第16話 タイトル

「こちら、お納めください」

「あら! クッキーね。ちょうどいいからお茶を淹れましょうか。それともコーヒー?」

「では私はコーヒーを」

「ちょっと! 編集長!」

「じゃあ皆コーヒーでいいかしら」


 持ち前の図々しさを発揮するラッカムにジャニスが苦言を呈するが「適当に座って待っていて」とアンはラッカムが手土産に持ってきたクッキー缶を持ってキッチンに引っ込んでいった。


 2人が通されたのはこじんまりとしたリビングだった。

 壁にはいくつかハガキサイズの絵が飾られていて、どれも赤い花が描かれていた。

 サインの類いは見当たらないので、もしかしたらアン自身が描いたものかもしれない。

 飾り棚には可愛らしい小物もいくつか置かれていてごてごてしない程度に飾りつけがされている。実にアンらしい部屋だとジャニスは思った。


 4人がけの食卓で待っていれば「お待たせ」とアンがお盆を抱えてやってきた。


「改めて、突然の訪問大変失礼いたしました。それもこれもこいつがちゃんと連絡先を聞いてなかったせいで、本当に申し訳ない」

「も、申し訳ありませんでした!」

「暇にしていたから大丈夫よ。それに記事を見たいと頼んだのに連絡先を伝えてなかったのはこちらの落ち度。そんなにかしこまらないで。でも伝えていないのによく家がわかったわね」


「どうやって調べたかは……ま、企業秘密ですな」

「編集長は元警察官なんです。それにお祖父さんが探偵だったそうで手解きを受けてたそうで……」

「あ、おい、ジャニス!」


 アンの疑問にラッカムはもったいぶるがジャニスがすぐにばらしてしまう。


「あんまりペラペラと手の内は晒すもんじゃないんだよ!」

「いいじゃないですか、減るものでもないんですから。それにアンさんには誠意を見せたいんです!」


 言い合う2人にアンは笑いを堪えていた。


「フフっ、あなた達は見ていて飽きないわね」


 その言葉に同時に「あっ」と、声をあげるとさラッカムは頭を掻き、ジャニスは少し縮こまる。


「あー、ほれ、ジャニス。先延ばしにしても始まらんだろ」


 気恥ずかしさから立ち直ったかあるいは誤魔化す為かラッカムがジャニスを急き立てる。ジャニスは「分かりました」と意を決してアンに向き直った。


「あの……アンさん、すみません! 記事、ボツになってしまいました!」

「あら、そうなの?」

「はい……その、えっと」

「それについては私からご説明させてください」


 言葉に詰まるジャニスにラッカムが助け船を出す。内容としてはジャニスにした説明をかなり丁寧に言い直したものだった。



「随分気を遣ってもらったみたいね」

「いえ、記事を掲載することが貴女の迷惑になっては成りませんので当然のことです」

「あら、それは私だから?」

「いえ、誰であっても。そう心がけておりますので」

「そう……あなた方が考えて決めたのであれば私から何か言うことはないわ」

「せっかく貴重な話をしていただいたのに、こちらの勝手をお許しください……ジャニス、俺から言えるのはここまでだぞ」

「はい……!」


 ラッカムに促され、静かにしていたジャニスはアタッシュケースからしっかりと紐で留められた紙の書類袋を取り出した。

 ゆっくりと紐をほどき中から取り出されたのは数百枚はある紙の束だった。


「それは?」

「記事はボツになってしまいましたけど、編集長のアドバイスで、その……小説をしたためてみたんです!」

「小説……すごい量、これをたったの数日で?」

「アンさんの記憶を、思い出をなんとか人に伝わる形にしようと思ったらいてもたってもいられなくて。記事もボツばかりですし、小説なんて初めて書くので無茶苦茶かもしれないですし、全然推敲もまだなんですけど! その、えっと」

「見せてくれる?」

「は、はい!」


 ジャニスから原稿を受けとるとアンは最初の一枚目に目を通していく。


「あら、タイトルはまだ無いのね」

「なかなか良いタイトルが思い付かなくて……」

「フフ、じゃあ読ませてもらってもいいかしら」

「はい! お願いします!」


 老眼鏡を取り出したアンは集中した様子で原稿を捲っていく。かなりペースは早い。ジャニスは固唾を飲んでその様子を見守っていた。ラッカムもまた邪魔にならないよう静かにジャニスに柔らかい視線を向けている。

 壁時計の秒針が刻む音だけがする。

 一度、時計から時刻を告げる鳩が飛び出したが誰も気に留めた様子はなかった。

 やがて最後の一枚を捲り終えたアンは老眼鏡を外しハンカチを目に当ててからゆっくりと口を開いた。


「この……主人公の恋人の少女が、私がモデルなのね……よく書けてるわ、本当に。……ごめんなさい、色々思い出してしまったみたいで」


 震える声と涙はジャニスにとって最大の賛辞であった。貰い泣きをして鼻を鳴らしていたジャニスにはラッカムがさりげなくハンカチを差し出していた。

 感動の余韻に浸る女性陣を前に少しラッカムが居心地を気にし出した頃合いだった。

 鳩時計が再び飛び出して鳴きだした。ラッカムが目を向けると短針は12時を指していた。


「しまっ……」

「編集長? どうかしました?」

「印刷所の締め切り、13時だったよな」

「そうですけど……って、あーー!」

「あらあら? 何かあったの?」


 ジャニスの大声に驚いたアンが首を傾げるとラッカムが焦りを隠せないままに返事を返す。


「あ、いや、明日掲載分の記事の持ち込みが13時まででして……しまったなぁ」

「わ、私が持っていきます! 全力で走ればギリギリ間に合います!」

「それなら俺が……」

「編集長の弛んだ身体じゃ無理です! 間に合いません! あ、アンさんすいません! 慌ただしくて! えーとえーと、行ってきます!」


 ジャニスは言うが早いかアタッシュケースを引っ付かんでアンの家を飛び出して行った。

 後には少し腹を気にするラッカムと呆けて「あらあら」と口にするしかないアンだけが残された。


「も、申し訳ない。本当に慌ただしくしてしまって」

「フフ、こんなに感情がふり回されたのは久しぶりだわ……ねぇ、ラッカムさん。あなたは私が誰かは知っているのでしょう?」

「あぁ、えぇ、ジャニスに頼まれた時に調べましたからね」


 ラッカムが本当の名前を呼んでみせるとアンは目を細めて柔らかく微笑んだ。


「ジャニスさんには伝えていないのかしら?」

「貴女はあいつにはあえて名乗らなかった。であれば私から教えるべきではないと思いまして……連絡先を教えなかったのもわざとではないかと私は思ってるんですがね?」

「フフ、どうかしら」

「食えない方だ。さて、そろそろお暇させていただきますよ。原稿、預かっておいてください。あいつに取りに来させますから、本名を教えるつもりがあればその時に」

「えぇ、そうさせて貰うわ」


「ああ、まったくそそっかしい」とラッカムはジャニスが玄関先で慌てて落としていった黒のハンチングを拾い上げながら出ていこうとする。

 その背中にアネモネが声をかけた。


「ラッカムさん。あなたのお祖父様はアントンさんとおっしゃるのではないかしら? アントン・アトキンスさん」

「そうですが……祖父をご存知なのですか?」

「ああ、やっぱり! なんとなく面影があると思っていたし、話し方もよく似ているわ。それにそのハンチングを胸に当てて持つ格好でピンときたの。私があの人を探すのに頼ったのがあなたのお祖父様だったのよ」


 ラッカムはさすがに驚いたようで「それは、本当ですか?」と目を見開いた。


「アントンさんには本当にお世話になったわ。当時のロザーシェレフは迂闊に立ち寄れないほどに危険だったのに彼は調査をしてくれたの」

「祖父は仕事にやりがいを求めるタイプでしたからね……武勇伝はいくつも聞かされました」

「アントンさんはまだご健勝で?」

「いえ、8年前に。安楽椅子に揺られながらぽっくりと」

「そう……残念だわ」

「祖父も私があなたと会っていると知ったらさぞ愉快に思ったことでしょう……奇縁というやつですよ、これは」

「えぇ、本当に」


 2人は互いに顔を見合わせてひとしきり笑い合う。


「では、今度こそこれで」

「ジャニスさんによろしくね。お祖父様の話をしてあげて。きっと参考になるわ」

「……そうすると祖父があいつの小説に登場するかもしれないわけですか」

「あら、きっとモデルはあなたになるんじゃないかしら」

「それは……少々気恥ずかしいですな」


 苦笑して肩を竦めると今度こそラッカムは帰り道に歩みを進める。

 アネモネはラッカムを見送ると、ジャニスの原稿を再び捲り始めた。


 ▽


「本当っ…………にすいませんでした!」

「いいのよ。また原稿も読ませてもらったし」


 なんとか印刷所に間に合い事務所に戻ったところでラッカムからまだ原稿は預けたままだと知らされたジャニスは再びアイベリー郊外のアンの家を訪れていた。

 ちょうど午後のお茶の時間だ。アンがあらかじめ2人分のお茶を用意して待っていたところに

 ジャニスが飛び込んできたのだった。


「はい、原稿」

「ありがとうございます!」


 ジャニスが原稿をしまい紐留めするのを待ってアンは声をかける。


「ねぇジャニスさん。会ってほしい人がいるの」

「え、はい! どなたでしょう?」

「ついてきて」


 そうアンは言うと庭に続く扉を開いた。

 小さな庭はしっかり花壇が整えられていて、寒くなってきて種類は少ないが赤い花弁の花が可憐に咲いていた。

 その庭の一角にアンはジャニスを案内する。

そこには花に囲まれた小さな墓碑がたたずんでいた。


「お墓……ですか?」

「ええ、あの人……デュランのお墓よ」

「デュラン……さんの」


 掠れて見にくくなっているが、墓碑に刻まれていたのはいくつかの資料で見た名前……悪魔と呼ばれた男の名だ。


「アンさんが彼を引き取っていらしたのですね」

「アネモネよ」

「え……」

「秘密にしていてごめんなさいね。アネモネ、それが私の本当の名前」

「え、嘘……まさか、あの?!」


 世俗に疎いところのあるジャニスでも認知しているほどにはシアハニーではよく知れたその名前を伝えられたジャニスは頓狂な声を出してしまった。


「驚いたかしら?」

「はい、とても驚きました」

「まだアンと呼んでもらってもいいのよ? あだ名みたいで素敵だもの」


 そう老女アネモネはあどけない少女のようにクスクスと笑った。

 2人でデュランの墓碑に短く黙祷を捧げるとアネモネはジャニスに向き直った。


「ジャニスさん。あなたにその気があるならその原稿をちゃんと形にしてみないかしら?」

「え、えぇっとそれはどういう……」

「ちゃんと本にして出版してみないかってこと。まだたくさん手直しは必要かもしれないけど出版社に伝ならあるのよ」

「えっえっ、えぇ!」

「あなたの文章には魅力があるわ……熱意も誠意も……きっと素敵な作品になる、そんな気がするの」


 ジャニスはしばらく頭が混乱したのか、あぅあぅと言葉にならない声を発していた。

 だがアネモネの提案が本気だと感じ取ったのか小さく、しかしハッキリと「やって、みたいです」と応えた。


「良かったわ! それでね、提案……というよりは条件を出してもいいかしら?」

「条件……ですか?」

「タイトル、まだ決まってなかったでしょう? 私に決めさせて貰えないかしら?」

「も、勿論です! むしろおそれ多いと言うかなんて言うか」


「良かったわ」とアネモネはほんのわずか天を仰ぐ。


「待ち合わせ……全ては私とデュランの待ち合わせから始まったわ。あの場所に行けばきっと会える。約束のいらない待ち合わせ」


「だからね」とアネモネはジャニスが原稿をとりにやって来るまでの間に考え抜いたタイトルを口に出す。


「タイトルは…………」


 柔らかな風が吹き、ひつじ雲がわずかに形を変えた。

 切れ間から射し込んだ陽光がちょうどアネモネとジャニスを照らし出す。

 それはさながらこれからジャニスの書き上げる小説のタイトルが決まったことを祝福しているような暖かな光だった。

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