第203話
そこからは早かった。
穂高さんは私も知らぬ間に用意していた誓約書を取り出すと、永瀬部長にサインをさせた。
私にはもう二度と近づかないと。
“話がまったく通じない相手ではない“と穂高さんが言っていた通り、きちんと話せば永瀬部長の引き際は案外あっさりしたものだった。
その“きちんと”した会話が、私には出来なかったのだけれど。
やはりすでにそれなりの役職に就いていて、それでもまださらに出世欲がありそうな永瀬部長には、この件が会社に知られることが一番困るのだろう。
私への想いも結局はその程度だったということでもある。
2人のやり取りを横目で見ていて、私もようやく冷静さを取り戻した。
「・・・・永瀬部長」
私は久しぶりに口を開いた。
「たった半年程度の付き合いでしたけど、あの頃の私は本当に貴方のことが好きでした。貴方の裏切りを知って、憎しみよりもショックの方が大きくて・・・・私は責める言葉すらも口に出来なかった。もう顔を見るのも辛いくらいに苦しくて、だから会社を辞めたんです」
「・・・・・・・・史」
「そのあと今の彼に出逢って、彼を好きになって。貴方を忘れると同時に傷も癒えたんです。それなのに貴方はあっさりと私の前に現れて、簡単に愛していると口にした」
永瀬部長の顔が酷く歪んだ。
「そんな軽い愛なんて、私は要らない」
永瀬部長が先に喫茶店を後にすると、穂高さんは私の頭をくしゃくしゃっと豪快に撫でた。
「やればできるじゃん」
そう言って、笑いながら。
あのとき穂高さんがいてくれたから、私は永瀬部長にきちんと自分の思いを最後に伝えられたんだ。
思い残すことなく、悔しかった永瀬部長との過去もようやく浄化できたんだ。
本当に、感謝してもしきれないくらいだ。
だから今手にしているノラちゃんのご飯の重みも、やっぱりこれくらいどうってことないと思った。
ノラちゃんのご飯とお弁当だけじゃ足りないかなぁとも思い始めてしまう。
ああ、そうだ。
穂高さん用の大きめのお弁当箱も買って帰ろうかな。
ちょうど帰り道に雑貨屋さんもあるし。
と、赤信号で足を止めて考えていた。
ーーーーその時だった。
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