第17話 そして繋がる

 Criminal社、昼前の事務所でラッカムは帳簿の前で頭を抱えていた。


「はぁ……やっぱりコラム数本だけじゃキツいよなぁ」


 とりあえずで明日分のコラムを書き上げ、空いた時間で帳簿をつけていたラッカムだったが遠い目をして自身のコラムの原稿料の安さを嘆いていた。

 そもそもが潰れかけの雑誌社だったところに無理やり居座って続けているのだ。

 コラムだけではやっていけないので、副業として探偵のようなこともしてやっと……という感じであった。


「浮気調査……増やすかなぁ」 


 汚職まみれの警察を辞めて、真実を追う世界に飛び込んだ挙げ句が間男、間女の尻を追っかける羽目になるとは実に皮肉が効いているとラッカムは自嘲気味に笑う。


「ジャニスは給料減らしていいとは言うがそれは俺もプライドがなぁ」


 ひょんなことから転がりこんできた年下の部下ジャニスは文句も言わず雑務を色々こなしてくれるので助かっている。が、儲けが増えるわけではなくむしろ厳しくはなっていた。


 半年程前の一件で色々と縁が重なった結果ジャニスは小説家として本を出版することになっていた。先月、晴れて初刷り分が本屋に並び、売れ行きもそこそこあるらしい。

 そっちの稼ぎがある為か、こちらの懐具合を察しているのか減給をジャニスの方から申し出てきたわけだ。

 とは言えラッカムにもプライドはある。「そんなことお前が気にすることじゃねぇ」と突っぱねたのがつい先日のことだった。


 ラッカムが唸っていると事務所の扉が開かれた。


「うん? ジャニス、今日はいつもより早いじゃないか……っ?!」

「邪魔させてもらうよ」


 ジャニスが外回りから帰って来たのだと思って帳簿から顔を上げるとそこには見慣れない相手がいた。

 いや、元警察のラッカムにとってその相手の顔はある意味で見慣れた顔ではあった。

 山高帽に黒スーツ、ステッキをついて入ってきた総白髪の老人。すぐ後には強面のがたいのいい男が続いていた。


「これは……ミスター・ハーディ。こんな寂れた雑誌社に貴方のような方がいらっしゃるとは」

「はじめましてになるかな、アトキンス君。部下が何度か世話になったそうだね」


 やってきたのはマフィア、ディアブロの相談役アーロン・ハーディその人であった。

 ラッカムは警察官であった頃、ディアブロの構成員を逮捕したことがあり、マフィアの重鎮の顔も資料で知っていた。

 すわその時の報復かとデスクの引き出しに突っ込んであった拳銃を取り出そうかとラッカムが身構えるとその機先を制するようにアーロンは言葉を発した。


「そう身構えなくてもよい。今日はビジネス……いや、特ダネを持ってきたのだよ」

「特……ダネ?」

「まずは座ってもいいかね? 老骨にあの階段は少し堪えるよ」

「えぇ、どうぞ……こちらに」


 ラッカムは油断なくアーロン達の動向に気を配りながら応接椅子を引いて着席を促した。

 アーロンが座ったのを確認し、その向かいにラッカムも座る。


「うん、いい椅子だ」

「前の所長の趣味でしてね……それで、特ダネというのは?」


 警戒こそ解いてはいなかったが、それ以上にシアハニー市の裏に精通したマフィアの重鎮の持ってきた“特ダネ”にラッカムは確かな興味を惹かれていた。


 アーロンの指図で強面の男が「これを」とケースを手渡してくる。


「では、拝見」


 ラッカムは中身を素早く改める。

 中には紙の資料にカセットテープがいくつか納められていた。

 まずは紙の資料にざっと目を通すラッカムの顔色がどんどん変わっていき、目も見開かれる。

 そこには興奮の色が見てとれた。


「これは……本当のことなので?」

「あぁ勿論だとも」

「あの“世紀の大誤審”にこんな裏が……しかし、この証言は……」

「インタビューを録音したものがそのテープだよ。資料に記載してあるのは要点を書き出したものだがね。聞いてみてもいいが、我々のやり方で聞いたので少々聞き苦しいかもしれないな」

「……っ」


 アーロンの醸し出す迫力にラッカムはたじろいだ。

 資料には世紀の大誤審と言われたシアハニー出身のライト級チャンピオン、リカルド・ライトの三度目の防衛戦。その裏で何が行われていたか。さらにその数年後のリカルドの死……報道では強盗未遂となっていたが、警察により隠蔽された事実までもが事細かに記されている。


 ディアブロと敵対するマフィア、スカルピオーネにより買収されていた審判や警察官、果てには現役のボクシング協会会長の証言までもがその資料にはあった。


「賭けボクシングか……スカルピオーネの連中の資金源を絶つ為に記事を書けというので?」


 ラッカムは気圧されまいと、できるだけ平静を装いアーロンに問う。しかしその平常心は返答によりあっさりと揺らいだ。


「あぁ、それには及ばない。もうこの街における連中の拠点はひとつ残らず潰した」

「なっ……!?」


 ラッカムとてそれなりの情報源はある。

 そのラッカムがまるで知らないうちにこの街におけるマフィアの勢力図は塗り変わっていた。

 それほど迅速かつ静かにことが進められていたという事実にラッカムは“ディアブロはかつてより力を落としている”という認識を改めざるを得なかった。

 言葉を失ったラッカムにアーロンは何のこともないように続けた。


「3日後、ボクシング協会会長が辞任をする。会見もある予定だが、君にはその前にこの件を記事にして貰いたい。会長の逃げ場を完全に奪いたいのだ。既に大手の新聞に枠は取ってある。好きに書いてくれたまえ」

「……ここまでお膳立てされたなら誰でも書けるでしょうになぜウチに持ってきたので? そのまま大手の記者に書かせればいいでしょう?」


 ラッカムの疑問はもっともだったが、アーロンはそれまでと打って変わってきょとんとした表情へと変わる。その様子にラッカムも気を削がれる。


「うん? 彼女に聞いていないのかね?」

「は……彼女?」


 その時だった。事務所の勢いよく扉が開かれる。


「ただいま戻りました!……あれ、アーロンさんにロバートさん?」

「やぁ、お嬢さん。お邪魔しているよ」


 丁度ジャニスが外回りから帰って来たのだ。

 ジャニスはアーロン達の姿に驚くがすぐに応接中なことに気づいた。


「すいません。何かお話中でしたか?」

「いやなに、少し特ダネを持ってきたのだよ」

「本当ですか! 編集長、良かったじゃないですか! あっほら、お客様にお茶くらい出さないと」

「あ、あぁ……そうだな」


 ジャニスとアーロン達が顔見知りだという情報を追加されついに頭の許容量をオーバーしたのかラッカムは思考停止した。

 かろうじての返事にお茶の支度をしようとしたジャニスをアーロンが言葉で制する。


「お嬢さん、気を遣って貰わなくて結構だ。もうこれで失礼させてもらうのでね」

「そうですか?」

「あぁ。そうだ! 忘れるところだった。出版おめでとう、これを受け取ってくれるかね」

「あ、ありがとうございます!」


 目の前で行われているのは気のいい老爺が孫くらいの娘にお祝いを渡している、どこにでもある光景だ。それが自分の部下とマフィアの重鎮で無ければだが。

 ラッカムは思考停止したままぼんやりとそのやり取りを見つめていた。

 さらにアーロンは持参していたジャニスの小説にサインを貰い満足そうにするとラッカムに念押しの言葉をかけた。


「では、アトキンス君よろしく頼むよ。お嬢さん、また食事をしよう」

「はい! お祝いありがとうございました!」

「あぁ、お気をつけて……」


 アーロンが立ち去って数分後、ようやく我に返ったラッカムは頭をぶるぶると振ると「あぁああ!」と大声を出した。


「あぁ、くそ! とりあえず昼飯だ! 頭が回らん! ジャニス! 後で話聞かせて貰うからな!」

「はぁ……」


 何故急にラッカムが大声を出し始めたのかわからないジャニスは生返事を返すしかなかった。


 ▽


「で?」

「で? って……何ですか?」

「何ですかじゃねえ! 何でお前がハーディ氏と顔見知りなんだよ!」

「あれ? 言ってませんでした?」

「聞いてねぇ!」


 昼食のベーグルサンドをあっという間に平らげたラッカムはすぐにジャニスに問い詰め始めた。

 まだ食べかけのジャニスはモグモグと咀嚼しながらまったりと返答した。


「デュラン氏の件で取材を受けていただいたのがアーロンさんだったんです。それからも何度か取材を兼ねた食事を」

「お前、当時のマフィアの関係者としか言わなかっただろうが」

「そうでしたっけ?」


 あっけらかんとしたジャニスにラッカムは呆れ 果てていた。


「お前、彼が何者か知らないだろ」

「相談役ですよね? ディアブロの」

「はぁ……相談役ってお前、引退者の肩書きだとか思ってるだろ?」

「え、違うんですか?」

「あほ! 今のディアブロのトップは表向きは実業家で通ってるんだよ。代わりに裏の稼業を仕切ってるのがハーディ氏だ!」

「凄い偉い人じゃないですか!」


「今度からどんな顔して会えば……」とジャニスは若干顔を青くした。


「まぁ……ハーディ氏もお前を気に入ってるみたいだしそのままの態度でいいだろ……。ったくミス・アネモネといいお前、人脈がとんでもないことになってるんじゃないか?」

「わ、私のことはもういいじゃないですか! それより特ダネってなんだったんです?」

「あぁこれだよ。そういえばハーディ氏が何か言ってたな? お前に聞いてないかとかなんとか」

「私ですか? 心当たりはないですけど」


 ラッカムは資料を手に取ると、ジャニスに手渡した。


「何でもボクシング協会とマフィアの癒着があったそうでな。3日後に会長の辞任会見があるそうだ。おそらくそれもハーディ氏が噛んでるんだろうが……ジャニス?」

「…………これ、お父さんの……」

「は? おい、ジャニス? 大丈夫か?!」


 資料を読み始めてすぐだ。突然ぼろぼろと涙を溢し始めたジャニスに驚いたラッカムは慌てて駆け寄ると肩を揺する。


「うぇ……ずいまぜん……ずいまぜん」

「お、おう」


 資料が涙で濡れない様に取り上げるとラッカムは困惑しつつもジャニスが落ち着くまで背中をさすってやった。


 ▽


「あー、落ち着いたか?」

「はい……」

「それで、なんで泣き出したんだ? お父さんって言ってたが」

「それは……」


 ジャニスは口ごもったが、観念したように語りだした。


「ずっと黙っていたのですが……私は、リカルド・ライトの娘なんです」

「マジかよ……」


 ジャニスはラッカムにスラムで暮らすことになった経緯を全てつまびらかににすることにした。

 元の暮らしのことも父との思い出も、別れのことも。ラッカムは黙ってそれを聞いていた。


「はぁ――どうりでお前の拳が痛いわけだ」

「ずっと黙っていてすいません……」

「まぁそりゃ構わんが……親父さんのことを調べたくて俺にくっついてたのか?」

「ち、違います! 父のことは関係ありません!」


 ラッカムの何気ない問いにジャニスは泡を食ったような剣幕で否定する。その様子にラッカムはさらに疑問を深めた。

 確かにマフィアに追われていたジャニスを匿ったりしてやったが、わざわざ記者の仕事までやる必要もない。小説家として一歩を踏み出したなら尚更だ。


「じゃあ何でだよ?」

「……きだから」

「ん、何だって?」

「好きだからですよ!」

「……は? 誰が、誰を?」

「私が! ラッカムさんをです!」

「……は?」


 言ってしまったと耳まで顔を赤くするジャニスにラッカムは今日二度目の思考停止に陥った。


「ももも、もう! ラッカムさんの唐変木! 朴念仁! もう知りません! そ、外回りにいってきます!」


 そうして事務所から飛び出していくジャニスの背をラッカムはぼーっと見送ったが、「外回り……今日の分は終わってるよな?」とポツリとこぼした。


「マジかぁ……マジかぁ……マジかよ……マジかよ」


 ひとしきり呻いていたラッカムだったが、思い出したようにアーロンからの資料を手に取った。


「……あいつの親父さんのことならしっかり書いてやらねえとな」


 ラッカムはコーヒーを淹れると資料に再び目を通し始めた。

 それはどうやら自分を慕ってくれているらしい部下の為にしてやれる仕事であり、そしてある意味では現実逃避でもあった。

 やがてラッカムは「よし」と一声あげる。

 次に会うときにどんな顔をしたらいいかはわからないが、記事だけは完成させておこうとラッカムはタイプライターを叩き始めた。

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