第38話 依存している

 学校全体が喧騒に包まれている。文化祭の進行は滞りなく、外部からの参加者たちにも笑顔が見えているので、対外的に成功と言えるだけの成果を残しているだろう。

 その喧騒を外から眺めていた僕は安堵していた。空気の読めない馬鹿な陰キャを1人排除しただけで、こうして成功することができたのだからよかったと喜ぶべきだ……1人の幸せよりも全体の幸せを優先するのが共同体を上手く回していくコツなのだから、馬鹿を排除できたのは良かったことだと皆で讃えるべきだ成果だ。


「気になりますか?」

「うん。気にならないって言ったら、自分の心に嘘をついてしまうから白状するけど、滅茶苦茶気になってるよ」


 僕の腕を抱きしめながら隣に立つスズが僕の顔を心配そうに覗き込んできている。自分のせいで僕が人間社会から弾かれることになった、ぐらいに考えているんだろうけどそれは大きな間違いだ。僕は元々、人間社会では生きていけないどうしようもない社会不適合者であり、社会から排斥されるべき人間だったんだ。人間が何百年、何千年という時間をかけて作り上げた社会秩序に馴染めない人間は必要ない……犯罪者が刑務所で隔離されるように、僕も人間社会から孤立するのが当然だった。むしろ、スズがいてくれたからこそ僕は生きる意味を持つことができた……スズがいなければ、もしかしたら家族すらも捨てて身を投げていたかもしれない。


「僕だってできるなら普通に生きたかった。普通に友達を作って、普通に卒業して、普通に就職して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に家庭を持って……そして普通に幸せになりたかった。でも、普通に生きるってのは案外難しいものなんだね」


 平均的な人間になるには半数の人間よりも上に立たなければならない。普通というのはそう簡単になれるものではないということだ。


「複雑な気分です」

「ん?」

「私にとって蓮太郎さんに出会たことが最上の幸せで、こうして隣に寄り添えている今が奇跡のようなもので……でも、蓮太郎さんにとっては異端の道を選んでしまったことで、普通からかけ離れてしまって……私は蓮太郎さんに幸せでいて欲しいのに、どうしても貴方に普通ではない人生を強制してしまう。傲慢で卑賎で浅慮で醜悪で……嫌になります」


 自己嫌悪のの言葉を吐きながらも僕の腕を強く握りしめるその姿を見て……僕は笑いそうになってしまった。


「僕たちは、似ているのかもしれないね

「似ている、ですか?」

「周囲に迎合することができず、かと言って1人で生きていくこともできず……他人と考えを合わせることを自分のプライドが許さないのに、誰かと繋がることを求めている。どうしようもないダメダメさんだ」

「……そうですね」


 僕たちは互いの傷を舐め合うような関係ではない。だって僕は所詮人間で、スズは何処まで行っても神なのだから。


「……なんか色々とカッコイイこと言った感じになってるけど、ただ周囲に馴染めないぼっちだね」

「それは……言っては駄目なのでは?」

「いや、実際そうじゃん。こうやってちょっとカッコつけてるけど、僕はクラスの雰囲気を悪くしただけの空気が読めない嫌われ者のぼっちな訳だし……結局、僕が普通に生きられらないのは社会が悪いんじゃなくて僕が悪いだけなんだよね」


 子供の癇癪みたいなものだ。馴染めない人間は馴染めないなりに、自分を偽ったりしながらきっと社会に適合しようとしていく。大人になるって言うのは、そうやって社会との向き合い方を知っていくことなのかもしれない……そう考えると、僕がやっていることはなんて幼稚なのだろうか。

 後悔はある。僕だって普通の人間として周囲に迎合して、向き合い方を学んで生きていくことの方が人間としては正しいんだって認識できるだけの頭はある。それでも僕は、スズと生きることを選んだから……もう人間社会には迎合することはできない。


「行こうか」

「はい」


 楽しそうに笑う声が聞こえる学校に背を向けて、僕はスズと共に歩き出す。

 幼稚なまま大人になることもできず、それでも生きていくことを選択した僕は……こうして人間であることをやめる決意をしたのだ。



 僕は学校という共同社会から逃げることを選択した。とは言え、別に今すぐに関わりを捨て去ってさっさと神の世界に行こうなんて考えてはいない。文化祭は結果的に僕は参加することすらできなかったけど、修学旅行とかはスズと行ってみたいと思うから普通にこれからも学校に登校するつもりだ。

 クラスの人たちはきっと僕のことを遠巻きにするだろう。僕みたいな幼稚な癇癪で喚き散らした人間なんていじめられることもなく、ただ腫れ物としてそっと距離を置かれるだけだ。でも、それでいいのかもしれない。今までは単純に自分が馬鹿で友達ができなかったけど、これからは人間と関わることを最低限にして、この世界から消えることを前提に過ごす方がいいと思う。


「平日の昼間に街中を歩いていると、すごい背徳感があるね」

「そうなんですか」

「……まぁ、スズにはわかり辛いかもしれないけど」


 学校をサボって僕とスズは街中を歩いている訳だから、その背徳感からちょっとワクワクしてしまうものなんだけど、そもそも人間と違って休日と平日の違いがそこまでないスズには伝わらない感覚かもしれない。

 相槌をしながらクレープを食べているスズを見て、僕はなんとなく苦笑いを浮かべてしまった。


「これからどうしますか?」

「……このままデートしようか。今日はこの街にいたくないから、電車に乗って」


 その為に、駅方面に向かって歩いていたのだ。

 今はとにかく……何処か遠くへ行きたい気分だった。僕が背中を向けた学校目を背けた現実から、少しでも遠くへと逃げたかった。

 僕の言葉を聞いて、スズはキョトンとした表情を浮かべたが……すぐに笑顔を見せてくれた。


「はい、私は蓮太郎さんの傍にいますから。何処でも行きましょう……大丈夫です、貴方が私を1人にしないと言ってくれたように、私も貴方を1人にすることなんてありません」


 僕たちは互いの存在に依存している。

 スズは僕がいなければ神としてこの世界に降りることができず、僕はスズがいなければ人間として生きていくことができない。僕らは互いの存在を互いに預けているのだ。運命共同体なんて言葉でも生温いその悍ましくも美しい関係が……今は心地よかった。

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