A curse of Hokora

八文啓

A curse of Hokora

 ブラインドから差し込む西日に目を細めながら、ジェイムズ・フォルド中佐は星条旗新聞をめくっていた。古びた卓上扇風機ががたがたと唸りながら首を振り、たくましく生えた彼の白い顎髭を揺らしている。

 アメリカ陸軍戦略調査局などという袖も汚れないような本土の部署にいるよりも、最前線で重機関銃かバズーカを担いでいる方が良く似合う。でなければテキサスの田舎でウイスキー片手にステーキハウスでもやっていそうな風体の上司であった。

 今朝の新聞ですか、と私が尋ねると、中佐は軽く首肯する。

「マッカーサーを解任するのは構わないが、せめて朝鮮半島が静かになってからにして欲しかったものだな。上の人事は分からん」

 最近の奴は気に入らなかったがな、と一面のトップを飾る『マッカーサー解任』の文字をも半分に折り、畳んだ新聞をマホガニーの机の隅に追いやってから、中佐は目の前で立ち続ける私にようやく目を移す。

「それで用件は何だ、カーター大尉」

「こちらを」

 書類鞄の中から二冊の報告書を取り出す。片方は真新しい用紙に刷られ、もう片方はやや日光で黄ばんでいる上に、ページの隅がよれていた。あまり保存状態は良くなかったが、五年も経つ上に朝鮮半島での戦争勃発のおかげで資料局も大わらわになっていたのだ。強く非難もできない。

「『日本本土における戦略爆撃と爆撃機損失についての報告』か。戦略爆撃調査団が陸軍に提出した報告の一つだったはずだが?」

 1946年に太平洋戦争における日本本土への爆撃と、その任務中における爆撃機の損失をまとめた報告書。

 フォルド中佐はこの報告書を作成する際の調査に関わった情報将校の内の一人だった。

 もう一つ、真新しい報告書を手にしながら彼は説明を促すように私を見上げる。

「46年の『日本本土における戦略爆撃と爆撃機損失についての報告』で継続調査が必要であると報告されていた事象の一つについて、ある程度の結論が出ました。それに伴い報告書を作成したため、当時の調査責任者であったフォルド中佐に報告の必要性の有無を判断して頂きたく存じます」

「私の調査範囲は爆撃機の損失に関する部分だったと記憶しているが、継続調査が必要な部分があったかね?」

「当時における継続調査の必要性は低いものでしたが、同じ極東地域である朝鮮半島で戦端が開かれたことから調査を行いました。ご確認して頂ければ幸いです」

「ふむ」

 顎髭を摩りながら、中佐はもう一つの報告書のタイトルを巨木の枝のようにしわがれた指でなぞった。

「『日本の民俗信仰施設に対する爆撃と爆撃機損失の因果関係報告』?」

「はい」

 紙に添えた中佐の指が作る影は机の上で長く伸び、端の新聞にまで届くほどだった。


「まず、中佐が報告された『日本本土における戦略爆撃と爆撃機損失についての報告』―――正確に言えば、その中の第二部第六項に当たる『爆撃機の損失』における情報を整理します」

 太平洋戦争末期、B-29に代表される飛行場と日本本土を無補給で往復可能な爆撃機を多数擁したアメリカ軍は、日本国内の軍事力や工業力、生産力の破壊を目的として本土爆撃を行い続けた。

 無論、対空射撃や戦闘機による迎撃などの手段によって、アメリカ軍の爆撃機が撃墜されるケースは散見された。

 戦後に日本軍から回収した射撃記録や出撃記録などと照会することによって、どの部隊に所属した誰の機体が、どのような手段で誰によって撃墜されたのか、ということをある程度判明させることに成功したのが、この『爆撃機の損失』の項目だった。

 もちろん、全ての損失機の詳細が判明したわけではない。

「両軍の記録不備によって撃墜時の状況が分からないケースが、この報告書の中では52件確認されています。さらに日本軍の対空砲陣地や戦闘機部隊の活動範囲の矛盾から、日本軍によって撃墜されたことそのものが疑わしいケースが17件存在しています」

「それが継続調査を必要とする、という事例だったわけか」

 私は頷く。

 敵軍によって撃墜された可能性が低いのであれば、自ずとその理由はアメリカ軍に起因する可能性が高くなる。

 爆撃機の不調、爆弾の暴発、あるいは搭乗員のレーションによる食中毒まで。

 あらゆる可能性を想定し、二度とそのような事態が起きないようにそれを防止する。

 朝鮮の戦線で稼働する爆撃機のほとんどが太平洋戦争でも使用されたものである以上、原因の究明と対策は緊急の課題であった。

「それで、五年の時間をかけて何が新しく判明したと?」

 フォルド中佐は肘をつきながら報告書の端を指でめくる。

「……五年の時間をかけなければ判断することが難しかった、とお答えさせていただきます」

 嫌味に対する反発が全て、という訳でもない。

 この五年の間で、私は三度日本の土を踏み現地調査を行った。散逸した資料の収集や現地住民に対する調査など、僅か一年でその全容を報告しなければならなかったフォルド中佐らの調査に比べれば、はるかに多くの情報を得ることに成功したのだ。

「29ページから始まる地図群をご覧ください」

 言葉の通りにそこを開いた中佐は、僅かに目を見開いた。

「損失理由不明の17機が爆撃したルートを航空写真上に重ね合わせたものです。爆撃時の速度・風速を考慮しながら投下した焼夷弾が着弾したと考えられる範囲を白色で表示しています」

「東京、神戸、博多、仙台……全てか」

「全てです」

 中佐はしばらくそれに目を通していたが、それらの地図に現れた白い範囲以外の特徴に気付いたようだった。

「この点で記されたポイントは何だ? 全て爆撃範囲の中に収まっているようだが」

「これが本報告書の主題です」

 私は続ける。

「これらの爆撃範囲について調査を行った結果、17機全ての機体が爆撃した範囲の中に日本の民間信仰で重要視されている施設が存在していることが判明しました。また、それらがアメリカ軍による爆撃によって破壊されていることも確認しています」

「民間信仰―――ブッディズムでは無く?」

「広い範囲ではシントウと呼ばれる宗教信仰に由来すると考えられますが、各地域の民俗信仰と融合して境界線が曖昧になっているため、具体的な宗教派閥を例示することは難しいと考えられます。

 これらの破壊された施設は、神的存在を保護し、祈祷などを行う目的で建設された小規模な施設という意味の『ホコラ』と呼称されているようです」

 日本の宗教形態には今もなお謎が多い。民族性に関してはルース・ベネディクトによって多くの特徴が判明しているものの、異様なほどに多様な地域性を有する日本においては、専門の学者でもその信仰を完全に把握することは難しいという。

 しかしながら、この『ホコラ』は日本全国に存在している、シントウの中でもメジャーな施設の一つであるようだった。

「17機の機体が爆撃を行った日付、そして墜落した日付、さらに当該爆撃地域における『ホコラ』が破壊された日付はいずれも一致します。

 この『ホコラ』の破壊は一連の爆撃機墜落の原因になり得ると考えます」

 フォルド中佐はしばらく沈黙した。

 彼は長い間報告書を見つめてから目頭を押さえ、そして僅かに溜息をつく。

 古い扇風機は未だにがたがたと揺れていた。

「すると?」

「はい」

「マイケル・カーター大尉はこれらのB-29が、シントウの神的存在を怒らせたために報復を受けて撃墜された、超自然現象の被害者であると言いたいのか?」

「間違いありません」

「……」

 しばし蔑視の目線を浴びながら、私は次の説明をいつ切り出そうかと考えていた。

 中佐は呆れた様子で天を仰いでいたが、報告書がまだ三分の一程度にしか達していないことを確認してから、もう一度、今度は深いため息をついてから私に問いかけた。

「そういう態度を取るということは、このB-29の事例だけを根拠にしているわけではないのだろうな」

「仰る通りです」

「……続けろ。だが私が止めろと言ったらすぐに止めろ」

「了解しました。では46ページを」

 鼻を鳴らしながら中佐はページをめくる。

「これは海軍の情報作戦部から提供されたデータの一部です。アメリカ海軍との交戦において撃沈した日本海軍艦艇のうち、爆撃を受けた箇所とその箇所に対する爆撃を行った機体が判明している事例の一覧です」

「よく判明したものだな」

「ガンカメラや観測機による報告などの情報を統合し、分析を行いました」

 中佐がさらにめくったページには、各艦艇の断面図と爆弾が炸裂したと考えられるポイントと効果範囲がやはり白色で示された図面が広がっている。

 駆逐艦、巡洋艦、あるいは軽空母。合わせて七隻の事例を収集することに成功した。

「それで―――この図面が何だと言うのだ? 陸上爆撃ならともかく、対艦爆撃が先程の『ホコラ』の反撃とどのように関連するのか、分かりかねるが」

「実例を交えながらご説明します。57ページの図面をご覧ください」

 そこには日本海軍のある大型駆逐艦の断面図が記されている。

 数多の艦艇と同様に、この船も戦争末期の1945年に攻撃を受けて沈没した。

「この艦艇は1945年6月7日に輸送船団を単独で護送中、アメリカ海軍の空母に所属する航空部隊と交戦し、沈んでいます。

 複数機による爆撃を受けましたが、この船体中央部に対する被弾が船体底部まで貫通、燃料に引火し轟沈したと報告されています。この際に命中した爆弾はこの一発のみであり、従って有効な爆撃を行った機体も一機しかありませんでした」

「一撃必殺という訳だ」

「この駆逐艦単独の護衛であったために対空砲火などを受けることもなく、この攻撃隊は空母に帰還しました。

 ただし、その有効な爆撃を行った一機のみが、帰投中に原因不明の爆発によって墜落しています」

「……」

「整備不良などを原因にするものとは明らかに異なる、機体全体が火に包まれるような爆発であったと編隊を組んでいた複数のパイロットが証言しています。

 このような不明な理由による墜落は海軍でも確認されていました」

 それぞれの図面の、爆撃による被害が及んだと推測される範囲。

 艦の場合であっても、そのポイントは確かに、爆撃範囲の中に収まっている。

 フォルド中佐は、先程とはまた別の意味で目頭を押さえながら呟いた。

「すると、これは」

「はい。日本海軍の比較的大きな艦艇には、艦内に『ホコラ』と類似した特性を持ち、神を敬うための施設が存在していました。艦内神社という名称ですが、小規模であることから神社よりも『ホコラ』に近い扱いを受けていたと考えられます。

 これらの爆撃を受けた艦艇に艦内神社が存在していたことも確認済みです」

 陸に留まらず、海であっても『ホコラ』とその超自然的反撃は影響を及ぼしていた。

 確認が出来る範囲であってもこれなのだ。大規模な海戦における混乱の中、不意に『ホコラ』を破壊してしまった航空機や艦艇が謎の反撃を受けた可能性は高いだろう。

 およそ三分の二の説明が終わったところで、フォルド中佐は考え込んだ。

 まだ何かを言いたげではあったが、B-29の事例の時よりは考えが変わったのか、不承不承といった感じであるとはいえ、続けろ、と彼は呟いた。

 感謝します、とだけ私は返す。

「最後の事例ですが―――これに関してはあくまで参考、という形になります。

 まずこれまでの二つの事例が整理できた段階で、私は日本の統治に携わる人物の意見が必要ではないか、と考えGHQの情報武官に精査を依頼しました。仮報告書という体裁ではありましたが民間信仰に関わる統治政策において有用な調査であると見なされ、広く意見を募ることが出来ました。

 その中で、このような意見を頂戴しました。

 『これらの事例、つまり『ホコラ』に対する攻撃によって超自然的反撃を受ける可能性は一考の余地がある。しかしながら、これらの通常攻撃によるものではなく、さらに高い火力によって『ホコラ』を破壊・焼却した場合にはこの限りではないとすれば、『ホコラ』を巻き添えにした攻撃による自軍被害は更なる火力向上によって解決しうると考えられる』と」

「神的存在であろうが灰にすれば黙るだろう、ということか。随分と気持ちの良い考え方だな。

 それで、その意見は誰が?」

「連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー陸軍元帥です」

 影は未だに長く伸びている。茜色の西日が作る影は、既に新聞に覆いかぶさっていた。

「元、ではありますが」


「この意見が送られてきたあとに、さらに差出人不明でいくつかの写真が私の元に送られてきました」

 私は懐から一枚の封筒を取り出す。ワシントンの郵便局から送られてきたということを示す消印以外は、何の情報も書かれていない封筒だった。

 そこに入っていたいくつかの写真。

「日付は46年7月25日とあります。

 三枚の写真が同封されており、一枚は日本軍のものと思しき艦艇の内部構造に設置される大型の爆弾と、その傍に存在している艦内神社と同じ特徴を有する『ホコラ』のような物体。

 そして何かの操作スイッチを押している兵士。こちらは記章などからアメリカ陸軍の人物であると推測されます。サインペンで追記がなされており、この男性がマイク・デューイという人物であることが示唆されています。

 最後が、クロスロード作戦のうちのベーカー実験を捉えたと思われる、核爆発によって発生した巨大な水柱の写真です。

 いずれも軍事機密に指定されうる写真ですが、これらの情報を統合すると―――」

 真夏の暑さのせいか額に一筋の汗を垂らしたフォルド中佐は、私と同じ考えに至っていたようで、言葉の続きを淀みなく続けた。

「―――マッカーサーが核実験であるクロスロード作戦の中で、『核爆発によって『ホコラ』を破壊した場合の反撃可能性』を実験した?」

「恐らくは。あくまで主目的は核爆発による各種データの観測ですが、副次的実験として『ホコラ』に対する影響をテストしたのでしょう。陸軍元帥としての立場であればこの程度の仕様変更は容易だったと思われます。

 かつての日本領であった朝鮮において同様の現象が起こる可能性は否定できませんし、あるいはマッカーサー自身がそれを目にしていたのかもしれません。少なくとも、対応策を講じる理由が彼にはありました。

 そして、起爆スイッチを押したマイク・デューイを暗黙のうちに追跡・監視させることを指示することで『ホコラ』の反撃を見届けようとした」

 フォルド中佐は机の隅で畳まれていた新聞に目線だけを向けた。

 朝鮮における戦争においても指揮官としての役割を担っていたマッカーサーではあったが、次第に手段の過激化が問題視されるようになった。

 彼は最終的に、北朝鮮軍に四発、さらに中国に四発の核爆弾を投下することを指示したとさえ噂されている。

 そして大統領や軍にさえ見放されたマッカーサーは、かつてフィリピンを解放した英雄という立場でありながら、そのポストを解任という形で終わらせる結果となった。

 朝鮮戦争の中で、彼が過激化していったのはソ連をはじめとする共産主義国家との全面対決を予感していたためか。あるいは核爆弾という未知の決定的な暴力を盲信したためか。

 そうでないのなら。

 彼を、ここまで狂わせたのは。

「……現在に至るまで、マイク・デューイやその家族に非科学的な事件・事故が起きたことはありません。全くの無事です」

「今日、私にこの報告書を見せたのはそういうことか?」

「参考程度ではありますが、本報告書の最後にこの一連の出来事を記載したいと考えています」

 ジェイムズ・フォルド中佐は僅かに躊躇ったあと、報告書を手にして遠いどこかに思いを馳せるかのように黙り込んだ。

 一台のトラックが戦略調査局の傍を通り過ぎる音がして、そのエンジンの音が聞こえなくなったあとに、ようやく彼は口を開いた。

「報告としては評価できる。少なくとも科学的な証拠のみを用いている以上、これらの現象を無視することは出来まい。

 ただ、我々がこのような判断をするべきではない」

 その言葉は厳かに、部屋の中に響き渡った。

 中佐の表情に都合の悪いものから目を逸らすような、ばつの悪さは感じられなかった。むしろ、真剣に向き合ったからこそ得られるような、各個たる結果に対する責任を負うための理念が見えた。

「人間は神を信じるように出来ている。恐ろしいものや、理解不能なものに直面した時に、その裏で糸を引く存在を信じるように出来ている。それはある種、究極の防衛本能にも近いものだ。だから塹壕で震える兵士は皆神に祈る。

 だが、それは本当の恐怖に晒された人々の特権でもある。我々のように快適な環境で明日の飯にも困らずにいられるような人間は、最後の特権を使う前に別の手段を使って、それらに対抗しなければならない。

 科学によってこれらの正体を明らかにすることしか、我々には許されない。非常時の特権たる神に頼る権利は、少なくともこの体裁の上にはない」

 中佐はクリップでとめられた紙の束を手にした。

 それを報告として認めるということは、アメリカ陸軍戦略調査局、ひいてはアメリカ軍がそれを認めたということになる。

「調査の継続は認める。この報告書の責任者として、継続調査はカーター大尉の裁量によって進めたまえ。

 だが、この現象を科学の立場から説明できるまで、私はこの件に関する報告を受理する気はない」

「……了解しました」

 そう口にすると、堅い面持ちを崩さなかったフォルド中佐は一転して苦笑しながら肩をすくめた。

「そう残念そうにするな。さっきも言ったが報告としては評価できる」

「そんなに残念そうに見えましたか」

「お前の鉄面皮は崩れた時が分かりやすいからな」

 実感は少しも湧かないが、他人がそう言うのであればそういうことなのだろう。

 彼は誰に告げるとも知れず、一人続けた。

「神の怒りだと思われていた雷が電気であることを発見したように、いつか神についても科学的に説明することが出来る日が来るのかもしれん。その日を拝むのがお前でも、私は不思議には思わんさ―――それまでに罰が当たるようなことをしない限りはな」

 そうして中佐はデスクに報告書をしまいながら、その上に新聞を重ねた。その前で十字を切った彼は、軽く笑う。

 彼と私の胸に、世界一罰当たりな軍隊の記章が光っていた。

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