昼寝の後の銃撃戦

ハナビシトモエ

物語はこれにて終わり也

 塾の先生してはるのやったら、頭はようないといけませんね。私らはそんな仕事出来まへんわ。さすが、先生さんやね。

 一か月に一回でも面倒なのに、これが隣人の集団に会うと毎回言われる。京都人独特の言葉遣いと、明らかに裏のある表現。早番ならいざ知らず、遅番の時は苦痛で部屋のバルコニーからアパートの入り口に隣人の集団がいないか俺はチェックする事が日課だ。

 そこまで気を揉むのが精神衛生上悪いと言われればなんとも言えないのは少し苦しい。入社五年目にして塾教育界大手の開講ゼミナールの森ノ宮校塾長に就いたのは半年前の新年度からだ。



 熱意は新卒の一年でお亡くなりになった。



 真剣な生徒はさっさと違う大手に行き、少人数の本気の生徒とその他大勢をどうにか進学校に進ませないと査定が苦しくなる。


 休憩時間は他の社員とぶつからないように生徒が来ない十四時から十四時半の三十分。五分でエネルギーチャージをして、二十分は講師室の隅で眠ることが多い。自宅にいてはあの隣人の集団が頭につく。もうどこでもいいから、俺には休息が必要だった。



 どかどか、がらがら。

 そんな音が聞こえたので、今日は水曜日かと思い至った。一つ上の階で進路が決まった塾生が暴れているのだ。自習室には本来真剣に進路を見定める生徒達がいるはずなのに、アレがいるせいで進路がまだ決まっていない塾生がタピオカやらダブルチーズバーガーを持ち込んで毎日お祭りだ。特に水曜日が一番荒れる。


 講師室の隣の教室から背の高い男がこちらを覗き、上へと指した。副塾長、俺の元教育係だ。


 行きたくない。熱意が無いから厳しく叱るのは疲れるからしたくない。


 エレベーターを降りるとしんと静まり返っている。これはいつも通り、明らかに何かが燃えた臭いがした。火事になると困ると塾生に言わないといけない。



「お前ら、帰れ」


「チンパン、これは熱意ある実験だよ」

 塾生の特に中学生から俺はチンパンと呼ばれている。失礼なことにチンパンジーに似ているからだそうだ。小学生の前でもそう呼ぶので最近小学生がチンパンと呼ぶことがある。非常に迷惑だ。止めて欲しい。



「実験の内容を聞こう」


「アルコールティッシュに火をつけたら燃焼するのか実験」


「あのな」


「ちゃんと灰皿の上でやったよ」

 煙草の匂いはしない。


「それでどうなった?」


「溶けた」


「良かったな」


「良くないよ。これじゃ、ただのアルコールもどきティッシュだ」


「分かった。今日は帰れ、間違えても窓から放り投げて落下しながらでも燃焼するのか実験は止めろよ」

 進路が決まっている児島と岩下はカバンに灰皿とアルコールティッシュにマッチ棒をいれて自習室から出て行った。



 児島は部活動が盛んな東陽学院に推薦で、岩下は高専に受かっている。他に一人東陽学院に合格した仁科という女子塾生もいるが、こういう事には興味がないらしい。



 一週間はつつがなく終わり、また水曜日がやってきた。上から音がする。副塾長は上を指した。俺はエレベーターに乗って上に向かった。しかし自習室には誰もいなかった。自習室にまだ決まっていない塾生が多くいた。なるほど、中にいると実験がしにくいと思ったらしい。気配と音で分かる。非常階段だ。


 俺は鍵のかかっていない扉を開けた。四つん這いの児島の上に立って背伸びしている岩下と岩下の手には太いロープ。



「念の為に聞こう。何をやっている」


「この建物って、屋上無いの?」


「保守用にしか使わない」


「困ったな」

 困ったのはこっちだ。転落されたら責任問題になる。


「やっぱ家から脚立持ってくるべきだった。あと、もう少し児島の体がでかければ届いたのに」


「何をやっている」


「チンパンは見て分からない?」


「分かってたら聞かない」


「屋上から山を見たかったんだ。この辺だと見ることが出来るのって、この辺に住むマンション族なわけ、俺も児島も戸建てだし、山には深い憧れと尊敬の心が」


「帰れ。あと、ロープは置いていけ」


「チンパンも登りたくなった?」


「安全管理上、こちらで処分する」

 ぐちぐち言いながら二人は帰って行った。その次の日、消火器を貸してくれと言われたが固辞した。どうせろくなことにしか使わない。



 水曜日。ガタガタ音がする。

 エレベーターに乗って自習室に向かった。


「お前ら何してる」


「なんだよ。チンパンか」

 クラッカーのゴミが降りかかった。


「ドンが誕生日なの。ケーキも用意してるから内緒ね」

 進路が決まっていない生徒も勢揃いだ。


「この為に他の人には帰ってもらったんだから、邪魔しないでよね」

 エレベーターの音が後ろから聞こえた。


「チンパンどいて」

 仕事をしているのにどかされた。


「ドンおめでとう」

 脇で鳴るクラッカー、持ってこられたケーキにたくさんのプレゼント。


「え、サプライズ。めちゃくちゃ嬉しい」


「ほら、チンパンも仕事に戻ってエレベーターに乗って」

 押し込まれたが、ここにいることも仕事の一つだ。ただ熱意は無いので、あまり暴れるなと言って講師室に戻った。




 水曜日だ。音がしない。

 こういう日もあるのか。


「塾長、外」

 副塾長の顔が白い。なんだなんだと外を見ると大きな通りの手前に数人、対岸に数人。窓を開けると声が聞こえた。


「真ん中の線がネットね」


「おーい」


「行くぞ、それ」


「風に飛ばされたな。やっぱ軽いのはダメだな」


「水道で水を入れて来るよ」

 コンドームバレーボールか、よくそういう発想が出来るな。勉学に生かしてくれ。


「警察ものですよ」

 そう言われて、俺は建物を非常階段から外に出た。


「何やってる」


「見て分からない? バレーボール」


「こんな車通りの多いところでそんなことするな。補導されるぞ」


「チンパンが路地だったらいいって」


「確かに危ないと思っていたの」


「それで何やってる」


「研究班、説明してやれ」

 児島と岩下は手前の歩道で腕を組んで難しそうな顔をしている。


「0.02は少し軽すぎるか。厚めがいいか」


「0.03は誤差だ。もう少し重さがあるものは無いか」


「普通の風船はどうだ」


「コンドームの方が安価だ。チンパンも理科の先生なら物理法則を元に教えて欲しい。電線に引っ掛かったらショートだ」


「帰れ」


「おーい、みんな公園に行くぞ」

 児島が対岸の塾生に声を掛け、塾の前の自転車にまたがった。明日は前期の試験だ。


「お前ら試験は」

 さすがに唖然とした。この危機感の無さはなんだ。


「普段から何もしていないやつが前日に頑張っても無駄です。緊張でおかしくなるくらいなら遊んでリラックスして試験を受けた方がいいに決まっています」

 岩下はもっともらしく言っているが、それはお前が進路を決めているからだろう。


「ドンキで厚いやつを探しに行こう」


「快感が薄れるから厚いやつは売っていない。通販がいいだろう」


 中学生で使を知っているのか。早すぎないか。

 塾生はわらわらと集まって散った。



 水曜日、前期が終わって結果はもう出た。上から音はしない。副塾長は上を指した。一応、行ってこいとのことだった。エレベーターに乗って自習室に行った。部屋は暗かった。なんだか音声が聞こえて、光源もある。


 何となくやっていることの想像がついた。


「何をやっている」


「今、いいところなのに明るくしないでよ。ドラえもんも佳境に入っているよ」


「それで何をやっている」


「慰労会。まさか落ちると思っていなかった面々を励まして、未来につなげる会」


「お前ら、いい加減にしろ」

 熱意は無くても大人として怒るべきラインはある。


「児島や岩下は他の奴らの将来に責任を持てるのか。お前らは邪魔ばかりだ。勉強なんてみんなしたくないさ、それでも頑張っている奴もいるんだ。こんなことなら高校の先取り講座をするまでここには来るな。分かったな。帰れ」

 誰もドラえもんの事を話さなかった。児島と岩下はプレイヤーとDVDを片づけて自習室を出て行った。後期の試験が終わるまで、水曜日に音がすることは無かった。


 あまりにも何も無いので不気味だった。あれほど大暴れした二人がいないのはどこか寂しかった。後期の結果発表があり、受験生の塾生は全員合格をした。ラスト二週間、みっちり講座は組んだ。



 水曜日は二回来る。


 一回目の水曜日。昼寝をしていたのにガタガタ音がした。副塾長は上を指す。エレベーターに乗って上に行くと机に空き缶を並べて倒している。


「何をしている」


「銃撃戦」

 見ると銃の様な物を持って、ポンポン鳴らしてゴム栓を飛ばしている。


 この状況は昼寝の後の銃撃戦とでも言おうか。


「殺傷能力」

 大人として聞かないといけない。


「塩ビ管にメチル入れてライターの火花で着火し中の圧力でゴム栓を飛ばす。出来て少し腫れる程度だ」


「なんでそんなものを作る必要がある」


「火炎放射器は作ったし、消火器の性能は試した。無意味だと思っている事には大きな意味があって、意味があると思っている事には大して意味がない」

 岩下は自前の銃もどきを指でなぞった。


「でもさ、家では勉強しろとだけ言われて親がそうだからって行きたくもない高専に受かって、児島は家じゃ息出来ないっていうからここは最後の砦」


「ここはそういうところじゃない」


はちゃんと大人なんだね。児島、片づけよう」


「分かった。缶はコンビニか」


「こんな大量じゃバレるからそうしよう」


「お前ら、その」


「チンパンと遊ぶの面白かった。一年間ありがとう」

 二人はそう言い残して、エレベーターに乗って降りて行った。後味が悪い。そう思ったのは次の水曜日が終わった後には消えていた。あんなふざけていたのに最後の講座はみんな真面目だった。



 送別会は和気あいあいとし、お菓子もジュースも楽しく消化している。将来の展望を話してくれる塾生もいて、それを聞くと少しだけこの仕事をしていて良かったなと思った。サプライズプレゼントも貰った。聞くと手紙に寄せ書きとプレゼントも箱に入っているという。



 喜んで開けるとたくさんのお菓子と寄せ書き、化粧ポーチが入っている。男に化粧ポーチか。ジッパーを開けると雑に入れられたコンドームと精力剤。児島の字でメモにはこう書いてあった。

 


 物語はこれにて終わり也と。

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昼寝の後の銃撃戦 ハナビシトモエ @sikasann

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