Decision of Paradise - 7

 眩しすぎる太陽。じっくり見つめればきっと目を焼かれる。

 初めての恋。

 それは熱過ぎて、眩しすぎて、愛しすぎて──素直に認めるには、あまりにも。





 朝日が昇り始める。地平線にわずかな光が現れ、だんだんと広がっていくさまは神秘的だった。

 光は四方に躍り出て、地上を照らし始める。

 今日は灼熱の一日になる──


 この日の朝陽を目にした者は誰もが、そう思ったことだろう。幕開け、そんな言葉がよく似合った。



 夜通しの進軍のあととあっても、この日の為に鍛え上げられてきた精鋭の一軍に、疲れの色は見えなかった。

 ダイス国家を象徴する白と青の旗が、大将の脇を固める騎士達によって高々と掲げられる。

 国境に立ち塞がる中小の山々を越えきり、今、彼らダイスの一軍はジャフの平野を見渡せる丘に辿り着いていた。


 ジャフの地形は、自然の要塞だ。

 四方を豊かな山に囲まれ、それを殻のようにして人口の集中した平野が守られている。王都、ひいては王宮はそのさらに中心に位置した。


 ここまでは楽な進軍だったといっていい。

 戦いを交わした相手といえば、国境付近を守っていたジャフの小規模な一隊のみで、後は時間との戦いだったのだ。

 ──出来るだけ早く、速やかに迅速に。

 圧倒的な数の差を前にするダイスにとってそれが最も、そして唯一の、重要な戦略だった。


 この戦いの敵は時間だと、誰もが覚悟をしていた。戦闘が泥沼化すれば勝ち目はない。その正規軍の数の差は、ダイスを一とすれば、ジャフは五十に近かった。

 ジャフ軍の多くが、鍛えられていない農村出身の歩兵であることを考えに入れたとしても、長期を戦える数ではない。


 まして──目的はジャフの殲滅ではない。


 あの狂王を。

 ダイス侵略を狙い続けてきたあのモルディハイ王の、首を取ることだ──



「こちらの方角から一気に進むべきでしょう。距離は最短のうえ、敵の重要な拠点を突けます。戦いは激しくなるでしょうが、最も効果的だ」

 ダイス軍軍師、将軍・タミールは前方を指してそう言った。

 国防の要であり、軍の統率においてジェレスマイアの右腕であるこの将軍は、鷹のような鋭い目をした壮年の男だ。


「ならば待つ理由は何もあるまい」

 ジェレスマイアは手綱を引きながら答えた。黒馬が前脚を上げ宙を搔いていななく。


「ええ、早ければ早いほどいい。日が昇りきるまでに王都へ」

 タミールはジェレスマイアの答えを最初から分かっていたようだった。同じく騎乗している馬の手綱を引くと、後ろへ振り返る。


「誇り高きダイスの騎士達よ! 我々は進軍する! 我が国の平和と繁栄を護るため、侵略を狙う狂王の首を討つのだ!」


 タミールが怒声を上げると、騎士達は歓声で答えた。

 おおお! その通りだ、我らに勝利を! 今こそ反旗を!

 大地を揺らす男達の雄叫びに迷いはなく、一軍の大将として、これほど熱い士気は得がたきものだ。しかしそれを聞くジェレスマイアに感慨は微塵もなかった。熱く叫ぶ男達 の声に、空しい哀れみさえ感じていた。


 一体このうちの何人が、無事に帰路に着くことができるというのだろう。


 少なくとも自分がその数に入ることはない。そう思っていた。いや、そう思いたかった。

 あまりにも揃いすぎた舞台に、今、予言の言葉が重く圧し掛かってくる。


 エマニュエルは今、ジャフの領地内にいるはずだ。しかもモルディハイのすぐ傍に。


 自分は罠に掛かったのだ。

 エマニュエルという餌に釣られ、敵の罠に足をからめとられて、今彼らの胸中に飛び込もうとしている。

 分かっている。分かっているのに、止めることは出来なかったし、今も引き返す気はない。


 エマニュエル、

 その名を想うだけで、


 理性など、もう……


 ──決戦は、長くはかからないだろう。

 今は洋々と昇るこの太陽が、逆の地平線へ落ちるころ、きっと全ての運命の答えが出ている。


 ジェレスマイアは遠く、朝日によってうっすらと視界に浮かんだジャフの王都を見据え──


「行くぞ!」

 剣をかかげ声を上げると、それを合図に、数百の騎馬隊は疾風のごとく丘を下った。





 エマニュエルはあれから一睡も出来なかった。

 そのせいで身体が重く、だるい。しかし精神だけは嫌というほど研ぎ澄まされていて、その不均衡が、ますます緊張をあおってくるという悪循環だ。

(こんな……)


 今、エマニュエルはジャフ王宮の外に広がる石畳の広場にいる。

 しかし一人ではない。

 ここに無理矢理連れてこられたのは数刻前で、以来、エマニュエルは天幕の下にモルディハイと共に並ばされていた。


 前、横、後ろと、鉄甲に身を包んだ無数の一軍が周りを囲んでいる。

 その数はあまりにも多く、大まかな想像さえつかなかった。

 隣のモルディハイも彼らと同じく、頑強そうな鉄甲を胸部、すね、腕にあてている。他の兵士達と違うのは、そこに意匠をこらした燃えるような赤の装飾模様がほどこされていることだ。


 いくらエマニュエルに見つめられても、モルディハイは彼女の方へは振り返らなかった。


「陛下。ダイス軍が先刻、カスガの街を通過したと」

 高位の部下と思える年配の男がやってきて、モルディハイに耳打ちした。モルディハイは真っ直ぐ前を見据えたまま答える。


「いいだろう、想像した通りだ。奴らが通過する街は全て見捨ててしまえ。油断させるのも手だ」

「はっ!」

「集められる戦力は全て、この王宮周囲に固めろ」


 彼らのやりとりは、エマニュエルの耳にも届く。

 そこには、隠していないというよりも、わざわざエマニュエルに聞かせるように喋っている印象さえあった。


「これで奴らは、ここに辿り着いた時には針のむしろとなることだろう。胸中まで敵を誘き寄せ、一気に食い掛かる……我々だからこそ許される戦術だ」


 ──何を。エマニュエルに何を言えというのだろう。

 全くの素人で、世間知らずなエマニュエルでさえ状況を理解できた。


 モルディハイはダイス軍が攻め入ってきているのを分かった上で、通過地点となる市街地への援軍を一切行わず、そこで応戦する地元の部隊を見殺しにして、ここでジェレスマイアの到着を構えて待っているというわけだ。

 確かに、圧倒的多数を誇り、王宮の守りに自信があるからこそ許される行為だった。

 そして、ひどく残酷な戦法だ。


(どうして……こんな……)


 自殺行為だ。それを、あのジェレスマイアに分からないはずがない。

 何が彼をこんなに愚かな所業に走らせたのか。


(私の、ために……?)


 エマニュエルの瞳に、涙が溢れそうになる。予言はなんだったのだろう。

 この命は、エマニュエルの命は今、ジェレスマイアの願いを叶えるどころか彼を滅亡へ導こうとしている。


 エマニュエルは着せられた白いドレスの裾をきゅっと掴んで、唇を噛んだ。


 運命の歯車はもう動き出してしまった。止めることは叶わない。

 では今、エマニュエルに、何が出来るのだろう?


 この不可解な出来事の連鎖を、あの預言者は知っていたというのだろうか。知っていて、あの予言をしたというのだろうか──


(だとしたら……)

 今、この決戦こそが、預言の成就の時となるのだろうか……。



 そして、長い緊張の一日を経て、灼熱の日が斜陽に入り始めたころ。

 大軍の先に、興奮のざわめきが起こりだした。

 モルディハイとエマニュエルをはじめ、高位の将らしき数人が控えているこの天幕からは、先頭の様子までを肉眼で見渡すことは出来ない。

 伝達兵がおり、彼らがせわしく最前線の様子を伝えに来るのだ。

 その一人が慌てて天幕へ入ってきた。


「陛下、恐れながら、ダイス軍が王都内まで侵入してきたようです」

 兵はうやうやしく、しかし興奮した様子でそう言った。


「数はそれほど増減しておりません。市街地に被害は余りありませんが、侵入路に当たった街に駐屯していた部隊は皆、ほぼ全滅です。しかし両一日をかけての戦闘の後、そろそろ連中にも疲労が出てくる頃かと」

「当然だ、しかし油断は許さん。大将はダイス王本人で変わらないな」

「は。逃げ延びた者によれば、まるで死神の様だったと」

「──フン」


 モルディハイは皮肉っぽく口元をゆがめ、鉄甲の上から背負っていた濃い赤のマントをひるがえすと、前へ進んだ。


「この瞬間を待っていたのだ──奴の、地獄に苦しむさまを見届ける瞬間を」


 まるで独り言のようにそう言って、モルディハイは天幕から出た。

 あれ以来、最後までエマニュエルを振り返ることはなく、声を掛けることさえ一度もないままだった。


「剣を持て」

 モルディハイの命令と同時に、後ろに控えていた仕官の一人が、豪華なクッションに乗せられた大剣をモルディハイの前に差し出した。


 それに手を掛けたときのモルディハイの表情を──エマニュエルは一生、忘れることが出来ないだろう。


 嗚呼、きっと。ジェレスマイアが死神と呼ばれる有様に身を落としたのは、このもう一人の死神と対峙するためだ。

 彼と戦うために。


 二人の王者は、今──



 快進撃を続けてきたダイス軍は、しかし、敵の王宮を目前にして一時、その進行を止めた。

 彼らは今、ジャフ王宮を前にして、その大軍と対峙している。


 いくら勝ち戦を続けてきたとはいえ、一日以上続く強行軍の果て。

 怪我人も少なくない。

 それが今、この最後の砦──ジャフ王宮を前に、そこを守る幾万とも思える圧倒的な大軍との戦いが始まろうとしているのだ。


 遠く視界の先に立ち並ぶジャフ軍の数は、大地をも飲み込んでしまいそうな膨大さだった。

 対して自分達は数百。

 後ろから来る後援を入れても、目の前の大軍の半分にも満たない。


 隣のタミールが息を呑んでいるのを、ジェレスマイアは聞いた。


「──タミール」

 ジェレスマイアの声に、タミールが振り向く。


 タミールの、王を見返す瞳に迷いはなかった。そこは流石に将軍といわれる男だ。タミールが何を思っているのか、何を言おうとしているのか、ジェレスマイアには分かっている。しかし世界がこの精悍な男を失うには、まだ余りにも早い──。ジェレスマイアには、それも分かっていた。


「ジャフ軍は残虐な連中だ。しかし……無駄な事はしない。私の首を取ればそれで満足する筈だ」


 ジェレスマイアの言葉に、タミールは首を横に振る。


「ともなれば王よ、私どもも貴方と共に。敵軍の元に下るなど、誇り高きダイスの血が許しません」

「早まるな。私に子はない。国の未来には、タミール、お前のような者が一人でも多く必要だ」

「いいえ、我々に必要なのは貴方です、王!」

 タミールが声を上げた。しかしジェレスマイアは落ち着いた声のまま答える。


「ジャフ王は私との一騎打ちを望むだろう。その結果次第では──分かっているな」


 タミールの眉間に皺がより、瞳が、心なしか赤く染まっていく。


「貴方が負けることはありません……我が王。気高きダイス王家の血を引く者」


 そう言ったタミールの言葉に、ジェレスマイアは答えなかった。

 ただ静かに腰の剣を引き抜くと、ゆっくり前へ向き直った。



 ジェレスマイアが剣を高く掲げ、進撃の号令を上げる──そして、対するモルディハイのそれも、ほぼ同時だった。



 両軍が衝突する。

 大地は揺さぶられ、そして





 この戦いは、後の歴史書に『赤の決戦』と呼ばれた。

 大国ジャフに侵略を狙われていた小国ダイスが、その誇り高さをもって先にジャフに侵入し、悪名高いジャフ王を討とうとした──。

 経緯いきさつはそう記されている。

 血で血を洗う戦闘は、舞台となったジャフ王宮目前の広大な敷地を、赤に染めたという。


 しかし、その結果がどうなったのかは、多くの謎に包まれたまま、歴史の闇に放り込まれることとなった。

 激しかった戦いは、しかし、次の朝には完全に終わっている。


 勝敗がはっきりせず、歴史家は、引き分けのようなものだったのではないかと、首を捻りながら適当に結論付けている始末だった。


 ただ結論として分かっているのは、以下の通り──



 両国は、この決戦の後、しばらく断交状態が続いた。

 何年か続いたその断交の後──ダイス王に初めての世継ぎが生まれた年、ダイス側がジャフに使節を送り始めると、両者は少しずつ歩み寄っていく。


 それが、その後何十年と続く両国の強い絆の始まりだったと。


 分かっているのは、ここまでだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る