第14話 ボツ記事再び

「うっ、ひっぐ、うぐ」

「あらあら、あらあらあら」


 人目もはばからず……もっとも周りにはアンしかいないのだが、とかくジャニスは号泣していた。

 何度もハンカチで拭った目は赤くなっていてハンカチの方もぐっしょりと濡れてしまっていた。

 それでも手帳は死守していたようでインクは滲んだりしていないようだった。


 なんとか落ち着いて「こんなの悲しすぎまずぅ……」と鼻声を漏らすジャニスを見てアンはクスクスと笑っていた。


「パンケーキが冷めちゃったわね。交換してもらいましょうか?」

「いえ! もったいないですから!」


 ジャニスは涙を誤魔化すように冷めたパンケーキを喉に押し込み、同じく冷めてぬるくなったコーヒーで流し込んだ。その様子にアンはさらに微笑みを深めた。


「どう? 参考にはなったかしら?」

「はい! それはもう!」


 アンの話はまさにジャニスの欲した情報ばかりであり、それ以上にジャニスの琴線に触れる話であった。ただただ純粋で悲しい愛の思い出。ジャニスにとって悪魔と呼ばれた男は最早悪魔ではなく、運命に翻弄され届きかけた幸せから遠ざかってしまった悲しい男だった。そして、目の前で微笑みを浮かべている女性もまた……。まだ2人のことを思うと涙が溢れそうになる。ジャニスは目を潤ませながら大きく頷いた。


「本当はね? 誰にも話すつもりはなかったの。私だけの思い出としてお墓まで持っていこうと思っていたわ」

「それなら……何故、私に話してくれたんですか?」

「どうしてかしらね」


 アンは口に手を当て考え込むようにしながら独白のように言葉を紡ぐ。


「あの人を喪って、それでもあの人の分まで、あの人に救われた人生を生き続けてきたわ。あの人とのことを知る人で後ろ指を指してくる人もいたし、両親や知り合いが縁談の話を持ってきても全部断ってきた。そのことが両親とのしこりにもなったわ。結局、あの人のことは認めて貰えないままで……」


 アンは皺の刻まれた顔を悲しげにしかめる。


「少しでも認めて貰いたくて必死に商会を切り盛りしていたら、不況の波がやってきたわ。誰もが明日すらわからないようになって、私も激務に追われて。それでもなんとか乗り越えてふと気づいたの。もう誰もあの人の話をしないことに。そして怖くなったの。私だけがあの人を覚えているんじゃないかって。もしかしたら私も忘れてしまいやしないかしらって。それからかしら、ハロウィンに、亡くなった人が帰ってくるこの日にあの約束の場所に行くようになったのは……過ぎていく時間が、老いが、あの人を忘れさせないようにしたかったのかしらね」


 そこでふいにアンは「あぁ、ようやく分かったわ」とジャニスの目を真っ直ぐにみつめた。


「きっと嬉しかったのね、私は。この日にあの人と同じ綺麗な金色の瞳の貴女が私を助けてくれた時、あの人が本当に帰ってきてくれたみたいで。そしてそんな貴女が本当のあの人を知ろうとしてくれていることが」


「ありがとう」とはにかむアンはまるで花が咲いたように微笑んでいた。ジャニスはその佇まいに人生の酸いも甘いも乗り越えて力強く咲く一輪の花を見ていた。


「あら、もう迎えが来たみたいだわ。素敵な時間は早く過ぎてしまうわね」そうアンが言った通りに、窓の外にちょうど先ほどの姪の娘だという赤毛の女性が見えていた。両手に下げた買い物袋にははちきれそうなほどのお菓子やハロウィン飾りが覗いていた。


「ジャニスさん、今日は貴女に会えてよかったわ」

「こちらこそ! 本当にありがとうございました!」

「それでジャニスさん。いまの話は記事にはするのかしら?」

「出来ればそうさせていただきたいと思います。駄目……でしょうか……?」

「そうね……出来映えによる、かしら」


 アンの言葉にジャニスは「うっ」と呻くと苦笑いで応える。


「うぅ……実はまだちゃんと記事にしてもらったことが無いんです。編集長にはボツをもらってばかりで」

「あらそうなの?」

「はい……で、でも! 今度ばかりはちゃんと記事にしてもらえるよう書きます! 書かせてもらいます!」

「フフ、じゃあ編集長さんから合格が出たら一度見せてもらえるかしら? 私にもチェックさせて、ね?」

「は、はい!」


「頑張ってね」とアンは意気込むジャニスに優しくエールを送ると座席から車椅子に乗り換えて出口へと向かっていく。ジャニスはその背中に深く深く頭を下げていた。


 ▽


「ジャニス! どこほっつき歩いてたんだよ? もう3時前だぞ! 俺は昼飯も食えずコーヒーだけでこの数時間過ごして……」


 Criminal の事務所に戻ったジャニスを一番に出迎えたのは昼食にありつけなかったラッカムの苦言であった。

 そのラッカムにジャニスは無言でベーグルサンドを投げ渡す。

 トパーズからの帰り際、マチルダに「はい、いつもの」と渡されたものだ。

 ジャニスはそのまま自分の席でタイプライターに向かうと感動が止まないうちにと鍵盤を叩く。こ気味のよい打鍵の音が事務所に響き始めた。


「ったく……しょうがねぇな」


 ラッカムはコーヒーを2人分淹れると集中しているジャニスの脇に置き「こぼすなよ」と一言声をかけると自分はベーグルサンドにかぶりついた。


 ▽


 ――そして翌日。


 遅くまでかかって書き上げた原稿をラッカムに手渡し、駆け足で外回りを終わらせたジャニスは事務所に飛び込んだ。


「編集長! 原稿、どうでしたか!」

「うん、ボツだな」

「な、な! 何でですかぁあああああああ!?」


 ラッカムのあっけらかんとしたボツ原稿宣言にジャニスはいつもより気合いの入った抗議の悲鳴をあげるのだった。

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