第26話 魔術人形、脱出する。
言葉の意味が理解できなかった。
「消滅!? どういう意味ですか!?」
とエルゴの方を向いたが、既にどこにもいなかった。コギトのような跳躍魔術【ショートカット】に匹敵するものを使ったのかもしれない。ワープトラップ付きのダンジョンを構築できるのならば、空間の連続性を無視して移動する技術も未来にはあるのだろう。
「ワープトラップってあったじゃん? アレの超ヤバい版。敢えてワープを失敗させることで、どこでもないどこかに送っちまうチートトラップを作動させたのさ」
通常回線が繋がらなくなったのは消滅の前触れだろう。早速ダンジョンと地表の空間位相にズレが生じたのだ。
幸い探知魔術のフィードバックを検知したところ、消滅の範囲内にいるのは自分達だけのようで、結やエレナには及んでいないようだ。
しかし自分達というのは、正確にはあの少女も含む。
「傘音が危険です!! 跳躍魔術【ショートカット】を発動します!!」
勢いで発動したが、今度は傘音の隣へ出現する事に成功した。どうやら一体目のエルゴが、不可視の壁の維持機構も兼ねていたらしい。
「傘音!! 傘音の無事を認識しました!」
「コギト君!? きゅ、急に教室が地下に行っちゃって、それで抜け出せなくて……」
ダンジョンと一体化して変形もしていた教室の中心で、傘音は無傷だった。だが突如怪物の巣窟に放り込まれたことによる不安げな顔で、一緒に跳んできた新や駆を見るのだった。
「コギト君……それにダンジョン庁長官に、橋尾君……いや、橋尾君怪我だらけじゃないですか!?」
「放っておけ」
と取り付く島もない駆を差し置いて、新のホログラムが前に出る。
その目はどこか品定めをするような視線になっていた。
「まあ、コギトの跳躍魔術があれば数秒で脱出は出来るだろう。別段差し迫った状況でも無さそうだ……だから脱出前に一つ君に確認したいことがある」
「は、はい?」
「……君は旧校舎に良く来ていたそうだな。何故朝からこんな所に来ていた?」
アンドロイドへ向けていた冷たい敵意よりは少しだけ柔らかい、敵かどうか見定める大人の横顔。先程その表情で話されていた情報を思い出す。
トランティはエージェントを各国に派遣している。
その中でもエージェント178は付近に潜伏していて、このダンジョン発生にも関わっている。
傘音が、エージェント178の可能性がある。
新はそれを探りたいのだろう。
「いや何。ダンジョンを創るのはダンジョンマスターに相応しい怪物しか無理だろう。だがダンジョン起動のボタンの設定や押下ならば人間が出来ることが分かっている。旧校舎に毎日通っていれば、それくらいの工作は出来るだろうな」
「あの、何を言って――」
「質問に答えなさい。君は旧校舎に来て何を――」
だからコギトは聞いた。
「――傘音。あなたがエージェント178なのですか?」
状況が把握しきれない傘音がきょとんとした。
シナリオ通りに聞こうとした新がきょとんとした。
様子を伺っていた駆は一人着いてこれず、思考を停止したようだった。
「え、エージェント178って?」
「はい。トランティはエージェントを派遣しており、その中でもエージェント178は付近に潜伏していて、このダンジョン発生にも関わっており、傘音が、エージェント178の可能性があると新は言っていて――」
「――コギト。怒らないからこっちに来なさい。ダイジョブ消滅まで時間あるから」
歩くウィキペディアっぷりを発揮していると、新に手招きされた。
「新……コギトは何か間違えてしまったのでしょうか?」
ただならぬ雰囲気を察知してしまい、苦々しそうに顔を歪める。
「コギトさぁ推理漫画って読んだことあるかな?」
「いいえ。漫画とは何でしょうか?」
「んーーーーーーーそこからか」
しかしコギト以上に新が困惑した顔で鼻っ柱を掴んでいた。
「……いいかい? いきなりお前が犯人だ! そうだろ!? って聞いてもウンとは頷かないだろ? そこは理解できるかい?」
「はい。かつて人間に擬態した魔族の前例があります」
「ヨシヨシいいぞ。じゃあ仮に白兎さんがエージェント178だとして、『あなたがエージェント178ですか?』なんて聞いてもウンと頷かないのも分かるな?」
「いいえ」
新がずっこけた。ホログラムの中で、データ人間なのにずっこけた。
「んーーーーーーーなんで?」
「何故なら傘音はコギトの仲間で、友達で、あと今日も一緒に昼ご飯を食べる約束をしているからです」
「だから、白兎さんの回答を信じると?」
「はい。
その時のコギトの笑みは、水晶のように透き通っていた。
傘音が嘘をつくなんて微塵も思っていない。そもそも傘音が敵であるかどうかなんて関係ない。
何故ならコギトにとって傘音とは、結の次に会った温かい人だからだ。
だから純粋に聞けるのだ。
あなたは
仮に肯定されたところで、コギトはこのあと一緒に昼ごはんを食べる気満々だった。
「そしてきっと結も、
「……そうかい。本当に君は、青春に生きている子だな」
新が何かをあきらめた様子で傘音を見ると、何か眉を細めていた。その動作に釣られてコギトも傘音を見る。
机に潜って、何かに声をかけていた。
「怖くないよー出ておいで」
机の下から取り出したのは二匹の猫だった。
「猫……?」
「……実は学校に内緒で、旧校舎に棲みついちゃった猫へ餌を与えていたんです。アパートはペット禁止だし、こうするしかなくて」
そういえば探知魔術を発動した時、アンドロイドではない有機物の反応が傘音の隣で光っていたが、あれは猫だったのだ。
猫はすっかり傘音に懐いていて、コギト達を怖がるように彼女の胸へ埋もれる。微睡むようにくしゃくしゃに瞑る猫に、温かさを感じた。
「猫たちの気持ちは分かります。傘音は温かいです。それに傘音の料理を食べたのなら猶更です」
「いや、料理はキャットフードなんですけどね……」
「だとしたらやはり傘音はダンジョンを創るために旧校舎に来たわけでも、エージェント178でもないと判断します!」
「それが何なのかは分からないけれど……でも、突然教室の周りがダンジョンになって怖かった。助けに来てくれてありがとう、コギト君、橋尾君、それにダンジョン庁長官」
感謝の言葉を耳にしても、駆は少し居たたまれなさそうに溜息をつくだけだった。
「正直に俺は助け来たわけじゃない。そこのキッズとやらは別だがな」
「ううん。橋尾君も来てくれたおかげで、この猫ちゃん達もダンジョンから抜け出せそうだから」
どこか力が抜けた様子で、愛おしそうに猫の頭を撫でていた。
「傘音。このダンジョンは間もなく消滅します。内部にいる場合、傘音や猫たちも消滅します。早く脱出しないといけません」
「そ、そうなの……!?」
「……しかし――」
傘音が無事だったことで気が緩んでいたが、一つコギトは跳躍魔術【ショートカット】の弱点を見落としていたことに気付いた。
「――跳躍魔術【ショートカット】は、同時に転移できる対象は4体までです」
「……俺はドローンだから除外するとして、猫も一つと考えると全員脱出は難しいという事か」
新が要約してくれた通り、コギト、傘音、駆、そして猫二匹――跳躍魔術【ショートカット】で一度に転移できる4体を超えてしまっている。
しかし残り時間的に二回転移魔術を使えるかどうかも怪しい。間に合ったとしても空間の断絶がまた起きるとも限らない。
そうなると、必然的にどちらか猫一匹を置いていかなければならない事になる。
悟った傘音の瞳から、温みが急速に失われていくのが見えた。
「傘音……!」
「あの、だったら先に猫ちゃん達を送ってくれませんか?」
「それは危険だよ白兎さん。空間ごと消滅するトラップの中に俺達はいる。いかにコギトと言えど、もう一度ここに戻ってこられる保証が無いんだよ?」
「それでも構いません……この猫二匹を、置いていくことは私はどうしてもできないのです」
傘音は戦う少女ではない。身長も低く、線も細い、眼鏡が似合う文学少女のような外見をしている。だがその瞳には自分が犠牲になっても構わないという覚悟と、猫を助けたいという優しさが同居していた。
「成程。それが貴様の強さか。冒険者でもないからノーマークだったが……」
駆が傘音を見ながら口にする。
「なら俺を置いていけ」
「何を……?」
「冒険者でもない女を置いて脱出するのは、Sランクに相応しくない」
「いいえ」
ぽっ、と。
コギトの中心で、火が灯る。
「
「だが貴様のショートカットとやらは、4体までなんだろう?」
「
キャンプファイヤーの如く、コギトの中心で火が大きくなる。
だがそれに比例して、コギトの顔が少しずつ苦悶に包まれる。心灯を宿す胸部以外がどんどん冷たくなっているようだ。
「コギト無理をするな。君はまだ
「いいえ、無理をします」
傘音がエージェント178でも良いと言った時。
傘音がエージェント178では無いと安堵した時。
コギトは笑顔だった。
「だって、
一方コギトの胸中では限りなく熱い何かが、魔術の天蓋を突き破る。
「跳躍魔術【ショートカット】、限界発動をします!!」
フッ、と。
5体分はおろか、まったく必要のなかった新のドローンとも一緒に地上へと瞬間移動したのだった。
目前には結が佇んでいた。地獄のトンネルからやっと抜け出したような歓喜を隠さないまま、コギトと結に抱き着く。
「よかった、二人とも……!!」
「はい。ただいま戻りました結。傘音とも一緒にお昼ご飯を――」
体の自由が効かない。体が冷たい。
肢体の冷たさを実感した直後、くらりとコギトの視界がノイズ塗れになった。
これは魔術を使い過ぎた事によるネガティブフィードバック。しかし
「
人間で言えば意識を手放していた。
最後に見えたのは心配げに見つめてくる結や傘音と、仲間と認めたのか群がってくる猫二匹だった。
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