第11話 車椅子の老女

「このあたりでしょうか?」


 ジャニスはスラムからシアハニー大通りに向かう途中の路地にいた。

 以前はうす暗く人通りも少なかったその路地もいまや再開発が進み所狭しと服飾屋や雑貨屋が立ち並ぶ賑やかな通りになっていた。ハロウィンシーズンだからだろう、店先にはカボチャのランタンやコウモリの飾り付けがしてある。


「話によればこのあたりで彼は撃たれたはずなのですが……」


 ラッカムの手にいれた資料とアーロンの話によれば、悪魔が彼の弟に撃たれたのが丁度その通りだった。


「ここで撃たれて……そのまま……大通りの方に向かって……」


 ジャニスはぶつぶつ呟きながら人混みを掻き分け、かつて悪魔が撃たれた後、進んだであろう道を辿っていた。

 アーロンからは貴重な話を聞くことが出来たとはいえ、まだ謎は多く残されていた。

 聡明ですらあった悪魔がなぜ殺人を犯したのか、なぜ撃たれた後苦痛に苛まれても路地を進んだのか。

 ジャニスは少しでも悪魔の気持ちを理解できるだろうかとゆっくりと道を歩いてみる。


「あれ? ここって“トパーズ”の近く……」


 普段は大通り側から向かう為、気づくのが遅れたが路地を進んだ先にはよく昼食を買いにくるパン屋があるはずだ。高低差のある路地の階段を降りて少し見回せば思った通りにパン屋の看板が見つかった。


「やっぱり! ついでにお昼用のベーグルサンドを買っていきましょう……ん?」


 時刻は11時少し前、普段は印刷所に向かった帰りに寄るので昼時には少しばかり早い。他に客もいないようだ。並ばなくていいのは運がいいと店に向かおうとしたジャニスは大通り側からやってくる人物に目が留まった。


「(車椅子? 一目で上等と分かる服、アイベリーでもかなりの上澄みです)」


 ストリート時代の癖でつい服装や佇まいから相手の懐具合を探ってしまったジャニスはいかんいかんと頭を振った。

 やって来たのは車椅子に乗った老女とそれを押している30代半ばほどの鮮やかな赤毛の女性だった。老女の方はすでに総白髪だが背筋はしゃんと伸びていてどこか気品を感じさせた。

 2人は丁度、パン屋あたりまで来ると二言三言交わしている様だったが、赤毛の女性は車椅子の老女を置いて去っていってしまった。


「(無用心ですね……)」


 スラムよりマシとは言え、パン屋のある路地は大通りから一筋入ったところにある。ある程度人目があるとは言え、車椅子の老人を置いて去るべき場所では無いだろう。何かあればすぐに動けるようにとジャニスは車椅子の老女を注視していた。すると老女はジャニスの方へと車椅子のタイヤを回してやってきた。膝の上には花束だろう、鮮やかな赤い花が遠目からでもよく見えた。


 ジャニスの少し手前だった。路地の石畳が欠けていた部分に車椅子の車輪がひっかかったのか、老女はバランスを崩しつんのめるように車椅子から落ちそうになってしまう。


「危ない!」


 ジャニスは持ち前の瞬発力で飛び出すと車椅子の前に滑り込みなんとか老女が倒れる前に体を支え花束も受け止める。そのままなんとかバランスを保って車椅子に老女を座らせた。


「大丈夫ですか?」

「……ええ、ええ、大丈夫よ、お嬢さん。ありがとう! フフ、ビックリしたわ」

「無用心ですよ? こんな場所で1人で車椅子なんて」


 ちょっと愉快そうな老女をジャニスが嗜めると「ごめんなさいね」と謝りながらも老女は笑顔のままだった。


「一応、自分の足でも立てるのよ? 家ではちゃんと歩いているし。お出かけするときだけ車椅子なの」

「治安もそこまで良くは無いですし、転けて骨折でもしたらどうするんですか……ほら、押してあげますから、目的地はどこですか?」

「ありがとう、親切なお嬢さん。でもすぐそこだから大丈夫」

「遠慮しないでください。時間は平気ですから」


 互いに「遠慮無用」と「大丈夫」を繰り返していたが老女の方が「じゃあ、お願いしようかしら」と先に折れた。


「でも本当にすぐそこよ?」

「どこですか?」

「そこの階段よ」

「え、そこの階段ですか?」

「えぇ」


 老女の目的地はまさにジャニスがいましがた通ってきた階段だった。10段ほどの短い階段だがそれこそ車椅子では通れないだろう。

 ジャニスは首を傾げながらゆっくりと車椅子を押して階段まで老女をつれていった。


「着きましたよ」

「ありがとう」


 老女は車椅子から立ち上がると、花束を丁寧に抱え階段の隅にそっと置き、下げていた小さなカバンからキャンディの包みを取り出すと花束に添える。

 そうして上等な服が汚れるのも気にせずに階段に腰を降ろすと、まるで隣にいる誰かに合わせるように手を置いた。


 その時、ジャニスにはどういうわけか老婆がまるで年頃の少女のように見えていた。

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