テレフォンカードと絆と

「よっ、ジャック」

「……警察はストーカーをしても許されるんですか?」

「ストーカーとは人聞きが悪いな。パトロールだよ、パトロール」

「なら他所にいってくださいよ」

「お前さんを見張っておくのが一番治安維持できるんだなぁこれが。なぁリトルデビルちゃん」

「む……」


それからというもの、ラッカムはパトロールにかこつけて週に一度か二度か度々ジャニスの様子を見にやって来た。

ジャニスとていつも同じ場所にいるというわけでもないのにちゃっかりと顔を出しに来るのだ。

一度、何故場所が分かるのか聞いてみれば、

「スラムにどんだけ人の眼があると思ってる? ちょいとそこらのホームレスに駄賃を渡せばある程度見当はつけられんだよ」

ということらしかった。はたして警察がそういう聞き込みをするものだろうか?


「ほれ、トパーズのベーグル」

「ありがとうございます」


ラッカムは顔を出す度によく昼食を買うのだというパン屋でジャニスの分も買ってくる。

ラッカムはジャニスの横に腰を下ろすと紙の包みを開いて豪快にパンにかぶりついた。ジャニスも同じように包みを開きモソモソと口をつける。

バンダナを外し、出来るだけ顔を隠すように手とパンを顔から離さずに食べる姿はまるで栗鼠が木の実を齧るようだ。

ジャニスが1つ食べ終わる間にラッカムは2つを悠々と平らげてしまった。


「で、調子はどうだよ? バイトは続けられそうか?」

「……はい。紹介、助かりました」

「そりゃよかった」


少し前からジャニスはラッカムの紹介で新聞配達のバイトにありついていた。現役警察官のラッカムの紹介ということもありすんなりと雇ってもらえた。

ジャニス自身元来生真面目な性分であり、言葉遣いも問題が無い為か新聞屋の老夫婦にも可愛がられた。


「俺も昔あの新聞屋で小遣い稼ぎさせてもらってたんだよ。それで金が貯まったらどっかアパートでも借りてスラムから出ればいい。それとな、喧嘩を吹っ掛けられたなら仕様がないがホームレス狩りを逆に狩るのはもうやめとけ」

「……余計なお世話です」

「お前さん、別に暴力を振るうのが好きってタイプでもないんだろ? そんなことじゃいつか手痛いしっぺ返しを喰うぞ?」

「分かってますよ……そんなこと」


ホームレス狩り狩り、それは確かに義賊的善行なのかもしれなかった。しかし手段はどこまでいっても暴力でしかない。

ジャニスとしてもこんなやり方が続けられるとも、許されるとも思ってはいなかった。

それでも人を殴る技術はジャニスにとっては父との絆の証だった。金が欲しいわけじゃなかった。ただこれをやめてしまえば父を忘れることになるんじゃないか、そんな強迫観念がジャニスを未だ悪魔と呼ばせていた。


唇を固く結んだジャニスにラッカムは肩をすくめると「そうだ、これを渡しにきたんだった」と財布の中から一枚のテレフォンカードを取り出した。


「これは?」

「見ての通りのテレフォンカードだよ。裏に俺ん家の住所と電話番号が書いてある」

「連絡先ですか? なんでまた?」

「あー……実は近々警察を辞めるつもりでな。前に住んでるとこは警察関係者しか住めないから引き払ってもう引っ越したんだよ」


「ちょっと色々あってな」そう言ったラッカムはどこかやるせない顔をしていた。

ジャニスはこの人でもこんな顔をするんだと、少し驚いた。


「俺もあと2年で30になるからな、色々と考えてみたんだよ」

「えっ!……40歳手前くらいだとばかり」

「あー、同僚にも言われるわ……そんなに老けて見えるか?」


ラッカムが20代であることにジャニスは思わず素で驚いてしまった。

ラッカムは「お前さんもそんな顔になるんだな」とカラカラと笑う。


「今すぐ辞めるってわけでもないからまぁ引き継ぎとか色々とやって半年か一年か……それくらいしたらもう警察官じゃないわけだ」

「それで……辞めた後はどうするんですか?」


また顔を出しにきてくれるか、そんな意味でした問いかけはいまいち通じなかったのか「まだ決めてないが……ま、レジ打ちでもなんでもやるさ」とラッカムは笑って答えた。


「ま、困ったことがあったらそこにかけてこいよな。出来るだけ力になってやるから」

「……はい、ありがとうございます」

「なんならルームシェアしてやろうか?」


冗談のつもりだったのだろう、あからさまにおどけた調子でルームシェアの提案をしてくるラッカムだったが、ジャニスは赤面すると「け、結構です!」と慌てたように立ち上がった。

ラッカムも尻を叩きながら立ち上がると「じゃあな、ジャック」と手を振って帰っていった。


しばらく立ち竦んでいたジャニスは自分が男のフリをしていることを思い出した。ラッカムもそういうつもりで言ったのだろうと今さらながらに気付き余計に気恥ずかしくなる。今日はもう通りを見張っている気にならずジャニスは仮住まいへの道を駆け足で戻った。



人生が天秤の様なものだとすれば、悪い側に傾き切ったジャニスの天秤は少しずつだが良い方に傾き直していた。しかし、不幸というものは突然にやって来てその天秤のバランスを崩そうとするものだ。それが自業自得の不幸であれば尚更だ。


切っ掛けは、マフィアの構成員に手を出してしまったことだった。


ジャニスはバイトをしっかりとこなし、着実に金も貯まっていた。もうすぐスラムを出ても十分に暮らせそうな額に手が届きそうだった。


ホームレス狩り狩りの噂が広まったか、そういった手合いもめっきりと見なくなりジャニスは図らずも拳を振るう機会を失っていた。

スラムの通りを見張る理由も、忙しいのか顔を出す頻度の落ちたラッカムを待つ為のものに変わり、ジャニス自身もこれでいいのだと思い始めていた、そんな頃だった。


「ウチのシマで商売してるんだ、上がりを寄越しな!」


靴磨きの子供達を怒鳴り付ける声が通りに響く。

声の主はストリートギャングの頭を張っていたジョーという男だった。しつこく勧誘をしてきたので叩き伏せた記憶がある。

ジャニスはフゥーっと長い息を吐くと拳を固めて足を進ませた。

肩を縮こまらせた子供達の1人に手を伸ばしかけていたジョーは近づいてきたジャニスの姿を認めると「ゲェっ!?」と間の抜けた呻き声を上げた。


「リ、リトルデビル……!」


ジョーの怯んだ隙に子供達が蜘蛛の子を散らしたように逃げ出していく。「あっ……クソっ」と悪態をつくとジョーはジャニス向けて襟を引くと首筋が見えるようにする。そこには悪魔の鉤爪に似た刺青が入っていた。


「お、俺はディアボロのメンバーになったんだぞ! て、手を出したら上が黙ってないぞ!」


腰の引けた脅し文句にジャニスは一度立ち止まると、眉を潜めその刺青に怒りに満ちた目を向けた。


「……関係ありません」

「お、おい!」


父の仇の連中と刺青こそ違ったがマフィアの一員になったジョーはジャニスにとって憎き相手だ。考えなしに仇討ちに向かうほどジャニスは無鉄砲でもなかったが目の前にやって来たのなら話は別だった。


ホームレス狩りに向ける以上の怒りと力を込めた拳を何度も腹に叩き込まれたジョーは苦しげに呻きながら逃げ出そうと四つん這いで這っていく。

その後頭部を踏みつけ頭から地面に叩きつけるとジョーは気を失って額から血を流しながらその場に倒れ伏した。


ジャニスの誤算は、ジョーの脅し文句が決してただの脅しに留まらなかったこと。

ジョーの上役となった人物は、ジョーの様な若者を束ねて自分の勢力を作ろうとしており、言うことを聞きそうにないリトルデビル……ジャニスのことは目の上のたんこぶだと思っていたのだ。

そして、今、報復という口実をジョーに手を出したことでジャニスは作ってしまった。


その日、シアハニー市は朝からずっと分厚い雲に覆われていた。どこかからか遠雷が獣の唸り声のような低い音を響かせている。今にも降りだしそうな雨を嫌ったスラムの住人達は雨風をしのげる仮住まいに引っ込んでしまっていた。

ジャニスも、今日もやって来なかったラッカムに「来なくていいときは来るのに」と少し愚痴を溢すと仮住まいのあばら家に戻ろうとした。


そのジャニスの行く手に、見るからに堅気ではない雰囲気の集団が見えた。彼らの視線はジャニスに向けられており、明らかな害意に満ちていた。

翻った服の内側には拳銃が吊るされているのが遠目からも分かった。

ジャニスの判断は早かった。

踵を返し集団に背を向けると全力で走り出す。

細い路地に飛び込む寸前、「逃げたぞ!!」「追え!!」という怒鳴り声と、幾つもの固い足音が聞こえてきた。


















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