白縹の空へ

濡れ鼠

白縹の空へ

じんじんと僕の身体を内側から震わせるような轟音が頭上で旋回する。僕は思わず隣にしゃがむ父の腕をつかんだ。

「大丈夫。怖くないよ。ほら」

父の人差し指に導かれるように、視線を上に向ける。墨色とも深緑色ともつかぬ機体が今にも落ちてきそうで、僕はまた俯いてしまう。

「怖くないって。もしものときにはきっとさ、あのヘリが助けに来てくれるんだ」


アーケード街を進む足は少しずつ加速し、シャッターで口を閉ざした店舗の前を一息に通り過ぎる。いきなり一足の革靴が視界に飛び込んできて、僕は声を上げそうになった。眩しいほど白い布で包まれた二本の脚が、仄暗い通りに浮き上がっている。

「こんにちは」

僕の視線が顔へと到達する前に、男の声が耳に届く。分厚い肩が僕を睨んでいて、しかしその声は穏やかだった。

「自衛隊です。高校生、ですか?」

男は僕が答えるのを待たずにカラフルな紙を差し出してくる。浅黒い腕が僕の前の空気を押しのけて、僕は思わず紙を受け取った。

「もしよかったら、説明会、やるんで。あと、明日ここの駐屯地で、イベントがあるから……」

僕は返事をしたのか、よく憶えていない。アーケード街をほとんど走るようにして通り抜け、ディスカウントストアに駆け込む。床が跳ね返した照明が眩しくて、僕は目を細めた。乱れた呼吸のままカップラーメンを1つ買って、店を出ながら財布の中の小銭を数える。今日もシフトを入れてもらえばよかった。


足音で鼓膜が震えて、僕は数学のノートから頰を持ち上げた。リビングから僕を呼ばわる声が届く。あいつはソファに寝そべっていて、アルコールと煙草を混ぜた香りがその身体を覆っていた。

「水」

あいつの指先に従って僕は動く。あいつの薄汚れた手は、グラスではなく僕の首元に伸びてきた。水面が大きく揺らぐ。吸気が喉で引き返していくが、引き留める気力はない。あいつの顔が白くぼやけてきて、このままでいいな、と僕は思った。


目を開けるより先に、肉体と床板の間で背中が軋んだ。ゆっくりと瞳を回す。あいつはまたソファの上にいて、喉の奥を震わせている。僕は這うようにして玄関に向かった。スニーカーに足を突っ込んで、少しずつ明度を上げていくアスファルトの上を行く。鉄道が目覚めたら、山に登ろう。手のひらをポケットの上に重ねる。財布を忘れたことに気付き、手のひらの下で紙がひしゃげた。


刃のような翼が空気を搔き回し、芝生がさざめく。やがて翼は大気をつかみ、少しずつ機体を持ち上げていく。一面を露草で染め上げた空が、機体を迎え入れる。湧き上がる綿雲が、連なる山々が、僕とともに機体を見上げている。空の奥へ奥へと進んでいく機体を、僕は声もなく見送った。


雲の上を歩くような足取りで、天井の高い格納庫を通り抜ける。見覚えのある男と目が合う。

「何が……」

男は唇をわななかせ、己の首筋を撫でる。

「僕でも、飛べますか」

僕は思わず口走っていた。男は目を瞬き、僕をじっと見た。小さく息を吐き出し、何度も頷く。

「もちろん。どうしたら飛べるか、一緒に考えましょう」

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