第172話

仕事でもそうだ。



印刷会社から上がってきたサンプルがこちらの指定した素材と異なっていたという重大なミスが、定時の少し前に発覚した。



その対処に追われ、ようやく会社から出られた頃にはすでに22時を回っていた。




三上さんならば驚くほどの時間帯ではないけれど、私にしては今年一番の残業だ。



幸い自分の犯したミスではなかったことだけが救いだった。







あれから希和のことについては、できる限り考えないようにしていた。



希和が浅見先輩とアマンに行っていたという事実が、数日経って少し冷静になったはずの今でも私を苦しめている。



考えないようにしていても、いつかはどうしたって考えなければいけない状況に当たることはわかってはいる。



それはきっと、何かを決断しなければならない時であることも。



だから今は少しでも先延ばしにしたかった。





会社を出て駅へと歩いていると、ポケットに忍ばせていたスマホが振動した。



取り出してそこに表示されていた相手に、盛大な溜め息を吐きたくなった。



きっと今出なかったとしても、明日の朝にでもまたかけてくるはずだ。



それはもっと嫌だ。



どうせなら面倒なことはもう、嫌なことすべて重なった厄日である今日に片付けてしまおう。





「ーーーもしもし」





歩きながらスマホを耳に当てた。




『史?お母さんだけど』



「うん、何?私まだ帰宅途中なんだけど」



『あら、まだ帰ってなかったの?もうこんな時間なのに。もしかしてデートだったの?』



「・・・・は?何言ってるの?仕事に決まってるでしょ」




呆れながらそう返す。




『なーんだ、そうなの?』



私の気持ちとは裏腹に、ふふっと声高に笑う母に嫌な予感しかしなかった。




『お母さんはてっきり彼氏と会っていて遅くなったのかと思っちゃったわ。ねぇ、いるんでしょう?素敵な彼氏様が』




私はさっきはなんとか堪えた溜め息を、電話越しの母にも聞こえるように思いっきり吐いた。




「・・・・もしかしてカエちゃん?」



『あんたからいつまで経っても浮いた話が出てこないから、お母さんお見合いでもさせようかと考えてたのよ。そうしたら余計なお世話だって、カエが。なんでもっと早く言わないの。お付き合いしている男性がちゃんといるって』



「なんでって。こっちこそどうして親に恋人の有無をいちいち報告しなきゃいけないのよ」



『何言ってるの!史だってお母さんがずっとあなたのこと心配してたこと知ってたでしょ?なのに報告しなかった理由がわからないわ。相手は会計士さんですって?立派なご職業に就いてる方じゃないの』



私の心配じゃなくて、ただ自分が早く孫が欲しいだけじゃない。




カエちゃん・・・・



なんとかしてくれるって言ってたけど、なんでお母さんに希和のこと喋っちゃったかな。



一番、厄介な人に。

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