第13話 ムッとしていた
「えー、このように、世界人権宣言には哲学者ルソーの著書である『社会契約論』の一節が引用されており、これによって──」
授業の内容が右耳から入って左耳に抜けていく。
窓際に座っている僕の耳に授業内容が入ってこないのは、隣の席に座っているスズが原因だ。2学期になってからいきなり席替えをするなんて話が出て、隣の席になったのはスズだった……いや、こんな偶然が起こる訳ないんだから明らかにスズがなにかしているのはわかっているんだけど……それにしたってかなり露骨じゃないかな。僕と対角線ぐらいの位置に座っている藤原さんからは呆れたような視線を向けられてしまったし。いや、仕組んだのは僕じゃないから。
そんな訳で、倫理の授業で教師が喋っている言葉も僕の頭の中には入ってこない。スズは「人間の倫理、面白い」なんて呟きながら教科書をめくり、授業を真面目に聞いていた。数学の授業の時はがっつり寝てた癖に。
放課後になると生徒たちも一斉に動き始める。部活に行く者、バイトに行く者、そのまま教室に残って雑談する者、学習塾へと向かう者……全員が思い思いの放課後を過ごす為に動くのだ。
そんな生徒たちと同じように、僕もさっさと家に帰ってから課題を片付けておこうと思ったのだが……立ち上がった僕の左腕を藤原さんに掴まれ、ほぼ同時に右腕をスズに掴まれた。
「あ……」
「……なにか?」
やっぱり、藤原さんとしては神であるスズに対して苦手意識があるのか、互いに僕の腕を掴んでいることに気が付いた瞬間に少しだけ引いていた。
「なに、あれ?」
「え? うわぁ……修羅場?」
「えー? 2股ってこと?」
やばい、今の一瞬ですごい誤解が広まっているぞ。
噂が出回るぐらいならなんてことはない、なんて言ってみたいものだが……僕の場合は疑いを晴らしてくれるような親しい仲間もいないので、一度でも誤解されたら多分そのままガンガンと広まっていくだけだと思う。
なんとかスズと藤原さん、2人の手を放してもらって……僕は先に藤原さんの方へと視線を向けた。
「な、なにか用ですか?」
「え? あ、えーっと……その、最近のあれこれについて、報告したいから付いてきて欲しいって思っているのだけど」
「ふーん……私よりその女の方を優先するんですか」
背後にいるスズの頬が膨らんだ。霊感がある藤原さんはサッと顔を青くしているし、教室に残っていた数人がなんとなく体調が悪そうな顔をしていたり、肌寒そうな感じで身体をさすっている。
「スズは、僕と帰ろうって話でしょ?」
「はい、そうですね」
「だったら、先に藤原さんの用事を終わらせてからゆっくりと帰ればいいかなって思って……」
「でも、今日の夕餉の買い物もしなければなりませんし」
す、スズの言いたいことはなんとなくわかるんだけどね? それはそれとして……ちょっとアピールが露骨すぎると言うか。
「夕餉?」
「え、あの2人って同棲してるの?」
「高校生で同棲とかやばくない?」
「くそ……あ、あんな陰キャなのに美人の同級生と同棲、だと!?」
好奇の視線に殺気が混じってるんですけど。
「その……藤原さんの用事って、俺がいないと駄目かな?」
「え、えっと……いなくても大丈夫、です。私の苦労が増えるだけなので……じゃあ!」
「あ、逃げた!」
スズから向けられる視線に堪えられなくなったのか、藤原さんは鞄を片手に教室内を猛スピードで駆けて外へと出ていった。廊下から先生が走るなって怒っている声が聞こえてきたが……誰もそんなことは気にしていなかった。
「さ、帰りましょう?」
「はい」
逆らっては駄目だと、僕の本能が訴えかけていた。
スズが僕に対して直接的な危害を加えるのは、きっと浮気をした時とかになるんじゃないかと思っている。藤原さんは先に優先したことに対して、スズが滅茶苦茶怒っていると藤原さんは思っていたみたいだけど、彼女はちょっとムッとしていただけだと僕は思った。確かにスズは普通の人より嫉妬深い所はあるけど……むやみやたらに人間を襲うような神様ではない。少なくとも、今は。
「夕餉は何にしますか?」
「……洋食って作れるの?」
「はい! 料理なんてものは本を見ながら頑張れば大抵なんとかなりますから」
確かにね。
目の前でちょっと楽しそうに買い物かごを片手に歩いているスズを見ていると……どうにもむずがゆい気分になってくる。だって、急に超絶美人な同棲中の彼女ができて、そんな彼女が制服姿のまま買い物かごを手に食材を眺めているんだよ? 普通に考えると、ラノベでも早々起こりえないような状況だと思うし。
なんで、制服姿の若妻って凄いこう……男好みしそうな感じに見えるんだろう。周囲のお客さんも、ちらちらとスズと僕を見比べているし、そこそこ目立ってるんだよね。いや、主婦らしい女性の方たちからちょっと変な目で見られているだけかもしれないけどね。僕も制服だから、通報はされないと思う。
「簡単なものですと、やっぱりカレーですか?」
「でも、カレーって作ったら何日も食べるじゃん」
「1人暮らしなのに沢山作るからですよ」
「圧力なべで牛すじ柔らかくしたら、そのまま圧力なべで作っちゃうんだよ」
「……なんで微妙に蓮太郎さんは自炊が上手なんでしょうか」
なんでって言うな。
1人暮らしで圧力なべなんて持ってるのは真面目に自炊している人だけみたいな偏見はよくない。圧力なべはすごい便利なんだから……持ってるだけで料理のレパートリーがぐっと広がるんだよ?
「じゃあ簡単に作れるものって思い浮かぶものはなんですか?」
「ん……親子丼?」
「簡単、ですか?」
「まぁ……作ろうと思えば20分もかからないと思うよ」
「はぁ……もうちょっと真面目に料理勉強します。蓮太郎さんが満足できるぐらいの料理を毎日作れるようになりますね」
「いや、昨日のご飯はおいしかったよ?」
僕が作るより遥かに美味しかったけどなぁ……ちゃんちゃん焼き。
向上心があるのはいいことだけど行き過ぎると疲れちゃうから、スズにはそこそこに手を抜くことも覚えて欲しいな。
「蓮太郎さん、なにをぼーっとしてるんですか? 一緒に行きましょう」
「え?」
ちょっと考え事をしながら歩いていたら、スズが近くまで寄ってきて腕を絡めとられた。まるで蛇が獲物に絡みつくような、一切の無駄な動きがなかった拘束に僕は反応できなかったのだが……女性特有の柔らかい肌の感触と、にっこりと微笑む彼女の顔を見てから、苦笑いをしながらスズが持っている買い物かごを受け取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます