Chapter 2: Secret of Paradise - 楽園のひみつ
Secret of Paradise - 1
晴れた春の朝に、小鳥がさえずる理由……。
どうして夏の空が、冬のそれより近くに感じるのか──そして、秋の風が何故、あんなに心を擽るのか。
不思議、とは、そんな種類のものだった。
それが、今までエマニュエルが知っていた、世界の全て──
Chapter 2: Secret of Paradise 1
「エマニュエル様、どちらへいらっしゃるんですか? ご一緒致します」
そっと扉に手を掛けようとしたところ。
不意に後ろから声を掛けられて、エマニュエルはぎくりと振り返った。振り返った先には、もちろん、毅然とした表情のギレンがいて、エマニュエルの方へ足早に駆け寄ってく る。
「えっと、少し外を見たいなって……」
「ご一緒しますわ。庭園がよろしいですか? それとも温室へ……?」
「……そういうのじゃなくて、あの」
エマニュエルの怪我は、ずっと安静にしていたお陰か、あれから十日を数えた今ではもう、動き回れるほどに回復している。
もともと看守がエマニュエルに与えた暴力も、彼女が泣きながら懇願する姿を楽しむ為だったらしく──打ち身や擦り傷はひどかったが、決定的な大怪我はない。
とにかく若さも手伝って、エマニュエルの容態はすでに良好だった。
そして──
それは、ただ大人しくベッドで休んでいることの、終わりを意味していた。
「何かもっと、面白いところとか、その……っ」
扉に手を付いたまま、エマニュエルがそう口篭ると、ギレンは眉を八の字にした。
「庭園は、素敵ですのに?」
「そうじゃなくって……!」
あれ以来、ギレンはほぼ四六時中エマニュエルに付き添っていた。
流石に夜は下がるが、その間はエマニュエルの部屋の外に警備が付いている。
当初……完全に部屋で軟禁されるのかと恐れていたエマニュエルだが、それは無く、思ったよりは自由に歩き回れる身だ。
ただし、何処へ行くにもこのギレンが付いてくる。
そして『思ったより自由』のその範囲は、やはり王宮内に限られていた。
「外を見てみたいな……って……」
「?」
ギレンはことごとく、エマニュエルの言動に不可解な顔をした。
そして気が付くのだ──彼らの常識、というものが、いかにエマニュエルにとってのそれとかけ離れたものであるのかを。
ギレンにとって『外』とは、王宮内の庭園を意味した。エマニュエルにとってのそこは、ただ、屋根がないというだけで、室内と大きな違いは無い。
『外』とは、もっと広大なものだ──。
鳥が歌い、動物が生活し、木々がざわめく……そんな。
「庭園も綺麗だったけど、少し、違うんです」
「まあ……」
そして部屋に居ようにも、ここには本当に何もないのだ。
ただ装飾だけがひたすらに美しく、生活を思わせるものは何も置いていない。
必要とあればギレンが何でも運んでくる──とのことだった。が、彼女が気を利かせて持ってくる物といえば、ドレスや装飾品の類が多く、それがエマニュエルの慰めになることは少なかった。
「本当に……王も、罪な方ですわね」
そして、あの日を最後に、ジェレスマイアがエマニュエルに顔を見せる事もなかった。
ギレンはエマニュエルの気紛れを、王が充分に構ってやらないからだと──そう、結論づけていた。
*
「ふぅ……」
とりあえずエマニュエルはギレンと、庭園の端に腰を落ち着ける。
過ぎるほど手の行き届いた、芸術的な庭。
広さはぐるりと見渡せる程度だろうか──世間を知らないエマニュエルに規模の大小ははっきりしないが、庭として狭いものではないのは確かだ。
しかもここは、『王の間』専用の庭園らしく、他の者の出入りはほとんどない。
居るのはふたりと、要所要点に立っている警備らしき騎士だけ。
(どうすればいいんだろう……)
芝生の上に布を敷き、その上にちょこんと座る。
ギレンの頭には縁の広い帽子が乗っていた。日差しを避けるため、らしい──。
これもまた、エマニュエルにはよく理解しきれない行為だ。
(逃げるにもまず、どうなってるのか探らなきゃ……)
一度、夜中にこっそりと部屋から外へ出ようとした。
が、扉から顔を出すと、厳しい顔をした警備がふたり、エマニュエルの外出を問答無用で遮った。
仕方なく部屋に戻り窓から下を覗いても──そこには同じような厳つい表情の警備達が、剣を腰に帯び、うろうろとしている。
そしてマスキールは毎日、日が暮れたあと、エマニュエルを訪れては短い会話をしていく。
せめて両親の様子が知りたいとエマニュエルが懇願すると──
彼らには、王宮からすでに知らせを送っていると彼は言った。エマニュエルは王宮で無事に過ごしており、しばらくここに留まる、と。
(結局、分からなかったな)
──何故、ジェレスマイアが自分を必要としているのか。
『時が来れば』
その、言葉の意味を。
彼はなぜ、自分を必要としているのだろう……?
外の空気を楽しんでいるのか……上を向きながら瞳を伏せるギレンを横目に見て、エマニュエルは自分の格好に視線を落とした。
こんな風に自分を囲って、豪華な食事を与えて、美しい洋服を着せる。
もちろん持ってくるのはギレンだが、出所はすべて、あの王からだ。
──逃げるべきだと思う。
何を与えてくれたところで、彼の最終的な目的はエマニュエルを殺すことだ。
逃げて、父や母の顔を見たい……と。
しかし王宮の者達は彼らの居場所を知っているのだ。今となっては、以前のように逃げ続けられるとも思えない。
身の振り方が分からず、それに悶々とするのが、ここ数日──怪我が治ってからのエマニュエルの時間の殆どだった。
「──エマニュエル様は、書物はお好きかしら?」
そんな時、ふっと思い出したようにギレンが言った。
いつの間にかエマニュエルの方を向き、朗らかな笑顔を見せている。
エマニュエルはギクリとして顔を上げた。
「え? ほ、本ですか?」
「ええ、何か……詩集や物語を」
「詩集だけはあまり……でも、本は好きです」
──それは本当だ。エマニュエルは確かに、正式に公共の場で学んだことはない。
けれど読み書き等の基礎知識は、両親から充分に与えられている。
本、も……確かに好きだった。特に父が読書家で、彼の持っていた本はほとんどすべて、エマニュエルも読んでいたくらいだ。
「王の間からは少し離れていますけど……図書館が王宮の東にあります。お時間があるのなら、それも御一興かと思って」
「…………」
──本。
その時、エマニュエルの頭の中で、小さな花火が煌いたような感覚を覚えた。
そうだ、本なら、何かしらの知識が得られるかも知れない。
王宮の内情やあの予言──預言者の真意や、それがどれだけ信用性があるのか……?
こういった事をギレンに話す気には、未だになれない。
そのくらい彼女は無邪気だったのだ。エマニュエルとは少し違う方向に、ひじょうに純粋な少女で。
「私も行けますか? その、図書館へ」
エマニュエルが訊くと、ギレンは片手を頬に当てて首を傾げた。
「それは……マスキール様にお伺いしないと。でも、私が行って、御所望の本を取ってきて差し上げられますわ。国一番の蔵書量と言われているんですよ」
ギレンの言葉を受けて、エマニュエルは静かに考えを巡らせた。
──大したことではないかも知れない。
しかし何もせずただその『時』とやらをを待っている訳には、やはり、いかないのだ──。
*
「『預言者の歴史』、『歴史を動かした預言の記録』それに……『王家のはじまり』ですか」
マスキールは重ねられた厚い本を一冊一冊、軽々と持ち上げると、眉を上げながらその題を読み上げた。エマニュエルがそんな彼を、上目遣いに軽く睨む。
と、マスキールは可笑しそうに口の端を上げた。
「なかなか分かりやすいお方だ。怪我が治ったと思ったら、これですか」
「ば……馬鹿にしないで下さいっ」
「してませんよ」
そしてまたバサリと、本を元の位置に戻した。
エマニュエルの手にはやはり、それとは別の本が一冊、ページの途中で開かれたままだ。
「お気持ちは分かります──今日、ギレンから聞きましたよ。図書館へ行くのを希望されたとか?」
「……それは」
エマニュエルは言うべき言葉がすぐに見つからず、口篭った。
──実を言うと、この話題を彼と話すのは初対面の時以来だ。エマニュエル自身寝込んでいたし、マスキールも自分からは話を振らなかった。
けれど今は知りたいと思う──。話したい、とも。
「知りたいんです、あの預言について。それも……いけませんか」
──時は宵。
エマニュエルはベッドの上で、背もたれに身体を預け、本を読み始めたところだった。
マスキールはそんなエマニュエルの傍に近付くと、ベッドの縁に腰を休める。
とはいえベッドが大きいので、ふたりの間にはそれなりの距離があり──。
「いけないとは言っていません。ただ──貴女を王の間から出すのは、王の許可がいりますから」
「王……」
特に意味もなく。エマニュエルはその単語を反芻した。
「貴方は、知って……?」
「何を、です」
「……っ、分かってる筈です。どうして、あの王様が……」
「──貴女を殺そうとしているのか?」
マスキールは真っ直ぐに言葉の矢を放った。
それがまた真っ直ぐに、エマニュエルの心に刺さった──。
エマニュエルは目を伏せてしまいたい気分だった。が、ここで逃げてもどうにもならないことも、また、本能でよく分かっている。
「貴女はまだまだ世間知らずだ──けれど、頭が悪い訳ではないようですね。どう説明するべきか」
結局、そう言って目を伏せたのは、マスキールの方だった。
目を伏せて、その瞼の奥で、何かを考えている。そして顔を上げて話し始めた。
「正直に言いましょう。細かいところは、私もまだ知らない、と」
意外にもマスキールの言葉は、どこか歯切れが悪い。
「──王が何を望んでいるのか、それは存じています。しかし、あの方が貴女をここに置いている理由は……私にも謎です」
そう言うと、マスキールは少し情けない感じで、ひょいと肩を竦める。
逆にエマニュエルは憮然とした。
「でもギレンは、貴方が一番王様と近いって……」
「一番近くて、これです。あの方の胸の内は、実の所、誰にも分からないんですよ」
「誰にも……」
それで、どうやって生きていくのだろう……?
そんな疑問が、エマニュエルの中に浮かんだ。何故か、きゅっと胸が締めつけられるような感じがした。
あの灰色の瞳が脳裏に浮かんだ。
ここには今、彼は居ないはずなのに……何故か、あの瞳に睨みつけられているような気分にもなる……。
「父君である先王と母君が亡くなられてからは、特に。あの方は一番大切な部分を、誰にも見せようとしない。自己防衛でしょうが、時々……」
そう続けたマスキールの口調は、どこか独り言の趣があった。
エマニュエルが瞳を瞬かせると、はっと我に返ったように、言葉を止める。
「──とにかく」
マスキールはそう言って咳払いをした。
「なにかほかに御所望のものは? 図書館の件は、まだ保留です。当面はご要望があればギレンに行かせますから」
エマニュエルはそんなマスキールを見つめた。
何故か最初から、この男には妙な信頼感と、そしてそれと同じ位の抜け目のなさを感じる。
答えてくれるかどうかは、定かでなかった。が──エマニュエルはもう一度同じ質問を繰り返した。
「じゃあせめて……教えてください。あの王様が、何を望んでいるのか……」
この時、聞かなければ。
知らなければ、迷うこともなかったのかも知れない。
逃げ出して、隠れて、どこか遠くへ両親と共に姿を消して。
自分達だけの小さな楽園で、また、幸せを享受するの……。
でも、でもね。
だからこそ私は留まれた。そして最後には、本当の、私だけの楽園を見つけられた……。
マスキールはまっすぐにエマニュエルを見据えた。
どこか、エマニュエルの器を推し量ろうとするような視線だ。
しばらくすると、マスキールは部屋を見渡した。そして誰も居ないのを確認すると──声を落とした。真剣な顔で。
「──戦争が、始まろうとしています」
「なっ!」
「しっ。声を上げないで下さい」
「…………っ」
突然の、あまりの告白にエマニュエルは声を失った。
それに対しマスキールは、逆に口調に熱を込める。しかし声は低く、押さえたままだ。
「大国ジャフが、ダイスを侵略しようとしています。一度開戦してしまえば……我らダイスに勝ち目はない……」
エマニュエルの瞳が大きく揺れたのを、マスキールは見逃さなかった。
あぁ……これは、意外と得策だったのかも知れないと……残酷とは分かっていながらも、この国の宰相である自分が、頭の端でそう考えた。
良心のある娘だ──。
これを言ってしまえばもう、逃げようとはしないかも知れない……と、そう。
「奇跡が、必要なのです。エマニュエル様」
「きせ、き……?」
エマニュエルは息を呑んだ。
マスキールは続ける。
「戦いを止めるためのなにか。幾万もの命を救うことの出来る、奇跡──王が望んでいるのは、ただそれだけです」
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