第17話 しとしとと
しとしと、と小雨が降る様子を言葉に表した人はきっと感受性が豊かな素晴らしい人だったのだろうなと僕は思う。日本語にはこうした情緒的な擬音が多数存在していて、それが日本人の豊かな創造性を支えていると言説を聞いたことがある。本当にそうなのかは知らないけれど、こうして目の前を「しとしと」と降っている雨を見るとそうなのかなって気分になってくる。
「どうしたんですか?」
背後からスズが喋りかけてきた。昇降口で傘を片手にぼーっと天から降る雨を眺めている人間がいたら、不思議に思うから仕方ないだろうけどね。
僕がぼーっと雨を眺めている理由は……雨が嫌いだからだ。
「ん……帰ろうか」
「はい」
「……手、繋いでもいいかな?」
「えっ!? れ、蓮太郎さんが急に積極的に!? う、嬉しいですけどもう少し心の準備をさせてくれませんか? ちょ、ちょっと呼吸を落ち着けるので……あぁ、手汗を拭かないと……」
「いや、そこまで深刻に考えなくていいからさ」
慌てて手拭いで手の汗を拭いているスズを見て苦笑いを浮かべてしまった。
僕が何故、急にスズと手を繋ぎたくなったのか。それは雨が嫌いな理由に直結している。
高校生の下校時刻は逢魔が時……人と人外が入り混じる混沌の時間だが、こうして雨が降っている時は更に酷いのだ。体感的な話だけど、雨が降っている時は普段の3倍は人間ではない存在を見かけることが多い。霊が雨に釣られて出てくるのか、それとも普段は姿になっていない程の薄い存在がなにか霊的な力を持ってしまって顕現してしまうのか、そんなことは霊に詳しくない僕にはわからないことだけれども……とにかく、過去の経験からやばいって感じの霊に出会ったり、命の危険に晒されるのはいつだって雨が降っている時なのだ。
「ど、どうぞ……私の手をお取りください」
「なんか……僕がお姫様みたいになってるね」
「そ、そうですか?」
だって、その手の取り方は騎士じゃん。
スズが伸ばしてくれた手を繋ごうと思ってから、はたと気づく。2人で傘を差しながら手を握ることは難しいのではないだろうか。普通に考えて、手を繋ごうと思ったら2人の身体は近づいてくる訳で……普段ならば身体が近づくだけで済むが、雨の日は身体を覆うように開かれた傘が干渉し合って手が繋ぎにくくなってしまう。
解決方法は……僕とスズは1つの傘の中に入るしかないのでは?
あ、相合傘なんてバカップルみたいなことしないと駄目なのか。しかし……霊的な存在というガチの命の危険と天秤に乗せると、一瞬で勝負がついてしまった。
「傘は、1つでいいね」
「はいっ!? そ、そうです、ね?」
スズも同じことを考えていると思っていたんだけど、そんなことはなかったらしい。
京都旅行で買ってきたちょっと広めの和傘……みたいなデザインの傘を僕が開き、スズの手を握って傘の中へと誘い込む。この時点で、周囲からは好奇の視線を向けられているのだが……僕は命を羞恥心で捨てるほど自殺願望がある訳ではないので仕方ない。
傘の内で触れたスズの手は、とても温かくなっていた。
しとしと、と降る雨の中を、相合傘で歩いている僕とスズ。命を守る為とは言え、恥ずかしいと思う気持ちが無い訳ではないので……当然ながら僕とスズの間に会話はない。スズも顔を真っ赤にさせてしまっているし、僕からなにか気の利いた言葉が出てくるなんて自分でも思っていないので仕方がないと言えば仕方がないのだが……我ながらなんとも情けない話だ。
「あ」
なんとか会話をしようと決意を固めて顔を前に向けたら、顔が黒く塗り潰された女の人と目が合った。
『き、きききき、たす』
「失せなさい」
僕を認識した瞬間に急速接近してきた。身体が固まって動けなくなっている僕の手を、スズがギュッと握ってくれた。そして……睨みを利かせただけで、綺麗に180度回転してから再び高速で走って逃げていった。その……どうやら人間は、命を失って怨霊になっても恐怖という感情からは逃げられないらしい。
余りにも綺麗な回転だったから呆然としてしまったよ……まるでギャグ漫画みたいな勢いだったな。
「どうしてこう……蓮太郎さんは悪霊に好かれてしまうんでしょうね」
「あれ、好かれてるの?」
「悪霊だって人間と同じで、良くも悪くも興味のない人には関わってきませんから。これだけ襲われると言うことは、それだけ蓮太郎さんが悪霊に興味を持たれるということです」
「げ、原因は?」
「ん……なんだか、甘い匂いがする、とか?」
「カブトムシかな?」
待って、幽霊ってカブトムシみたいなものなの? 霊感体質の人は力があるんじゃなくて甘い匂いがするの?
「まぁ、これは私が蓮太郎さんのこと好きすぎてそんな匂いがしているような気がしているだけなのかもしれませんけど」
「急に恥ずかしいこと言うね」
「事実ですから」
僕、スズが恥ずかしがるポイントがイマイチわからないんだけど。手を繋ぐのは恥ずかしいことみたいに認識しているのに、言葉で好きとか伝えるのは当たり前なんだ。
「こればかりは私にも詳しい原因はわかりませんね。悪霊からは100年に一度の美青年に見えているから知れないですし」
「そんなアイドルのキャッチコピーみたいな理由で?」
「そんなものじゃないんですか?」
そ、そうなのかなぁ……いや、僕には悪霊の感覚なんてわからないから答えは出ないんだけども。
相合傘をしながら2人でそのまま歩いていると、今度は小さな用水路の中から複数人の子供が這いずって出てくるのが見えたので、僕はすっと目を逸らしたのだが、目を逸らした先には体長が2メートルぐらいありそうな赤子がこちらをじっと見つめていた。
「す、スズ?」
「多いですね……この時間、この天候、この季節」
逢魔が時、雨天、そして蒸し暑い夏。確かに、霊が多くなるような時期ではあるのかもしれないけど……それにしたってこの数はないんじゃないですか? しかも、全部がこっちを認識して近づいてくるんですけど。
「はぁ……この地域の霊的な存在全てを喰い尽くしてしまったほうがいいかもしれませんね」
スズが小さく、ぽつりと物騒なことを呟いた瞬間に水から這い出ていた子供たちは逆再生のような動きで用水路の中に飛び込んでいき、赤子は最初から目が合ってないですよみたいな感じで横を通り過ぎようとして……何処からともなく現れた巨大な白蛇に頭から丸吞みにされた。
僕はもう、何も言わないぞ。
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