行き倒れの魔王を拾った日②

 最初は自力で起き上がることもできなかった男だが、翌朝には多少フラフラとしながらではあるものの立ち上がれるようになった。

 そしてそこからさらに3日の時が過ぎる頃にはすっかり体力を取り戻し、完全に復活した。


 これには小夜も驚きはしたものの、それも当たり前のことなのかもしれないとすぐに思い直した。だって彼は人ではなく、魔族なのだ。昨日の口ぶりから想像するに、おそらくかなり高位の。


「さすがは魔族、とでもいうべきかな? 凄まじいまでの、回復力だな。……すっかり元気になったみたいだから、出ていってもらっても? 父さんたちとも、そういう約束だったし」


 小夜が暮らすゼフ夫妻の家は、けっして裕福ではない。なので回復したのに、タダ飯喰らいにいつまでも居座られては困るのだ。彼らはただでさえ自分という、余計なお荷物を抱え込んでいるのだから。


「なぁ、サヨ……」


 小夜は自ら名乗ったりはしなかったが、家人とのやり取りを見聞きして知ったのだろう。はじめて男に名を呼ばれ、小夜は少しだけ動揺した。しかし次に男が発した言葉のせいで、そんな小さな動揺はあっという間に遥か彼方に消し飛んでしまった。


「……お前は本当に、この世界の人間なのか?」


「あ、あ、あ、あ、当たり前だろう!? 僕は父さんと母さんの、息子だよ? 最初から、そう言っているじゃないか!」


「お前は本当に嘘をつくのが、下手くそだな」


 フフンと意地悪く、男が笑った。


「しかし今のまま、ここにいるのは危険じゃないのか? 何をやらかしたのかは知らんが、皇族どもがお前の行方を探しているぞ」


 険呑な光が、男の紅い双瞼に宿る。


「え……?」


「やはりお前、気づいていなかったのか。聖女として召喚された、あの女。たしか名は、ひまりといったか。アレは聖女として、不完全な存在だったらしい」


 自分でも知らないようなことを突然ペラペラと語り出した男に、困惑を隠せない小夜。そんな小夜の反応を、男は呆れたように笑った。


「なにをそんなに、驚くことがある? 俺はじっとしていても、情報なんか自然と集まってくる。だが、まぁいい。そこで、提案なんだが。助けてもらった礼に、小夜を魔王城に迎え入れよう。………ここは、危険すぎる」


「ちょっと待ってよ! そんな重要なこと、勝手に決めないで! 僕はここでの生活が、気に入っているのに!」


 両親はいないものとして育ってきた小夜は、ゼフとクレアを本物の親のように慕ってきた。

 そして彼らとともに、このトリニティア皇国に骨を埋める覚悟でいたのだ。

 なのにこんなふうに、いきなりこの生活を強制終了させられそうになるだなんて。

 たとえ男の発言が善意から出たものなのだとしても、それをハイ分かりましたとあっさり受け入れることはできそうになかった。

 

 だからあわてて断ろうとしたのだけれどそばでそれまで黙って話を聞いていたゼフの考えは、小夜とはまったく異なるものだったようだ。


「サヨ。俺たちだってお前との生活は楽しいし、かわいいサヨと離れたくはない。しかし本当に追手に見つかったのだとしたら、俺たち夫婦にはお前を守る術がない」

 

「いやだよ! 僕はここで、父さんと母さんといっしょにいる! 僕は。……僕はふたりの、自慢の息子なんでしょう!?」


 泣き笑いのような表情のまま、小夜は必死に訴えた。


「サヨ。あぁ、そうさ。あんたは私たち夫婦の、自慢の息子だよ。でも。……だからこそ私たちは、あんたのことを絶対に守りたいんだ」


 淡々とした、だけど強い口調で告げられたクレアの言葉に、涙がとまらない。きっとゼフも、クレアと同じ考えなのだろう。


「なにも別に、今生の別れというわけじゃない。ほとぼりが冷めたら、また戻ればいい。それとも、サヨ。お前は一時の感情に身を委ねて、このふたりまで危険な目にあわせるつもりか?」


 男のいうことは、至極真っ当だ。それにこの申し出を断ったら間違いなく、自分だけでなくふたりにも危害が及ぶ。それだけは、絶対にいやだった。

 それがわかっていても、感情が追いつかない。それでも小夜は涙を指先で拭って顔を上げ、キッと男の顔を睨みつけるようにして告げた。


「少しだけ、待って。……荷物を、用意してくるから」


 転移した際に持っていたのは、通学時に使っていたリュックと身につけていた衣類。スマホと、わずかばかりの現金のみ。

 どれもこの世界では、使えないものばかりだ。


 そのため自分の持ち出すものなんて、老夫婦に買い与えられたこの世界の服と、バースデープレゼントとしてもらったチープなネックレス。それだけだった。

 だけどそれらは小夜にとって、何にも代えがたい宝物だ。


 小夜は元々の所持品をスマホ以外すべてリュックに詰め込み、部屋から戻ると、ゼフに手渡した。


「父さん。……今度戻る時まで、預かっておいてくれる?」


「ああ、もちろんだ。また会える日を楽しみにしているよ、サヨ」


 ゼフと、クレア。この世界の両親ともいえるふたりに強く抱きしめられると、再び涙がこぼれ出た。


「では、行くか」


 男は懐から麻袋を取り出し、それを机の上にポンと置いた。

 少し紐が緩んでいたせいで、バラバラと中から金貨だの、宝石だのといったお宝がこぼれ出た。


「ゼフ、クレア。お前らにも、世話になった。これはその礼だ、受け取ってくれ」


 これまで見たこともない金銀財宝に、唖然とするふたり。

 まだ本物の母さんがいた頃に読み聞かせてもらった、昔話みたいだ。

 だけど今は放心状態にある善良な彼らはきっと、これを受け取ってしまったことを心の底から後悔するに違いない。

 だってふたりとも、お礼目当てなんかで男のことを家に置いてあげたわけではないからだ。

 

 突如男の背に生えた、闇夜を思わせる漆黒の翼。風もないのに窓が勝手に開いたかと思うと翼を羽ばたかせ、男は小夜を片手で軽々と抱きかかえたまま、宙へと舞い上がった。

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