第3話 蛇は執念深く
「……」
「あ、お茶淹れましたよ?」
「ありがとうございます」
リビングで向かい合っている僕と女性を遠巻きにしていた由衣が、ちょっとびくびくしながらお茶を出していた。ニコニコ、なんて擬音が付きそうなほど美しい笑顔を浮かべている女性……白沢鈴奈と名乗った彼女に対して、由衣は頬を引き攣らせていた。
「柳蓮太郎、です」
「はい、蓮太郎さんの名前は知っていますよ」
「いや、自己紹介から始めようって言ったじゃん」
「そうでしたね。もう一度……私は白沢鈴奈と言います。貴方には、スズと呼ばれていましたね」
さっきまで、僕にはそんな過去はなかったのに……今は不思議と目の前の彼女のことがボコボコと記憶の底から湧き出てきていた。スズとしか名乗らなかった白髪赤目の少女……確かに僕の記憶の中にある。いつもひとりぼっちで、1人になれる場所を探してあの古びた神社に通っていた僕が、その神社で小学生の時に共に遊んでいた唯一の友達だ。
「今まで、どうしてたの?」
「はい?」
「小学2年生の夏休み……君にはその期間でしか会ったことがなかった」
「……鮮明に思い出してきたみたいで嬉しいです」
そう……まるで滅茶苦茶親しい友人みたいに彼女は接してきているが、僕が彼女と関わったのは小学生2年生の夏休み……その一ヶ月と少しだけの期間だ。互いに男女として意識して、最終的に大人になったら結婚しようなんて子供みたいなことを言ってたい記憶はあるが、その期間以外に顔を合わせたことはなかったから……僕は中学生になる頃には彼女のことを忘れていた。
ん? 結婚しよう?
「あの……もしかして、昔の約束って」
「結婚の約束ですよ?」
きょとんって感じで首を傾げられてしまった。彼女が動くたびにその豊かな胸が動くことで、男である僕の視線も同じように揺れてしまうのだが……それ以上に今は僕の頭が混乱していた。
将来を誓い合った仲って言われて薄々察してはいたんだけど……本当にそんなこと約束してたね。そして、彼女はそれを律儀に守ってくれようとしているらしい。彼女がこの家に、僕宛に手紙を送ってきたのは僕が都会の高校に進学していたことを知らなかったからなのだろうか。
「大人になったら結婚って言うけど、僕も君も、まだ高校生だと思うんだけど」
「はい、それはわかってますよ? それでも、数年間会っていないと約束を忘れ去られてしまうかなって思いまして」
痛い所を突かれた……実際に、彼女に出会うまでマジで忘れていたんだから弁明のしようがない。
忘れていたことを指摘されて何を言われるかと思って身構えていたら、キョロキョロと周囲を確認してから俺に顔を近づけてきた。ふわりと女性特有と言えばいいのか、柔らかくていい匂いが僕の鼻を掠めると同時に、白沢鈴奈さんの唇が僕の耳元に接近してきて──
「──私、神様なんです」
「……」
頭、痛い子なのかな?
率直な感想が僕の口から飛び出しそうになったが、瀬戸際で必死に食い止めた。土俵際で粘る力士の気持ちが少しわかってしまったかもしれない。
「痛い子ではありませんよ?」
土俵際で粘っても力の差があると簡単に押し出されてしまうようです。
「もう、酷いですね。私は正真正銘、神なんですよ?」
「あー……その、ちょっとどういう反応すればいいのかわからなくて、さ」
中二病という奴だろうか……僕にはあまり経験のないことだからどういう反応をすればいいのかわからないし、彼女が何を思って神って名乗っているのか非常に気になるけど、ここは穏便に済ませておきたい。
「ふふ……あの白蛇神社には、4柱の神が祀られているんです」
「4柱?」
「はい。まず、鋼を司るとてつもなーく偉い武神……私は大嫌いですけど」
マジで憎しみが溢れているような声が彼女の口から出て、僕は反射的に身を引いてしまった。
「そして、その偉い武神様によって封印された悪い白蛇の三姉妹……その末妹が私、スズです」
変な設定を喋っているのかと話半分に聞き流そうとしていたが、彼女が自分の名前を名乗った瞬間に、僕は身体中から汗が噴き出すような感覚を味わっていた。その感覚を、僕は知っている……これは、悪霊と目が合った時の……人ならざる者にこちらを認識されてしまった時の感覚だ。
僕の頭は彼女のことを痛い女だと認識しているが、今までの経験から本能的に彼女のことを人ならざる者であることを認めてしまっている。ゆっくりと視線を向けた先にあったのは……こちらをじっと見つめる赤い瞳の瞳孔が縦に細くなっていた。
「…………神、様が……僕になんの用なんですか?」
絞り出した言葉は、掠れていてとても情けない声だった。恐怖に呑まれないようにしながら絞り出した言葉……それ自体が悪手であることは僕が一番わかっている。何故ならば、人間でない者と出くわした時に一番やってはいけないことは……相手を理解しようと対話を試みることだからだ。
「ふふ、そんなに怯えないでください。別に取って食べる訳じゃないんですから……それに、目的はもう告げましたよね?」
「目的?」
「はい、貴方と結婚しに来ました」
「へ?」
彼女の笑顔と共に、押しつぶされるような気配が消える。しかし、いきなり変なことを言われた僕は呆けたような返事しか出せない。
「私、貴方に途轍もない恩があって……それを返す為に子供の頃の貴方に近づいたら、とてもいい人で……心の底から惚れてしまったんです! だから、私と結婚してください!」
「え、なにこれプロポーズ? さっきの流れから? え、噓でしょ?」
さっきまで明らかに異常な雰囲気を放っていた女性とは思えないような感じで、頬を染めながらいきなり告白してきた彼女に、僕の頭はぐちゃぐちゃであった。
「あ、先に言っておきますけど……蛇は執念深くて嫉妬しますから、浮気したら食べてしまうかもしれません。けれど、浮気しなければいい話なので問題ないですよね?」
「え、怖い怖い。さっき取って食べるようなことしないって言わなかったっけ?」
「そちらが変なことをしなければ、取って食べるようなことはしませんよ?」
えぇ……本当に彼女は人間ではないのだろう。だって明らかに言葉が通じてない気がするもん……マジで、どうしよう。
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