えづらくなっていただけ。しかも、背中には幼子を背負っています。

 そう、あの泣き声の主は娘の背中で眠るこの子供だったのです。



「鉱山分局事務所で女中をしているナツであんす。そんで、隣にいるのが父でござんす」


 と、言われたところで皆目見当のつかなかったおリンでしたが、隣にいた父親の風貌を見て気がつきました。

 彼は木製の義足をつけています。


「おナツさんは……ギアシ……さん……の娘さん?」



 娘が頷くと、今度は聡吉が身を乗りだし

「おリンのことを知ってるんなら、当然おらのことも知ってるよな?」

と詰めかけました。

 しかし悲しいかな娘は眉頭を上げ、首を傾けてしまいます。


「おい! 蕎麦屋だ、マル蕎麦の聡吉!」

「はあ……」


 ナツは外食をすることがないので蕎麦屋の事も知りません。聡吉は自分のことをそれなりに顔の広い人間だと思っていたので、彼女の薄い反応に打ちひしがれてしまいました。


 そこへゆらゆらゆらゆら、ぱちと火の粉を泳がせながら松明の灯りがもう一つ。

 


「なんだ、皆さん揃い踏みじゃねえか」

「おっちゃん!」


 現れた男の腰に光る十手を見たおナツは、急に顔を曇らせギアシの脇に身をよせます。

 山本の方はそ知らぬふりで話を続けました。


「沢沿いのどこかに抜け道があるんじゃねえかと睨んでいたが、ここにあったとはな。探しているうちにすっかり暗くなっちまった、がんどう持ってくりゃあよかったぜ」

 

 がんどうとは巡視達が夜警で使う灯りのこと。山本は抜け道がすぐに見つかると思い持ってきていなかったのです。

おもいのほか捜索が難航し暗くなってしまったので、山本は仕方なく落ちていた木を集め松明を作りやり過ごしていたのでした。


「この辺りはいつも見廻りしていたんじゃないのか?」

「いや、この沢は見廻りの範囲じゃない。特に沢向こうの山地は官有地と民有地の境界が複雑に入り組んでいるから、おいら達でも迂闊には踏み込めねえのさ。日中はクマも出るしな」


 その話を聞いて、おリンは思い出します。


「そういえば大伽耶峠の近くにはうちの山があるんだけど、杣達そまこ(伐採人夫)がたまに林道で鉱夫を見かけるっていう話を聞くわ」

「へえ、わだすもそこを通ってきました」


 おリンの言葉におナツが答えました。


 大伽耶峠は沢向こうの山地にあって、聡吉達が住む別所村の南東に位置します。

 おナツは別所村にある自宅から大伽耶峠に入り、峠から険しい山道を通ってここまで来たのでした。

 道には迷わないための目印があるそうですが、子連れの女性がここまで来るのは楽ではなかったはずです。


「ケツワリした友造もこの道を通ったのかな……」

 

 山本は口元に手をあて黙り込んでしまいました。

 代わって聡吉が質問をします。


「けど実の親子ならさ、こそこそ会わなくても堂々と会ったらいんじゃね?」

「夫に内緒で来ているのであんす、どうかあの人には秘密にしていてい」


 すがるような目でこちらに訴える彼女の様子から察するに、よんどころのない事情なのでしょう。

 

 あいつは相変わらずかと尋ねながらおナツにいくらかのお金を手渡したギアシは、憤りを通り越して諦めにも似た顔をしています。


 藪から蛇で、立ち合ってはいけない場に立ち合ってしまったのではないかと後悔する聡吉でしたが山本は違いました。



「ひょっとしてあんた、借金でもしているのかい?」


 そう問われたおナツは目を伏せ、ばつが悪そうに頷きます。

 背中の子供はいつの間にか寝てしまったようで、沢の方に頭をそらして動きません。


「なるほど、今日は鉱夫の給料日だからな。毎月決まって給料日になると、二人はここで会ってるってえわけだ。するってえと、昨夜は会っていないってことだな?」


 これには父娘の二人が揃って頷きました。

 山本は質問を変えます。


「おナツさんは今日来る途中、山道で誰かと会わなかったかい? たとえば鉱夫とか」

「いえ」

「そうだな、会っていたら無事じゃあ済まねえからな。それじゃあ、女は見てないかい? 懸川地区で夜な夜な女の幽霊が出るってえ噂があってな」

「……いえ」


 冗談混じりにした二つ目の質問のあとで、おナツの目が泳いだのを山本は見逃しませんでした。


「いやね、実は今朝がた鉱山宛に脅迫状が届いたんだよ。投書されたのが昨日だとすれば時間帯は門鑑が閉じられたあとだし、文書が置かれていたのは内門鑑でも製錬施設のある懸川地区の方だから、どうも鉱山町の奴じゃあねえ」


 話を聞くおナツの様子がみるみるおかしくなっていくのを、その場にいた皆が感じます。


「おいらはその女の幽霊ってえのが怪しいんじゃねえかと思ってね」


 おナツに向けられた山本の鋭い視線に、ギアシがたまらず口を開きます。


「娘のことを疑っているんだろうが、さっき答えた通りわし等は昨夜どこにも出かけていない。他の連中が戻る頃だ、わしはそろそろ飯場に帰らせてもらう」


 山本はまだ何か聞きたいようでしたが、おリンが

「そうだ、わたし達も早くしないと、門鑑が閉まっちゃう」

と言いだしたので、それ以上問い詰めることなく帰ることを了承しました。



「聡坊らは二人で帰んな、この沢を下っていけば門鑑の前に出られる。おナツさん、あんたは門鑑から帰ったらまずいんだろう? 山には友造が潜んでいるかもしれんから、おいらが村まで送っていくぜ」


 もうすぐ日没、内外二つの門鑑が閉まる前に急いで帰らないといけません。

 ギアシはおナツの方を気にしながらも、飯場に戻っていきました。


 聡吉は先ほど自分達が滑り落ちてきた斜面の付近を調べ提灯を見つけると、山本の松明から火を分けてもらいおリンの足駄を探します。


 見つかった足駄には大きな石が挟まっていたので、取って履かせてあげるとおリンははにかんで

「えへへ、ありがとお」

としおらしくお礼を口にしました。



 フイフイと、カジカガエルの鳴き声が森に響いています。


 並んで沢を下りる二人は先程のことを振り返っていました。

 

「抜け道には目印があるっていってたけど、道が枝分かれしているってことかな?」

「わたしが杣達やまこ(伐採人夫)から聞いた話だと、山の中には懸川地区に出られる道もあるらしいわ」

「てことは、峠と夜鳴き岩の両方から抜け道を通って懸川地区へ行くことができるってことか……」


 そう言い少し思案した聡吉は話題を変えます。


「なあ、そういえばさ、あのギアシの娘さん……おなっつぁんだっけ? なんかおかしくなかったか? なんか隠してるっていうか……」


 聡吉はおナツの言動になんとなく違和感を覚えていましたが、おリンは冷静なもので

「どうだろ。いずれ昨夜は出かけていないって言うから、脅迫状を出した下手人ではないと思うけど……。いちおう調べてみる?」

とまあ、あっさりとした反応。


 フイフイフイフイ、そこかしこからカエルの声が聞こえてきます。


 緑の小さな光がポチポチと、二人の周りで現れては消え、現れては消え。

 おリンの横を追いぬいたその光は、茂みのむこうにある暗闇の中へと飲み込まれるようにして消えてゆきました。


 それから少し歩くと二つ三つ、さらにゆくと三つ四つ。緑の光はどんどん数が増えていきます。


 そして固い砂利の上を歩いてきた足に土の柔らかい感触が戻る頃になると、視界は開けて眼前に家々の明かりが見えてきました。

 先程の光の粒はどうでしょう。振り返ると沢辺の草むら一面、星のように飛び交っています。



「ホタルがいっぱい!」


 梅雨明け間近の夕間暮れ。


 おリンは光と戯れ、夏草のふわりとした香りに聡吉は包みこまれました。


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