第4話 山の警察
「大人しくしろ! そいつを捨てるんだ!」
内門鑑門前で刃物を持って暴れる男を、長柄を持った巡視達が取り囲んでいます。
巡視達が近づこうとすると、男は刃物を構えて威嚇する。
そんな一進一退の攻防が続いていたところへ颯爽と飛び込んできたのはザンバラ頭の初老でした。
朱色の房尾がついた十手を携え、右入身の形で男と対峙します。
「こっちに来るなてめえ、刺すぞ!」
相手が突きかかったところを、初老は凶器を捌きながら横へ回り込みました。それから腕を捕まえ十手で凶器を叩きおとし、掴んだ腕を後ろにねじあげて倒します。
後ろ手にとられた男の脇のしたには、十手が差し込まれているのでテコの原理でもって相手は身動きもとれません。
「山本君、良くやった! さあ、お前達もぼうとしてないで山本君を手伝うんだ」
陣頭指揮を執っていたもやしのような下掛の檄を受け、若い巡視達が一斉に飛びかかりました。
「くく……逃げられるとでも思ったのかな? よほど出ていきたいようだから、追山(鉱山追放)にしてあげるといい」
そう下掛に耳打ちをするのは、そのちっぽけな体躯と冷酷な性格からエンマコと影であだ名されるこの門監の長、番方巡視係の茶野です。
一番後ろからこの大捕物を悠々見物していた茶野は、パタパタと扇子をあおぎながらヘビのように執念深そうな目を光らせ他の下掛達にも指示を出しました。
「このことは主任に伝えてはならないよ、色々と
ブツブツと口説きながら丈の合っていない
「……ツワリ……造が……」
「……山の……脅迫……」
鉱山町内を流れるウド沢との合流地点で、別所村と鉱山町を隔てる川幅五間(約九メートル)程の金洗沢に架かる渡橋の袂に立ちはだかるのは内門鑑の木戸門です。
門をくぐった脇にある茅葺平屋の門監詰所の前では、藩政時代の地役人を思わせる和装姿の巡視達が右往左往駆け回っていました。
「あの……なんかあったすか?」
「お前には関係ない、さっさと行け!」
「はあ」
鉱山町の町外れ、表町地区にある内門鑑の詰所はいつになく慌ただしい様子。
巡視というのは鉱山分局から雇われた民間人で、番方巡視係のもと内門鑑の警備や鉱山町内の巡回取締を担う権限を持たない警察のような存在です。
限られた人員を駆使して町の周囲にある山々の見廻まで行わなければならないので、いまはとても聡吉に構っている余裕などありませんでした。
「なんだ聡坊、忘れ物か?」
そこへ現れたのは、長着を尻端折りにして紺の股引きを履いた先ほどの初老。
その腰のあたりで鈍い光を放っているのは、藩の解体とともに同心から譲り受けたという家宝の十手。
「おっちゃん!」
大あくびをしながら白いのが交じった無精髭を撫でるこの初老に、聡吉は洗いざらい事情を話しました。
すると彼は破顔一笑し、聡吉を詰所の脇へと促します。
「脅迫状を送りつけた犯人を捕まえてこいとは、あのおかみさんらしいや」
「笑い事じゃねえよ……。つってもまあ、こうして犯人が捕まったんなら、おらは晴れてお役御免なわけだ」
「さっきの刃物男なら脅迫状の犯人とは違うぞ、奴は脱獄犯だ。米泥棒をして、いままで揚り家(拘置所)にいたのさ」
そう言うと、初老は近くにあった杉の切株にのっしと腰掛け、
聡吉におっちゃんと呼ばれている巡視の山本は、家出をして着の身着のままの生活をしていた聡吉に、仕事や住む場所の世話をしてくれた親代わりのような存在です。
藩政時代には
彼の話によると、巡視達はいま脅迫状の件だけではなくそれと同時に起こったケツワリ(脱走)についても調べなければならないらしく、猫の手も借りたい程の忙しさのようでした。
聡吉はちょうど良いところにやってきたのです。
「仕事ってのァ、暇なときにはまるっきり暇なくせに、忙しいときには輪をかけて忙しくなりやがる。そうだ、お前ぇ、おいらの仕事を手伝え」
「はあ……」
無理難題を押し付けられて泣きつく岡持ちに、濡れ手に粟の老巡視。互いにとって渡りに船なこの状況で、トントン拍子に話がまとまる。
すると、ぽう、と山本が吐き出した煙も円満な輪となり宙に浮かびあがりました。
「お前えが女工達から聞いた金に困ってるやつってえのは、今回ケツワリをした友造だな。じつは今朝がた町内の親方衆に聞き込みをしていたんだが、そのケツワリのトモ以外にもう一人あやしい奴がいたことがわかった。ギアシってえ奴で、親方に隠れて夜な夜な出歩いているらしいが……」
「ギアシ!」
「なんだい、知ってるなら話が早え。お前えさんにゃ、そっちを調べてきてほしい」
とはいえ、ギアシと直接話をしたところではぐらかされるのが落ちです。
鉱山の仕事は鉱山分局から
鉱夫達は所属する金子親方の
「くれぐれも深入りはするな。何かわかった時点ですぐにおいらに知らせるんだ」
「ああ、わかったよ」
生返事をして飯場に向かう聡吉。
「ハア、生き返るなや……」
門監での喧騒とはうってかわり、杉木立の山道は静寂に包まれています。
響きわたる蝉時雨に混じり耳に入ってくるのは、ウド沢の清涼なせせらぎの音。
そこへ青々とした草木の香りを吸い込むと、先ほどまでかいていた汗が見る間に引いてゆきました。
鳥の囀りに聡吉が聞き入っていたその時です。
「げっ……」
急に聡吉の足が止まりました。なにかあったのでしょうか?
「げっ、てなによ! 抜け駆けするつもり? わたしたちで捜すって言ったでしょ」
桃割れに鹿の子の簪、露草模様の絽の着物を裾短に着て足に紺の脚絆を巻いた生娘が、その大福餅についた黒豆のような目を三角に尖らせちっちゃな身体を目一杯反らしながら仁王立ちしています。
「お前が来るとややこしくなるから帰れよ」
「言い出しっぺはわたしなのよ。わたしにはこの件に関わらなければならない責務があるわ」
「セキムだなんて、小難しい言葉を使いやがって。またごきげん姉ちゃんの受け売りだな……」
「とにかく行くってことよ!」
決して後戻りをせぬおリンの横を、すいとヤンマがすり抜けていきました。
内門鑑近辺の町総代や役人達が暮らす一等地から小学校、共同墓地と過ぎると、道幅は急に狭くなり坂道にさしかかります。
大人がようやくすれ違える程度しかない鈴音坂の片側は急な斜面、もう片側はウド沢が流れる崖となっており、上からでは見えませんが沢辺には夜泣き岩と呼ばれる奇岩がありました。
その岩には奇妙な云われがありまして、夜になると子供のような泣き声が聞こえてくるのだそうです。
「うわっ、くそ!」
ツナギ(小さなアブ)を追い払うのに必死な聡吉でしたが、おリンはお構いなしに話を続けました。
「そういえばあなた、誰を探してるの? 鉱夫達ならみんな
坂下の四番坑脇に建つ番小屋では、石番が踊るようにして坂をおりてくる怪しげな二人を訝しむような目で見ています。
鉱山は文字通り宝の山なわけですから、鉱石の不正な持ち出しを防がなければなりません。
町内に七ヶ所ある各坑口脇に設置された石番所では、鋪にたいする人や物の出入りを常駐する役人が監視しているのです。
「ギアシの事を聞きに、中野の飯場に行くんだよ」
飯場は町の一番奥にある七番坑の手前にあります。
返事をしながら聡吉が大根の葉を振り回していると、まもなく正面に山神神社の大きな鳥居と石段が見えてきました。
そこを右に曲がれば、山小屋千軒、下町千軒と称される町の中心にたどり着きます。
鉱山は牢獄だ。
鉱夫達は口を揃えてそう言いますが、彼等の暮らしぶりといったらどうでしょう。
通りを行き交う華美な服装をした女性達。
山間の狭い土地に折り重なるようにして建つ茅葺屋根の家々は、どれも銘木や唐木をふんだんに使った漆塗りの立派なものばかり。
男達も句会に興じる通気取りの旦那衆や、毎日白米の弁当を食べ晩酌を楽しむ鉱夫達など、ほかでは考えられない贅沢な暮らしをしているのです。
聡吉達は、三又に分かれる通りの辻を左へ入り荒沢町の通りに出ました。
七番坑がある荒沢町地区は藩政時代に山役所が置かれた高台の地域で、現在も供給詰所や診療所、上下床屋(藩政時代の精錬施設)などの重要施設が集中している町の中心地です。
「それにしても暑いわねえ、まだつかないの?」
「いや、そもそもついてこいとは言ってないからな」
「はい、ととのいました!」
「?」
「中野の飯場とかけまして、煙管の火とときます」
娘は湯上がり直後のような赤ら顔にうっすら桜色の汗をにじませ、黒目がちの目でなにかを求めるようにこちらを覗き込んでいます。
「その、こころは……?」
面倒そうに聡吉が合いの手をうつと、おリンは得意満面
「なかなかつきません! うっし!」
と見事落としてみせました。
一緒にいるとなにかと面倒な彼女ですが、こういう元気なところに救われたりもします。
暑さにうだる初夏の昼下がり、でこぼこした坂道の上には水溜まりのような陽炎がゆらゆらと眩い光を放ちながら揺れています。
石垣の上に建つ茅葺き家屋、中野の飯場はすぐそこです。
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