第8話 アーロンの記憶

「……彼は悲しい男だった。今ならそう言えるよ」

「今はですか?」

「あぁ、当時は……そうだな。恐ろしくもあったが親近感も少しあった、そして恨んでもいた。だがそれ以上に理解の及ばない存在だった」

「理解の及ばない存在ですか?」

「君は彼が起こした事件は知っているかね?」


 ジャニスはアーロンの問いに「一応は」とラッカムの手に入れた資料の内容を掻い摘んで説明する。2件の殺人、それと実の父親への凄惨な所業について簡単に伝えるとアーロンは頷いた。


「意外かもしれないが、そのような事件を起こしながら彼は君が関わってきたうちの荒くれどものような、短絡的に暴力を振るうタイプではなかった。理知的ですらあったよ」

「そうなのですか?」

「あの時代にしては珍しく読み書きもできた。仕事以外では他者を傷つけたり威圧するようなことも一切なかった。だが仕事では一切の容赦もない、そういう男だった」

「なるほど……実を言えば私が記事にしたいのは彼の2件目の事件、当時のディアボロのボス射殺の動機についてなのですが、何か思い当たることはありませんか?」

「それは儂も知りたいぐらいだ」とアーロンは顔をわずかにしかめる。


「ボスはいい人だったよ。無論、生業が生業だ。恨みを買うようなことはしていただろうが、身内に対してはおおらかで情にあつかった。ボスは身寄りのないところから成り上がったそうでな。同じような境遇の儂や彼を重用してくれていた。それだけに彼がボスを撃った理由がわからないのだよ、儂にもな」

「それにだ」とアーロンは少し考えるように言葉をつづけた。


「わからないといえば一件目の殺人もそうなのだ」

「たしか、暴漢らしき男を射殺した過剰防衛だったのでは?」

「うむ。だが彼は当時重い病の床にあった母親の看病をしていたのだと聞いている。ほかに身寄りもないのにそんなことをすればどうなるか、彼にわからないはずがないのだ。現に彼の母親は彼が少年院にいた間に亡くなってしまった」

「2件とも自身を追い詰めてしまうような状況での殺人ですね」

「自殺志願者というわけではなかった。しかし命に対する執着もない。いつ終わってもいい、儂の知る彼はそんな諦観に満ちた目をしていたよ」


「申し訳ないが儂にも彼の動機はわからんのだよ」とアーロンは少し乾いた笑いを漏らした。

 ジャニスは「そうですか」と少し肩を落とし手帳に話を纏めていく。ジャニスが書き込み終わるのを待つようにアーロンはウィスキーをつぎ足し喉を潤していた。


「ボスを殺したあとさえも彼は従順だった。それがますます彼を恐ろしい存在にしていたよ……片腕を奪われてすら彼は恨み言ひとつ漏らさなかった。だからこそすぐには殺されなかったとも言えるがね。しかし、彼に深い恨みを持つものがいたのだ、彼の弟だ……腹違いのだがね」

「! では、その弟が悪魔殺害の!?」

「そうだ。私は当時彼の護衛、いや監視と言った方がいいだろう。そう新たにボスになった者から指示を受けていた、彼がまた妙なことをしないか見張っておけとね」


 アーロンの応えにジャニスは心を踊らせていた。スラムでの事件は表面化しづらいのだ。

 この件は警察の資料にも詳しい記載はなく、せいぜい抗争で命を落としたのだろうとしかわからなかった。それがここにきて新事実が発覚したのだからジャーナリストの端くれとしてジャニスが興奮するのも無理はなかった。


「冬の少し手前だ。儂は仕事に向かう彼の後を遠巻きについて歩いていた。あの頃、儂を含め彼に近づこうとするものは誰もいなかった。しかし彼の前に少年が立ち塞がったのだ。まだティーンエイジャーだったろう。少年の手には小さな拳銃が握られていた。近づこうとした儂を手で制して彼は少年と向き合った。少年は何事か叫んでいた……お前が家族をむちゃくちゃにしたとか、そんなことだ。それでその少年が誰なのか儂にも分かった」


 アーロンは記憶を辿るようにしてゆっくりとした口調で話を続ける。もう50年も前のことだ。曖昧な部分もあるだろう。それでも出来るだけ正確に思い出そうとしていた。


「恨み言を叫ぶ少年に彼は淡々と皮肉を返していた。拳銃などまるで恐れてはいないようだった。むしろ顔には笑みすら浮かべていた……あの顔は儂ですら肌が粟立つようだったよ。少年はガタガタと震えていて、完全に怖じ気づいてしまっていた。そんな少年に彼は近づくとあろうことか少年が握っていた銃を自らの頭に押し付けた。そして銃声が鳴った」

「そんな危険なこと……悪魔は自らの死を願っていたのですか?」

「わからん……それに少年は撃とうとして撃ったというよりはむしろ慌てて銃を引こうとした拍子に引き金が引かれたように見えた。事実、弾は頭ではなく腹に当たったからね。倒れた彼に儂は慌ててかけ寄ったが至近距離で放たれた弾が大事な血管を傷つけたのだろう、みるみるうちに腹の部分が彼の血で赤く染まっていった。少年も自分のしてしまったことに慄き震えていたようだった。腹を抑えながら彼は、えづく少年に何事か呟いていたが、ふと少年に手を伸ばそうとしたのだ。だが少年は逃げ出してしまった。彼は……ほとんど消え入りそうな声で「生まれてきてごめんなさい」と……そう逃げた少年に謝っていた」


「あの声は今でも耳に残っているようだ」と、アーロンは深くため息をついた。


「儂は少年を追おうとしたが、彼は追わなくていいと言うとそのまま立ち上がり血を流しながらも歩き始めた」

「腹を銃で撃たれたのにですか!?」

「彼は儂にもついてくるなと告げてそのまま路地に消えていった。まるで死に場所を探すような彼に儂は結局ついていくことができなかった」


「それが儂の知りえる彼の最期の姿だよ」という言葉を最後にアーロンは目を瞑る。

 ジャニスもまた、あまりにも悲しい最期を遂げた一人の男に思いを馳せながら黙々と手帳にペンを走らせていた。

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