雨と電話と思い出と

「ん……」


目を開けてすぐに飛び込んできた見慣れない天井に何度か瞬きをしたジャニスはハッとして身を起こした。

一気に記憶がフラッシュバックし不安が押し寄せる。

息を飲み頭を巡らせ周囲を見回したジャニスはソファからずり落ちて缶ビールの空き缶と一瞬に床にひっくり返っているラッカムを見つけると「あ……」と安堵と呆れの混じった声を漏らした。


もぞもぞとベッドから抜け出し裸足のままペタペタとラッカムのすぐ傍まで寄ったジャニスはそのうつ伏せの耳に唇をそっと寄せた。


「ラッカムさん、起きてください」

「んが……お……」

「おはようございます」


「う~」呻きながら起き上がったラッカムはキッチンスペースまで関節を鳴らしながらふらふら歩いて行くと顔を洗いうがいをした。そこでようやく「あっ」とジャニスに目を向けた。


「あー、よく眠れたか?」

「はい、お陰さまで」

「……とりあえず朝飯にするか」

「……はい」


ラッカムが買ってきたサンドイッチと缶コーヒーの朝食を済ませると互いに話しかけようと「あの」「それでよ」と声が重なった。


「あ……お先にどうぞ」

「お、おぅ……ジャック……いや、多分偽名なんだよな? お前さん、女だったんだな」

「え……あ、いつ気づいたんですか?」

「あ、いや、すまん。昨日、着替えを渡したときに……」

「あぅ」


今さら裸を見られたことに気づき、ぼっと音がするくらいに一気にジャニスの顔が耳まで赤くなる。「すまん。本当にすまん」と頭を下げるラッカムに「平気、です。大丈夫です」とジャニスは少し強がって見せた。


「お察しの通りで……私は本名はジャニスと言います。黙っていてすいません」

「いや、仕方ないことだろ。スラムで暮らすならな」


「すっかり騙されたよ」とラッカムは笑って見せたが、すぐに真面目な顔になると「で、何でマフィアに追われてたんだ?」と尋ねた。

ジャニスから一通り事情を聞いたラッカムは「どうしたもんか」と首を捻った。


「……ジャニス。お前さん、どこか他所に頼れる相手はいるか?」

「いえ……」

「ま、そうだよな……とりあえずほとぼりが冷めるまでシアハニーには近づかないほうがいい。金は? 家に置いてきたか?」

「新聞屋の夫妻からは最低限必要な分だけ貰って、後は貯めて貰っています」

「そうか。それはいい。だったら俺から夫妻に事情を説明して金は持ってきてやる、バイトも辞めなきゃならんしな」

「はい……ご迷惑おかけします」


「そう畏まるなよ……調子が狂うな」とラッカムは縮こまるジャニスの頭を軽く小突いた。


「さしあたり、だ。隣街にでも連れていってやるからなんとかそこで暮らすしかないだろうなぁ」

「……はい」

「多分、まだバレてはないと思うが、俺とも会わないほうがいいだろうな……」

「……はい」

「そんなに不安がるな……お前さんなら大丈夫だよ」


「とにかく動くなら早いほうがいい」とラッカムはモーテルを出ると車を走らせ行ってしまった。

ジャニスは恐怖や不安以上にまたラッカムと離れてしまう寂しさに表情を暗くしていた。



「ここでいいか?」

「はい、大丈夫です」


シアハニー市の隣街、一番大きな駅の前にラッカムは車を停めた。助手席から降りたジャニスはサイズの合う男物の服に着替えていた。新聞屋の夫妻からの餞別だった。


「何から何まで……ありがとうございます」

「気にすんな。どうせ使ってなかったやつだしな」


ジャニスはトランクからラッカムのお下がりのスーツケースを受けとった。急拵えで荷物を色々と詰め込んである。


「……ひとまずは、お別れだな」

「……はい」

「そう寂しそうな顔すんな……ほら」

「あっ」


ラッカムはテレフォンカードを差し出した。裏にはやはり電話番号が書いてある。


「あの電話ボックスに落ちててな。マフィアの連中に回収されてなくて良かった」

「ありがとう、ございます」

「また困ったことがあればかけてこい、な?」

「はい……はい!」


そうして手を振ると運転席に戻ろうとするラッカムにジャニスは「あ、あの!」と呼び掛けた。


「ん? 忘れ物か?」

「いえ……あの! 困ってなくても……電話、かけてはダメですか?」

「ん?……ま、構わんが……ほどほどにな」

「ありがとうございます!」


去っていくラッカムの車が見えなくなるまで見送ったジャニスは一枚のテレフォンカードを財布に納め大事そうに胸に抱くと、本当に久方ぶりの笑顔を浮かべスーツケースを引いて歩きだした。



「ふふっ」


ジャニスは財布からかなり擦れたテレフォンカードを眺めながら思い出に浸っていた。

限度いっぱいまで使ってある為、本来の用途にはもう使えないがジャニスにとって大事な、大事なテレフォンカードだ。

裏にはラッカムの自宅の番号にあとからCriminalの番号を書き加えてあった。


このテレフォンカードが無ければ、きっと今生きてこの場にはいなかったであろう。

何より恋しく思う相手からの最初の贈り物なのだ。毎日の様に眺めては元気を貰っていた。

もしラッカムがまだこのテレフォンカードを持っていることを知ったら笑うだろうか? 呆れるだろうか? そんな下らないことを考えても胸は高鳴った。


そろそろ事務所に戻ろうかとジャニスは階段から立ち上がり軽く伸びをした。

これからラッカムにどうやって接したらいいだろうか、いっそ抱きついてやろうか、そんなことまで妄想していると、鼻の頭に水滴がポッと落ちてきた。


「あ、うわ」


急に降りだした雨にジャニスは慌てて適当な屋根の下に飛び込んだ。


「参りましたね」


どんどん強くなる雨足にこれは止みそうにないなぁと暗い空を仰ぐ。ずぶ濡れを覚悟で帰ろうかとも思ったジャニスはふと考え直してトパーズまで走った。


「あら、ジャニスさん! また来たの?」

「すいません、マチルダさん。近くにいたら急に降られてしまって」

「本当、凄い雨ね。傘、貸しましょうか?」

「ありがとうございます。ですが傘は大丈夫なので、電話を借りれませんか?」

「えぇ、いいわよ」


ジャニスは店内に据え付けてあった電話を借りると財布からテレフォンカードを取り出した。


「はい、こちらCriminal社です。ご用向きをどうぞ」

「……ラッカムさん」

「あん? ジャニスか?」

「はい、そうです」

「なんだよ? ていうかお前どこにいるんだよ? 急に飛び出しやがって」

「実は急に雨に降られてしまって帰るに帰れなくなってしまいました。今、トパーズの電話を借りてるんです。それで迎えに来てほしいんですけど……ダメですか?」

「……ったく。仕様が無ぇな。ちょっと待ってろ」

「ありがとうございます……ラッカムさん、大好きですよ」

「お、おまっ!」

「早く迎えに来てくださいね、では」


受話器を下ろし、自分と同じように赤面しているであろうラッカムの顔を想像すると自然と笑みが溢れた。

どうせ気持ちを隠しても仕方がないのだ。

もう部下の小娘でいるつもりは無かった。

ジャニスはトパーズの軒先に出ると雨の空を見上げた。まだ雨は止みそうに無かったが、ジャニスの心は清々しいほどに晴れ渡っていた。



§以上、シアハニー・リンク本編的には蛇足になりそうだったジャニスの掘り下げになります。

キャラ設定はざっくり考えてあったので、それにそったストーリーを書いてみました。

お楽しみいただけたら幸いです。§












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