ラッカム・アトキンス

ジャニスがスラムに身を置くことになってから半年ほどが経った。


幾度かストリートギャングから勧誘を受けたりもしたが、全て断って……もとい叩き伏せた。

すっかりリトルデビル呼びも定着し、手を出せば腕ごと噛みちぎる狂犬のようなジャニスに不用意に関わろうとする相手はすっかりいなくなっていた。


その日もジャニスはホームレスの物乞いや靴磨きの子供達が点々とするスラムのストリートで口元をバンダナで隠し、壁にもたれながら金色の瞳をジッと通りに向けて光らせていた。それはもはや日課のようでもあった。

そうやって稼ぎの種を探していた。


そうしていると、男が2人やって来るのが見えた。

その見慣れない風体にジャニスは僅かに目を細める。

1人はワイシャツにスラックスのビジネスマン風、そしてもう1人は見間違えようもない、シアハニー市警の制服姿だった。


ワイシャツの男はキョロキョロと視線を彷徨わせていたが、やがてしっかりとジャニスの方に眼を向けると人差し指も付け加えて声を上げた。


「あ、アイツだ!」


どうやら探し人はジャニスであったらしい。

よく見れば大股で近づいていくる男の顔には青アザがくっきりと浮いていた。

心当たりならいくらでもあった。

どうやら男は警察にジャニスを捕まえて貰おうと、そういう魂胆らしい。

ジャニスが手を出したということなら、少なくとも何かしらスラムで不届きな行為をしていたということだ。

自分の所業は棚に上げて通報した男と警察官はもうすぐそこまでやって来ていた。ジャニスはいつでも動けるよう背中を壁から離すと冷ややかな眼で迎えた。


「コイツにしこたま殴られたんだよ!」


迂闊に近づきたくないのだろう、警察官を盾にした男の言い草はまるで教師にいいつける子供のようだ。

しかし、当の警察官はなんだかやる気がないというか、呆れ顔を浮かべていた。


「この人はこう言ってるが、身に覚えはあるかい?」

「……さぁ」

「さぁ、じゃわからないんだがなぁ」


「は、早く捕まえろよ!」と男が喚きたてるがそれもどこ吹く風と警察官は動じなかった。


「まずは状況をしっかり確認致しませんと逮捕はできませんよ」

「だからぁ俺はコイツに殴られて財布までとられたっていってるだろう!?」

「それはいつ頃? 場所はこの当たりなので?」

「あ、あぁ……3日くらい前だよ」


警察官は質問を投げかけてはペンを走らせる。調書をとっているようだ。

3日前という発言に、そういえばこんなやつを殴り付けたなとジャニスはようやく思い出していた。


「それで? ここには何か用事があったので?」

「そ、そんなことはどうでもいいだろ」


不都合なことは黙っているつもりなのだろう、男は言葉を濁した。だったら代わりに言ってやろうとジャニスは2人の会話に割り込んだ。


「……その人がホームレスの人を殴っていたので、止めるために殴りました」

「ほう、それは確かかい?」



ジャニスに向き直った警察官を邪魔するように男は語気を荒げ、ぎゃあぎゃあと捲し立てる。


「おい! そんなみすぼらしいガキの言うことなんか信じるのかよ?」

「信じるも信じないもありませんよ。今は状況確認の為にも双方の言い分を聞かなければ。それで、誰が殴られていたかは分かるかい? その方にも話を聞きたいんだが」

「も、もういい!」

「あっ、ちょっとまだ話は終わってないですよ!」


自分の罪がつまびらかになるのに焦ったのだろう男はそそくさとその場を立ち去っていった。警察官はやれやれと頭を掻くと書きかけの調書を丸めて放り捨てた。

そのやりようにジャニスは思わず目を丸くして驚いた。


「ん? あぁいいんだよ。あの様子じゃホームレスを殴ってたのは本当なんだろ? どうせ被害届だって出さないだろうし。それよりお前さんが“リトルデビル”かい、ホームレス狩りを逆に狩ってるって噂の?」

「周りが勝手に呼んでいるだけです……それより逮捕しないのですか? 」

「逆に聞くがさっきのアイツが捕まらないのにお前さんだけ捕まって納得がいくか?」

「……いえ」

「だろう?」


「不良警官で悪かったな」と笑う警察官は言葉とは裏腹にまるで悪びれもしていなかった。


「俺はラッカムだ。お前さんは?」

「ジャ……ジャックです」


ジャニスは咄嗟に男を偽る為に偽名を口走っていた。


「じゃあな、あんまり暴れてくれるなよ」


ラッカムはぶらぶらと手を振るとそのまま立ち去っていった。

ジャニスは不思議な物を見るような目をその背中に向けていた。



「お、ラッカム、戻ったか。さっきの御仁は?」

「おとなしくお帰りいただいたよ。案の定、ホームレス狩りをしようとしてリトルデビルにやられた口らしいからな。あの手合いのクズを真面目に相手するのは疲れるね……それよりな、会ってきた」

「おぉ、どんなやつだった? 噂のリトルデビルは」


気の合う同僚に尋ねられたラッカムは「んー」と少し考え込んだ。


「ちぐはぐな奴、かね」

「おいおいなんだそりゃ?」

「さて……俺にもよくわからなかった」


ラッカムの曖昧な答えに同僚はなにか文句を言いたげだったがラッカムの考え込むような顔に「そんなもんかね」と自分の仕事に戻っていった。


ラッカムも自分のデスクに戻ると先ほど出会ったリトルデビルと呼ばれている少年、ジャックのことを思い浮かべた。


小柄といっていい体格に、声変わりすらしていない声。少し覗いていた骨の浮いた首もとから線はかなり細そうだった。加えてスラム慣れしていないのか育ちの良さを感じさせる言葉遣い。

そんな年端もいかない少年が体格に勝る大人を一方的に倒してしまっているのはとても信じられなかった。


実を言えばラッカムはもしリトルデビルが暴力を笠に着ていたり、人を傷つけて喜ぶような手合いなら容赦なくしょっぴくつもりでスラムまで向かっていた。

しかし、そこにいたのは一見すれば弱々しさすら感じる少年だった。

噂と実像がここまでかけ離れているというのも珍しいだろう。

ジャックと名乗った少年は警察の自分を見ても逃げ出さず、悲しみと寂しさを湛えた金色の瞳を不安に揺らしていた。


「(あの瞳がなんだか頭から離れないんだよなあ……ちょっと気にかけてやるか……)」


そんなことを考えながらラッカムは日報をまとめるのだった。



















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