好奇心一座

春夏秋冬 万花

第1話 ラブ&オークション

プロローグ



 我が国日本では、五つの大学が高学歴とされる大学の地位に君臨している。

不動の東京帝王大学を頂点に、享楽の稲田川大学、権門の花欧大学、淑女の英明智大学、そして万能の久野山能(くのやまの)大学と四天王と呼ばれる難関大学が二番手として続く。それぞれ才知優れる大学として名を馳せ、毎年狭き門を突破せんと競争率の高い中、多くの受験生がしのぎを削り合う事でも有名である。

無論、無事に試験をパスしても更なる学識を積むべく、多くの困難が待ち受け、研鑽が必要となる。が見事、卒業試験をクリアした者には安居楽業の一生涯が約束される一流企業への就職が決まり、公務員に次いで確実な収入を見込める道としても名高い。当然ながら、その学費は目が眩む程の額であるが、一生の安定と引き換えであれば安いものだと誰も出費をいとわない。

 そんな四天王の一校として地位を獲得している久野山能大学は唯一、このトップを占める五校の内で神奈川県内にあり、山を開拓した最早一つの都市程の広大な敷地を保有している。俗称は前理事長が学べない学問はない様にとありとあらゆる種類の学部・学科の新設を行ったことに由来し、そのため国内では破格の生徒数を誇る。

加えて、二年半前より多種多様でユニークな他所とは一味違うサークルが多く生まれ、メディア等で取り上げられたことから段々と久野山能大は人気を伸ばしていき、一時は低迷して他四校の滑り止めとしか活用されなかったが、今では他四校と競り合える競争率にまで復活した。

 しかし、その実権を掌握しているのは一つのサークル、いや、一人の女子生徒なのである。広大な面積を占め、数多の学問に研鑽すべく多くの人間が集い、施設が立ち並び、互いに他人同士という関係性が珍しくない学校という不特定多数の人間が入り混じる中で、彼女だけは抜群の認知度を誇っている。誰に聞いても行いと共にその名が浮上し、誰もが入学一か月とかからず口伝などで彼女の名前と正体を知る。教鞭を取るサイドからは恐れられ、生徒の側からも畏怖の念を向けられると共に敬遠されている、もはや伝説的存在なのだ。

 これを聞いて誰もが思うであろう、何か悪い行い故の有名さなのではないか、という疑惑について弁解をしたいのだが、残念ながら返す言葉が見つからない。

ただ言える事は、彼女は少しばかり、人よりも好奇心が強いだけなのだ。





 神奈川県某所、久野山能(くのやまの)大学。

 長い歴史の中で施設の建て替えが再三行われ、構内はレトロとモダンなデザインの建物が入り混じる。昨今ではモダンなものに統一しようという流れもあるが、これが良いのだと写真映えを狙う人間も一定層おり未だ建て替えに至っていない。そんな中でその建築様式がちょうど移り変わる時期に建てられた様な、なんとも微妙な外観の建物が他の校舎から引き離される様にぽつんと建っていた。

 大学名にちなんで『久野荘(くのそう)』という名前があった学生寮だが、今はとあるサークルが占領――もとい引き継ぐ形で使っている。

 一階は全十部屋の内、四部屋分の壁をぶち抜いてサークル部屋として使われており、残り四部屋は居住スペースに、残りは部屋を取り壊して車庫となっている。また二階も同様の部屋数があり、壁をぶち抜いて女子二人が二部屋ずつ占領。残りは同様に壁をぶち抜いて二部屋分を雨天用や外に干しにくい物を乾かすランドリールームに改造、残りは物置部屋として使われている。

 ちなみに屋上は共有スペースで全員が洗濯物を干すが、年間を通して女性陣のものがスペースを圧迫している。

 そのサークル部屋のソファーで一人の女子生徒が寝息を立てていた。幸せそうに満足げな笑みを浮かべ、よだれを垂らして女子としてあるまじき恰好で眠っている。それを妨げる様なチャイムが耳に届くと、うめき声をあげながら深々と毛布を被った。更にそこから十分程度、覚醒しそうな意識と多大な眠気の間で自身の体温でよい感じに温まったソファーに身を預けていると、誰かが帰ってくる音が聞こえた。

おおよそ、自分を見るなり呆れて小うるさい事を言うのは間違いないだろうが、それでも程よく温まった場所は布団にせよソファーにせよ、とても居心地が良いし、眠気を誘発するため抗えないのである。その温かさと眠気を振り払える様な強靭な精神力も持ち合わせていないので、そのままぬくもりに身を委ねた。

 とはいえ、半分は意識が覚醒しているので、玄関から段々と近づく足音は明確に聞き取れるし、今日中にこなさなければならない仕事も同時に思い出してしまって、余計に寝ていたい気持ちが増す。

「いつまで寝てんだ。もう三時過ぎてるぞ」

 やがて足音の主が部屋の明かりを付けると同時に、だんごむしの様に丸まった彼女を見つけ、呆れたように声をかけた。

 そこでようやく起きなければならないと悟ったが、まだ眠たいので毛布から少しだけ顔を出す。瞼が顔の皮膚と一体化した様に重たくて上がらなかったが、何とか無理やりこじ開けた狭い視界で対応する。

「授業、出席した事にしといてやったぞ」

 変わらぬ態度で彼は彼女の学生証を投げてよこす。

 授業の出席時には、教室の出入口に駅のICカードを読み取る様な改札機械があり、学生証の個人を識別するためのバーコードをかざして出席の有無を確認するのだ。しかし、友人に自分の学生証を預ければ、簡単に身代わり出席ができるという最早、欠陥ともいえる仕様なので、後のレポートさえどうにかしてしまえば容易く単位が取れる、大変ちょろいシステムなのである。元から紙媒体の出席表を取りやめ、デジタルで出席者が分かる様にするためのものなので、改めて誰が出席してるかなんて確認はしない、ずさんさを突いた代理出席である。

 そもそも前理事長が導入したものであるが、理事長や大学の経営に関わる役員幹部が三年前に総入れ替えとなっても変更されない理由としては、このサークルが関わっているからであるが。

「あんがと……助かった……」

「まったく。今日一日倒れてたんだろ?」

「もうね、朝に帰ってきて一日トイレと仲良しだったよ。二日オールカラオケでジンをバカ飲みしたのがいけなかった。他にも飲んでたし……」

 重たい体を無理やり起こすと、多少の頭痛はあったものの、だいぶ体調も良くなっていた。爽快な解放感と共に、いつもは信じやしない神という高エネルギー体へ、吐き気が皆無な事、体調の悪さが軽減された事を感謝した。いつも体調の悪い時は藁にも縋る想いで神頼みをしているのだ。そして回復した後は一応、感謝の意を向けるまでが彼女の二日酔いである。

「ほら、買ってきたぞ」

「うわ~オレちゃん神……ありがたく頂きます」

 近くのローテーブルには既に十分な介抱の形跡と、彼女の苦しんだ痕跡があったが、水分補給のできるスポーツドリンクはいくらあっても困るものではないので、頭上から彼を崇める様にして受け取る。そしてすぐに開けて体へ注ぐと、全身に水分が沁み渡る様な心地だった。吐き戻す危機を感じる事なく普通に水分補給ができる事がこの上ない喜びに思えたのだ。

「あんま勢いよく飲むなって、また吐くぞ。つうか体調はどうだ? 今日そんなんでできるのか?」

「だいじょぶ。いけるいける。完全復活した」

 朝からトイレに籠城し、世界の終わりに直面した人類の様な覇気のない様子で悶え苦しんでいたとは到底思えない軽い返事だった。彼はその答えに大いに不安を覚えたが、もう出せるものが胃液しかなくなれば大体、大丈夫だし治りかけなので、そこまで気には留めなかった。経験者の勘である。

「ちづちゃんがね、おかゆ作ってってくれたから食べたら準備する」

「荒れたままじゃまずいからな、あんまがっつくなよ。さて、今回だけ病人特典でその辺方してやろう」

 ローテーブルは余裕のない彼女が必死に自身を看病した痕跡で満ち、片付ける余裕もなかったので様々な物が散乱していた。

「今日オレちゃんがいつもの五割増しくらいでイケメンに見える。そんな男前にお願いなんだけど、今日の授業のノート貸して欲しいなっ☆」

ねっ、と手を合わせて可愛らしくお願いする。わずかな間、気まずい視線が注がれたが、

「こういうのは持ちつ持たれつだからな。俺がまずい時は頼んだぞ」

とあっさりノートを渡してくれた。

「もっちろん。卒業するまでは共犯だぜ、兄弟」

 元気よく答え、彼の肩をこずいた。既に共犯関係になって三年目であるため、犯行は阿吽の呼吸の域にまで達している。また彼が二日酔いで倒れている時は世話もするし、代理出席もするので大いに癒着している。

ちなみに彼の容貌は北欧スウェーデンの血が混ざっているので、平常時からナイスガイなのである。やはり根幹から遺伝子の作りが違うと思い知らされる端正な顔立ちなので、割増時はとんでもない事になる、ファッションモデル並みである、というのが彼女の所感である。

「お。寿ちゃんが復活してる。どうだい、不健康な二徹カラオケでバカ飲みして倒れた気分は」

 片付けが終わったところで、出入り口からぬるりと高身長の男が現れる。煽る様にして笑う彼の細い猫目は、笑みを浮かべると更に細く長く伸び、つい見入ってしまう。もしかしたら際限なく伸びるのかもしれない、と僅かに彼女は期待している。

「死ぬかと思った。ていうか毎回、もう酒は飲まんという気持ちになるけど普通に飲んで何度も繰り返しちゃうんだよな……人は愚かな生き物」

 これが悲しい人の性か、と嘆く。というか、気心が知れた間柄の人間でカラオケに行って夜通し歌えば楽しくなって酒も進むし、色々とどうでも良くなってしまうので止めようがないのである。愚かである。

「学習できない寿ちゃんが悪いんでしょうに。オレ君を見習いなって。一緒に行って、適量飲んで適時で帰ったんでしょ」

「まぁそうだけど。でもさぁあの酔いが回った時のフワフワした感覚がたまらなくない? 心底色んな物がどうでも良く思えて解放された気分になんの」

 同意を求めたが「個人の感覚だからなぁ」と、再び目を細められて呆気なく終わった。

「楚馬先輩、窓開けてもらって良いですか」

「はいはい。掃除機かけよっか」

 彼は窓を開けると、すぐに床で待機していたロボット掃除機にスイッチを入れると共に、自身もスティック型の掃除機を取り出した。ロボット掃除機だけではイマイチ綺麗になっている気がしないと、機械への信用がない故の行動であるが、ロボット掃除機ともゴミ争奪戦で衝突するし、先回りして掃除機をかけたところで、追随してロボット掃除機が来るので正直、無駄な訳である。けれど、終わると二倍増しになったかの様に満足げに目を細めるので、まぁ本人が良いなら良いかと周りに見守られているのだ。

「よぉし、支度完了。そろそろ始めますか」

 身支度も終え、二日酔いの痕跡も綺麗に掃除し、営業の準備が整った。満腹であるため活力も十分にあり、やる気に満ちながらサークル部屋の出入口を開ける。そして扉の内側にかかっている『open』のネオン看板の電源を入れれば営業開始の合図だ。また出入口横には相撲部屋が如く『サークル好奇心』と大きな看板がかかっており、こちらの外周も明かりがついた。

「よっしゃ、お客さん来るまで待機しよ―――」

「あっ、あの! 何でも調べてもらえるっていうサークルはここですか⁉」

 部屋に戻ろうとしたところで、一人の女性がやって来た。アッシュグレーのロングヘアーが特徴的で、花柄のワンピースは彼女を可愛らしく飾り立てる。しかし、華奢な体格とは不釣り合いな程大きな紙袋が手に握られており、彼女の髪色以上に目を引いた。そして慌てて来た様で、肩は大きく上下しており、言い表せぬ不穏さが滲んでいる気がした。

「はい。うちの事で間違いないです。ご依頼ですか?」

 そう答えると、そのまま彼女はぐんぐんと力強く歩み寄り、真っ直ぐ目を見て「調べて欲しい事があるんです!」と力を込めて手を握った。

「では中へどうぞ。お話を伺います」

 ただならぬ熱量を感じながら、彼女をとりあえず中へ案内した。

 相談カウンターは会議室などで使われる長机に、手作りの仕切りが置かれた簡易的な作りで、一つの窓口に二席分の椅子が設置されている。

「相談相手は男女どちらが良いとか、この人が良いみたいな指名ってありますか?」

「いえ。初めてなので特には」

 分かりました、と返事をして彼女の元へ温かい緑茶を運ぶ。意気込み十分と言った様子で力んでいたので、少しでも落ち着いてもらおうと意図したものであるが、単純に自分の分も欲しかったので用意した。

「では他には相談者がいないので、今回は我々で対応させていただきます」

 彼女がお茶を飲んだ頃合いを見計らい、改めてカウンター越しに向き直った。

「改めまして、代表の寿酒魅(ことぶきしゅみ)です。よろしくどうぞ」

「えっ! あの寿さんですか⁉」

 自己紹介をするなり目を丸くして驚かれた。

 もちろん、〝あの〟などと付けられる心当たりは山ほどあるし、自分の名前が大いに周知されている事も知っているが、面と向かって言われると、毎回どうして良いか反応に困ってしまうのが実情である。とりあえず「以後お見知りおきを」と笑顔でやり過ごした。

 次に彼女の視線を受け取って、

「宵野義(よいのぎ)オレンです。異文化コミュニケーション学部三年です」

 ブロンドヘアーに端正な顔立ちの彼が軽く会釈し、

「縷々美(るるみ)楚馬(そば)です。サイバー情報学部四年でーす」

 黒髪猫目の彼が続いて軽い挨拶を交わす。まだ営業を開始して間もなく、彼女以外の客がいないため、三人での特別対応である。

「文学部二年の谷中(やなか)佳奈美(かなみ)です。ご相談したいのは、彼氏の事なんです」

 お茶と合わせて自己紹介で話すまでの時間を稼いだ事で、かなりクールダウンできたらしく落ち着いた語調になった。そもそも一時的に激情に駆られていただけだった様で、すっかり大人しくなってしまった。

「お伺いします」

「その……この前たまたま彼の部屋に遊びに行ったら、ベッドの下に隠す様にしてフォトアルバムがあったんです。変な場所に置くなぁと思って、その時彼もシャワーを浴びてたので、つい見てしまったんです。そしたら他の女と寝た時の写真がびっしり貼ってあったんです……」

「それはなかなか」

 彼女はどう言い表すべきだったのか、戸惑いを隠し切れない様子で語った。

致した女性の写真や動画を撮るというのはよくある事だが、わざわざプリントアウトしてフォトアルバムに丁寧にまとめるというのは、なかなか珍しい嗜好であるし、なかなか面白い事をすると思ったのが素直な心である。

「それがこれなんですけど……」

「拝見しても?」

「もちろんです。結構色々なタイプの女に手を出していて、そんなのが五人分もあるんです」

 彼女の華奢な体躯とは不釣り合いな紙袋の正体は、彼氏のフォトアルバムだった。中には合計十二冊のフォトアルバムが入っており、取り出すとすっかりアルバムの山ができる。その中の一冊を手に取り、中身を見てみると、思わず顔全体にゆっくり笑みが広がった。

 彼女の言う通り、可愛い歳下系や綺麗なお姉さん系といった種々様々な女性のセクシーなランジェリー姿、趣味全開のコスプレ衣装、挙句には裸体が写されていた。また背景は華美な装飾や無駄にスイッチの多い枕元である事から、ラブホテルで撮影されたのは明白だった。

 再び、今度はゆっくりと触れてページをめくっていく。

「おぉ~なかなか」

「すごいっすね」

 それを後ろから覗き込んでいた男二人は、素直に感嘆の声を上げた。

写真の裸婦は盛期ルネサンス期に活躍した画家、ティツィアーノの作品『ウルビーノのヴィーナス』が如く、被写体は十分なふくよかさを有し、けれど美しいボディラインによってまとまりがある。滑らかな肌がより一層、その肉体美を際立たせ、情欲を掻き立てる妖艶なムードを演出していた。大胆なポージングともなると、思わず女性でもドキドキしてしまう程の艶美さであり、体躯をこんなにも官能的に表現できるのかと肉体美と並んで、写真の技術に感心した。そしてこんなのが五人分、計十二冊ある訳だ。

 また中でも彼女の目を惹き付けたのは、脚線美である。横向きに座った女性が少し後ろに手を付き、宙に浮かべた脚は太ももの肉付きが胸以上に素晴らしかった。太過ぎず、けれど筋肉質過ぎず、足の指先まで滑らかに線が描かれており、非常に魅力的である。またあからさまなエロスを感じさせる、付けている方が恥ずかしい透け感のランジェリーは、肉体美との相乗効果で、危うい程に欲をそそった。その他にもシワのよったシーツや乱れたベッド、様々なコンセプトで設計された数々の部屋の装飾や備品も相まって、色々な雰囲気を楽しめるのだが――――。

 そういう訳で、彼女も彼らと同様に所感のまま声を上げたかったがグッと堪えて咳払いでたしなめる。お客さんの前であるという事もあったが、何より彼女の眼は殺意を帯びており、素直に感動した男2人の息の根を止めんとする程に恐ろしいものだったからだ。

 けれど、素直な胸の内としては、酒魅もこれが写真集として売られていれば、間違いなく即決で買うクオリティだったし、売られていない事が本当に残念だったが、今は依頼者の前であるため、断腸の思いで切り上げた。

「その……彼、被服学部で私に似合う服を沢山作ってくれたんです。彼が君のためだけに作ったって、君にしか似合わない服だって言うから、私どんな服でも着たんです」

 泣くのをグッと我慢した涙声で、彼女はゆっくりと彼氏への恨めしさを語る。

「なのに……他の女に同じ服を着せてヤッてたんですっ! 酷いと思いません⁉ 私は彼が似合うからって作ってくれた、逆に着てる方が恥ずかしいと思う様なスケスケで、穴が沢山開いた服を彼が喜ぶからって、着て沢山してあげたのに、それを他の女にも着せてヤッてるなんて最悪でしょう⁉」

「し、心中お察しします。とにかくちょっと落ち着いて下さい」

 体裁を投げ出し、怒りのままに彼女は不満を吠えた。慌ててたしなめるも、

「私は彼の事が心から好きで、だから何でも着てたんです! 彼よりもずっと良い人もいたけど、優しくて人柄も良くて、彼も私を好きでいてくれたから、彼の粗末なモノでも我慢できたんです! それなのに他所の女に同じ服を着せてしてたなんで許せないんです‼ そう思いません⁉」

 火を吐き、闊歩しながら街々を崩す怪獣が如く、彼女は止めようがなかった。しかも、同意を求める様な視線と語調が何よりも酒魅を困らせる。彼女の様に特定の誰かへ恋情を深めた記憶は少なく、面白そうであると好奇心のままに惹かれた相手と非常にフランクに、その場限りの関係で事に及んだ方が多いので、酷く返答に困った。しかも応援を求めようにも、いつの間にか男二人は撤退してその姿を消しており、後で必ず始末する事を誓った。

 結局、彼女は体力の続く限り不満という名の放射火炎を吐いた。それを正面から直撃し続けた酒魅は辺り一帯を焼け野原にされた気分で、意図せず感情的な人間が天敵である事を再認識する結果となった。

「落ち着きました? 色々思われた事は十分に伝わりました。とても大変でしたね」

「すいません……つい……」

 出したお茶もすっかり冷め切っていたが、きっと吠え猛った彼女の喉を潤すにはちょうど良い温度だろう。

「で、あの、ええと……我々は何を調査すれば良いでしょうか?」

「彼と寝た女五人の調査をお願いします」

 もうすっかり疲れ切ってしまったのだが、ようやく進展した事にその疲労も報われた気がした。咆哮の最中はもう数日間は終わらないのではないかと、やや大袈裟に悲観的に思っていたが、何とか彼女が来てから二時間が経とうとしていたところで片が付いた。そして、幸か不幸か、彼女の咆哮を聞き付けてか他にお客さんは来ておらず、十二分に不満を吐露できたという訳である。

「お任せ下さい。調査期間はとりあえず一か月程頂ければありがたいんですが―――」

「なるべく早くお願いします。見つけ出した暁には色々と考えてる計画があるので。あっ、お値段っていくらくらいですか?」

「後で見積もりをお送りますので、そちらでご確認お願いします。それと調査相手について詳しい事をお聞きしたいので、こちらのデバイスにご記入お願いします」

 疲労感でいっぱいの状態で彼女の対応を続ける。そもそも朝から吐いていて、病み上がりも良いところの状態だったので、彼女の咆哮が余計に応えた。

「調査相手の事、私何も分からないんですけど、どうすれば?」

 調査依頼を受け付ける専用デバイスには依頼者の名前と連絡先、所属先の学部をはじめとして複数の項目が並んでいる。調査内容はもちろんの事、調査相手の名前や生年月日、顔写真や血液型、性別、趣味、出身地、在籍している学校は問わず生徒であれば所属している学部の詳細、また参加しているゼミやサークル、またSNSのアカウントなど、相手の知りうる限りの情報を書いてもらうのだが。今回の相手は写真しか情報がないため、性別ぐらいしか分かる事がない。

「その写真を彼氏さんが撮ったという事は、必ず彼氏さんと関係のある人だと思うので、とりあえず記入して頂くのは彼氏さんについてですかね」

疲労困憊で意識が落ちてしまいそうなのをグッと堪え、彼女がデバイスに記入するのを何とか見届けた。

「では調査よろしくお願いします」

「お任せ下さい。ご報告の際にお借りしたアルバムも返却しますね」

 当の本人は不満も吐けてたので、スッキリとした様子で帰って行った。

相談カウンター裏手のオフィス兼食卓に戻ると、男二人は調査資料のフォトアルバムを見ていた。いつの間にか手元からなくなっていた事に気付いてはいたが、てっきり彼らが先に調べておいてくれているとばかり思っていた。一応、オフィスのパソコンは起動しており、仕事をやっていた雰囲気ではある。しかし、彼らの傍らに積み上げられたアルバムの山を見る限り、なかなかにエンジョイしていた事が窺えた。

 やがて彼らの内オレンが戻って来た酒魅を先に見つけ「ヤベッ」と小さく声を上げ、それにつられて楚馬も気が付いた。

「助兵衛共め。私を一人にしてまさか何もしてない訳じゃないでしょうね? 進捗状況とアルバムの感想を聞こうじゃない」

 そう言って笑顔で睨みつけると、

「そりゃもちろん。うちにはこの手の依頼が大量に来る訳だから、オレ君と手分けしてやってたとも。それに愚痴を聞くよりも生産的でしょ。アルバムを見てたのだって情報収集のためだし」

「そうそう。それに完全に同席してなかった訳じゃないぞ」

一応は仕事をしていたのだと弁解した。ちなみに全十二冊あるアルバムを既に踏破したらしく、全冊通して変わらぬ美貌が大変良かったとも付け足した。

彼女たちの元には浮気調査や気になるあの人に恋人はいるのか否か、あの人の交友関係を調べてくれ、などの主に人間同士の繋がりについての依頼が毎月千件近く来るため、少しでも片付けないと大変な数に膨れ上がるのだ。

 三年以上前から世間へ悪名を轟かせていた久野山能大学であるが、高学歴と謳われるだけあり生徒数は多少なり変動したものの、約三万人が安定的に在籍。三年前に体制と教員を一新し、大々的に特色を宣伝した影響で、急激に生徒数は伸び、現在は八万人近くが在籍しており、日々大量の依頼が舞い込むのだ。

 けれど、人気者については同じ依頼が多い事がもっぱらであり、データベース化しているので、こういった面で多少はすぐに片付く。また楚馬自作のAIがデータベースを参照し、大量かつ単純な関係調査等を調査報告書の作成までしてくれるため、煩雑な依頼以外は割とすぐ片付くのだ。

「んで、今回の依頼は振り分ける?」

「ウチで扱うに決まってるじゃん! 大いに好奇心が湧いたし、何より久々の面白そうな案件だし!」

 先ほどの疲労はどこへやら、ご機嫌と言わずも分かる弾んだ語調とステップを踏み、意気揚々と楚馬へ答えた。

 先に触れた煩雑な依頼とは、データベースに情報がなく、実際に調査員がターゲットに密着して交友関係を把握するしかないものが大半を占める。当然ながら、かなりの手間と労力がかかり、毎月千件近く、その内のかなりの割合を占めるこのタイプの依頼に、たかが数人の戦力しかない彼らではとても対応ができない。そもそも千件近い依頼を片付ける事でさえも難しいため、ビジネスグループを形成する事で彼らは解決に至ったのだ。

 具体的には、サークル好奇心の傘下に複数のサークルが入っており、一度全ての依頼を好奇心の方で受け付け、彼らのデータベースに情報がなく、また解決に時間を要するとAIが判断した案件が、傘下サークル専用のプラットフォームへと共有される。ここから個々のサークルが自由に依頼を引き受けていき調査に出るのだ。そして調査が終わった案件は調査報告の専用フォームへ記入し、再び好奇心の元へと送信される。この情報を受信した先のAIが調査報告書を作成、不備がないか人間がチェックした後、依頼者のデバイスへメールが送信される。この時点で案件完了となり、引き受けたサークルへ自動的に支払いが行われる仕組みとなっているのだ。

 そして肝心の好奇心は主に各サークルから上げられる調査報告書のチェックや、時たま舞い込む他とはちょっと一線を画す様な依頼を好奇心のままに追いかけて片付けるのが仕事となっている。

 ちなみにキッチンとトイレが完備されており、酒魅が半日苦しんだのもここである。そして出入口を介して相談カウンター側の音などは、おおよそ聞こえるので、オレンの言い分は幾分か正しいのだ。

「さっそく軽めの報告なんだけど、アルバムの女子五人がうちの生徒の中にいないか顔照合をかけたんだけど、ヒットはゼロ。過去五十年の卒業生分と大学関係者も込みだけど見当たらなかったから、今オレ君とAIが各種SNSを捜査して合致する人間を探してる」

「さすが仕事が早いね。んじゃ、情報共有しますか」

 壁に設置したモニターに今回の調査依頼書と、その対象を映し出す。

「今回の調査対象はうちの生徒で美術学部官能衣装研究学科二年の三矢(みけや)涼歌(すずか)。二千十五年、五月一日生まれの牡牛座で、二十一歳・男。B型。出身は神奈川県横須賀市で今は学校の近くに一人暮らし」

 画面には幸が薄そうな黒髪の青年が映し出された。どこにでもいる様な、特にこれといった特徴もなく、物静かそうな性格が窺える容姿である。

「いやぁいかにもムッツリスケベって感じだね。実際、アルバムの女子が着てた服、えっぐいのあったし」

「ここもヤバい人間が集まってるって有名ですけど、文学部の官能表現学科の方がえぐいっぽいですよ」

 へへへと男二人は楽し気にやらしい笑みを浮かべる。

 両学部学科共に久野山能大学内では、助兵衛の度を越し過ぎた変態が集い、過激な授業があるというのがもっぱらの噂である。実際、文化祭の出し物には唖然とする様な、前衛芸術の域に達した作品が多く並ぶ事でも有名である。ちなみに外部を招いてのオープンキャンパス時には一応、大学の風評を守って作品たちは撤去されるのだが、毎年、表現の規制だの、自由創作表現の妨害だの、よく抗議をする集団もであるのだ。

「所属してるサークルはないけど、ヌードモデルを呼んでそこから衣装の着想を得るっていうゼミに参加してるって彼女からタレコミがあって、だからてっきり大学関係者の方で引っかかると思ってたんだけど、なかったね」

 大学が参考として招いているモデルは美術学部を筆頭として多くの学部が授業で利用するため、老若男女問わず、年間を通して裕に二百人は超える。助兵衛を学問として扱うところであれば、なおさら若い女性の割合が大きくなるし、アルバムの写真に写っていた様な色々なタイプの女性が来ていてもおかしくはない。実際、授業で訪れたモデルに恋をしてしまい、付き合ったり破局したり、結婚へ至ったりという例があるので、てっきり今回もその一環だと思っていたが、見当が外れた。

「けどさ、一個気になるのが写真の日付なんだよ」

「日付?」とオレンにそのまま聞き返す。

「写真一枚一枚に日付が入ってるんだよ。たぶん日付機能のあるインスタントカメラか、わざと日付の入るデバイスのアプリで撮ってるんだろうと思うけど」

 そう言うと彼は中身を確認しつつ、日付順にアルバムを並べ「これが一番古いやつな」と酒魅へ手渡した。普通に今から何年前のが一番古い、と言ってくれれば良いのにな、と少し面倒くささを覚えたが、どうやらこちらの反応が見たい様であった。

「えっ六年前」

 彼女は期待を裏切る様に、シンプルに目を見開いた。現在は二千三十六年、そして調査対象の三毛矢涼歌は二十一歳であり、写真の日付通りに考えると彼は十五歳で色事に及んだという事になる。

「まぁ一概には言えないけど、世間一般からしたら考えにくい歳だね」

「だろ。だから単なる寝た女の写真って訳じゃないと思うんだよ」

 どうだちょっと名推理だろう、と言わんばかりの口振りであるが、単に早咲きだっただけ、と言えば現状、他に手がかりもないので簡単に崩せてしまう推論である。たださっきは日付がある事に気が付かなかったし、アルバム十二冊が六年分のものである事が分かったので、お手柄ではあった。

「まぁオレ君のも念頭に入れとけば良いでしょ。で、三毛矢の使ってるSNSについてなんかある? さすがにこれ以上情報ないときついんだよね」

 それは楚馬もとっくに分かっていたらしく、急かす様にして次の情報を要求した。

調査対象の人物像を暴くために、一番手っ取り早い手段が彼らの使っているSNSを調べる事なのだ。おおよそ、赤裸々に日々の事柄を綴っているし、趣味や性癖を匿名という加護の下で遺憾なく晒しているため、ネットでの交友関係も込みで、その人間について知る事ができる。

「それがね、上手く彼女には隠してるみたいで使ってる各種SNSの情報はまるで無し。もしかしたら携帯二台持ちで使い分けてるかもね」

 彼女たちが調査をするにあたって、一番面倒くさいのがこの手の輩である。浮気調査の場合など大抵の場合は、恋人にオープンにしているか、もしくは恋人が勝手に盗み見て把握し、調査依頼書に書かれる事が多い。そうでなくとも学生は当人であると分かる様に実名や所属している大学・サークル等をプロフィールに書き込む傾向にあり、リスクも考える事なく自撮りや仲間との写真までも承認欲求を満たすためにアップしており、非常に見つけやすい。そのため、顔照合をかければものの数十秒で見つかるし、何であれば不貞の疑いがある輩が芋づる式に写真やネットでの繋がりから見つかる訳である。

「依頼してきた彼女のSNSアカウント見たけど、匂わせは山ほどあるのに三毛矢が少しも写ってないな」

 オレンがさっそく依頼者である谷中佳奈美のアカウントを見つけ出した。全員でPC画面の前に集まり、彼女の過去の投稿を遡ってみると、カフェや自宅、学校の図書館やフリースペースで撮影されたであろう匂わせ投稿には甘い文章と共に写真が載っているが、まるで三毛矢の痕跡がない。大抵の場合は腕や指などの体の一部や、薄っすらでも窓ガラスや食器に反射した姿が捉えられるのだが、彼に撮ってもらったという旨の投稿の写真でさえも、それらしいものは見当たらない。

「イマジナリー彼氏?」

「いやいや。イマジナリーだったら存在しないし、浮気されたってあんな怒らないでしょ。物証まで持って来てさ」

 彼女の言葉に冷静に楚馬が返す。そもそも三毛矢はちゃんと久野山能大に登録情報があり学籍番号もしっかりと与えられている。何より十二冊分のフォトアルバムをわざわざ作って彼氏が浮気した、と谷中佳奈美が訴え出て来るメリットが手間と釣り合わないため、その線は考えにくかった。

「まぁうちを騙そうにも、独自の情報網とオレちゃんの探査能力、楚馬ちゃんの便利ツールがあるからね。すぐ分かるか。じゃあ三毛矢本人がいちいち加工して消してるみたいじゃん?」

「お、やってみるか?」

 そう言うとオレンは試しに彼女のアップした写真を画像加工の解析ソフトにかけてみる。楚馬のお手製であり、AIが画像から加工部分を検出し、その歪みを元に原形を推定して復元するという仕組みで、ほぼ百パーセント、加工された画像を見分ける事ができる。

 過去にはオカルト研究会が身も蓋もない、実態が曖昧なものを追うサークルに活動費を出せない、と学校側に言われた際に提出した画像や映像を暴いた事がある。全てそれらしい物だったが、大半はネットで拾って来たもので加工はされているし、いくつかオリジナルの物を混ぜていたが、そちらもCGクリエイター学科の生徒に頼んだもので、未熟ながらもリアルな出来栄えで、当初は学校側も騙されかけていた。けれど、偽造がバレて最終的にサークル活動費は打ち切られ、今は細々と活動を続けるに至る。

 そんな実績を持つソフトが加工の痕跡を示した。

「ちゃちゃっと復元してみそ」

 彼女が復元ボタンを押すと、加工として示された範囲に元の画像が浮かび上がった。予想通り、もう一人同席している事を匂わせた写真では、カフェのグラスや窓ガラスに彼の姿が、また彼女を被写体とした写真も些細な映り込みでさえも細かく自身を消していた。

 そして、谷中佳奈美を写した写真の多くは、彼女が自身にかけていた魔法を解いてしまう野暮な結果になってしまい、少々申し訳なく思った。

「冗談だったんだけどな……本当にやってるとは思わなかった」

なかなかここまで綺麗に痕跡がないのはおかしいな、でもそんな事もあるか程度の安易な考えで加工を疑ったので、本人が一番驚いたし、三毛矢の徹底ぶりに一同は唖然とした。

「彼、ずいぶんと潔癖症なんだね。自分について足が付くものを全部綺麗に消してる」

「問題は、何でそこまで徹底してるのかってとこですよね」

「でも面白そうじゃん。そこまでして何を隠してるのか暴きたくならない?」

ね、と酒魅は二人に笑いかける。

 三毛矢の加工が復元されてから、彼女を止めどない高揚感が襲い、隠れ潜む未知を暴きたいという欲求と、それを知りたいという激情的な好奇心が入り混じり、静かに身の内を蝕む。その情動を抑えるものの、むしろ胸は高鳴り、恍惚とした心地を増強させ、ますます彼女を魅了した。

「久々に面白そうな案件が来たね。とにかく、依頼者に電話かけて加工の事は聞いてみる!」

「よろしく。あぁあと、三毛矢が携帯二台持ちか聞いておいて。最終奥義が使えるかどうか分からないから」

 楚馬へ返事をし、観天喜地の足取りで酒魅は電話をかけた。依頼から約二時間程度で電話をもらった谷中佳奈美は、もう解決したのかと一瞬期待で声を上ずらせたが、そうではないと分かると途端に声色が沈んだので、ちょっとフォローに苦労した。

「依頼者に聞いてきたんだけど、いつも彼女が写真を撮ると三毛矢がチェックして何かいじってたらしいんだけど、詳しくは知らなかったってさ。自分も加工するついでだったしって。携帯については二台持ちか彼女も分からんてさ。加工で自分を消す様な奴だから、二台持ちしてそうではあるんだけどね」

「マジか~もうこっちも全ッ然引っかかんねぇ。加工されてんじゃ画像照合も難しいし、裏アカと称した自撮りのエロ写真載せてる奴とか、援交持ちかけてたり逆にそういう人間と沢山繋がってる奴も端から当たったんだが、まるでダメだな。もうネットやってないんじゃないのか?」

 思いつく手や検索ワードは全て試したものの、まるで歯が立たないどころか徒労に終わったオレンは深く椅子にもたれた。

「オレちゃんの歯が立たない何て久々だね。やるじゃん三毛矢」

 褒めんな、と不満そうな声が飛んできた。

 たとえ匿名でSNSを利用していても、趣味嗜好や大学で専攻している分野、学生である事をチラ付かせた情報がアカウントには散りばめられているので容易く見つかる。加えて上記の様に実名でリアルの私生活を晒すリアルアカウントを持った学生が調査対象の割合が大きいので、微塵も苦労する事はなかったのだ。しかも限られた人間にしか公開しない設定である俗に言う『鍵アカウント』も楚馬のツールで手軽に破れるため、そういったアカウントも検索範囲に含める事ができる。

 にも関わらず、まるで三毛矢に辿り着くものに当たらない。

「じゃあ最終奥義やってみよっか」

 オレンのみならず、AIも彼と同様にお手上げである事を示したので最後の砦となる方法を楚馬が実行する。最後の砦と言っても、ただのハッキングである。久野山能大学に成りすまして送ったお知らせメールを事前に全校生徒に送信してあり、メールを開いたデバイスは彼が仕込んだウイルスに感染。いつでも彼がデバイスにアクセスできるバックドアを、知らず知らずの内に設置されているので、どうしても調査対象のSNSが見つからない時の最終手段として使うのだ。事務局にもあたかも作成・送信したかの様な履歴を作っているので、バレずに早四年経ち、定期的にこの手のメールを送信しているので、ほぼ全校生徒のデバイスにアクセスできる状態になっている。もちろん口外禁止事項だ。

「いたよ、三毛矢」

 ものの数秒で発見の報告が上がった。

 久野山能大の生徒は多国籍であるため、国や入学年ごとにアクセスが可能なデバイスの一覧は分けてあるのだが、彼のお手製という事もあり当然、検索機能も備えてある。故に名前さえ分かってしまえば秒で出るのだ。

「どう? 三毛矢と関係のある人間分かりそう?」

 興味津々と言った様子で酒魅は画面を覗き込む。

「うーん、なんかSNSのアプリ自体入れてないね。でも一応、今主流で使われてるメッセージアプリは入ってるけど……登録してる連絡先は谷中佳奈美と両親、友達っぽいのがちょっといるくらいで、別段何もない」

 終始、一定した語調で楚馬は報告した。

 各種SNSアプリが全滅、頼みのメッセージアプリも少数精鋭の交友関係を示しただけで、まるで手掛かりにならない。僅かばかりの友人も男が多めとフォトアルバムに収録されている女性にさえ繋がらない。

「この生活感がない感じは二台持ち確定だろうね。動画共有サイトとか検索エンジンのアカウントを共有してるデバイスも他にないし、バックドアが仕込んである別ハードもない」

「じゃあこっちを表向き用にして、こういう事は全部別のデバイスでやってる訳かぁ……写真といい徹底してるね~~」

三毛矢の携帯の使い分けや隠蔽工作を垣間見た酒魅は、その徹底ぶりに酷く呆れた。もうこうなると彼を解明する手段は、彼女の持ち込んだフォトアルバムだけであるが――。

「まだ手段はあるよ。仕込んだウイルスはGPSをオフにしてても、勝手に起動する様になってるんだよ。もちろん表示はオフになってるから気付かない訳だけど、行った場所を追跡できれば、ちょっとは手掛かりになるんじゃない?」

 手詰まりかと思えた捜索に、楚馬が一筋の光をもたらした。

 改めて彼の技術に感心の声を上げると共に、恐らく大学に成りすましたメールに自身も触っているであろう事を思い出し、訪れた場所を振り返って一抹の不安を覚えた。本当に大学から送られてくるメールそっくりで見分けがつかず、ウイルスの仕込みを指示した側も引っかかってしまうのだ。

 「で、三毛矢はどこに行ってたんですか」

自身の携帯だけでも何とか魔の手から救う事はできないだろうか、と画策していると、やる事がなくなったオレンがいつの間にか見に来ていた。先ほどまで悔しそうにしていたのに、何たる切り替えの早さか。

「う~んとね……一人暮らしの部屋と学校の次に多いのが、都内の……なんだここ……一軒家かな……」

 不思議そうに呟きながらその住所を検索すると、高級住宅街と名高い一角にある一軒の家が写真と共にヒットした。高級車がいくつも立ち並ぶ駐車場、ヨーロッパの城でしか見ない様な装飾華美の立派な門構え、広大な庭やプール、家自体もモダンな建築様式であり、非常に高級感の漂う外見をしている。言わずもがな豪邸であった。

 あまりに突飛な彼の行先に驚き、彼女たちは思わず言葉を失う。一般家庭育ちでもあるため、写真のインパクトが強かった事もあった。

 「……何でですかね?」

 「まぁ……SNSに聞くのが一番早いでしょ。でももう二ヵ所よく行ってるところがあるんだけど……画廊かな。一階に画廊のある雑居ビルによく行ってるね」

 ほら、と彼はストリートビューで外観を見せる。余計な装飾のないシンプルで高級感のある作りの画廊で場所も、横浜・桜木町の少し裏の飲み屋がひしめき合う一角で営業されているようだった。

 「えっ野毛じゃん! ちょっと皆で飲みに行けるじゃん‼」

 ストリートビューのマップを見て思わず酒魅は歓喜の声を上げた。

 調査先と飲み屋が同じ場所だ何てなんたる幸運か、これぞ一石二鳥と喜ぶ彼女であったが、

 「それはどうかなぁ。寿ちゃんは別の方になるんじゃないかな?」

 にやりと怪しげな笑みを浮かべて、彼は再び画面を見せた。そこには、を最も承認欲求を満たすために活用されるSNSで先ほどの豪邸を検索にかけた結果が表示されていた。過去に開催されたパーティーの一幕が多く載せられており、一般的なスーツとは格段に色つやの発色が良いスーツに身を包んだ若い風貌の男から、いかにも良い暮らしをしている事が窺える太鼓腹の中年オヤジ、キャバクラでトップの売り上げを誇っていそうな派手な化粧と衣装に身を包んだ女性、シンプルな服装ながらも存在感を放つ地雷系女子と種々様々な人間がいる。中には十代と見受けられる制服姿の女子も混ざっており、男女半々の割合である。

「これは、あれじゃないですか。昨今流行りの……」

 オレンの言いたい事は彼女たちも重々分かっていた。

「顔照合かけてアカウント割り出せば分かるさ。ついでにこの家の警備システムに入って、監視カメラに映った人間の顔からも割り出そう」

 その後、楚馬はいとも容易く警備システムに侵入し、過去数か月間分の監視カメラに記録された映像を元に、そこへ映った人間の顔を照合し、SNSのアカウントを割り出した。その数は男女合わせて三百程であり、幅広い年齢層がパーティーに参加していたのだが、女性だけは十代から二十代の間と一定であった。加えて出入りしている三毛矢の顔も監視カメラに捉えられていたのだが、案の定、彼のSNSアカウントだけは出て来なかった。

「『ルーみぃ@パパ活♡』ですって。予想通りだね」

 「こっちも『俊夫(パパ活女子募集中)』だと。にしてもすごい規模だな」

 ヒットしたアカウントに一律、記載されている文言は、やはりパーティーの様子から推測できた通りパパ活と呼ばれる、若い女子が金銭を目的にスケベな男性へ体や時間を売る活動の呼称であった。またパーティーに参加した人間の投稿から、どうやらこの豪邸で行われているのはパパ活を嗜む人間同士の交流会である事も分かった。 「つまり、三毛矢はパパって事?」

「まさか。ウチとか、商業系サークルのトップじゃない限り、学生にそんな他人を支援できる程の余分なお金がある訳ないでしょ。ましてや三毛矢、アルバイトとかしてないじゃん」

 楚馬の発言にすぐさま酒魅は反論する。

 学生というものは余程、家が裕福か、何かしていない限り、時間ばかりある貧乏なのだ。ましてや事前調査でアルバイトをしていないと分かっている学生が他者を豊かにできる程の経済力があるはずがないのだ。

「じゃあ何でパパ活の会場にいるんだよ?」

「そこなんだよ。アルバイトもしてない学生が行く場所じゃないのにさ。さっきの画廊だってそうだよ」

「そうだね。履歴見ると、このパパ活イベントがやるタイミングで三毛矢も豪邸に行ってるし、一か月の間に大体どっちもかなりの頻度で通ってるね」

 二人に続いて楚馬も彼の行動履歴を見ながら不思議そうに言った。

 謎はますます深まるばかりであり、これ以上、この場では解決に導く事はできないのもまた明白だった。

「うーん。いっちょ潜入しますか」

 晴れやかな面持ちで酒魅は言い放った。

 この場で推理しているよりも、ずっと解決が早い事は間違ないし、何よりも未知の事柄を暴きたい欲求に身の内から焦がされているのだ。

「まぁそれは良いけど、参加者は必ずパパか娘(仮)のパートナーと一緒じゃないと参加が許されてないから、まずはパパ探しからだね」

 思わぬ足止めに酒魅は不満の声を漏らす。

 てっきり、新たなパパもしくは娘(仮)を探すのも兼ねた交流会だと思っていたので、興味があるという動機だけで単身、乗り込めるとばかり考えていたのだ。加えて、野毛へ飲みに行けない事も確定したので、余計に残念感が強かった。

「しかも、パパと娘(仮)のペアなら誰でも入れるって訳じゃなくて、ある程度、主催者と面識があって毎回の開催に招待状が配られる人間じゃないとダメみたいだよ。でも割と頻繁にやってるみたいだから、上手く釣れれば次の開催で間に合うんじゃない?」

「どこの高級パーティーだよ。まぁいいや、楚馬ちゃん、主催者とそれに親しい人探しといて~そしたら準備する」

 彼からの短い返事をもらい、その間に酒魅はフォトアルバムを今一度見直す事にした。依頼者の彼女の前では食い入って見る訳にはいかなかったし、既に見た助兵衛二人の反応が良かったのが気になったのである。

オレンが日付を古い順に置いていてくれたので、それ通りに見ていく。

 六年前、彼が十五歳の時は非常に単純な構図と、量販店の安物コスプレ衣装でどこだか分からない場所で撮影されている。それが段々と年を追うごとに写真の彼女たちの美しさや魅力を引き出すためだと分かるアングル、恐らく自作である事が窺えるコスプレ風味の衣装へ変わっていき、ライティングや彼女たちとの関係を推察できる様な、思わず頬がほころんでしまう背景へと洗練化が図られると共に美の表現が確立している。また、ただ彼女たちを美しく捉えるばかりではなく、エロティシズムを目指したアングルへ、それにつられる様にして衣装も透けていたり、布面積の少ない直球的なエロスへと走っている。最終形態ではグラビアで見られるポージングが多いものの、美とエロスを兼ねた大小様々な道具で単純ではない色情を表現しており、なかなか工夫されていた。彼女たちの変わらぬ美貌はもちろん、写真の撮影技術、衣装のクオリティ、背景の物語性など一枚の絵画として仕上げる様に、その全てが熟達している事が分かる。

「こんだけこだわって撮ってるんだから絶対、人に見て欲しいよね。で賞賛してもらいたくない?」

「それは俺も思った。もはや一つの美術作品レベルだし、正直個展とかいけるよね。絶対どっかにアカウントあると思う」

「でも現になかった訳じゃないですか」

 二人の賞賛に不貞腐れた様にオレンはつぶやく。

「だからさぁ、やっぱり私たちが見つけられてないだけで、ほんとはどっかにあるんだよ。こんなの援交か裏のエロ垢で三毛矢と関係を持った人間だと思ってたけどさぁ、ちょっと違うのかも」

 その手の検索は既に済んでおり、ヒットはゼロ。となると見方を変えた検索ワードが必要となる訳であるが、まるで思いつかないので、とりあえず別の視点から見ていくことにした。

 アルバムの五人の女子の共通点として、綺麗系や清楚系、可愛い系にクール系、そして一際美しさの目立つ美人とタイプは異なるが、彼女たちは全員、整った美しい容姿にそれぞれに似合った美術品級のスタイルである。見た目的に年齢は十代後半から二十代前半といったところだろう。彼女たちの抜群のルックスはその後も衰える事なく、まるで変化が見られない完璧さで――。

「うん? おかしくない?」

「どうした。なんか見つけたか?」

まだ見てたのかと少し呆れた様子でオレンが声をかける。

「それがね写真の彼女たち、まるで歳を取ってないの」

「え。なにそれ」

「いや、このアルバム六年分でしょ? だから六年前から写ってる彼女たちは当然歳を取ってなくちゃおかしいの。なのに、一か月前の写真とまるで変わりがないんだよ」

 愕然とした様子で酒魅は言う。六年前と一か月前の写真が貼られたアルバムを並べて彼らにも見せると、同様に驚きの声を上げた。美魔女とかメイクが上手いという次元の話ではない、まるで変化がないのである。その異様さに気が付いた途端、更に興味がそそられた。

「とかく、ちゃんとした解析に回さないと、もうこれ以上は進まないね。とよちゃんいつ帰ってくるっけ」

「さぁねぇ研究室籠りで不規則だし、まぁ日付が変わる前には戻るんじゃない?」

 帰りの見当がつかないのはいつもの事でしょ、とも付言され、彼女は完全に足止めを食らった事を理解した。

 現状、このサークル兼住居には人か否かを科学的に見極める設備がないため、こういった捜査が必要な場合はいつも知り合い伝手に学校の設備を利用して調べてもらっているのだ。中でも警察が本格的な科学捜査を行う際に使う設備が大学院に一揃いしており、それを使える人間がもう一人、サークルに所属しているのだが、研究に熱中するあまり最悪の場合は数日は家を空けてしまうのである。

そのため、今日中に帰ってくれば良い方であり、一刻でも早く三毛矢と美女五人の正体を暴いて知的好奇心を満たしたい彼女としては、歯痒い気持ちで待つしかないのだ。

「今知りたい、すぐ知りたい~~~もう直に行って調査するしかないから、絶対他との関係で後回しになるじゃん‼」

「仕事しろ、仕事。割と溜まってんだぞ」

 やだやだ、とゴネていると信じられない発言が飛んできた。ついさっきまで仕事を放棄してアルバムを見ていた助兵衛に言われたくはない言葉だった。何であればアルバムを見ているところを発見されて一番焦っていたのは彼である事を忘れてはならない。

「寿ちゃ~ん、見つけたよ。主催者なんだけど開催の都度、集合写真載せてるんだけど、いつも変わらない顔ぶれがいるから顔照合にかけたら一発でアカウント割り出せたよ。リスト化してそっちに送ったから、適当に騙せそうな奴選んで」

 仕事へのやる気がすっかり無くなったところで、楚馬から報告が上がる。

「ありがと~確認する」

 デバイスへ送られてきた一覧を確認する。パパ活交流会の主催者、並びにそれと親しいパパたちは、辛うじて若い層はいるものの、それもおじさんの部類に入る人間であり、大半は中年のスケベオヤジといった年齢層である。しかし、他人を豊かにできる金満家だけあって身なりはワガママボディながらも清潔感と高級感があり、普通に紳士といった風貌が酒魅は解せなかった。

「う゛~~~ん」

「なんだよ。そんなにチョロそうな奴いないのか?」

 五分程、パパリストと睨み合いをしても結果が出ず唸る彼女に、オレンが不思議そうに聞く。

「いやぁ別にいるんだけどさぁ……」

「あ~スケベオヤジのさ、好みの女子が嫌なんでしょ」

 楚馬がズバリ、彼女の心中を言い当てる。もっと的確に言うならば、スケベオヤジの好む女子の属性が嫌なのだ。パパ活の交流会を写した写真では、もっと様々なタイプの女性がいたはずなのだが、どうして主催者とそれに付随する者たちは皆一様に趣味嗜好が同じなのか。そうでなければ逆に親しくなれないのか。そう思わざるを得ない様に酒魅は大いに嫌悪感を覚えた。

「あ~確かに寿こういう女子嫌いだよな。流行りの地雷系女子だっけか。量産型女子だっけか……?」

 画面を見せてもらったオレンが納得した様に声を上げる。自己承認欲求を満たすために、最も使われるキラキラSNSで大量発生しているタイプの女子である事は分かるのだが、色々な名称の女子が次から次に湧き出すので、もう曖昧なのである。

「はぁ~~~も~~~しょうがない。仕事だよ、仕事‼ 三十分で片付けてやる」

 半ばヤケになりながら、自身を奮い立たせる様に言い放った。この手の女子が嫌いになったきっかけを、つい思い出しかけたが、ぐっと抑え込んで一度自身の部屋へと準備に戻った。

 そして宣言通りの三十分後、サークル部屋へ地雷系女子が姿を現した。飾りっ気の多い透け感のある黒いレースシャツに、ゴスロリ調の装飾華美な桃色のワンピース。ウィッグの黒髪ツインテールをまとめるはアイドルか幼児しか付ける事を許されない様な大きなリボン。下水道が整備される前の中世ヨーロッパは川にそのまま排泄物を流し、雨の日は川が氾濫して街中がそれで汚れて大変だったという。そんな日でも余裕で歩けるのではないか、と思える程の分厚い底上げブーツ。脚には黒のニーハイ、首には絶対にペットショップでしか見ない様なデザインのチョーカー。そして、闘病中の患者の如く血色感のない肌に毒虫に刺されたかの様に赤く腫れた涙袋、真っ赤なルージュと地雷系女子の特徴を押さえたメイク。

どこから見ても完璧な地雷系女子がそこにはいた。

「「おおぉ~~」」

 男二人はその見事な変貌っぷりに感心の声を上げる。

「うるさい、要らないからそういうの」

「毎回思うけど、ほんと寿ちゃん変身のポテンシャル高いよね」

「ほんとですよ。コイツって言われなきゃ分かんないですよね」

 地雷系女子に変貌を遂げた酒魅になおも二人は賞賛するが、本人にとってはいい迷惑であり、一刻も早く着替えたかった。情けない様な物悲しい様な言葉には言い表しがたい気持ちのまま、SNSに載せる用の写真を撮った。そもそも交流会に参加できるパパに近づくにも、パパ活をしている女子のアカウントを作らねば接触もできないため、致し方ない犠牲なのだと自身をなだめながら頑張った。

 「まぁ思えば、この技術で大学入ったもんね。このポテンシャルの高さを分かってないとできなかったし、強みだし」

 撮影後、写真をチェックしている内に自分とは似ても似つかない写真の姿、その変貌っぷりに自身の技術、並びにポテンシャルの高さを再認識し、自信が湧いて少しばかり、誇らしげに言った。そのついでに、アカウントを作成とパパ活をしたい旨を写真と共に投稿、パパリストに記載された人物に片っ端からフォローとメッセージを送信し、次への布石を打った。

 と、けたたましい音を立て内線電話が鳴る。いつ聞いてもやたらに高い音と警報が如く鳴り散らす、このやかましさには慣れないため、油断していた彼らは全員が肩を揺らした。

「寿ちゃ~ん、電話取ってくれる~?」

「んも~~~」

 面倒この上ないという心境が滲む声を出しながら、彼女はデスク中央に置かれた電話に向かい、淵から体を伸ばす。デスクにほとんど体を乗せて取る横着をしたせいで、少し腹部が冷たかったが、そのまま受話器を取った。

「はい。サークル好奇心、寿です」

 机に体を乗せたまま、不愛想に応える。

 構内全体を繋ぐこの電話は、郵便サークルの新人がここの所在が分からないという旨の電話をかけてくる事がもっぱらであるため、今回もそれだと思い、毎回いい加減にしろと文句でも付けてやろうと思ったが、

『あ、わたくし理事長の古川です。ちょうど寿さんに御用があったので良かったです。今から先生方数人とそちらに伺っても大丈夫でしょうか?』

 予想に反して意外な人物からだった。

「今から? うちに?」

 動揺からつい声が上ずると、その異常事態に気が付いた様で彼らは酒魅に目をやる。その視線を受け取りながら、構わないという旨を返した。

「どこからだったの?」

 電話を終え、重たい空気が流れる中で一番に楚馬が聞く。

「理事長からで、用があるから今から行くって。たぶん十人近く幹部の先生たちも連れて来るかも」

 ゆっくりとその事実を伝えた。

「はぁ~? 寿またなんかやったのかよ」

「やってないよ‼ 心当たりならごまんとあるけど‼」

「絶対それだろ。俺、最近はなんもやってないぞ」

「オレちゃんだってバレてないやつ沢山あるもんね! 絶対そっちじゃん」

呆れた様にあらぬ疑いをかけるオレンに慌てて弁解する。このサークル自体というか、彼女が色々とやって来たおかげでだだっ広い構内にその名が轟いているので、彼が疑うのも当然だった。けれど、酒魅としては未だにバレていないものが多くあるので、もしかしたら、その内のどれかが急に運営側にバレたのかも、と内心は少し焦っているのが素直なところである。

「まぁ寿ちゃんに限らず、個々で俺たち色々やってるし、うち自体でも色々とやって来てるから、もう今更言われても何の事か分かんないよね~」

 どれも完全犯罪だったはず、と心当たりのある事柄について思い出し、隠蔽の具合を再確認する酒魅とは違い、楚馬は冷静に開き直っていた。その見事な達観に言い合いをしていた二人もそりゃそうかと矛を収めた。すると自然と心は落ち着いていき、とりあえずオフィスに出しっぱなしにしている酒瓶類を片付けるなど、お歴々を迎える環境を整えた。さすがに店先のカウンターに理事長など運営を務める幹部がいるところを生徒に見られると、また何かしでかしたのだとサークルの評判に拍車がかかってしまうから。

「ていうか、来るならお茶とか用意しなくちゃだけど、準備すんのめんどいから外注しよっか。向こうも良いPRになるだろうし」

「そうだな。俺たちの分も頼もうぜ」

 おけ、と短く返事をして酒魅はとあるサークルへ電話をかける。

 彼女たちと同様かそれ以上に年間を通して忙しいサークルであるため、さすがに急な注文は請け負ってくれないかもと思ったが、意外や意外、十五分以内に用意して配達するという答えがもらえた。

 そして、慌てて酒魅は自室へと駆け込み、メイクを落として大急ぎで着替えた。

それから十五分程度で運営ご一行様は到着する。目安として伝えられた時間よりもずっと早く、もしかすると本当に何かバレたのかもしれないという危機感が強まってしまう早さである。

「いやぁすみません、急にお伺いして。本来なら営業時間が終わった後にお訪ねして、他のお客さんのご迷惑にならない様にすべきだったんですが、いかんせん急を要するのと、この時間の方が適しているかと思いまして」

柔らかい物腰で男が笑う。襟元がヨレたシャツにジーンズというラフな格好と、周囲を少し和ませる様なこの笑顔が理事長のトレードマークである。

 ふぅと一息吐いてスイッチを切り替える。

「いいえ。今日は珍しくお客さんが少ない日だったので大丈夫ですよ。中へどうぞ」

 彼を筆頭に学校運営の幹部たちが大名行列の如く、ぞろぞろと続く。学長はもちろん、副学長や理事を務める幹部たち、そして複数学部の長が続き、総勢十五人程がオフィスにひしめいた。もちろん、用意した椅子の数は足りる訳もなく立たせてしまう事になったし、かなり広めに確保したオフィスが少々手狭に思える程の圧迫感がある。

 またそれを感じているのは彼女たちだけではなく、理事長の古川も同じであった。というのも、酒魅の両サイドには背丈が百八十を超える男二人が、ガードマンが如く立っているのだから威圧感というか重圧を感じていた。

と、そこへ再びインターホンが鳴り、エプロンがよく似合った、これまた高身長な男が訪ねて来た。

「しぇんしぇー方おさしかぶりです、今日は話し合いがあるち聞いたけん、コーヒー持って来ました」

 周囲を和ませる朗らかな笑みと共に色濃い訛りで彼は挨拶した。

「本日はこちらでお茶を用意させて頂きました。どうぞ召し上がって下さい」

「いやぁ小嫁さんお久し振りです、お二人共ありがとう、皆さんありがたく頂きましょう、あ、そういえば何人か初対面の先生がいましたね。噂には聞き及んでいると思いますが、こちらコーヒーを専門的に扱うサークル『エルキーオ』代表の小嫁(こよめ)利蔵(りくら)さんです」

 理事長自らが丁寧に紹介をし、彼もそれに合わせて「しぇんしぇえご丁寧にありがとうございます、以後エルキーオをよろしくお願いっちゃん」と笑顔を見せた。そしてそのまま全員に名刺を配り歩きつつ、配達サービスや定期購入プラン、会員入会のメリット等などがっつり宣伝を行った。

 実はサークル『エルキーオ』は彼が企業した株式会社であり、そして彼は社員やアルバイト総勢五百名以上を率いる代表取締役でもあるのだ。三年前に大学の広大な敷地を活かして豆の焙煎工場とカフェ店舗を構え、見事、入念に練った計画により成功を収めたのである。

 今では構内の各地に支店を展開し、現地まで赴き厳選した種々様々なコーヒーが人気を博しているが、社長である彼の温和な人柄も成功の要素に違いなかった。

「急だったのに来てくれてありがとう、すごく助かった」

「よかよか。こっちこそ幹部のしゃんしぇえー方に宣伝する良い機会がもらえたけん、ありがとうっちゃん」

 そう言って酒魅へ柔和な笑みで返した。

 そんな事を話しながら、彼と好奇心のメンバーでお茶の準備を進める。カップはオフィスなどで使われる簡易的な使い捨ての物だったが、いざ振舞われたコーヒーはそれが似つかわしくないと思ってしまう味わいだった。香ばしくもありながら、味を体現するが如く多重的な豊かさを秘めた薫り。味わうと焙煎によって魅力を最大限に引き出された事が窺える、コク深さを含んだ優しい旨味がゆっくりと溶けていく。強張っていた体から思わず力が抜ける様な情趣なコーヒーで、一人くつろぐ時間は癒される事間違いなしであった。そして酒魅たちサークル好奇心のメンバーは、この場がオフィス兼食卓であるため自前のお気に入りのカップで味わっているのだが、より癒しの効果が強く、あまりに心穏やかになり過ぎてしまい、もはや仕事をしたい気分ではなかった。

 彼自身もコーヒーを味わいながら、その出来に満足し、彼女たちの美味しいと笑う姿を見て達成感を覚え、思わず頬が綻んだ。そして彼は仕事を果たすと「じゃあこれで帰るけん、ファイト~」と励まして帰って行った。

「それで、先生方お揃いでどういったご用件でしょうか」

 彼と向き直り、さっそく本題へ入る。

「あぁそんなに大事ではないのですが、今回はサークル好奇心へ正式に学校側として依頼をしようと思いまして」

 両手を振る可愛い素振りを見せながら理事長は言った。そして後方に控える幹部群に「君、あれを」と一声かけると、もごもごと過密な人の森の中から箱が姿を現す。

「こちらは正式な依頼料に加えてのほんの気持ちなのですが、ぜひお収め頂ければ。小嫁さんがいらした後で大変恐縮なのですが……」

 そう言って気まずそうに彼女へ差し出した箱の正体はコーヒーメーカーであった。世界的に高級コーヒーメーカーとして名高い『ブレンズ』の最高ランクのものであり、洗練されたシャープなデザインはモダン建築さながらで、シックさが高級感を演出しているのがパッケージを見るだけでも伝わってくる。しかも箱にはしっかりと封がしてあり、どこぞの教授のお下がり品ではない新品未開封品である事が分かった。時たまナメた輩が使用品を差し出してくる事があるので、ついつい疑ってしまうのだ。

「それといってはなんですが、ぜひ内々に解決して頂きたい案件でして」

「分かりました。お伺いします」

 再び幹部群へ目をやり「君、例のものを」と声をかけると、もごもごと人ごみの中から黒いビニール袋が登場した。厳密に言うと袋に入った何かであるが、それをそのまま理事長は彼女たちの方へ差し出す。

「ちょっと女性の寿さんにお見せするのは、はばかられる物なのですが、ここ三ヵ月程の間でよく構内で見られる様になりまして……」

非常に気まずそうな語調で言うものだから、逆に気になってしまって「確認させて頂きます」と即座に取り出す。すると、中から出て来たのはアダルトビデオ計五本であった。

「……」

 高級コーヒーメーカーまで持参して、重苦しい雰囲気で話始めたかと思えば、こんなにも真面目な場にそぐわなさ過ぎる、もはやトリッキーと言うべき物が出るとは予想し得なかったため、上手く言葉が見つからない。加えて、案の定あちらも同様にどう言うべきなのか困っており、後で見るべきだったと少しばかり申し訳ない気持ちになった。

「ええと、これが学校の中で……?」

「えぇ。出所としてはどうやら構内限定のオークションであるという事しか掴めていないんです。健全であらねばならない教育の場でこういった物が出回るのは我々としても非常に困っていまして……それに寿さんが解決して頂いた前科といいますか、その事を考慮しますと、こんな物が構内で取引されている実情が世間へ露呈した際にはまた大騒動ですので内々の解決をして頂きたいんです」

 余程、この事態を憂慮しているらしく古川の額には大量の汗が滲んでいた。確かに前科となった三年前の騒動では、自主退学者や他校への転入学希望者が激増し、受験希望者が激減すると共に世間からのイメージが大幅ダウンと大学としては大変な痛手を負った。故にわざわざ高級コーヒーメーカーを前払い金として持参し、内々の解決を強く希望している事にも納得がいく。

「分かりました、お引き受け致します。具体的な希望をお伺いします」

「あっありがとうございます! 助かります。寿さんたちには具体的なその出品者とオークションを主催しているサークル『コマース』が構内では不適切な物を扱っている証拠の提出と、代表並びに運営に携わるメンバーを我々に突き出して頂きたいんです」

 断られる事も想定していた様で、引き受ける旨を伝えると彼はホッと一安心した様に笑顔を見せた。

「なるほど。でもコマースのメンバーならすぐ先生方の方でも捕まえられるんじゃないんですか? サークル申請時の書類に名前も連絡先も書くんですし」

「もちろん、記載された連絡先にコンタクトを取ったんですが着信拒否されていまして、ならば本人たちを呼び出そうとメールまで送ったのですが案の定応じず、彼らが出席する授業でも待ち伏せをしたんですが警戒された様で姿を現さないまま、今もソレが構内で出回っている状況なんです。しかも毎回必ず出品される物の様でして、既にかなりの数が出回っていて、我々ではもう手がつけられなくなっていまして……」

困った様子で自身の頭を撫でつけた。何とか自分たちで手を打ったものの、どうにもこうにも事態が進展しないため、彼女たちへ依頼する事を決めたという訳である。

「分かりました。では他の依頼と兼ね合いを見つつ、早めに対処したいと思います」

「ありがとうございます。ではよろしくお願い致します。依頼料等は調査にかかった費用を上乗せして解決時にお支払いします」

 互いに固い握手を交わした。そして不意に彼女は疑問が浮かぶ。

「そうだ。ところでコレはどこから手に入れられたんですか」

 そもそもこれを学校の経営陣が入手どころか、オークションサークルがアダルトビデオを取り扱っている事を知るに至った理由も経緯も不明なのだ。出品物も確認する機会がないため、たまたま参加したオークションで教師が発見に至ったというのも、ギリギリ危ういところではあるが。

「それなのですが、理事長室のある本部棟にオークションで不適切な物が扱われている旨の告発文と、その物証であるソレらが同梱されて来たんです。あと、ソレの制作に本校の生徒が関わっているともありまして、出品者と何か関りがあるのではないかと、こちらは考えています。名前の記載も特にありませんでしたが、物証を上げられては動く他ないもので……できましたら証拠だけではなく、ソレの制作関係者も見つけ出して頂けると助かります」

 善意の協力者がいたという訳である。

 それだけ話すと調査の物品を残し、彼らは再びぞろぞろと列を成して帰って行った。大名行列と言うよりは毛頭の薄い頭の中年や、前科から残っただけある個性が豊かである事が窺える服装の教師が多いため、百鬼夜行と形容した方が適切かもしれない。

「いやぁ~今日はエッチなもんが多い日だね。おもしろ~」

 彼らが帰った後はすっかりスイッチも切れ、人がいなくなってスッキリしたオフィスで彼女はヘラヘラと笑う。一度袋にしまったアダルトビデオを机へ出した。

「そうだねぇ。ていうか、今時DVDか~」

「皆、ウェブからダウンロードして見るのに時代錯誤ですね」

 酒魅を筆頭として物品を改める。昔のコンシューマーゲーム機のソフトケースの様な少し細長いケースにディスクと小さな冊子が同封されていた。開いてみると、恐らく出演しているであろうモデルのこれまたエロティックな写真であった。

「すっげ、顔良すぎじゃん。人間にしては完成され過ぎてる」

 あまりの容貌の美しさ、また抜群のスタイルに思わず酒魅は感嘆の声を上げる。それを聞いて男二人も覗き込み、黄金比たる景色に感嘆する。

 机の上に広げられたそれらは、ジャンルも違えば出演しているモデル、女性の系統もまるでバラバラであったが、男二人にはどれも刺さった。

「コマースも前はもっとバレない様に隠語使ってさ、その上でラッピングした可愛い売り方してたのに今じゃ裸体とはね」

 残念そうに彼女はため息をついた。

 もちろん、ラッピングはそれだと分からない様に偽装するためであったが、いかにも百均で適当に選んで買ったもので、慣れない手つきで男が包装したであろう事が窺える雑な仕上がりは、それはそれで味があって好きだったのだ。それが今じゃがっつり、アダルトビデオであると分かるケースをそのまま晒し売りとはあまりに可愛げがなくなっていた。

「つうか、コマースってうちと同期だろ?」

「まぁ大体のサークルうちと創立時期変わらんけどね。確か一か月遅れくらいじゃなかったっけ? 出品者も参加者も匿名で楽しめるのが売りで、何でも扱うのがモットーだからAV以上にまずい物もありそうだよね」

自分で言って思わず口元が緩んでしまった。

 創立初期から非合法に近しい物を扱っていた事は知っていたが、可愛い包装を忘れて荒んだ今、一体どんな物を扱っているのか想像しただけでも胸が躍る。

「ていうか、今更どうして内部告発なんかされたんだろうね。設立からもう三年もこういうの扱ってて一度も問題になってなかったし。突然、正義感が芽生えたともあの連中からは思えないし」

 確かに楚馬の言う通りだった。設立初期から売り上げを伸ばす起爆剤としても長らく使われていたし、サークルに入ったり、オークションに参加したりすれば誰でもこの事実は知る事になる。ただ皆、こういうのもアリなのではないかと一種のネタとして許容していたのに、三年も経って急に問題として浮上するのは不思議だった。まぁただ、現代っ子たる新入生の倫理観や価値観に合わなくて、たまたま告発されたという可能性もあるのだが。

「三毛矢の件と具合を見つつだねぇ……どうしようかなぁ」

 彼の一件も面白そうなのだが、こちらも同等かそれ以上に興味を惹かれるため、兼ね合いを考えて酒魅は唸る。学校側の依頼何て確実に利益を得られるし、黙っていて欲しいという事でこちらへの貸しとなって今後、何かあった場合は有利に事態を運ぶ事ができる魅力的な依頼なのだ。

「ま、パパはすぐに引っかかる訳じゃないだろうし、それまでの時間稼ぎだと思えば良いんじゃないか?」

「まぁそうだね。善意の協力者の方も気になるし。そっちも込みで、本当にコマースがコレを扱ってるのかも確かめないといけないし。諸々関係者を知るためにも、とよちゃんに調査依頼出しとこ」

「今コマースのメンツ確認したけど、幹部に変わりはないね。で、詳しい事情を知ってそうなのはごく一部だろうけど、それを知ってそうな幹部候補としては、かなりの数がいるね」

 意気揚々としていると、既に調べ始めた楚馬がモニターに情報を映し出す。

久野山能大サークル連合協会の特設サイトに彼らも掲載されているので、基本的な情報はすぐ引き出す事ができた。サークルのメンバーはもちろん、事務所の所在地や主な活動内容まで載っている優れものである。代表の保谷敬弥を含む五人がサークル『コマース』の中枢であり、サークル全体では三百人近くが所属している。そして各首脳が大勢を率いて運営を行っているのだが、これだけ人数が多いと出品者と関係した人間の特定がかなり面倒である。

「ん~商品の仕入れ担当が分かれば良いんだけど、代表と幹部、その他の荒い分類しかしてないからサイトじゃ分かんないんだよなぁ。うち何て私以外幹部みたいな荒い認識されてるし」

 また内部にどんな部署が置かれているのか、部署数はどれほどなのか、どういうシステムで運営が行われているのか、など外部の人間では知る由もない事柄が多く、まずはそこから調べ始めなくてはならない。

「保谷と幹部連中は全員SNS持ってるけど、まぁ詳しい役職何てわざわざ書かないだろうしな」

 承認欲求を満たしたいがために大学名やサークル、所属している詳しいキャンパスなどは大抵の場合、晒してあるのだが余程自身にとって有益でない限りはサークル内部での役割何て投稿しないのである。とはいえ、酒に酔い、そのまま調子に乗って情報を漏洩している可能性はゼロではないかもしれないが。

「とりあえず、内部の事知ってそうな奴に連絡しとくね」

「ただいま~」

 と、そこへまた長身の男が帰って来た。歩くたびにモサモサとボリュームとクセのある髪が揺れ、その様は毛が伸びすぎたアルパカや羊といった毛深い動物に似ている。

「ちづちゃんおかえり。あれ、生記(きき)ちゃんは?」

「別件の浮気調査にまだ掛かり切りの状態らしくて、メールしたら今良いところだから勝手に帰ってって返って来たから、帰って来ちゃった。ていうか今日はご飯どうする?」

大事なサークルメンバーであるのだが、いつもの事であるため、そう、とだけ彼女は返事した。

 そして時計を見てみると時刻は午後七時半を回っていた。理事長たちと少しばかり雑談も交えていた事もあってか意外と時間が経っているし、それ以前に谷中佳奈美が怒り散らしていたので今日は一層、時間の流れが早く感じる。

「俺、肉が良いです!」

「良いね~肉。ステーキ食べたい」

「えぇ~だって寿ちゃん二日酔いだったじゃん。今日は無理でしょ」

そんな男二人の盛り上がりの一方で彼は心配そうに酒魅を見る。なので「大丈夫、いけるいける。完全復活」と軽く返す。

 二日酔い何ていつもの事だし、しこたま吐いた後は別に落ち着けば何でも食べられるし飲めるので、そこまで気にする程の事ではないのだ。何であれば彼の心配を他所に迎え酒して吐いた事もあるが、これはまだバレていない。

「せめて今日は飲まないでよ。いっつも飲んでるんだから」

「分かってるよ~」

 そうして彼女たちが向かったのは、構内にある『ボーイ・ミート・ガール』という洋食屋だった。構内に店を構えている事だけあって、学生向けの食べ応え抜群のボリュームの肉メニューがメインになっている。白米はどんな量でも無料だったり、パンチの欲しい学生にはニンニクや油を多めにしたりとサービスが手厚い。ちなみに白米は超特盛を頂点に特大盛り、特特大盛、大盛、並盛となっているが、小盛りで注文してもかなり量がある。

 久野山能大学の創立以前から営々と続く人気の店であり、学校の敷地にそのまま飲み込まれる形で今も営業している。

「おぉ寿ちゃん、にーちゃんたちいらっしゃい。いつも通りステーキで良いね? どんくらい食べる?」

店に入ると顔馴染みの店主が元気よく迎え入れた。

「私、今日はあんまり食べられないから八百グラムで。全員赤身ね」

その後、男たちは一・五キロ、一・三キロ、一・二キロと順々に注文した。これに白米やサラダ、ちょっとした小鉢のおかず、飲み物が付くので男たちの分だけでもステーキに合わせてかなりの量になる。

 そのため奥の大人数用席に通されるのが恒例である。

「ちづちゃん今日は沢山食べるね、そんなに運動したの?」

「浮気調査で沢山動いたからね。オレ君の方が珍しいでしょ、一番少ないじゃん」

「いやぁ、酒飲んだ次の日ってあんま食べられないんですよ」

 いつもならもっと食べるんですけど、とも含みを持たせてオレンは嘆いた。昨夜は酒魅に付き合って飲み会に参加し、遅くまで飲み食いして歌っていたのでやや胃が疲れているのだ。

「コイツが宮本浩次の『going my way』に散々付き合わされたせいで朝方まで居る事になったし」

「えぇ~オレちゃんだってノリノリだったくせに。そもそもあれやると皆喜ぶからやりたくなっちゃうんだもーん」

 文句をつける彼にすかさず言い返す。

 酒魅のカラオケでの十八番は宮本浩次の『going my way』であり、MVを再現してエアギターをしたりピョコピョコと跳ねて動き回って歌ったりというパフォーマンスが好評なのだ。しかも彼女自身も、周りも良い感じに酔いが回って何でも楽しくなった頃合いなので、よりその愉快さに拍車がかかるのだ。

 「言わんでも十分マイウェイ行ってんだろ。つうか『獣ゆく道』で俺が椎名林檎パートなんだよ。絶対そっちだろ」

「やだ! 宮本浩次の方歌いたいもん」

 そんな二人の言い合いを先輩組は微笑ましく聞いていた。

「ていうか、よく急に招集かけたのに人が集まったね」

「ふふふ。ちづちゃんもご存じの通り『全国酒飲み暇人同好会』なるサークルに私とオレちゃんは入ってるからね。ほとんど顔見知りだし、その日の参加費払えば入退場自由だからね。グループチャットで声かければ秒で百は集まる」

 誇る様に彼女は説明した。主に酒魅と繋がりのあるサークルの代表とそのメンバーで構成されており、三百人以上が所属している。そのため毎日の様に誰かが飲みの参加者を募っているし、飲み会がどこかで開かれているのだ。中でも各サークル代表が声をかけると凄まじい数が集まり、酒魅の場合は人気も高いため、昨夜は入れ代わり立ち代わりでサークル参加者の大半が顔を見せに来た。それに楽しくなって飲み過ぎてしまった訳でもある。

「俺も参加できたら良かったんだけどな~~~あ~残念」

 歯痒そうに彼は嘆く。

 久野山能大学に限らず、商業的な活動をする場合は人脈やコネなどの人間関係が活動に直結するため、非常に重要視される。より多くのサークルと知り合い良好な関係を築ければ後々、客や案件を紹介してもらえたりと、利益が出るのでクラッシャーの自覚がある楚馬は入る訳にはいかないのだ。

「あ、そうだ。今日ね、うちに蔵ちゃん来たよ。知鶴先輩にもよろしくお伝え下さいって」

 サークルの話題ついでに思い出したので、彼女はその勢いで伝える。

「えぇ~そうなの! 最近会えてないから会いたかったなぁ」

それを聞くと知鶴は残念そうに嘆いてテーブルへ沈んだが、

「でもコーヒーありますよ。大きめのポットで注文したので一人あたり、割と量飲めます」

「ほんと⁉」オレンの一言で一気に元気を取り戻した。基本的に知鶴は好奇心のオフィスで仕事をしないため、昼にコーヒーを注文しても彼が帰ってくる夕方には在宅のメンツで飲んでしまうので機会がないのである。何であればコーヒーを注文した痕跡を残すと、彼はひどく落ち込むので早めに飲んで証拠を隠滅するまでが恒例の流れである。

「あ、そういや俺、今日バカでかいホールのケーキ貰ってた」

その話題につられた様に、ふと思い出した様に楚馬が言った。

「えぇ~今度はどこの子に手ぇ出してるのさぁ~」

 今度は酒魅が悪戯っぽい笑みを浮かべ、すかさず隣の彼をつつく。

「そういう訳じゃないけど、なんか調理学部の……パティシエ学科だっけな。そこの女子から自信作なので貰ってくださいってもらったの。あそこ、定期的に外部の人間に生徒の作品披露するイベントあるじゃん」

 そこへスイーツを楽しみたいだとか、他の学部の生徒が切磋琢磨しているところを見たいなんていう、純粋な気持ちでこの多情な彼が行ったとは、その場の誰もが思っていなかった。何であれば渡した女子の方も大いに下心があった事だろう。

「へぇ~楚馬先輩、調理学部に知り合いいるんですね」

「まぁね。前にふと調理学部の女子の知り合い少ないと思って一時期さ、そこのイベント見たり近辺を徘徊してた事あって、すげぇ数引っかかって今回はそれ伝手に来たんだよ」

 彼は歯切れよく話した。

 包み隠す事なくオープンに話すスタイルはいつもの事であるが、一時期、尋常ではない量のお菓子やスイーツといった種々様々な甘い物が持ち帰られていた謎が解けた瞬間でもあった。もちろん、彼一人では到底食べ切れる量ではないので好奇心一同で消化に当たって苦労した思い出がある。

「あれってそうだったのか……つうか、お前そうやってそこら中の女子に手ぇ出してるから留年して今年も四年なんだろ。いい加減授業出ろって」

「そうだよ~今年も留年するとオレちゃんと私が同じ学年になっちゃうかもよ」

 説得する様に彼女たちが諭すも、答えを濁す様に唸るだけであった。何であれば所在なさげに先に来たコーラのストロー、その包み紙を上手くつくねて水滴をぽつぽつと垂らし、芋虫の様にうねらせる。

「だってさぁ俺……俺たちもう一生遊べるだけの金がある訳じゃん。途端になんか急いて生きる事もないなと思ってさぁ、不思議とやる気なくなっちゃったんだもん」

 仕方ないじゃんと言い訳する様に芋虫を突き回しながら言った。

「えぇ~でも授業に左右される生活を早く脱出して遊び尽くせた方が良いと私は思うなぁ。どうするか決めてなくてもさ」

「そうですよ。いくら親に学費出してもらってないとはいえ、試験勉強とか面倒じゃないですか、絶対ない方が人生的に有意義です」

 後輩二人のもっともな意見に、今度は納得とし難さを半々示す様な唸り声を上げ「善処はする」と小さく答えた。

「寿ちゃん、にーちゃんたち待たせたなぁ! 腹減っただろ! 全部いつも通りレアで焼いてるからな、後は好みで食べな」

 それから間もなく元気よく店主が彼女たちの元へ、鉄板プレートに山盛りの肉を積んで運んで来た。食欲をそそる肉の香ばしい匂い、今も鉄板で焼き上げられる空腹を刺激する音、何よりも程よく血や油の滲む肉そのものが自然とフォークを握らせる魅力があった。すっかり今までの話はどこへやら飛んでいき、全員で手を合わせて

「「「「いただきます!」」」」

 元気よく食べ始めた。

 食べ始めると誰もが会話をやめ、夢中になって肉を口へ運んだ。噛めば噛む程溢れる肉の旨味、特製ソースが更に美味さを際立たせ食欲をこれでもかと刺激して食べる手は止まらない。そしてステーキになった牛へ、また育てた農家、生物を作りし自然へ感謝の念が溢れる。加えてこんなに美味しい物を食べられる事への歓び、生きていて良かったと心の底から幸せを味わった。

 肉の他に山盛りの白米とサラダまであったのが、今日も全てを超大盛にされたせいで酒魅だけは食べ切れず、男三人に引き取ってもらった。ただしオレンだけは肉と引き換えである。

「いやぁ~お腹いっぱい。しばらく動けん」

 腹にはよく食べた事を実感できる、圧倒的重量感があった。何であれば男性陣はこれに炭酸ジュースを飲んでいるので、彼らの胃の大きさに毎回驚いている。もしかしたら人体には本当にブラックホールが生成される事があるのではないかと思う程である。

「寿ちゃんスイーツ食べるかい⁉ チャレンジメニューで三十センチのタワーパフェ作ったんだよぉ!」

「い、いえ、今日は遠慮します。お腹いっぱいなので」

 苦笑いで答えると、店主は残念そうに「そうかい? 遠慮しなくて良いからね。学生を腹が割けるんじゃないかってくらい腹一杯にするのが仕事だから」と言われたが、さすがに二日酔いから復活直後にそこまで無理をする勇気はなかった。

「では、私が挑戦します!」

 すると、どこからともなくチャレンジャーの声がした。それを聞くと同時に沈み込んでいた店主の肩は途端に持ち上がり「待ってな嬢ちゃん、すぐ作ってやるからな!」と元気よく厨房へ駆けて行く。

 その声の主は酒魅よりも少し背丈の小さい女子だった。けれど、その細身の体格には似合わない、ゴツいレンズ付きのカメラを首から二つ下げ、これまた大きなボストンバッグを構える重装備姿だった。

「あ、みみ子じゃん。おそ~~い」

「みみ子じゃないっ! 見見! け・み! 見見照子だっ」

 酒魅に声をかけられると、みみ子と呼ばれた彼女はすぐに食いかかる様にして訂正した。一見「みみ」とも読める名字であるが「けみ」と読み、何であれば照子も「てるこ」ではなく「しょうこ」という、大変読み間違いが起こりやすい名前の持ち主なのだ。酒魅はそれを分かっていて、あえて勝手に付けた愛称で彼女を呼んでいる。

「みみちゃん久し振り。元気だった?」

「見見です先輩ッ。何度か命の危機はありましたけど、何とか生きてます」

 歳上の知鶴へは幾分かマイルドに訂正を入れて挨拶を交わす。

「で、なんか用? 俺たちそろそろ帰るとこなんだけど」

「失礼ですねぇ、私はそこの酒飲みに呼ばれただけで絡みに来た訳じゃありませんから!」

 ぷりぷりと怒りながら彼女は酒魅を指差した。すっかり、たまたま来たところを絡まれたと思っていたのでオレンはマジで? と彼女へ視線を飛ばす。

「まぁ? 私としてはそこの縷々美さんの女性関係を根掘り葉掘りお伺いしても良いんですけど? うちの本業ですし?」

 悪戯半分煽り半分を混ぜた様なニマニマとしたやらしい笑みを浮かべながら、みみ子は自身が来て以来黙っている楚馬を見る。そう、彼にとってみみ子は天敵でもあり、商売的にも時たま協力する仲なのだ。

 なぜなら、

「うちは情報収集能力に長けた精鋭が集まるスクープサークルですから! あなたから情報を提供してもらうまでもなく、暴いてみせますからっ」

「建前はな。ゴシップ専門のサークルだろ、見栄張るな」

 と、いう訳である。

 せっかく堂々と恰好を付けて言ったのに、すかさず酒魅に茶々を入れられた彼女は「隠蔽してる人間関係を暴くのはスクープでしょう⁉」と言い返す。そして燃えた油へ更に油を注ぐ様に口論の炎は燃え上がる。

「ていうか、サークルの名前に『エゴ』何て付けるのはゴシップ誌なんだよ。だぁーから年間で何十回も死にかけるんです~」

「それと怪我の原因は大いに関係がありますけど、ネーミングまでとやかく言われる筋合いないんですけど~、大体、うちとほぼ業態が同じくせに見栄張るなとか言える立場ですかぁ⁉」

「はぁ~? うちはそっちの人間特化体制と違って幅広く色んな物に触れて暴くけど~? ただ人間同士の関係を暴いて煽る様な俗物的な物じゃないんだけど~?」

「はぁ⁉ 俗物的で何が悪いっていうんですかぁ? そもそも――」

「どうどう! 二人共そこまで」

 慌てて知鶴が仲裁に入った。二人の口論の炎の勢いは止まるところを知らず、いつまでも延々と燃え上がっては最終的に関係へ焼け跡が残る。そうなると一時的な協力もできず、互いにより良い利益が生み出せなくなってしまうため、いい加減止めなくてはならなかった。

 そもそも隠蔽された事実や人間関係を暴くという商売柄が似ているので、互いに負けじと競い合ってしまう結果、こうした些細なきっかけで不和が爆発するのである。しかも以前より同じ調査対象にバッティングする事も少なからずあったため、常に臨戦態勢なのだ。

 みみ子はその姿から察する事ができる通り、ゴシップを専門に扱う『エゴティシモ』というサークルの代表である。好奇心と違うところと言えば通常、ゴシップ誌が扱う様な企業や個人などの不正行為の告発はせず、ただ純粋に人間関係を暴く事をメインに構えている。その対象は久野山能大学の生徒はもちろん、教員や講義のゲストとして招かれた人間にまで及ぶ。そして、主に暴露されては困る関係を持った人間ばかりをターゲットにするので、よくそれを食い止めんとサークルの人間が襲われるので、怪我をする回数が一般人と比べて圧倒的に多い。ちなみにみみ子は数回刺されて入院しているが、悪運強く溢れる生命力でピンチから吹き返している。

「まぁまぁ。楚馬の女関係と女子人気はうちの所有財産だから譲れないけど、そんなにいがみ合う事はないと思うよ」

 ね、と二人を優しく諭す知鶴の一方で、ホテルに直接カチコまれた経験のある楚馬にとっては普通に彼女と、サークル『エゴティシモ』と敵対していがみ合う明確な理由がある。それに、勝手に所有財産扱いされているのもちょっと納得できなかったが、みみ子に活用されるよりかは数万倍マシに思えたが、知鶴の活用案もなかなか解せない。

「はいよ。お待たせ、皆で食べても良いからね」

 そこへ高さ三十センチのパフェタワーが到着する。金満家が持っていそうな無駄に値が張って大きい花瓶の如き器にコンフレークやゼリー、フルーツの土台が組まれている。更に各種色々な味のアイスやプリン、飾り切りされたフルーツ、市販のチョコ菓子が所狭しと並び、見た目はもちろん胃の破壊力まで抜群であろう様相だった。

「うわ~すっげ……みみ子ほんとに食べんの?」

「当然です。こんなの余裕で食べ切れますから」

 圧倒される酒魅に誇らしげに彼女は答えた。

 構内に同じ様に店舗を構えている飲食店は、どこも学生が満足できる様にと凄まじいボリュームである事がほとんどである。その上でこうしたチャレンジメニューも並行して開催されているし、店側も食べきって欲しいので何人でも参加が許されている場合が多い。そのため大半の学生が連絡網を駆使して更に人を集めて討伐を試みるのだが、みみ子はそれらを一人で食べ切るレジェンドとして、悪名と共に有名なのだ。

「んで、今日は何の用です。利益が得られそうでなければ帰りますから」

「そうそう、それが来てもらった本命の目的なの」

 酒魅も装飾部分の食べやすいお菓子やフルーツをつまみながら、本題に入る。既に腹を満たした男性陣に出る幕はなく、新たに出してもらった紅茶を飲みながら食休みを進める他なかった。

「コマースについて聞きたいんだよね」

「おや、そんな大手を。それなら大体寿さんも知ってるのでは?」

「いやぁ代表が小心者でビビって、ウチに関わりたがらないからさ、仲良くないんだよね。だから内部の詳しい役割とそれに当たってる人間を知りたいの」

 理事長の話というよりも、寄せられた告発文によるとアダルトビデオの制作には、この学校の生徒が関わっており、オークションの仕入れ担当はそこから直に商品を受け取っている可能性が高いと踏んでいるのだ。そのため仕入れ担当さえ分かれば、恐らく芋づる式にその提供者や制作に関わった人間がつかめると考えたのだ。そしてみみ子は大手サークルであれば、内部の事情を不思議と把握しているのでそれを頼った次第である。

「えぇおおよその役割とその担当は把握してます。うちでもちょうど疑惑の人と関りがあって追いかけてるとこなので」

 そう答えると、みみ子はにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「じゃあ取引。そっちはコマース組織全体の役割とそれを担当する人間について。こっちは何を提供すれば良い?」

「そうですねぇ……権門と名高い、花欧大学の理事長の息子が最近消えたとか。どうやら権威あるお家の娘たちに片っ端から手出した事が原因らしいんですが、なぜか綺麗に手を出された側の情報が消えてるんですよねぇ。うちじゃもう手立てがないんですが、そちらなら知ってるか、もしくは知る手立てがあると思うんですよね。依頼という形でも構いませんが」

 どうです? とみみ子は僅かにほくそ笑みながら唇を舐めた。

 一方の酒魅は真っ直ぐ彼女を見据え、挙動一つ取らない。人間の心理的行動を学び、また洞察も優れている彼女の前で何か素振りを見せるのは、商売の場では多大なマイナスを被るからだ。

「割に合わない。うちの本命の仕入れ担当と最近頻繁に会ってる人間についても全員明かしてもらうぐらいじゃないと。うちが仕入れ担当を知りたがってるのも、その理由の見当も大体着いてるんでしょ。そっちが掴めてないとも思えないけど」

 強気に声をワントーン下げた声色で返す。みみ子の知らぬ存ぜぬのあえての態度への苛立ちも少しばかり混ざっていた。

「ま、良いでしょう。今後共付き合いはありますし。それで」

「じゃあ交渉成立で」

 握手を交わすと、緊張の糸が幾分か緩んだ。

「こっちはこの場で言うのはリスクが高いから、追ってメールする」

「さっすが寿さん! 期待通り掴んでると思いましたよっ。じゃあこちらからですが、コマースはオークションを仕切るオークショニア、そしてそれを補佐するアンダービッダー、生徒から物品を受け取る受付、商品の鑑定、また自分から商品を買い付けに行く仕入れ、あとは商品の管理と、おおまかな役職はこんな感じです」

 指を折り曲げ、役割をカウントしながら説明する。代表の保谷(ほや)敬弥(けいや)はサークル自体の代表も務めつつ、オークショニア部署の主任を担っているそうだ。そして彼を含めた『コマース』創立メンバーの幹部たちも同様に各部署の主任役を担っており、大まかな指示を出す以外は各自の采配に任せる体制らしい。

「で、寿さんたちが一番知りたいのは仕入れ担当だと思うんですが、仕入れ部署は菜多岐(なたぎ)八馬子(やまこ)を主任として、更にジャンルごとに細分化されてるんです。んで、数多あるジャンルごとにまた代表が設けられてて、ジャンル班ごとに話し合って仕入れるみたいで、アダルト部門だけでも助兵衛同士にこだわりがあるらしく、対立が絶えないみたいですけど」

 呆れた様に溜息を着き、みみ子はちゃっかりこちらの状況を把握している事実を露呈した。誰もアダルトな事柄について聞きたいとは一言も言っていないにも関わらず、それを扱う特定の部門を言い当てたのはやはり、こちらの状況は克明に知っているからの様である。

「なんだよそれ。じゃあAVのジャンルごとにあるっていうのか?」

「まさか。そこまではないでしょう、大まかに分けても映像と玩具、ゲーム、もしくは女子の私物止まりじゃないんですか」

 パフェを頬張りながらオレンに答え「さすがに各ジャンルごとにあったら、毎回どれを出品するかで大揉めでしょうよ。考えたら分かりません?」とも呆れた。

「え、私物って何……まさか――」

「えぇそのまさかです。まぁコマース自体、金になるものは何でも売る非合法主義ですから、構内で人気の高い女子の私物とかも勝手に盗って別枠でオークションを設けて売ってるみたいですよ」

 知鶴のナイスな反応に彼女は思わず頬が緩んでしまったが、創立当時よりも扱う物に見境がなくなっている事実に酒魅も、そこから推察できる他の商品を妄想してニヤニヤしてしまった。

 あぁでも、とみみ子は「親切で教えてあげますが、その別枠オークションっていうのは、一見さんお断りの完全招待制なので、中に入って証拠を抑えるにもツテが要りますよ」とも加える。

「で、私たちの調査対象としては映像の部門?」

「ま、一応そうなんでしょうね――あぁっ! 何するんですっ」

 煮え切らない返答についイラッと来たので、酒魅は彼女のパフェから最後に食べようと残しておいた、恐らく最もこの中で値が張るであろう白苺を奪い取った。

「一応? どういう事?」

「ジャンルの確定が難しいというか……どっち付かずな感じなんですよね、学校側が問題視してるものって」

 苺を人質ならぬ物質に取りながら、回答を迫ると困った様にもごもごと口ごもる。誠意があるから逆にハッキリと答えられないのか、もしくは情報を隠匿して自分だけ利益を得る算段か。そうなれば今後の付き合いを考えなくてはならない。

「この交渉に誓って言える? 両サークルの今後のより良い利益を生み出す関係を維持する事に誓って言える事?」

 じっと目を見つめて問い詰めると、

「もちろんです。ただコマースの分類上どうなってるか分からないので、あんまり断定した事を言うのも問題だなと思って言ってるだけですから! 誠意にあふれてますから! そもそも今まで交渉の場で嘘なんか言った事ないじゃないですか! どうせ調べればあとで分かる事ですし!」

 などと非常にうさんくさい答弁をしたが、アダルト部門の各班に所属している人間の情報も吐いたので、白苺を解放した。

「で、あとはアダルト部門が頻繁に会ってるであろう、例の物の制作に携わってる人間だけど」

「あぁそこなら縷々美さんの耳が分かると思うので、理事長から預かった品を早めに開封する事をオススメします」

「俺……?」

 彼女からの思わぬ指名に本人は困惑していたが、彼が活躍できるというのはお得意の女関係に違いない事を、本人を省いた全員が分かった。

「つうか、ずいぶんぼやかして言うじゃん。こっちはちゃんと情報払おうって言うのに」

「おや、安く見られた何て思わないでくださいね。こちらは奴が関わったであろう人間を、全八人中四人まで暴いてるんです。被りも兼ねて、出す情報はこのくらいが適正だと思いますが」

 酒魅の睨みにも怯まず、彼女はやや高飛車な態度で答えた。そして、ちょうどパフェも食べ終わったので紅茶を一口飲み、ふぅと一息つく。何とも鼻に付く態度であるが酒魅の心持は非常に穏やかだった。

「己惚れるな。必ず後悔するから。じゃ帰ろっか」

 それだけ言い放ち、好奇心一行は店を出た。みみ子は最後まで彼女の発言がブラフであると捉えていた様で、余裕綽々といった態度もそこから来る笑みも崩れなかった。

「馬鹿な奴~全八人なんかじゃないっての。ほんとはアイドルグループ一つ分くらいいて、みみ子たちが掴みかけてる八人は関与したけど、比較的どうでも良い地位の子供だから表向き用にあつらえてるだけ。ほんとはもっと奥も闇も深いのにね~~~」

 もっとちゃんと情報よこせばある程度は教えてやったのに、とも付言し酒魅はせせら笑う。

「ほーんとアイツ舐めてるよ。リサーチ力があるつっても、結局あの程度しか掴めなくて調子乗ってるんだもんな」

色々と因縁のある楚馬も同調して不満を述べる。

「まぁまぁ先輩は色々ありましたからね」

「そうだよ、あれだって随分深入りしないと掴めないし。うちで調べた時も苦労したじゃん。で、寿ちゃん。どのぐらい情報出してあげるの?」

 そもそも当初は表向きの八人の情報だけ教え、残りについては情報を隠匿すれば比較的失うものは少なく利益を得られたのだが、あそこまで小馬鹿にして情報をぼやかして来るのだから、自分たちがいかに調査能力が劣っていてこちらの足元にさえも及ばないのか分からせてやらねばならない。このままではサークル好奇心の威信と名誉に関わるし、何よりも後悔させて次回以降の交渉を圧倒的に有利に運ぶか、もしくは泣いて謝りながら交渉を懇願してくるぐらいでなければ煮立った怒りは収まらない。

「表向き以外で重鎮の娘一人出してやる。そんで、いかに自分たちが浅い情報で知ったかぶってるか教えてくれよう」

 後々不利な状況に陥り、悔しがるであろうみみ子を想像して頬を緩ませた。

「あ。ていうかさ、理事長も言ってたけどアレの制作にうちの生徒が関わってるんなら映像内に出て来た奴を顔照合ですぐ割り出せそうじゃない? みみ子は俺が見れば分かるって言ってたけど、わざわざそんな事しなくても分かるじゃん」

 唐突に気が付いた様で彼女への怒りを織り交ぜた声色でそう言った。

「あぁ~確かに。うちの生徒のSNSアカウントも大半は把握してますから、音声照合でも分かりそうですね」

 オレンも彼の方法に賛同した。

 バックドアを設置したデバイスからは自動的にSNSのデータはもちろん、本人であると分かる写真や動画などを抜き取ってリスト化してあるので、必要時にはすぐに照合ができる。

 実際に恋人が浮気をした事は確実であるが、相手が誰だか分からない、もしくは口を割らない。けれど確固たる証拠として本人自らが残している動画があるという場合は秒で相手を特定する事ができる。当然、肉声の残る映像なり音声がある事もしくは学校関係者である事など条件付きであるが、何にせよ口外禁止事項である。

 そうは言ったものの、バッチリ例の物を見ようと楚馬はスケベ心を躍らせていた。みみ子の指示に従う様で幾分か癪ではあったが、見るための名目にもなるので、そこまで悪くはなかった。

「あ。とよちゃんだ! おかえり~お疲れ!」

 ぐだぐだと話しながら帰って来ると、住処に着いたところで見慣れた人影を見つけ、酒魅は声をかけながら駆け寄った。

「ただいま~酒魅ちゃん。皆でご飯行ってたの?」

彼女の呼びかけに、白衣姿の女子はにこにこと笑みを浮かべながら答える。

「そう。とよちゃんも今帰り?」

「うん。サークル覗いたけど、誰もいなかったから部屋帰ろっかなって思ってたとこ」

 そして追いついた男たちも、彼女同様にお疲れ様です、と労いの言葉をかける。うんうんとそれに満足げに彼女は頷き「ご苦労ご苦労」と太陽の様な明るい笑みで返した。

「十代(とよ)芽(め)先輩、今回は早かったですね。いつもはもっと籠ってるのに」

「いやぁなんか気付いたら、あっという間に時間経ってるんだもん。なんか怖くなっちゃって帰って来たの。時間の感覚がガバガバになるんだよね」

 冗談めかして言う知鶴に、浦島太郎現象だよと茶目っ気いっぱいに答えた。

 彼女こそサークル好奇心の誇る、科学捜査の担い手でありながら唯一の大学院生、そして年長者である。研究に没頭するあまり、いつもは一度研究室に入ると一週間以上は帰って来ないのが恒例なのだ。大学院の教員は彼女が一度熱中すると止めようがない事を知っているし、何よりも自宅が学校敷地内にあり、むしろ短い距離の往復に時間をかけるならば寝泊まりしてずっと没頭した方が良い、という事で寝泊まりを許されている事が長期滞在の要因である。

「でも皆帰って来たし、一旦お風呂入りに戻るでしょ?」

夕食から帰って来た後は一度解散し、各自部屋に戻って風呂に入ったりと自分の時間を得てからもう一度、サークル部屋に集まったり、集まらなかったりして団欒するのがサークル好奇心のルーティーンである。

「そうだね。今日は蔵ちゃんのコーヒーと、楚馬ちゃんが貰って来たケーキあるし一回戻ってもっかい来ようかな」

「えっそうなの! 私ももっかいサークル行く! あっちづ君たちはどうする――の……」

 十代芽が再び声をかけようと振り返ると、楚馬が二人を止める形で何やら男だけで集まっていた。彼が何をしようとしているのかは想像に容易いが、オレンには「すみません。今日、友達とゲーム通話の予定あるんで」と、知鶴には「興味ないし、俺疲れたからパス。コーヒーだけ飲みに行きたい」と見事に振られていた。

「何誘ってるんだろうね? 寿ちゃん知ってる?」

「奴ぁエロ本を仲間内で一緒に読む様な、健全な男子高校生みたいなスケベだから」

 不思議そうな顔をする彼女に酒魅は呆れた様子で説明した。

よく楚馬とオレンが一緒にグラビア雑誌を見ていたりするので、今日もきっと理事長から渡された例の物を見る気満々だったのだろう。しかし、振られてしまっては、不貞腐れつつ帰る他なかった。

 結局、風呂を済ませた面々が再びサークル部屋へと集結した。

「ケーキを食べます!」

「はいはい、じゃあ俺も用意するよ」

 戻ってきて早々、酒魅は元気よく宣言し、それに合わせて知鶴もキッチンへと入る。彼は可愛らしいものを慈しむ様な、柔らかい笑みを浮かべる。

「ウワッなんだコレ……何でこっちに酒瓶がこんなに集まってるの?」

 キッチンカウンターの内側には普段、カウンターの上やデスク、食卓など各所に置いてある全てのお酒が集められていた。しかも床に直置きされた酒瓶たちは今にもカウンターの影から顔を出さんと、いやもう酒瓶の上に酒瓶が重ねられている始末の凄まじい量であり、いかに自分たちが普段から飲んでいるかを認識させる光景でもあったが、知鶴は少しばかり引いてしまった。

「あ~それさ、ほら昼間、理事長ご一行が来たって言ったじゃん。皆どこのサークルも事務所じゃ出しっぱだけど、さすがに教員の目に付くのはまずいかなって楚馬ちゃんとオレちゃんと隠したの。すごい大変だったよね」

 共に隠蔽工作をした楚馬は彼女に同調するように、ね~と短く返した。

「まぁうちは皆酒豪だからね。私も片付けるの手伝うよ」

「ほら楚馬も来いって。全員でやった方が早いから」

 彼の呼びかけと共に不満の声を漏らす楚馬であったが、年長者の十代芽がやっているので、ただ見ているだけにはいかず、不貞腐れつつ酒瓶の片付けに参加した。そして十五分程でカウンターやテーブルといった各所に、何となくの分類で酒瓶が戻ったが、改めて見てみると冷蔵庫は缶の酒で溢れているし、自分で分量の調節やアレンジをしたりするタイプの酒が多く、しかも毎年つけている梅酒の大瓶がカウンター収納を圧迫していたりと、とかく酒が充実している事を再認識させられる光景だった。

「あっ紅茶リキュールじゃん! しかもブラガンザが監修したやつ!」

酒の密林から発掘した紅茶リキュールに思わず喜びの声を上げた。

紅茶専門のサークル『キャサリン・オブ・ブラガンザ』が作ったリキュールである。コーヒー専門のサークルであるエルキーオと同様に大学内外問わず、人気と知名度を誇る事でも有名である。

 そのサークルがアルコール産業をメインとしている大手株式会社と協力して作ったのが、今彼女の目を輝かせているリキュール『キャサリン・オブ・ロイヤル』だ。そもそも遠方からわざわざ買い付けに来る人間がいる程、紅茶自体の評判が大変良かったため、お声がかかったという訳である。予想通り紅茶リキュールは話題となり、入荷すると同時に売り切れる人気を博す大成功となった。

 無論、この成功をエルキーオは見逃さず、アルコール化のみならず試験的にペットボトルタイプの飲料物として販売、見事成功を収めたことからキャサリン・オブ・ブラガンザ側も新たな展開を目論んでいたりと、互いに切磋琢磨する良い関係にある事も知られている。

「もう残り少ないし、飲んじゃう? 確か牛乳あったし」

「良いね。寿ちゃんは迎え酒になるけどね」

 彼女に同調し、楚馬も腹に抱えた奸計が窺える笑いを漏らす。何であればエルキーオのコーヒーリキュールもまだ大いに残っているし、伝達ミスで個々が間違えて買ってきてしまった牛乳を美味しく消費できるので一石二鳥なのだが――。

「ダメ! 寿ちゃん、自分が今朝どうやって帰って来たか覚えてる? どうやってメイク落として、部屋着に着替えて、何で着て行った外行の服が既に洗って干してあるのか分かる?」

 リキュールの瓶を取り上げ、知鶴は眉間に深い溝を作って彼女へ詰め寄る。

「え、自分では帰って来たじゃん……で、ええと……」

彼に言われて初めて今朝、自分がどの様にして吐きに至ったのか、まるで覚えていない事に気が付いた。昨夜の事と自分の足でここまで帰って来たのは覚えているのだが、それ以降の記憶がまるでなかったのだ。

「俺も寿ちゃんが帰って来た時にちょうど居たけど、いやぁ見事な泥酔っぷりだったよ。手伝わされたし」

「何を⁉」

 彼女の動揺を他所に楚馬は目尻を長く伸ばすばかりで何も答えなかった。知鶴には「後で俺話あるから」と再度深い溝を作られてしまっては、今日は諦める他なかった。飲めない残念さに萎びながら、本来の目的を取りに冷蔵庫へと向かう。

「わ~! ほんとにホールケーキじゃん‼ 楚馬ちゃんやるぅー!」

 ケーキの箱を開けるとほぼ同時に、酒魅は歓喜の声を上げた。ケーキがある事自体も嬉しかったが、何よりも彼女を喜ばせたのはケーキ一面に咲き乱れる美しい花々だった。八号という大人数用サイズのケーキを、まるで花束の様に見立て、繊細な飾り切りが施された種々様々なフルーツが彩っていたのだ。花の形もフルーツの種類ごとに違い、とても手間がかかっている事が分かる。それと同時に、ここまでの労力をかけたパティシエ科の女子の想いの丈がどれほどのものなのか窺い知れる事ができた。

「うわ~すごいね。プロのクオリティじゃん。どうやって切ろっか」

 知鶴もケーキを目にして感嘆の声を上げる。それに釣られる様に十代芽もキッチンへ見に来て「すっご~い……! 食べるのもったいないね~」と写真を撮り始めた。

「おぉすご……なんか申し訳ないな」

 彼らの楽し気な様子に釣られて、不貞腐れていた楚馬もついにキッチンへと見に来る。そして想像していたよりも、ずっと美しく見事なケーキに驚きを覚えつつ、僅かばかりの罪悪感も同時に催した。

「楚馬ちゃ~ん、気持ちにどう応えようとも、これはお礼した方が良いんじゃない? こんな立派なケーキ貰って何もしないのは、さすがにダメだと思うよぉ」

 彼の人間性に説教を説くように、酒魅は言い聞かせる様にして言う。

 無論、ケーキを贈ってくれた彼女に楚馬がなんと返事するのか、おおよその見当は着いていた。しかし、それにしても乙女の気持ちを体現したかの様な、精緻を極めたプロ級の技巧が大いに発揮されたケーキ自体を無下にする心地がしてしまったのだ。

「そうだぞ~、寿ちゃんの言う通り、さすがにお礼無しじゃ済ませない良い品だぞ」

カセットコンロで包丁を温めながら、知鶴も彼女に追随して説く。

ふんわりと熱せられた包丁のなんとも言えない香ばしい香りが漂い、これからケーキを切るのだという実感が不思議と湧き、酒魅は心を躍らせながら待機していた。

「お礼ねぇ……何が良いの? バレンタインの時は全員に大体同じもん返して終わりだけどさ」

 年間を通して性別問わず、様々な人間から贈り物をされる楚馬であるが、特に顕著なのがクリスマスとバレンタインシーズンである。高級ブランドの品から気持ちのこもった手作りのものまで幅広く、色々なものを贈られるのだが、色魔である彼に送り主や連絡している人間の個体区別はあまりついていない。そもそも目的が違うからであるが、故にちゃんと認識している人間でも、それ以外の人間とあまり変わらず適当なものをあてがってお終いにしており、こういう場合に何が適切なのかが分からないのである。

「相手がさ、何が好きそうとか分かんないの?」

「全然分かんないです。初対面でしたし、連絡先交換しようとしたんですけど、渡すだけ渡して帰っちゃって……」

 そもそも想いを伝えるための行為であったのかさえも、定かではなかったと言い足して十代芽へ答える。いつもならば好きという旨を、相手が顔を赤らめて言うのだが、今回は渡すとそのまま走り去ってしまったそうだ。

「テンパっちゃたんでしょ。今頃、ちゃんと言えたかどうか向こうも不安になってるよ。探してお礼渡しに行くんだね」

お皿を用意しながら酒魅は気楽な態度で返した。

「楚馬、コーヒー注いで」

 そう言って知鶴はカウンターに五人分のカップとポットを置く。

それを渋々受け取り、楚馬はゆっくりと注ぎ始める。好奇心の中で一番の年長者であり、色々な調査を引き受けてくれている十代芽を働かせる訳にはいかないのでやるしかなかった。

「え、ていうかオレ君の分いる? 来てないけど」

「どうせまだ起きてるし、呼べば来るよ。ケーキ絶対食べたいじゃん」

 彼へニヤリと笑って、資料保管用の小部屋へ行き、

「オレちゃーん! ケーキとコーヒーあるんだけどいる~⁉」

 壁を軽く叩きながら大きめの声で呼びかける。ねぇっ、と数回の呼びかけの末に「食べる! 俺の分切り分けといて!」と大きめの声で返事がされた。

 実はサークル部屋の隣はオレンの部屋であり、なおかつ資料保管の小部屋は、彼女がした様に軽く声を荒げれば聞こえる壁の薄さなのだ。というのも、サークル部屋は元々三部屋分の住居があったため、その壁やらを取り払うリフォームの際に小部屋の部分だけは別にただの保管庫なので、特にこだわらなかった。故にこうして携帯で連絡して既読を確認する手間を省けるのだ。他の部屋も使い勝手の悪さから一度手を入れているので、しっかりと元よりもずっと防音性の高い作りになっているので、唯一の壁が薄いポイントとなっている。

「よぉし任務完了」

「もっと可愛い呼び方しなって~」

 んもう、と困った様に知鶴が戻って来た彼女を注意するが「早いから良いんだも~ん」と聞く耳を持たなかった。呆れつつ、彼は六等分に切ったケーキを皿へ盛り付ける。内一つはラップをかけ、付箋に「ききへ」と書いて再び冷蔵庫へと戻した。

そして酒魅は友人との通話ですぐに戻らなくてはいけないオレンのために、事前にお盆へコーヒーと一緒に用意しておいたので、スムーズに受け渡しができた。

「あ~うま。ほんと毎日飲めるねコレ」

 骨身に染みる味わい深いコーヒーに、彼女同様に誰もが感動の声をこぼした。市販のコーヒーとは格段に違う重厚な味わい、そして鼻から抜ける香りの良さに心が和む。

「美味しい! 楚馬君ナイスだよ~」

 ケーキの方もまるでプロのパティシエが作ったかの様な、本格的な味わいに笑みをこぼしながら褒める。本人は貰っただけであるが、喜んでもらえて良かったです、と意図していたかの様に返した。

 しばし美味しいものを満喫しながら、今日あった出来事など他愛ない話を交えて情報共有をする。十代芽と知鶴は今日の出来事を知らないので、酒魅が中心となって男二人がいかほどスケベだったかなど、色々と言いつけた。

「あ、そうだ。話は変わるけど、オレ君がね、今日は構内で都市伝説見たってよ」

「えっマジで⁉ どの辺⁉」

 予期せぬ話題に酒魅は大いに食い付く。

 詳しく話を聞くと、ケーキを受け取りに行く時に突然オレンから電話がかかって来たという。今の彼女の様に思わぬ遭遇に興奮している事が言わずも伝わって来る語調で、見ちゃったという旨の報告をしてきたそうだ。

「今日は食堂の辺りだってさ。で、これがオレ君が激写した都市伝説ね。めちゃくちゃ良く撮れたって嬉しそうに言ってたよ」

楚馬からグループチャットへ一枚の写真が共有される。

 見てみると、黒髪の小柄な少女――確かに都市伝説が映っていた。しかも興奮の最中に撮ったとは思えない程、克明にその姿が捉えらえており、持っている物までも鮮明に窺える。

「あ~都市伝説ってあれでしょ。何調べてもデータが出て来なくて、分かる事と言えば名前とウチに在籍してる事と、あとは見た目の情報と……」

「チョコ、くれるんだっけ?」

 知鶴と十代芽はおぼろげな記憶を頼りに、彼らの言う都市伝説の詳細を思い出していく。

「大筋はそう。学年も学部・学科も分からなければ、携帯には侵入できるけど中身は何もない。分かってるのはウチの生徒っぽいっていう事と、神奈川神奈子っていう偽名臭さしかない名前。あとは、個包装のお菓子をあげると、この世のどこにもない会社のチョコ菓子と交換してくれるんだよっ」

 好奇心を掻き立てられる事象に酒魅は目を輝かせ、興奮気味に補足した。

 一体、いつから誰がどの様な形で彼女の存在に気が付いたかは不明であるが、サークル好奇心を筆頭としてサークル「エゴ」やその他メディアサークル、オカルト研究会などがサークル設立以来、追い続けている存在である。事の初めは、構内に落ちているチョコ菓子らしき包装紙からだった様な気もするし、生徒の間で誰も詳しく知らない人間であると囁かれていた事だったか。とかく発端は不明であるが、神奈川神奈子はこの世界のどこにも存在しないお菓子会社のチョコを交換してくれると、久野山能大では有名な存在である。

「この世のどこにもないって? 楚馬君とかオレ君のリサーチ力があるんだし、分からない事ないんじゃないの?」

「ウチの力を以てしても、チョコの包装紙に名前が印刷されてる会社はおろか、イラストもあるけど一体どこの誰が描いたものなのかも分からないんです。だからこの世のどこにもない会社って言われてるんです」

 楚馬の説明に十代芽は感嘆の声をこぼす。

 そして調査能力が高く、一度目を付けられたら諦めた方が良いと言われている好奇心やエゴなどの有名サークルが軒並み、彼女やその会社についても暴けない事から、久野山能大の中では神奈川神奈子の情報や包装紙は高値で取引される対象となっている。おそらく、コマースなどでは紙切れ一枚が数十万、また数百万にもなるので構内で人気が高い女子の下着と並び、法を犯してでも欲しい物品だろうと酒魅は考えている。

「ま、何よりも興味深いのは神奈川神奈子の姿は、少なくともウチの生徒じゃなきゃ見えないって事だね。写真で姿は映せるけど、ネットとか他校の生徒とか全く関係ない人に見せても、ただの風景写真としか見えないらしいんだよね。お菓子の包装紙もそうらしくてさ~」

「あぁ~なんかそれを聞いた事ある。ウチの生徒でも、特定のある期間を在籍した人間じゃないとダメらしいよね。俺と二個上ぐらいまでだっけ?」

 彼女の話に、知鶴もそんな話が一時、同世代の間で話題になったのを思い出した。

また包装紙は学校の敷地内を出ると消えてしまうとか、見えなくなってしまうとか、彼女にちょっかいをかけた生徒が一週間ほど失踪した挙句、気が狂った状態で発見されたとか。写真には収められるけど、映像には映らないとか、話す対象の情報を何でも知っているとか、そういった真偽が定かではない噂が囁かれていたりと、こういった怪奇的な面で彼女――神奈川神奈子が都市伝説と言われている所以である。

「あっ、そうだ。さっき話したやつで、とよちゃんに調べて欲しいものがあってさ。明日行く時に持ってってもらいたいの」

 すっかり都市伝説に話題を持って行かれていたが、閑話休題、酒魅は思い出した様に彼女の元へ、調査を頼みたい物品を入れているケースを運んでくる。十二冊分のアルバムはなかなかの重量があり、他にも色々な依頼で持ち込まれた品が入って山になっているので、運ぶだけでもちょっと骨が折れた。

「多いですけど大丈夫ですか? 俺行く前に手伝いますけど」

「ううん。こんなの少ない方だよ、台車使えば大丈夫」

 心配する知鶴へ大した事ないよ、と笑顔で返す。

 何故なら長らく帰らずにサークルへ来た時は、五~六ケース分が溜まっている事もあるので一ケースなど、彼女に取れば大した量ではないのだ。

 無論、物品を損なわないように、一つずつ袋に詰めているので山積みにしても保存状態としては問題ないはずである。

「え。これ持ってちゃうの?」

「うん。楚馬ちゃんが見るよりも先に指紋とかから分かった方が早いかなと思って」

えぇ~と不満そうに楚馬が声を漏らす。

 それは理事長から預かった品であり、今晩オレンと一緒に見ようとしていたアダルトビデオだった。調査へ持って行かれると少なく見積もっても一週間以上は手元に戻らないので、彼としてはちょっと反対なのだ。

「ていうか、みみ子の言う通りにしなくても、コマースの目当ての人間の携帯に入れるかもだから、コレの出品者が分かれば制作に関わってる人間も芋づる式に分かるはずだから、別に見る必要ないんだよね。指紋だって損なっちゃう可能性あるし」

すっかり楚馬に頼るつもりであったが、別段そんな必要はなく、いつも通り必殺の携帯侵入ですぐ解決ができる事に、風呂で思い当ったのだ。

 ビデオの制作に携わったのが久野山能の生徒であれば、必ずコマースのアダルト商品を扱う部門の人間が直接連絡なり、会うなりして関わりを持っている可能性が高い。携帯にはその証拠が残っているに違いなく、よって彼の出番はほとんどないのだ。

 あとは恐らく出品の手助けをしたであろう人間が断定できれば、商品に付着した指紋と同じものであるか、実際に確認をしに行くだけだし、今までの調査で採取した指紋のデータも残っているので、一致する可能性もあるのだ。

「まぁ一応我々の指紋のデータは取ってある訳だけど、調査前にベタベタ触られて本命のデータが取りにくくなっちゃうのも避けたいんだよね。だから調べたらにしてくれた方がありがたいんだ~」

 調査を請け負っている十代芽に言われては、楚馬も引かざるを得なかった。それに以前、彼女の言い付けを破り、指紋を損なって再び採取へ向かわされた事もあるので強くは出られない。

「ま、みみ子からアダルト部門に所属してる人間は全員聞き出せたから良かったけどね。あとはジャンルを絞っていけば特定できる訳だ」

 あとは言わずも分かるね、と彼女は楚馬を見つめる。しかし、何も答えずに彼は無言のままじっ、と見つめ返してきた。無論、これが抗議である事は、彼女もまたバッチリ分かったのだが、どちらも引かないまま見つめ合う。

「まぁほんとはオークションに行って買ってあげたかったんだけど、一見さんお断りだもんねぇ買えなくなっちゃったねぇ」

「え、行く必要あるの?」

 別に楚馬が我慢すれば良いだけでしょ、と驚きとそう言いたげなニュアンスで知鶴が聞く。

「いやぁ別に理事長を疑ってる訳じゃないけどさ、万が一コマースでこんなもんは扱ってなくて、奴らを潰そうと悪意を持った人間が用意して、学校側に嘘の報告をした、っていう事があったら困るでしょ」

「でも設立初期からこういうの扱ってたんでしょ? 今更確認する必要あるの?」

もちろん十代芽が言わずともそれは分かっていた。

 とはいえ、様々なサークルが競合している久野山能大では、割とこういう手を使って相手を貶める事件がままあるので、今回持ち込まれた物と同一種でなければ、本当に彼らが扱っている物かは分からないのだ。理事長が持ってきた事で彼らは自然と信用していたが、酒魅としては信用に足るものはなかった。

 彼女にとって人の善意ほど信じられないものはないからだ。欲深い人間何て、善意と言えど絶対に見返しが欲しくなる生き物であるし、もしくは見返りの算段が付いているから、一銭にもならない事をするし、さもなければ余程のお人好しという事であるが、善意を語る人間で一番可能性が低い。所詮〝善意〟何て個々の損得の天秤でどうとでも傾く、脆くて信用ならないものである。

 つまり、今回、理事長に告発文をよこした善意の協力者何て、コマースを訴えて何か得をしようとしている輩に違いなく、必ずや正体を暴かねばならない対象でもあるのだ。ましてや、理事長が自分たちの元へ依頼をしに行くと計算して、その利のために片棒を担がせようという魂胆であれば、善意なぞ語った事を後悔させてやらなくてはらない。

 しかも、これのあくどい部分は理事長という、彼ら好奇心に対してはほとんど隠し事も嘘偽りを行使する事もできない、クリーンであり続ける事に使命感を抱き、それを周知されている役柄を使う事で、自然とこちらが信じ込む様に目算している事だ。理事長の普段の素行や使命感を抱く背景、そうさせたであろう事を重々承知している好奇心の心理を手玉に取っているという面も、酒魅的には腹立たしいというのが、素直な胸の内である。けれど言わずに腹に抱えておいた。

「っていうウチの心理を突いた計画って可能性もあるでしょ。他所のサークルに手を出す以上は入念にチェックしないと、ウチの立場が悪くなっちゃうし、確認してませんでした、じゃ済まされないでしょ?」

「なるほどねぇ~」

 腹立たしさなどの私情よりかは、サークルの沽券に関わる事をむしろ重要視しているのだ。久野山能大では、ほとんどのサークルが三年前の同時期に創立し、なおかつ商業的なサークルが多い。そのため相互扶助の考えが根付いており、サークル同士の結び付きが非常に強いのだ。この結び付きは『サークル連合協会』という所属するサークルの活動を援助する組織として形になっており、ほとんどのサークルが加入している。平時はもちろん、特にオープンキャンパスや学祭などの祭事では非常に強い効力を発揮するのだ。

 そして、もしもあのサークルは下調べもせず、ましてや証拠も掴まず、理事長の言葉だけで動いて何の罪もないサークルを一つ潰したのだ、何て事が知れ渡れば、たちまち連合加入のサークルからの総スカンは必定。卒業まで大学内ではサークル活動はできないし、肩身が狭いどころの話ではない地獄間違いなしなのだ。伊達に活動歴が長くない好奇心にとっては致命傷にもなる。

「それに、コマースの商品管理PCに入ってみたけど、あるはずのエロ関連商品の取り扱い記録がまるでなかったんだ」

「そう。だからどっちにしても証拠を押さえるには実際に現地に行って確かめなきゃいけないし、たぶんアナログな裏帳簿でもつけてるんだろうね。って事でオークションに入れるツテを探さなきゃね~~」

 アダルトな商品だけでも日々膨大な数の商品を扱っているはずなのに、まるでその記録がないのである。ついでに言うと、合法の物しかPCに記録されていないのだ。アダルトな商品の扱いは既に確認されているし、構内で人気の高い女子の私物まで扱っている事をみみ子が把握しているのだから、その記録がない訳がない。ましてやその時々で変わる人気の女子の情報を口頭でやり取りしているとは、とても思えないのである。故に裏帳簿という何事もデジタルデータが当たり前の時代に逆行する様にアナログな記録媒介を使っている事は容易に検討が付く。

 最終的にはその裏帳簿も確保しなければならないだろうが、最悪、実際に取り扱われている映像でもあれば十分な証拠になるだろう。しかし、法に触れているであろう物にどんな物があるのか気になるので、酒魅はあわよくば強奪したいと考えていた。

「ていうか、とっくに日付変わってるから学生組は寝た方が良いね。寿ちゃん授業あるでしょ」

 洗い物を終えた知鶴に言われて初めて、日付が変わっている事に気が付いた。今日は半日以上を寝ていたので、まだ体感的には時間はあまり経っていなかったので驚きが強い一方、残念感にも襲われるお知らせである。

「えぇ~でもまだ起きてた――」

「はいはい。いいから、ほぼ病み上がりなんだし、早く寝るよ」

 キッチンから出て来た勢いそのまま、知鶴に立ち上がらされ、背中を押されて強制的に部屋へと戻されにかかる。

「おやすみ~楚馬ちゃん夕方には戻っててよ! オークション行くんだから!」

「じゃあ俺も寝るので。おやすみなさい」

 サークル部屋を出る直前何とか口早に伝えるも、彼は目尻を伸ばしヘラヘラと笑いながらの返答だったので本当に伝わったか怪しかったが、言い直しも許さない勢いで彼が押すので仕方なかった。

「も~ちづちゃん、そんなに急がなくても――っ」

「良いから、おいで」

 てっきり、いつもの様に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていると思っていたが、そこから優しさが抜け落ちた様な強引さに違和感を覚える。そのためクレームの一つでも言って制止しようとしたが、彼はサークル部屋を出ると今度は手を掴んで先導した。大きな手は強引な態度とは裏腹に酒魅の手を優しく包み込んでいるので、一応、そこまでは感情的になっていない様に思えたが――彼は自室の扉を開け、彼女を連れ込むと同時に扉の内側へ幽閉した。

 知鶴は囲う様に彼女の体の両脇へ手を突き、逃げ場を封じたのである。一方で囚われた酒魅は扉にぺたりと背中を付け、思わぬ事態に困惑しつつも、その状況がどう転じるのかという好奇心から半ば興奮していた。

「寿ちゃんさ、今朝の事覚えてる?」

 静かに問うた声色に、僅かに説教の雰囲気を察知する。

十中八九、その話であろうとは思っていたが、いつも酔いつぶれて世話をしてもらっても、彼は今の様な行動に出た事はないので余計に胸が高鳴る事態である。

「アー……帰って来たのは覚えてるんだけど、吐くまでの記憶がないんだよね……なんか迷惑かけたのは分かってるんだけど……」

 気まずさも覚えつつ、さすがにこうも至近距離にいては顔を見るのは気恥ずかしいので手元に目線を落としながら答える。こんな時に手元のフレンチネイルが少しばかり剥げている事に気が付く。その状況から何かやったのは間違いなく、恐らく彼の問い詰めと関係あるのではないかと薄っすらと悟る。

「別に俺怒ってる訳じゃないし、寿ちゃんが潰れた時の介抱も慣れたし苦じゃないんだけどさ、俺の気持ちと俺が介抱する事を分かってて、あらかさまに肌に跡残すのはどうかと思うんだ」

「おあ……」

 思わず間の抜けた声がこぼれた。

 そこでようやく酒魅は自身の今朝の状況を悟るに至った。サークル部屋へ帰って来てからは、確実にソファーで寝落ちし、そこを出勤前にやって来た彼に発見されたのだろう。そして、いつも通りに起こしてもらいながら、メイクを落とされ、その内に吐き気を催したに違いない。外行の服が汚れてはまずいだろうと気を利かせた彼に部屋着へ着替えさせてもらい、ついでにイヤリングや小物等々も回収して、あとは吐き続けていたのだろう。

「ほんとは楚馬に手伝ってもらうのも嫌だったけどさ、女の子の服って脱がしにくいじゃない。ちょうどアイツ帰って来たし、手伝ってもらったんだよ」

「大変お手数おかけしまして、申し訳ない……」

 自身をコントロールできない程に飲む時点で失態であるが、知鶴の気持ちを分かった上で他の相手の痕跡を堂々と見せつける結果となったのは大事故である。罪悪感を覚えつつも、どうしようもない性で好奇心が芽生え、この状況下の彼の表情が見たくなってしまった。もちろん、ちゃんと心から反省しているが、怖い物見たさとでも言うのか気になってしまったのだ。

 状況的にも、そろそろ目を合わせて話さないと誠意が伝わらないので、意を決して顔を上げる。

「どうするの」

 こちらの深くまで入り込まんとする、吸い込まれる様な目で真っ直ぐに見つめ、あくまでも彼は静かに問う。ただでさえ夜が更けて森閑としているのに、そこへ深みを増させる様に酷く静かで、いつもよりもずっと低い声で言うので不意にときめいてしまった。

「今後はこういった事故を極力、回避できるよう――」

「そういう事じゃなくてさ」

 二度目でも彼の聞き慣れない声には心が動いてしまった。

というか、彼の各所に注視すればする程、まつ毛の長さや髪の癖具合、香りや肌艶、喉、男性らしい大きな体格や角ばっている鎖骨などの各部位、色々なところへ目移りして不思議と情報収集してしまう。そして改めて自分自身に焦点が向き、色々と不安に駆られる要素を再確認してしまった。

「嫌じゃないんだけど……その……」

 意識すると一気に恥ずかしさが込み上げ、再び視線を逸らしてしまう。

「まだ応えてくれない?」

「まだちょっと、しばらく保留にしてもらえると助かる……」

 視線を戻すと、今度は彼が視線を外したまま、色のない表情で静かに黙り込んでいた。

 そこから少しして、ゆっくりと酒魅の上から影が消える。

「ごめん、怖い思いさせた」

「いや、こっちこそごめんね。別に慣れてるし大丈夫。じゃあ私寝るね。おやすみ」

 彼からも短く返事をもらい、部屋を後にする。足早に自室へ戻ろうとしたせいか夜風はいつもより冷たく感じた。複雑に絡み合った感情でいっぱいになり、その夜風は責め立てる様に、けれど優しく冷ましてくれる様にも感じ、酒魅は胸の騒めきを抱えながら帰った。

 

 ◇


「あれ。楚馬先輩まだ起きてたんですか」

 知鶴と酒魅がサークル部屋を後にしてしばらく。オレンが自身の使った食器を戻しに赴くと、楚馬だけがまだ残っていた。

 しかし、彼の傍らには十代芽が調査する品を入れているボックス、手元にはもちろんディスクの入る旧型のノートパソコン、そして耳には片方だけイヤホンを付けているところを見るに、何をしているのかは一目瞭然だった。また、調査の品に触る事を一番怒る相手もどうやら寝た様であるので、自由に振舞っているという訳だ。

「も~十代芽先輩に怒られますよ。何度か指紋傷つけて怒られたじゃないですか」

「だって、しばらく返って来ないんだも~ん。見とくなら今の内じゃん。ついでに一応顔の照合は掛けてみたんだけど、こっちもうちの生徒に該当する人間はいなかったから、ゆったり見るだけなんだも~ん」

 呆れる後輩に対し、当人は致し方のない事であると言わんばかりに言い訳をするに留まらず「オレ君も一緒に見る?」とイヤホンの片割れを差し出して来る始末である。

「俺は遠慮します。今日はそんなに元気じゃないんで。それよりも、ちょっと見て欲しいものがあるんですけど」

 オレンの本命の用はそれだった。自分が使った食器など洗って明日にでもサークル部屋に戻せば良いので、もう寝ようとしている重い腰をわざわざ上げて来る程の用ではないのだ。その面倒ささえ上回る理由があったからこそ、こうして来た訳であるし、半ば楚馬を頼りに来たのだが――。

「えぇ~~今ぁ? 明日の朝までに五本見なくちゃいけないからさ、ちょっと手離せないんだよね。急ぎ?」

 誰がどう見ても手が離せる状況ではあるものの、急ぎの用でもないし、面倒な事が十分に伝わる語調で言われては「じゃあこれの中身調べておいてもらえますか?」と折れる他なく、彼のデスクへマイクロSDカードを置いた。

「りょうか~い。明日中には見とくよ」

 そんな軽口に一抹の不安を覚えたものの、別段急ぎな訳でも、サークルの仕事にも関わる事でもなさそうなので気には留めなかった。

「あっそうだ。コマースの方なんだけど、明日は俺授業ないから起きたら調べとくからさ、寿ちゃんになんか聞かれたら進んでるって言ってたって伝えてくれない? たぶん授業がない分、その時間で俺が調べて結果出すはずって思ってるから」

 先ほどと打って変わり、両手を合わせて「お願い♡」と楚馬は可愛らしく頼んできたので呆れつつも了承する。一応、酒魅が関心を持っている依頼については早く調べて成果を上げなくてはならないという認識がある様なので、そこだけは何だか安心できたオレンであった。

 

 ◇

 

 翌日、授業を終えた学生組に招集がかかった。

 ちょうど昼時でもあったので、どうせなら構内で昼食を済ませてしまおうと呼びつけて来た楚馬を逆に呼びつけようと思ったのだが、社外秘の事はそう容易く外では話せないため、テイクアウトをしてサークル部屋へと帰って来た。

「で、楚馬ちゃんが招集をかけたって事はなんかコマースについて分かったって事?」

 帰って来て早々、明るく弾んだ声に、期待と好奇心を織り交ぜた目で酒魅はじっと彼を見つめる。その旨を読み取り、

「もちろん。今回、いつもウチで使ってるAIに特別に俺のコレクションファイルへのアクセス権限を与えて、その中の声とコマースで売られてたAVを音声照合にかけた結果、声優学科の子達が引っかかったんだ」

 にたりと楚馬は目尻を伸ばして答えた。

 彼のコレクションとは要するに、一夜を共にした女性の声が録音された音声データである。もちろん、相手の女性にちゃんと許可を取った上で録音している事と、普段は聞けない様な女性の声が好きだという声フェチである事を酒魅は知っている。そこでようやく、今更ながらみみ子の言っていた『楚馬さんの耳なら知っているかもしれませんね』という言葉の意味に合点がいった。最初から彼女はそれを知っていた訳である。

 しかし、よくも彼女は彼のコレクションファイルが存在する事を知っていたものだと感心する一方で、でも女性にだらしない彼であれば、体温を共有した相手からいくらでも証言は取れるに違いないとも腑に落ちた。だって、実際に彼女は楚馬のまさにその現場に押し入って動かぬ証拠を確保した訳であるから、しっかり彼はリサーチの対象にされているのだろう。

「え、でも昨日はうちの生徒に該当する人間はいなかったって言ってたじゃないですか」というオレンに対し、「いやぁ昨日俺が言ったのは顔だよ。今言ってるのは声ね」と間髪入れず訂正する会話を聞きながら、そこで事実にふと思い当る。

 「つまり、じゃあ、あのビデオの女優は作り物ってこと? あのAVは声優学科の子が声を当ててる作品ってことなの?」

 「そう、つまりダッチワイフ。それを動かして声を当てた映像っていうのが、あのAVの正体なわけ。でも現状、声の一致ってとこから、声優学科の子達が関わってるってことしか分からないね。ま、あとは直接、問い詰めにいくしかないねぇ」

 ダッチワイフ。つまりはラブドールである。等身大の女性をリアルに再現した人形であり、主にシリコン樹脂を使用した高級仕様のダッチワイフを「ラブドール」と区別して呼ぶ。

 彼の共に酒魅は時計を見やる。昼休みが始まってまだ二十分程度であり、残り時間は四十分。けれど、昼食を食べなければいけないので、もっと動ける時間は少なくなってしまうのだが――。

「楚馬ちゃん、ヒットした声優学科の人たちの位置情報送って。私先に聞きに行ってくる。よぉしオレちゃん行くぞ!」

 空腹よりも好奇心が勝った。

 幸いにも今日は選択していた授業が午前中で終了の上、オレンとは仕事上息を合わせなくてはいけないので、大体時間割も揃えている。そのため、彼もまた今日は午後からフリーであり、むしろ声優学科の方こそ自由時間がなくなる訳で急がねばならない。

「言うと思った……後でなんか奢れよ」

 オレンについては既に諦念していた。何か聞いて興味をそそられれば、すぐ飛びついて真相を解明しに行ってしまう彼女とは、もう三年の付き合いになるので慣れ切っている。

 「分かった。あぁあとこっちはコマースの方に改めて探り入れてみるよ。二人共気を付けてね~」

 実は昨晩、十代芽に例の物品が調査に持ってかれてしまうので、調査用と銘打ってディスクのデータをコピーをしたり、幾分かそれで気持ちが盛り上げられた状態でお誘いのメッセージが来たため、それに乗っかってコマースの方の調査を怠っていたのだ。朝と言っても既に昼近い時間にようやく帰って来たため、調査と言ってもこの程度しか分かっていなかったので、二人が出ている隙に調査を進めようという魂胆である。

 そんな事を知らない二人は買って来た昼食を楚馬に押し付け、足早に目的地へと向かった。

 もちろん、足はバイクである。構内は広大な土地を開拓した上に作られた、もはや一つの街ほどの大きさがあるので、移動はもっぱら構内各所を繋ぐモノレールや巡回バスが主流の移動手段である。けれど正直、目的地の校舎によっては非常に時間がかかる場合があるので、通う生徒は入学早々に免許を取って自家用車を使うことが多い。今回もその例に漏れず、サークル好奇心から声優学科のある校舎まで距離があったのでバイクを飛ばした訳である。

「寿もっとスピード緩めてくれよ……真面目に怖かったわ」

「え~この前悪戯して逃げる時もっと飛ばせって言ったくせに~~」

 楚馬が開発した追跡アプリを頼りにリアルタイムで位置を確認する。時間のない昼休みに、さすがに校舎を出る強者はいない様で、該当した五人は全員校舎内にいるが、それぞれ別の場所に滞在している。昼休みの残り時間も考えると一人一人を当たっている時間はないので、教務事務室へと赴き、放送にて該当する五人を呼び出してもらった。もしも、ここで逃げる者が現れればオレンにダッシュで確保へ向かってもらおうと考えていたが、皆一様に不安げな表情をして集まってくれた。

 ちなみに、構内では名を轟かせているサークル好奇心が突如現れたという事で、学部長や各学科の教員までもが集まる騒ぎとなったが、一旦、教員がいては話せる事も話せないだろうと、生徒のみで会議室へと入った。

 「皆さん、突然の呼び出しに応じて下さり、ありがとうございます。改めましてサークル好奇心の寿酒魅と申します。昼休みの時間も残り少ないので、単刀直入にお伺いしたいのですが、皆さん、コマースで販売されている例の映像制作に関わっていらっしゃいますよね? これなんですが」

 丁寧に挨拶を交えながら、彼女たちへデバイス画面を見せる。例の五つのタイトルを収めたものであり、物証もあってか彼女たちは更に表情を凍り付かせた。それは克明に関与を物語っていたが、少し間を設けても誰も口を開こうとしない。

 なので、

「では、取引しましょう。皆さんが関わって作られたと思われるこの五つの映像ですが、今現在、理事長が問題視し、サークル好奇心が犯人捜しを行うまでに発展しています」

 最も彼女たちに効くであろう戦略を取る事にした。

「もちろん、皆さんが目指している声優になるには、演技の幅を広げる勉強の一環として、こうした内容の事も下積みとして経験しなくてはならない、致し方ない事であるというのは百も承知です。しかし、ここはあくまでも教育機関。健全を保たなければいけません。学校の公序良俗に反するものは取り締まりの対象になる訳ですが、当然、もしも皆さんが制作に関わっているとすれば、学業をこのまま続けるのは難しくなるかもしれません。最悪、退学処分なんてものが下る事も十分にあり得ます。ですが、ここで正直に自分が関わった事、並びにこの五つのタイトルの制作に関わった人間を白状してくれれば、私は学校側に黙っておくつもりです。素直に教えて下さいませんかね?」

 そんな手慣れた様子で言葉を紡ぎながら、会議室でゆったりと歩を進める。それは勝利を確信した、一歩一歩にゆとりのある歩みだった。そんな様をオレンは脅しも同義であると感じた。

「わ、私、その三つ目のタイトルに声当てました……」

 すると、一人が耐えかねた様に手を挙げた。

「本当ですか。声優学科の何て方でしょうか? 把握しないと伝えないものも分からないもので」

 デジタルノートを取り出し、優しく苦笑いを浮かべる酒魅へ彼女は名乗り、そして収録時の状況を克明に話していく。それを聞き逃すまいとメモを走らせていると、合間に同じく不安に駆られた他の女子が名乗りを上げた。それに釣られる様にその他の女子からも関わったと素直に申告があり、五人全員の証言が取れてしまった。それと同時にビデオの制作関係者も次々と割れていき、

「つまり、皆さん同じ人達と関わったという事なんですね」

 情報システム学部の人間がラブドールの動きをプログムし、工学部がまるで生身の人間の様な滑らかな動きをするボディの中身を、そして声を声優学部の人間が嬌声という形で命を吹き込んだという訳である。

「あぁあと、女の子のボディと衣装は三毛矢って人が担当されてました」

「は? 三毛矢?」

 思わぬ名前に、つい威嚇をする様な強い語調で返してしまった。

 どうやら、あのビデオの制作協力の話が持ち込まれた際に、誰がどの部分を担当しているのか、どういう趣旨の下で作られているのか、というところまで説明を受けた様である。

「み、三毛矢さんが言うにはより生身に近しく、けれど生身より美しく魅力的なラブドールにしたいって言ってて……」

 怯えた様子で話す彼女へすかさずオレンが謝罪を入れつつ、別件の調査依頼のあの三毛矢かどうか確認のために顔写真を見せる。

「この人で間違いないですかね?」

「はい、そうです。大体、収録の現場には皆さん現場にいたので覚えてます。それも一番、演技指導をしてきたのが三毛矢さんで何回もリテイクもらったのでよく覚えてます」

 ね、と彼女が確認を取る様に他の四人へ視線を送ると、写真を確認して皆一様にそう述べた。三毛矢以外も顔写真を見せてしっかりと裏付けを取り、製作関係者として把握ができたので、

「皆さんお時間がない中ありがとうございました。お約束通り、学校側には報告致しませんのでご安心ください。また何かありましたらぜひ、サークル好奇心までよろしくお願いします」

 と爽やかな笑顔で足早に退却する。帰り際に学部長やその他教職員が何かあったのかと出張って来たが「後で理事長先生よりご報告申し上げますので、それまでお待ちを!」とだけ残してバイクを飛ばした。

「よっしゃ近道しよ~」

「ふざけんな、普通に帰れよ! 俺あの辺り嫌だわ!」

 逸る気持ちを抑えきれず、酒魅は彼の制止を振り切って工学部所有の多目的ゾーンへと侵入する。構内を繋ぐ道路と隣接しているゾーンかつ、田舎の商業施の駐車場張りに広大なスペースがあるので、端折るには丁度良いのだ。一面開けて非常に見通しもよく、危険なぞ皆無であるかに思えるが、危機というものは往々にして、視野の外側からやって来るのである。

「寿‼ 上、上になんかいる‼」

 その異変にいち早く気が付いたのはオレンだった。蜂の出す不快な羽音に似た音と、地面に映る複数の影、そして微妙な煙臭さ。それらから気配を察知したが、ハンドルを握る酒魅が振り返った時には既に遅かった。

 そこには着火したロケット花火を携えたドローンがいたのである。しかも十機近い機体が織田信長の三段撃ちさながらの陣形を組んでいた。

「待って嘘でしょ‼ オレちゃん掴まって‼」

 慌ててスピードを上げ、回避行動に移ると共に花火が発射された。

 甲高くも愉快な音を立て、ロケット花火は二人めがけて飛び込んでくる。地面に当たったり、空中で爆ぜた花火はポップコーンを彷彿とさせる音を奏でながら、

「あっち‼ 近くで爆ぜやがった‼」

 同時に人間の生存本能を刺激する熱さを運んだ。

 背後から容赦のない華やかな雨が降り注ぎ、こちらを明確に殺さんとする乱れ撃ちを繰り返す。何よりもその圧倒的な弾数は二人の予想をはるかに上回るものであった。

「つうか自動着火じゃねぇかよ‼ 何でそんなシステム積んでんだ‼」

「マジで⁉ めちゃくちゃ遊びに使えるじゃん‼」 

「そんな事言ってる場合じゃねぇって!」

 彼のその言葉で酒魅は不意に思い当った。

 大学中の各地でありとあらゆる悪戯――もとい、好奇心に基づいた知的実験を繰り返す自分が、こんなも実験向きなオモチャ――知的好奇心をくすぐられる物を知らないはずがない。しかも、かなり自分の好み向きな一品であり、こんな危機的状況下だと言うのに応用手段が次々と思いつていく。

 今すぐアレで遊びたい。そして今、自分が味わっている焦がされる寸前の状況を突如として何も知らない平和に暮らしている相手に作り出し、混沌の渦に落とし、慌てふためく様を愉快愉快と高みから笑いたいッ――。

「そのためにも開発者に突撃してやれっ」

「は⁉ どこ行くつもりだよ‼」

 酒魅はスピードを更に上げ、恐らくドローンを操作なり、今この様を見ているであろう人間の元――つまり工学部の校舎へと飛ばした。

 すると、最初こそ撃つのを止めなかったドローンであったが、彼女たちが校舎に近付くにつれてドローンからの発射が減り、追尾スピードは衰えていった。恐らくドローンのカメラでこちらの状況を把握しているためであり、校舎に引火しては自分たちの根城を燃やす事になると分かったのだろう。

 工学部は基本的にこの多目的ゾーンに面し、内部で作った物を出し入れするガレージがいくつかある。そのシャッターが開いているガレージへと、そのままの勢いで酒魅はバイクを滑り込ませた。

 「皆さんこんにちは! サークル好奇心の寿酒魅です。代表を出して頂きましょうか!」

 颯爽と登場し、ヘルメットを脱いで爽やかに名乗った。

 頭の中はあのドローンを我が物にする事しかない彼女に対し、突然の出来事に工学部生達は酷く困惑していたが、やがて、

 「あれ? なになに。あれもしかして寿ちゃんだったの?」

 学生たちの後ろから一人の男が現れた。

 スウェット上下に、パンパンにポケットが膨らんだ白衣を着ている。髪は長くなったまま手入れをしないので粗雑に一つに結ばれ、非常に清潔感に欠けており、典型的な研究者タイプの様相だった。

 しかも、ただでさえ高身長だというのに、ハンドルの付いたタイプのキックスケーターで登場したため、よりその背丈が目立ったのだが降りてもオレンと同等程度であり、目立ち具合は変わらなかった。

「えっ待ってアレりゅとちゃんのなの⁉」

「そうだけど……というか、何でウチの敷地入って来たの? いつもの端折りに使う奴等だと思って撃っちゃったよ……」

 今端折り侵入者撲滅キャンペーン中である事も同時に説明された。

 「今回はこっちが悪かったですけど、柳杜々(りゅととう)先輩……勘弁して下さい……」

 疲労の色を見せるオレンに、ごめんね、と手を合わせて律儀に柳杜々は謝罪した。

 彼は所属する工学部でもロボット研究サークルでも、ロボットの研究・開発分野において最優秀の成績を誇り、幼い頃から世界各地の名のある大会でも優勝を勝ち取った。彼の作るロボットは日常使いできる汎用性のある物から戦争に応用が効くものと幅広く、斬新なアイデアとそれに付随する新たな技術開発により、世界各地から引く手数多な存在となっている。

「アレ、あのドローンちょうだい‼」

「言うと思った……さすがに寿ちゃんでもダメだよ……あれ将来的にミサイル積むんだもん」

 おっとりとした穏やかな語調でそう説明した。

 柳杜々は酒魅と同級生でありながら、入学した段階から彼女と共犯関係をになり、企画された悪戯――知的実験に惜しみなくその技術を無駄遣いし、悪名の方面でも彼女と共に名を轟かせている。そのため、酒魅は何でも彼の所有するロボットは自由に使えると思っているし、実際、何が何でも使ってしまうようになった。

「じゃあ私が必要な時に貸して。りゅとちゃんばっかり面白そうな事してズルいじゃん」

「うーん……まぁ良いよ。名目は熊とか鹿とかの害獣を追い払うって事でいけるし……実際使ったし……」

 学校の場所柄、実際にそうした害獣の被害は多いので便宜的にはいけるか、と彼はいつもの実験に乗る癖で考えついた。その返答に酒魅は満足し、今回の襲撃事件は水に流す事に決める。

「あ、ていうか、こんな事してる場合じゃなかった。今ちょっと立て込んでるの、また今度ね!」

 つい良い実験向きのアイテムを見つけてしまったので、思わず心奪われていたが、本命の件を思い出して慌てて帰路へと着いた。

「楚馬ちゃん大変! 三毛矢がね――」

「あぁそっちもやっぱり三毛矢に繋がった?」

 三毛矢とコマースという意外な繋がりに好奇心を掻き立てられ、慌てて帰って来た酒魅とは一転、それを知っていたかの様に落ち着いた様子で楚馬が出迎える。

「え、やっぱりってどういう事ですか?」

「いやほら、二人が行ってからコマースの方を調べてたんだよ。そしたらさぁ」

 オレンの疑問に実に愉快と言わんばかりに目尻を伸ばした。

「コマースの仕入れ部署とそれのアダルト部門の人間を教えてもらったでしょ? ソイツらのデバイスに侵入した訳さ。でも私用と仕事用でコマースはデバイスを分けてるみたいで、入っても詳しい事分かんないな~と思ったら、仕事用のデバイスで私用のアカウントを使ってる奴がいたんだよ」

 そう言うと、ねっとりとした笑みを浮かべた。さながら糸にかかって身動きが取れない獲物を見つけた捕食者の勝利を確信したものである。けれど、糸にかかった獲物を嘲る含みも十全に窺えた。

「動画アプリだったり検索エンジンとか、まぁ主にデータ使用量を食うヤツを全部アカウント共有してたからアダルト部門の奴のデバイスに入れたんだよね。で、同じアダルト部門の連中の仕事用デバイスの中身も知りたかったから、コマースのメンバー全員が使ってるビジネス連絡アプリで全ユーザーに向けてウイルス付きのメッセージを送って、今続々と踏まれて大体のデバイスに侵入できたとこ」

 また楽し気に楚馬は笑った。

 久野山能大の生徒の私用デバイスやPCデータはサークル好奇心の手中にある。あとは動画共有サイトや検索エンジンなどの私用アカウントを、仕事用デバイスで使っていれば、そこを経由して難なく仕事用のデバイスへ侵入できるという訳である。更に、久野山能大のほとんどの生徒のデータを手中に収めた方法でビジネス連絡アプリを介してウイルスを送信。何か重大な連絡と勘違いした人間が次々とウイルスをそれと分からず、今も常時受け入れている状態だと言う。

 「で。本命だと思しき映像担当者のデバイスに入れたんだけど、商品を提供してくれる相手とは仕事用の方で連絡してるみたいで、こんな奴がいたんだよ」

 ほら、と彼は自分のデバイスをテーブルへ置く。

 酒魅とオレンは一緒にその画面を覗き込むと、画面には「三毛矢涼歌」の名前がある。彼の顔を見ると言わずもがな、今自分が追っている三毛矢涼歌であると確信した。その途端、胸は酷く高鳴り、じわじわと高揚感が身の内に広がっていった。

 酒魅の方も今調査してきた事の顛末について彼にも説明する。

「つまり、三毛矢が一番、演技指導に熱が入ってた事を鑑みるに、三毛矢主催のAVを作ってて、それをコマースに目を付けられてオークションで販売されるに至ったって事だろうね」

「でも三毛矢がラブドールのボディまで担当してたのは、おかしな話じゃないですか? アイツ官能衣装研究学科って所に所属してたし、実際、依頼主の谷中もその当人が持ってきたアルバムも衣装の話はありましたけど、何でボディまで作れるんですかね?」

「いや、三毛矢がボディ作れるのかもしれない」

 ぽつりと酒魅が呟いた。

「だってさ、三毛矢主催であのビデオが作られて、その女優がラブドールだったって事は、順当に考えて、谷中佳奈美が持ち込んだあのアルバムの五人もそれって可能性がある訳じゃん」

 声優学部の彼女たちの証言でも制作関係者全員が、趣旨説明の場にも収録現場にもいたことから、他にボディを作っている人間がいるという可能性は低いだろう。そもそも小さなプロジェクトである。極力、制作に関わる人間全員がその場に同席し、情報共有を行った方が効率的かつ円滑に回るので、誰か一人が不参加という可能性は低いと踏んだのである。

「でもどうやってそれを確かめるんだよ。本人に聞きに行くのか?」

「手段はあるさ。ね、楚馬ちゃん」

 そんなオレンの疑問を受けて彼へ視線を飛ばすと、意図を汲み取った様にまた目尻を伸ばした。

 そして一時間後。彼らの前に現れたのは先日の地雷系女子であった。メイクから服装まで完璧にその類の女子を再現しており、あまりの変貌っぷりにすぐには当人とは気が付かなかったが、言わずもがな酒魅である。

「楚馬ちゃん準備は?」

「できてるよ。ちゃんと例のパパ活会場に出入りしている奴とコンタクトしといたから、あとはそれで向かうだけ。夕方からだけど、今から向かったらちょうど良いかな」

 実は裏でパパ会場に出入りしている人間とのやり取りを担っていたのは、ほぼ楚馬であり、酒魅は最初にメッセージを送ったきり放置していたのであある。そのため詳細に会う場所までセッティング済みなのだ。

 ちなみに大学の所在地が神奈川県と言えど、かなりの奥地を切り開いた場所にあるため、横浜などの主要都市に出るにも非常に時間がかかる。下手をすれば陸の孤島とも言えるので、パパ活の会場が東京ともなれば、おやつ時手前の今頃から出なければ到底間に合わない。

「よーしサークル好奇心出動! 楚馬ちゃんは私と同行、オレちゃんは途中まで一緒に来て画廊の調査に向かって」

 六人乗りの仕事用バンに乗り込み、目的地へと向かった。


 ◇


 一足先に横浜で降ろされたオレンは、目的の画廊の前に到着した。

 意外にフラフラと歩けばすぐ着くもので、夕方近くという事もあり、野毛は飲み屋も風俗も元気に営業している。昼食も食べ損ねた事だし、酒魅達が向こうに着く頃には、こちらの調査は終わってしまいそうなので、早々に飲み始めてしまおうかと思わず魔が差す。

 ロケット花火の豪雨も浴びて良い事もないので、そのぐらいは許されるのではないだろうか。何てぼんやりと考えながら画廊へと入った。

 中は本当にシンプルな作りで、ただ壁に沿ってガラスのショーケースに絵画が展示されているだけである。

「いらっしゃい……アンタ、随分若いね」

 画廊の奥から顔を出したのは古稀を超えていそうな老年男性であった。エプロンを付け、やや背中の曲がった彼はオレンを見るなり驚きを口にする。デジタルな世界に若者が夢中な現代、こうした芸術文化に興味を持つのも珍しいのかもしれない。

「もし絵が欲しいなら、コレにタイトルを書いて渡してくれ」

 そう言って渡されたのはバインダーに挟まれた絵画の注文票であった。

 絵のタイトル記入欄、個数、額物の有無など特に変わったところはなく、本当にただ絵が買える画廊であった。

 どうしてこんな所に三毛矢が出入りしているのかも分からないし、単に彼個人の趣味で通っているのではないかとさえ思える。

 とかく、まずは絵画を見てみないと分からないので一回りしてみる事にした。客はオレン以外にいないので、ゆったりと見る事ができる上に、捜査潜入用の極小カメラ付きの眼鏡を遮るものもない。

 彼の靴音だけが静かに響く空間。そこに飾られるは風景画の数々だった。

「中国……安徽省の祁門県? なんだコレ……」

 山肌に少し間隔を空けて、何やら茶畑の様なものが描かれた絵にそんなタイトルが付いていた。その場で調べてみると、実在する場所であり、どうやら紅茶の茶葉の産地らしい。

「多々羅大橋……?」

 次に描かれていたのは広島県にある、広島県尾道市の生口島と愛媛県今治市の大三島を繋ぐ道路橋の絵。その隣に描かれていたのは、ベルギーにある何やら絵画の飾られた『聖カルロス・ボロメウス教会』というタイトルの絵。更にその隣には『マーシャル諸島ビキニ環礁』とタイトルの付いた、島の一部がえぐれた様子が描かれた絵画であった。

 他にも見て回っていくと『インド西ベンガル州』という高山の茶畑や『インド北東部』という今度は平地の茶畑の絵画など、風景画という以外に一貫性のない絵画の数々が展示されていた。

 しかも値段はどれも五十万を超え、最高で百二十万の値が付いているものもあり、とても調査の一環として購入するには躊躇したし、経費で落ちるのか怪しいところである。

「買えないだろこんなの……」

 酒魅からは何かあれば買ってきて良いと言われていたが、さすがに断念せざるを得ない。余すところなく潜入用カメラにも絵画を録画でき、調査も無事に終わったので早々に退却し、オレンは飲み屋へと向かった。


 ◇



 一方の酒魅達は目的地の高級住宅街までやって来たものの、やはりコンビニやコインパーキングといった車の停めやすい庶民的なものはなく、立ち往生していた。しかもここは高級住宅街。周辺を見知らぬ、しかも高級車でも何でもない、ましてや業者にはあまり見えないパステルカラーのバンがウロウロしていても怪しまれるため、一旦、酒魅だけがパパ活の会場となっている家の近所で降ろしてもらう事にした。

「うぉ……かっこよ、さすが高級住宅街。外車も普通に走るもんだ」

 降りる直前、たまたま車の近くを真っ赤ないかにも高そうな外車が通る。やはり彼も男の子なので見た目の良い車には惹かれるらしい。

「既に三毛矢のデバイスの位置情報は会場内にあるね。一応、こっちでもモニターしてるから、何かあったら言って」

「おっけー。そいじゃ行きますか」

 酒魅は短く答え、普段使いの眼鏡から、捜査潜入用の極小カメラの付いた眼鏡に掛け変える。助手席に置いてあるPCには彼女の視界並びに、既に楚馬がハックした会場内外の監視カメラの映像が映っていた。またイヤーカフ型の無線も感度はバッチリである。

 ちなみにこれらの潜入道具は先の柳杜々のお手製であり、常時、機能性やファッション性共にアップデートされている。

 『今回、会場に入るために必須のパパとは出入り口前で待ち合わせしてるよ。あぁほらいたいた。前の高そうなスーツ着てるおっさんだね』

 楚馬の無線の声で前を見やると、シックなスーツを着た、太鼓腹の中年男性が落ち着かない様子で待っているのが見えた。せっかくのスーツはその肥えた腹部で膨れ上がり、悲鳴が今にも聞こえそうである。

「分かった。とりあえず楚馬ちゃんは三毛矢を探しといて」

 心の底から嫌悪感が込み上げたが、酒魅は冷静に小さく息を吐き、己のスイッチを切り替えた。

「初めまして~! 〝黒宮パパさん〟ですか? 私、アプリでやり取りさせて頂いてたユリナですっ」

 可愛らしく、かつ弾んだ少し高い声のトーンで話しかける。

クラスに一人はいるぶりっ子女子さながらの名演技だった。相手は短く感嘆の声を漏らし、彼女の全身を舐め回す様に見た後、

「あぁ……! そうだよ、私が黒宮だ。こんなに可愛い子が出て来る何て思わなかったよ」

 と感動した様子で彼女の腰へと手を回し「さぁ中へ入ろう」と誘導した。

 中へ進むと外見通りに内部も豪奢な作りになっており、いくつか設置されているパーティーテーブルには贅沢な食材が使われたオーディブルが居並び、シャンパンからワインと酒も充実している。

 同じ様な服装のパパと娘(仮)のペアが多く参加しており、互いの連れてきている若い娘をひけらかす様に、かつ値踏みする様にじっくりと眺める展示会が行われていた。

「君は確か未成年だったよね? 今回はジュースにしようか」

「わ~ありがとうございますっいただきます」

 黒宮からシャンパングラスに入ったジュースを受け取る。けれど、口にしてみると、味わいといい鼻に抜ける香りといい、紛う事無きアルコールであった。何であればドンペリのヴィンテージ・ロゼであり、昼食を抜いた空きっ腹に辛口は響く。

そして、彼は手癖が非常に悪いらしく、腰に回されていた手はすっかり尻の方へと下がっていた。酒の件といい、確実に酔わせてよからぬ事をしようとしている典型的なセクハラオヤジである。

「も~えっちなんですからぁ。私こういうイベントの参加初めてで緊張してるんですよ?」

「ははは。それは緊張しているところに悪かったね。でも君も――」

「おぉ、これはサー・キーマン! 本日は一段と麗しいお嬢さんをお連れでいらっしゃいますな!」

 はたかれた手をさすりながら、笑って黒宮が誤魔化していると、彼と同年代と思しき男が話しかけてきた。傍らにはもちろん、地雷系女子を連れており、

「おぉ、サー・レモン! お久し振りですな。あなたも可愛らしいお嬢さんをお連れですな」

 男たちは世辞で笑い合う中、女性陣は互いにいたたまれぬ空気に包まれていた。酒魅の方は軽く挨拶でも、と考えていたが、対する女子は向こうの腕を組んだまま目線すら合わせようとしない。仕方ないので、あちらのパパに可愛らしくご挨拶だけしておいた。

「ていうか、お名前黒宮パパじゃないんですか? どうして〝キーマン〟何て呼ばれ方されてたんです?」

 歓談が終わった折に気になったので聞いてみた。

 〝サー〟と互いに敬称を付けて呼んでいたまでは分かったものの、その後に付随する言葉の意味が分からなかったのである。

「あぁあれはね、ちょっと便宜上でね……まぁニックネームの様なものだと思ってくれて構わないよ」

「なるほど……ここに参加されてる皆さん、そんなニックネームがあるって事ですか?」

「そうだよ。名前の最初にサーと付けて呼ぶんだ。後に付ける言葉はこの集まりへの参加を主催に認められた時に言い渡されるんだ。私のはキーマンという紅茶の一種の名前なんだ」

 ただのスケベオヤジに騎士や紳士の意味合いを持つ〝サー〟何て大層な敬称を付ける何てお笑い種であったが、当人たちは至って紳士的で真面目な交流会をしているのだろう。

「あっちの二人は私と同時期に来たからサー・アッサムとダージリン、あちらの何人もお嬢さんを連れてるのがサー・ルーベンス、向こうにいるのはサー・サラトガと言ってね、よく私とゴルフに行くんだ」

 適当に相槌をしながら、周囲を確認する。主催が各々に付けている名前の意図は分からないが、まぁ便宜的な名前の方が交流もしやすく、互いに名前を憶えやすいのかもしれないと酒魅は思った。

『寿ちゃん、一通り探してはみたんだけど、三毛矢のデバイスの位置情報は会場内にあるのに当人の姿が見つからない。何だったら監視カメラにわざわざ布がかけられてる怪しい部屋があるから、たぶんそこだと思う。後は任せるよ。俺は参加してる人間に面白いのがいないか見てるよ』

 無線からは早々に自分が対処できないと判明したので、後は遊んでいたいという旨が重々伝わる早口で遊びの宣言がされた。しかし、それは酒魅自身も気が付いており、先ほどからいくら会場内を見回しても彼の姿は確認できないのである。

「あぁちょうど、主催が挨拶をするよ」

「私、ちょっとお手洗いに行きますねっ」

 一言、耳元で告げて会場を出る。照明はステージを照らす様に他が薄暗く調整されているので、抜けるには丁度良いタイミングだった。

「楚馬ちゃん、見取り図分かるでしょ。あと普通に作動してるカメラと部屋を照らし合わせて、例の監視カメラが意図的に隠されてる部屋の位置を割り出して」

 事前情報で、全ての部屋に監視カメラが設置されている事は分かっているので、見取り図と照らし合わせればすぐに割り出せると踏んだ。酒魅もある程度は頭に入っているので彼の指示さえあれば動ける状態になっている。

『最上階のプライベートルームだね。とりあえず、邸内の監視カメラは全部こっちで掌握して寿ちゃんの姿は映らない様にしてるから、現地の警備だけ気を付けて。こっちでもモニターして教えるから』

 「了解」と短く返事をして最短ルートで上階を目指す。

 この邸宅は地上三階、地下二階建てで中庭のプールを囲む様な設計がされている。その最上階のプライベートルームには大きなバルコニーが付いており、さぞ中庭へ望む景色が良い事だろう。

実に設計者のスケベ心が透けて見える設計だと酒魅は感じた。さぞ目の保養になる企画やゲストが来るに違いない。

「着いたけど~……無理ぽかなぁ……」

 見つかってはまずいので、三階へ繋がる階段に張り付く様にしてフロアを見てみると警備の姿があった。三階には目的のプライベートルーム以外はないため、十中八九、警備が立っているのはその部屋の前である。

『ビンゴだけど、四人も警備がいるんじゃ無理だね』とカメラ越しにその様子を受けて楚馬もこぼす。

 通りで道中の警備の数が少なく、容易くかわせた訳である。通常であれば、こんな派手な色合いの恰好をした人間が、容易くメイン会場から抜けてここまで辿り着けるはずはないのだ。もちろん、彼女の警備員回避スキルも幾分かあったものの、こんなにも易々と警備網を抜けられるのは警備網が荒いとしか言いようがない。無論、ここ以外を厳重に警備する場や危険視すべき人間もいなければ納得の配置であるが。

「う~~ん、一応、中に人はいるみたいだね」

 持ってきた赤外線スコープを通して室内を見てみると、しっかりと中に人がいる事は確認できた。

『まぁ建物中を繋いでるダクトがあるから、典型的なスパイみたいに偵察はできるよ』

「じゃ、偵察の代行してもらおうかな。車にドローン積んであるでしょ。外から飛ばして見られない?」

 『なるほど、了解』と短く返事をして彼は小型ドローンを偵察へ出した。赤外線・暗視付きカメラかつ、静音性に優れているのでターゲットにギリギリまで接近できるため、潜入の仕事ではよく使う一品である。楚馬にドローンのカメラ映像をデバイスに出してもらい、酒魅もじっとその様子を見守る。

 ドローンはすぐに三階、そのプライベートルームのバルコニーへと到着する。幸いにもカーテンは開けられており、中の様子が丸見えであった。そうして捉えられたのが、

「三毛矢だ。やっぱいるんじゃん」

 本命の彼であった。いそいそと彼は私物と思しきカバンからスケッチブックやペン類を取り出したり、キャンバスを乗せるイーゼルを組み立てたりと、何やら準備の真っ最中といった様子である。

『どっか窓でも開いてればすぐデータ抜けるんだけどな~~』

 ドローンには対象デバイスと直接接続し、データを抜いたりウイルスを流し込んだりするプラグが付いているのだ。

 こちらの狙いとしては三毛矢がメインで使っているデバイスのデータである。これさえ抜ければコマースと関りがある事の裏付けを取れるし、彼が頻繁にこの邸宅や画廊を訪れている理由も判明するだろう。

「楚馬ちゃんが少し前に撒いたウイルス、三毛矢は踏んでないの?」

『それが怪しんでるのか踏んでないんだよね。もうだから直接寿ちゃんにデータ取りに行ってもらうしかないんだよ』

 何たる用心深さだろうか。デバイスの二台持ちや、写真から自身の姿を消していた件に関してもだが、彼の警戒の仕様は異常に思える。そこまでしてひた隠しにしたいものが一体何なのか、酒魅は余計に興味をそそられた。

「じゃあ一旦戻って、ペアのおじさんにでも聞いてみますかね」

『まぁ絶対、三毛矢とこのイベントが無関係って訳じゃないだろうからね、何かしらはあるでしょ』

スカートの中に発煙弾並びに催涙弾を装備して来ているが、別段、緊急の突入もする必要がないし、したところで避難のために三毛矢が自身のデバイスを持ち去っては元も子もない。

「すみませ~ん、ちょっと広くって迷っちゃいましたぁ」

「あぁ遅いから心配したよ。初めて来るなら不慣れだろう、次は私が一緒に付いていくよ」

 下心が透けて見える答えをして、彼は再び腰へ手を回してきた。

 人間、こういう時に感覚器官を切れれば楽だなぁと思ったが、ついでであるので回してきた手を掴み、

「気になったんですけど、このお家って上の階には行けないんですかっ?」

 少しばかり抱き寄せる形で見つめる。

 急激な接近に伴い、露骨に彼は動揺を見せたが、すぐさま目を逸らしてて平常を保とうと見せる。その様にいくつになっても男というものは変わらないのだと内心で冷笑を浮かべた。

「ここは主催の別宅でね。二階からは主催の私用フロアなんだが、もう間もなくペアで順々に三階へ上がるタイミングがあるんだ。だから上へ行けるのはその時ぐらいだろうね」

「なるほど~」

 それから間もなく、主催側の人間と思しき係員がペアを呼び出しては、会場の外へと案内していく光景が繰り返された。ただ、想定よりも意外に自分たちが呼ばれるまでに時間を要し、その間も絶えず黒宮からジュースだと言ってアルコールを差し出され続けたので、普通に食事もつまみつつ優雅に腹を満たした。彼はいくら飲ませても、まるで酔った様子がないので心底、不思議そうな顔をしていたが、係員の呼び出しにより、ようやく不毛なパパと娘ごっこに終わりが訪れる。

『ねぇ結構飲んでたけど大丈夫? 走れたりする?』

「大丈夫。酔ってて結構良い気分だから」

楚馬の心配に機嫌良く答え、酒魅は水を一杯飲み干して向かった。

 先ほど偵察で訪れた三階のプライベートルームの前までやって来る。酒が回っている中での階段は少しばかり応えた。

「ここだよ。部屋には君だけで入るんだ。なに心配する事はないよ、後でお礼もさせてもらうから」と、彼はまた下心が見え透いた嫌な笑みを浮かべたが、気にせず中へと歩みを進めた。

「失礼しまーす」

「ごめんね、ちょっと待ってくれるかな。ええと、次は……」

 中へ入ると、慌ただしく片付けをしながら三毛矢涼歌が応対した。

偵察しに来た時とは打って変わり、部屋の中は床に紙――人体が様々な角度から描かれたスケッチや先の丸くなった鉛筆が乱雑に転がっていた。その内、出来栄えの良いものはデスクにてクリップでまとめてある様だが、それも大量のスケッチで埋もれており、今必死に秩序を取り戻そうとしている。

 片付けができない女子の汚部屋が如き散乱っぷりである。

「お兄さんがスケッチされるんですか?」

「えっ、あ、あぁうん、そうだよ。毎回人が多くてね、整理が間に合わなくなっちゃうんだ」

 そう言って三毛矢は彼女が拾ったスケッチを回収し、デスク側へと向き直る。しかし、彼のパンツのポケットには、一番の目当てであるデバイスは見当たらず、周囲を軽く流して見ても一部さえも見つけられない。

『デバイスないね……どうする?』

 カメラ越しに気が付いた楚馬も不安げにこぼした。

「よし、大体は片付いたかな。君が黒宮さんのペアのユリナちゃん、で良いかな?」

 怪しまれない様に少し探索するも猶予がなく、彼の方が資料をまとめたPCを発掘する方が早かった。笑顔でそうです、と取り繕いながらどうしたものかと思案する。

「じゃあ、脱いでくれるかな」

「……は?」

 思わぬ言葉につい、ワントーン高い声で威嚇をしてしまった。

「君の裸をスケッチさせて欲しいんだ。もちろん、この分の報酬は黒宮さんの方から出るから」

「ア~~……なる、ほど……そういう事……」

 ある程度は予測していたものの、ほんの少しだけ予想の上をいかれたせいで、つい威嚇してしまったが僅かでも動揺している場合ではない。何とか彼のデバイスからデータを抜いて、サクッとこの場から撤退しなくてはならないのだ。

「ねぇ、じゃあデバイス出してくれませんか?」

 そう言うと、今度は彼の方が威嚇する様に短い声を上げた。眉間にシワが寄り、いかにも解せないという勿怪顔であるが、

「だってほら、もしも脱いでる時に隠し撮りとかされたらイヤ、じゃないですか? その……やっぱり恥ずかしいですし……」

 とすかさず清純な乙女を演じる。数秒の沈黙の後、別に隠し撮り何てしないし、自分は主催に雇われている立場であるから、雇い主に咎が及ぶ様な事はしないと突っぱねて来た。

「そもそも、君らみたいな体に欲情なんかしないんだよ」

 そうして心からの軽蔑の眼差しで言い放って来たが、

「じゃあ脱がない」

 酒魅も応戦して突っぱねた。用意されていた椅子に腰かけ、全面抵抗の意志を表示する。

「あのねぇ君―――」

「あなた、雇われてるなら余計に客の言う事は聞くべきじゃないんですかねぇ? 私は別に、あなたに襲われて酷い目に遭った~とか言って、このイベントごと公にしても構わないんですよ? ましてやお兄さん、大学生っぽいですから、もしも公になったら学校どころか、家ぐるみでやってる事業まで一気に摘発されちゃうかもですし」

 あくまでも私の機嫌次第なんだぞ、とねっとりとした冷たい口調で言うと、蔑視の目元は崩れぬまま溜息を着いた。そしてデスクの中からデバイス、ついでに観念の意図を示す様に、タブレットも一緒に出し、無言でこちらへ差し出して来た。監視カメラも布がかかっているので、証言されれば向こうが不利である事も理解したのだろう。

「ありがとうございますっ♡ これで全部ですよね? あっ、ちゃんと後ろ向いて下さいね。良いって言うまで見ないで下さいよ!」

「それで全部だよ、分かってるよ。早くしてくれ」

 背を見せる彼は機嫌の悪さが滲んだ声で刺々しく言った。

『やるじゃん寿ちゃん。見当たらないなら自分から出させるっていうね。プラグは仕込んできたでしょ、サクッとやっちゃお~』

 通信越しに指示される程、手際は悪くない。彼が後ろを向くと同時に、スカートの下に仕込んできたハッキング専用デバイスからプラグを引っ張り出し、三毛矢のデバイスに接続した。こんな時のためにプラグは二本あるので、タブレットからも同時にデータを転送していく。楚馬の方からも『問題なくデータ転送中だね。でもちょ~っと時間かかるから、時間稼いで~』と、報告が上がる。現在、転送率十八パーセント。

「ねぇお兄さん。お兄さんってシリコンとエラストマー、どっちが好き?」

「は……? どうしてそんな事―――」

「あぁっ‼ こっち向かないで‼」

 余程、こちらの質問が気になったのか思わず振り向きかけた彼を、慌てて制止させる。それでも、せっかくだから答えてよ、と好奇心に駆られて酒魅は追随した。

「シリコンの方がエラストマーよりも、ずっと耐久度もあるし価格と重量、感触では少し負けるが、匂いも表出するブリート……油も少ない。どこも大手はシリコンの技術が豊富な事と設備、工程が違うから、このままエラストマーと素材選択は二極化するだろうな」

 なるほどね、と相槌を打ちながらデバイスを確認すると、転送率は現在三十五パーセントと、なかなかに進んでいる。

 ちなみにエラストマーとは、簡単に言うとゴムと樹脂の中間にあたる素材であり、この中で細分化されたTPE素材が本来、シリコンと比較する対象である。しかし、この場では簡略化して彼に伝えている。

「エラストマーはダメなの?」

「いや、正直用途に応じて変わる。エラストマーは単にすごい柔らかくて軽い、安価ってだけで本物に近いって訳じゃない。柔らかい分傷つきやすいし、パウダーをしっかり塗ってやんないとホコリと汚れが付きやすいし、ブリードの表出具合も軽減されない。安く抑えてそう遠くない日に廃棄を考えてるなら、エラストマーだろうな」

 まるで現実を忘れたかの様に饒舌になっている彼に追撃をかます。転送率はこの間に順調に五十八パーセントまで来ている。

「じゃあ、シリコンは激しくしたり、そう! 着替え、とか頻繁にさせたりする人向きなの?」

「……君、どうしてそこまで詳しいんだ。ていうか、ただ脱ぐだけにどれだけ時間かかって―――」

「ダメ! こっち向かないで! 女子の着替えは時間かかるのお兄さん知らないんですかぁ⁉ 雑に脱いでも何ともない男の服と違って、こっちはすごく気を遣うんです!」

 ちょっと不審に思われた様で、それが声色に如実に表れる。しかし、それを上回る熱量で制止すると、脅されている事もあってか素直に言う事を聞いた。

 「さっきのだけど、シリコンは正直、君が言った通りの用途の場合に良いだろうね。ついでにパウダーを塗っておけば、肌が裂ける要因の肌同士がぶつかった時の擦れも緩和できる。服の着せ替え……の観点からも良いだろうね。着替えの時の服との摩擦を軽減できるし……」

 恥ずかしさが滲んだ様な声色で言いづらそうに説明する。

『寿ちゃん、もうちょっと! 今七十五まで来てる!』

 楚馬から伝えられる転送率に正直、かなりもどかしさを感じた。意外と今までの会話でもう少しパーセンテージが進んでいると思ったが、まだ猶予がある様だ。

「じゃあ、ここにいるパパ達はどっちの素材向きなの?」

 自分で質問をしておいて口角が思わず上がる。

「ここの人達はたぶん、女の子ごとに分けてるだろうね。さして気に入らなかった子はエラストマーでほとんど使い捨てだろうし、君みたいに造形が良さそうな子はシリコンで長く使われるだろうし」

『なかなか良い判断だね、ね、寿ちゃん?』

 彼女も楚馬と全くの同意見であった。やはり自分が化けている女子の見た目は自信があるし、ある程度は彼女自身のプロポーションが露出しているので、それが良いと褒められるのは気分が良い。

「でも、君を作るなら、もう少しメリハリ付けたスタイルにしないと普通に映えないだろうね。背丈もちょっと伸ばさないといけないし」

「なるほど~~?」

 まさか上げてから落とされるとは思わず、一瞬だけ殺意が芽生えた。

 今、こちらに無防備に背を向けているから、正直、適当にその辺りにある鈍器に変わる何かで殴ってやっても良いんだぞ、とやや煮える気持ちを抑える。その間に転送率は八十九パーセント超え、あと一息のところまでやって来ていた。

「お兄さんさぁ……後で何されても文句言わないでよね? 多少、怖い思いしてもお兄さんのせいだからね」

 無神経な発言にぐつぐつと腹は静かに煮え、同時に酒魅には一つ、とても良いプランが思いついたのだ。

「は? それってどういう――何してるんだよ!」

 彼が振り向くと酒魅は出入口前に立っていた。転送率はちょうど百パーセント。迫る彼にデバイスとタブレットを放り、同時に発煙弾を床へ投げつけた。ついでに無礼を働いた罪で催涙弾を投げ込み、そのままの勢いで部屋を飛び出す。

「楚馬ちゃん表に車回して!」

『了解!』

 部屋を抜けてからも発煙弾を撒きながら、最短ルートで出口を目指す。走っては煙に包まれを繰り返し、会場をパニックに陥れた。煙に反応して火災報知器、並びに警報と悲鳴も鳴り響いて良い具合に混乱が増していく。警備員もまともに追って来れない様で、

「寿ちゃん!」

 煙を振りほどいて易々と楚馬と合流ができた。

 ドアを閉める暇もなく車は急発進、助手席で息を切らしながら、酒魅は達成感を覚える。

「ナイス楚馬ちゃ~ん」

「もうこういうのも長いからねぇ~」

 息も絶え絶えに伝えると、彼は目尻を伸ばした。

 一方で、階段さえもやや応えたというのに、急に走ったせいでアルコールが急激に回って酒魅は思わずシートと共に倒れた。

 気が付くと、いつの間にか眠っていた様で車にはすっかりほろ酔いのオレンが合流していた。彼は自分の酔い覚まし用に買った水を一本分けてくれたので、眠気眼で飲む。瞬時、体中へ染み渡る水に、水分の重要性と二日酔いの時の感覚を思い出させられた。

「大丈夫か? 酒煽った挙句に走ったんだって?」

「大丈夫。着替える……そしたらご飯食べて、作戦会議する……」

 バンの後部座席から奥は、一時的にスモークガラスにできる仕様なので、スモークを起動しつつ、男性陣には車から退去してもらって手早く着替えた。地雷系メイクも普段の彼女とは別系統であるので一度落とし、通常のメイクをし直し、

「よっしゃ! せっかく野毛に来たんだから飲むぞ!」

 元気よく車を飛び出した。元よりアルコールには強いため、会場で飲んだ程度のアルコール量であれば寝ている内であっという間に分解できている。むしろ、スイッチを入れる良い起爆剤になった。

 時刻は午後九時手前。ちょうど、良い具合に飲み屋が賑わい、酔っ払いが出来上がる時間帯である。そんな中で人気店ばかりが連なる野毛では、店に入れないのが常なのだが、今回は運よくホルモン焼きの店に入れた。

「「「かんぱーい」」」

 生ビールを煽り、熱々の鉄板に絶え間なく肉を焼いていく。

 まだ仕事は終わっていないものの、ひとまず食事がてら互いに調査の内容を報告した。

「風景画しかなかった? どういう事? ちょっと予想と違うんだけど」

 オレンの報告を聞き、酒魅は眉間に深いシワを作る。

「俺だって分かんねぇよ。値段もまちまちで、一番高けぇので百万越え、最低でも三十万だし。風景も一貫性がないしなぁ」

 楚馬と二人でオレンが潜入用メガネで捉えて来た映像を見る。入店から退店までの映像がしっかりと収められており、解像度も高く、絵画とタイトルまで綺麗に認識できた。

「楚馬ちゃん、この対応してくれたおじいちゃん調べて」

 楚馬は短く返事をし、すぐさま持ち運び用のタブレットPCで作業を始めた。

「中国の安徽省の祁門県……インドの西ベンガルと北東部は分かるけど、後の多々羅大橋とマーシャル諸島、教会が分かんない……」

「あれだろ、その分かってる景色の共通点って紅茶の産地だろ? たまたまさっき飲んでた店でさ、中国人っぽいのがいたから聞いてみたら『あぁそこはキーマンって世界的に有名なお茶の産地よ』って教えてくれたんだよ」

 その言葉に勘が働き、酒魅は慌ててデバイスで検索をかけた。

 オレンの言う通り、中国安徽省の祁門県はキーマンという紅茶の茶葉の生産地で、同じくインドの西ベンガルはダージリン、インドの北東部はアッサムの産地であった。それぞれ絵画にある通りの情景であり、酒魅はそこで全てが繋がった。

「出たよ。さっきのおじいちゃんは三毛矢晴敏、七十六歳で、三毛矢涼歌の祖父に当たる人間だね」

 その直後、楚馬から良いタイミングで報告が上がる。

「やっぱりね。ところで、三毛矢の足取りは? デバイスも入れたからリアルタイムで位置情報分かるよね?」

「もちろん。あの騒ぎの後、どうやらすぐに解散になったっぽくて、今三毛矢は絶賛帰宅中で~~……移動速度から考えて電車だね。進路的に賃貸の部屋に帰るっぽいね」

 また彼の到着予定時刻は約一時間半後の様で、あと最低でも三十分程の飲んでいる猶予があった。

「じゃあ、ちづちゃんと生記ちゃんに連絡してその手前で合流する形にしよ。向こうも仕事が終わってる頃だろうし、男手がこれだけあれば余裕だろうしっ?」

 奸計が透けて見える悪戯な笑みを浮かべ、酒魅は肉を頬張った。

 

 ◇

 

 

「は……?」

 気が付くと三毛矢涼歌は椅子に縛り付けられていた。しかも、適当な椅子がなかったのか、縛られていたのはゲーミングチェアである。丁寧に腕をひじ掛けに、足をリクライニング部分に伸ばされる形で拘束されていた。

 今日はテロ未遂の様な事態に巻き込まれ、とても疲弊していたのは自覚していたが、ここまで記憶が繋がらない事もおかしい。

とはいえ、今まで参加して来た中年エロ親父達のイベントで、ここまでの大事は一度もなく、ましてやテロ紛いの事に巻き込まれたのも初めてであったので、心身共に酷く疲弊していた。

 恐らく、今回の騒ぎの元凶は間違いなく、あの小生意気な女であり、一体どこから涙が溢れ、息苦しいガスを撒いたのか。ましてや高校生ぐらいの子供がそんなものをどこで手に入れたのか。

 考えれば考える程、不可解であり、変にこちらの専門的な知識まで持っているものだから、ついにこんな仕事に嫌気がさしたあまりに幻覚を見て、全て自分で巻き起こした事ではないかとさえも思えて来た。しかも本来は作動しているはずの監視カメラ、並びに警備システムは軒並みダウン。それでも火災報知器だけは作動していたために煙に反応、大雨を邸内に降らせ、せっかくのスケッチも軒並みおじゃんになった。

 挙句に騒動の原因は自分ではないかと主催に問い詰められたが、おかしな女子、しかも黒宮が連れて来たのだと証言し、彼もそれを認めた事から、免罪だけは何とか免れたのだ。

 それでも、どれだけ記憶を辿っても、ファイルの棚に囲まれた薄暗い部屋で、こうして縛られている理由が思い出せなかった。

「あ、起きた。良かったぁボク薬の量間違えちゃったかと思った」

 気が動転して少し、目の前にツインテールの女子が現れた。彼女はこちらの様子を確認すると安堵の溜息を着く。そして部屋の明かりを付け、

「ねぇ大丈夫? 自分の事覚えてる? 分かる?」

 と矢継ぎ早に聞いて来た。

 しかし、女子にしてはやけに体格がしっかりしているのだ。身長が高いのは、世間一般の女子にもあり得る事なので気には留めなかったが、本来、女子に感じられるべき華奢な骨格の感覚は薄く、やや筋肉質である事からも厳めしさが僅かに露呈している。上手く体系カバー効果のあるスカートや服をチョイスしているが、人体に関してはプロフェッショナル。三毛矢涼歌だけは彼女の不自然さを感じ取れた。

「え、起きたの? 寿ちゃん、起きたみたいだよ」

「ほんと? どれどれ?」

 次いで見に来た癖毛の高身長の男と、彼らに比べると一際小さく感じる恐らく通常の身長である黒髪の―――。

「寿ぃっ⁉」

 その悪名を聞き、思わず声を上げた。


 ◇


 顔面蒼白、額に大粒の汗を浮かべる三毛矢に酒魅は何て失礼なのかと、改めて殺意に似た気持ちを覚える。

「よぉしお前が助かる方法は一つ。私の質問に全部素直に白状する事だ」

 その悪名ムーブに乗り、人差し指を立てながら言った。何であれば不敵な笑みまで付いている。

 遡ること数十分前。三毛矢のメインデバイスの位置情報を得た好奇心一行は彼の帰路にバンを走らせた。当然ながら目的は彼の拉致である。その道すがら、外で仕事をこなす知鶴ともう一人、昨夜は出払っていた生記と合流し、総出で拉致をしたのである。さすがに、これだけ男手があれば三毛矢の様なモヤシ体系の人間は、たとえ男であっても容易く誘拐できた。その時に眠らせる薬の配分をしたのが生記であったが、分量をミスった事もあり、眠りこける彼に不安を覚えていたのである。

 ちなみにサークル好奇心で使用する車は全て楚馬お手製のAIが搭載されているので、飲んだとしても自動運転で帰って来れるのだ。

「まぁというのは本当ではあるんだけど、改めてサークル好奇心の寿酒魅です。先ほどは会場でお世話になりました。ね、お兄さん?」

 少々可愛げのある声色で言ってやると、彼は目を見開いて驚きを露わにした。まさか先ほどの地雷系女子と今目の前にしている彼女が、同一人物だとは思えない事が如実に伝わる顔である。

「そもそも拉致監禁なんかしてタダで済むと思うのか? 普通に犯罪だぞ」

「世間的にタダで済まないのはどっちだと思う? 家業で細部まで精巧に、リアルに作り込み過ぎてるラブドールを作ってて、しかも違法の幼児ドールまで同じクオリティで作っててさ。ねぇ?」

 彼の目を真っ直ぐ見やって言う。

 あまりに精巧になおかつリアリティを求めて作られたラブドールは、使用していく内に異常思想になる人間を生み出すとして、その事例の多さから禁止されているのだ。また、幼児ドールも児童虐待や児童ポルノといった法関係に引っかかるため、同様に制作も禁止、加えて輸入する事も禁じられている。

「何でもあまりにドールが細部まで美し過ぎるから、現実の女じゃ汚れて見えて満足できず、その不満をぶつけて暴力沙汰になる事が多いそうで?」

「……証拠はあるのか。僕やウチがラブドールを作ってるっていう」

 反論したい気持ちをぐっと抑えた彼に、それはもちろん、と答えて酒魅はラブドールの受注リストを見せた。

 三毛矢のメインデバイスから抜いたデータであり、家族間でのドール製作に関わるやり取りや出来栄えを写した写真の数々など、他にも証拠は十分なまでに揃っている。

「……そうだよ。ウチはラブドールを作ってる会社だ。それがなんだ。大学側にでも言って退学にさせるつもりか?」

 諦念した様で素直に白状したものの、敵意を大いに剥き出して答えた。

「いやいや、私だって別に芸術・美術に理解がない訳じゃないんで。むしろ、あなたの手掛けたラブドールの本物よりもずっと精巧で、細部まで美しさを極めたドールに心を打たれた次第なので、これを猥褻物だのポルノに引っかかるとか言う下らない理由でどこかに突き出す何てしませんって。これも全部拝見させて頂きましたし?」

「それ……‼ どこから――」

 彼女が抱えて来たアルバムを目にして驚いたものの、すぐさま出所――彼の恋人である谷中佳奈美が持ち出したと気が付いた様である。

「素直にお話すると、谷中佳奈美さんからあなたの浮気調査を依頼されていました。どうやらこのアルバムを見て、あなたが浮気されていると勘違いされた様です」

 彼とてサークル好奇心の業務は何を専門としているのか、知らない訳ではなかった。むしろ何でも請け負って調査をする事から、カップルの中では有名な存在である。

「……なるほどな、それで……」

「このアルバムの女性は全員、あなたの作ったラブドールですね? 本来、人ごとに違うはずの虹彩がこのアルバムの女性は全員同じだったので、人間ではないと別からの報告でも分かりました。ついでにこっちも」

 意気消沈といった様子の彼に酒魅はアルバムに次いで、例のコマースで販売されていたアダルトビデオを見せる。

「そうだよ。アルバムもそっちのAVも僕が作ったラブドールだ」

 先ほどの敵意はどこへやら、谷中佳奈美の名前を出した途端にしおらしくなってしまった。

 ちなみに虹彩が同じであるというのは、十代芽が研究室で検査にかけてくれたおかげで判明した事である。本来、人間は一人一人違う形を持つのだが、彼女達は共通したものを持っていたため、人間ではないと分かった。

「では答え合わせといきましょう。あのパパ活イベントはパパ達が気に入った女の子をラブドール化する目的で開かれていて、あなたが実物のサイズ計測なり、スケッチでデータを取っていた、ですよね?」

 彼の素直な態度をチャンスとばかりに酒魅は追い込んでいく。

「そして出来上がったラブドールは野毛の画廊が引き渡し場所。受け取り方はパパ達が会場で使っているニックネームと、絵画の内容が対応しているからそれを注文する。例えば、キーマンと名乗っていれば紅茶の茶葉の一種だから、絵画はその生産地の中国、安徽省の祁門県の茶畑になる」

 ダージリンと名乗るのであれば買う先はインドの西ベンガル州の絵画、アッサムと名乗るのであればインド北東部と、それぞれの原産地の茶畑の絵を注文する。日本の多々羅大橋を望む生口島はレモンの生産地であるから、名乗るのならレモン。絵画が飾られた教会の絵、そこに描かれた教会は、ベルギーにある聖カルロス・ボロメウス教会であり、飾られている絵画を提供したのはかの、有名な画家のルーベンス。だから名乗るならルーベンスとなる。最後にマーシャル諸島ビキニ環礁というタイトルの絵だが、ここには核実験で沈められたアメリカ空母「サラトガ」が見られる事で有名である。そのため、名乗るのならサラトガだろう。

「何であれば、会社自体も絵画販売を隠れ蓑にしていますよね?」

「そうだ。そこまでよく分かったな。そもそも最初は普通にラブドールを作ってたんだが、おじ……祖父の代から本物よりも美しい精妙なドールを作ろうって路線に変更したんだ」

 精緻を極めたラブドールは祖父の代で一世を風靡したそうだが、それと共に本物の女性の身体では満足できないという弊害を生み出した。中身の機能の問題とは別に、本物を優に超える圧倒的な美しさを持つドールを体感した人間が本物の女性に不満を持ち、暴力沙汰に発展する事例が多発。結果、あまりに精巧なドールは現実の女性に満足できなくなる異常思想を引き起こす、として販売禁止が言い渡された。そこからは絵画販売に転身、と見せかけて日々クオリティを上げながら現在に至ったという訳である。

「おじいちゃんの若き頃の写真がネットで見つかってね、君の家がラブドールの会社だったっていうのが分かったんだ。ついでに今君があんなイベントに参加したり、アルバム、AV制作もしてるから、まだ継続してるだろうと踏めたんだよ」

 タブレットでほら、と楚馬は若き日の三毛矢祖父を見せた。それは一度、先の事例が多発したがために逮捕された時の新聞記事であり、当時、世間では大きな騒動が巻き起こったと記載されている。

「全部正解だよ。よく調べ上げたな。ついでに言うと、そのアルバムは僕がドール製作に慣れて来た頃から始めた趣味で撮ってたやつなんだ。どうしたら美しく写真に収められるか、とかどうしたら美しさを引き出せるかって試行錯誤して服まで自作してたんだ」

 まぁそれは彼の在籍している学科とアルバムから読み取れる創意工夫を見れば、自ずと分かるものであった。

「まぁ生業にしてるんで。ところで、コマースにはいつからバレたんですか? 個人的にAV制作してるって」

「さぁ。僕的には上手く隠せていたと思ったんだけど、どっかから嗅ぎ付けられたんだろうね。でも多くの人に美しさを理解してもらいたかったから、ちょうど良い機会だったけど。生身の女性よりも情欲を掻き立てる様な肉体美、本物と見紛う細部まで美しい精巧さ、そういう本物を超える芸術の域に達するドールを作りたかったからね」

 完敗したと言わんばかりの声色であるが、酒魅は利益になれば何でも情報を売る奴を一人知っていた。ほぼ確定でソイツが情報を売ったと見られるのだが、重要なのは別である。

「では、取引といきましょう。コマースの一見さんお断りの完全紹介制のオークションに紹介して下さい。代わりに見逃すのと……谷中佳奈美さんに良い様に計らいます」

 そう、真の目的はこちらである。

 三毛矢の調査ももちろん重要であったが、理事長案件のコマース調査の方も進展させなければならない。実際にオークションで例の物品を扱っているところを証拠として押さえる、というのも重要なリクエストの一つであった。

「分かった、紹介はするよ。でも彼女については自分でちゃんと話すから、そっちの手は借りない。彼女に変に思われたくなくて隠してたけど、まさか誤解を生むとは思ってなかったよ」

 表情を曇らせ、心底申し訳なさそうに彼は言った。

「ていうか、じゃあ何で彼女との写真で自分の事消してたんです?」

「あぁ……ウチの事を贔屓にしてくれてる人の中に、断片でも写り込んでると僕だって分かるストーカーみたいな人がいてね。もしも彼女の写真に僕が写ってたら被害が及びかねないと思ってさ」

 よくそこまで気付いたね、と加えて彼はやや驚きを露わにした。

 そして約束通り、その場でコマースの紹介制オークションへの招待を受けた。専用フォームだとか紙の書類だとかで招待するのかと思いきや、意外とただのチャットグル―プへの招待で終わってしまい、なんとも拍子抜けである。

「いやぁ拉致監禁してすみませんでした。これお返ししますね」

「ほんとだよ。まさかテロ騒ぎに巻き込まれたかと思ったら、その日中にこんな目に遭うとは思わなかったよ」

 ようやく好奇心の事務所から解放された三毛矢は、疲労の滲む声で言った。そんな彼に紙袋に詰めたアルバムを渡す。酒魅は重ねて謝罪を入れつつ、玄関先まで見送った。

「あ~~‼ 疲れた‼ 皆もお疲れ様でした!」

 彼が帰った途端、緊張の糸が解れた。

 今日は方々へ駆け回った日であったので、さすがに体力に自信がある酒魅と言えど応えた。時間もそろそろ明日に向かって準備を整えなければ取り返しが付かない頃合いである。

「お疲れ。ていうか、例の紹介制のオークションに寿ちゃんの実名で招待してもらっちゃって大丈夫だったの?」

 知鶴の疑問ももっともであった。

 なぜなら、例のビデオがオークションで扱われているところを証拠として押さえなくてはならないのだから、彼女が実名で参加するとなると、まるで調査目的である事を公言している様なものだからだ。サークル好奇心の寿酒魅と言えば広く知られている悪名でもあるため、無用に向こうを警戒させてしまうリスクがある。ましてやコマースの代表の保谷は酒魅を避けている節が十全にあるため、実名で行けば余計にガードが固くなるに違いないのだ。

「いや、わざと。一企業の代表のくせに小心者でビビり。自分の保身しか考えない奴だから、たぶんこっちに有利な提案もしくは、自分の要求を通しに来るか、何かアクション起こすと思うんだよね」

 唇をぺろりと舐めて、計策が滲む笑みを見せた。

 

 ◇

 

 

 「寿酒魅」の名を目にした保谷は、酷く狼狽していた。

 次回の一般向けではない趣旨の下に行う特別なオークション、その新規参加の希望者の中に、あの寿酒魅の名を見つけてしまったのだ。何度も読み違いではないかと再三見直したものの、名前のみならず、何であれば〝(サークル好奇心代表)〟という丁寧な身元記載まで名前の後ろに付けてあるのだから、もう間違いようがなかった。

 一体、今更、何の目的でウチのサークルの、しかも一番売りでもあり、サークルの営業を一撃で終わらせる事のできる弱みである特別オークションに来るのか。保谷はまるで意味が分からなかった。

 何故なら、コマースのサークル設立時期は好奇心と変わらず三年前。設立当時から、今の特別オークションで扱っている様な物は大抵扱っており、これを売りにして営業利益を伸ばして来た。そもそも、ほとんどのサークルが同時期に乱立し、互いに互いの扱う内容は把握していたから当然、コマースの扱う品物も周知の事実であったのだ。そうして設立から三年後の今まで、何のお咎めもなく順調に営業できていた。ひとえに商業系サークル同士のお目こぼしが作用していたためである。

 それなのに、突然、まるでこちらの営業で扱っている品物を告発しに来る様な所業は一体どういう事なのか。三年も経っているのだから、もはや今更、学校側に露呈したところで―――。

 さながら突如、民衆の前に引っ張り出され、処刑台――ギロチンに首を据えられた様な心地である。そんな逼迫した危機的心境の下に、何とか罪を逃れようと主観的な思考を巡らせていた。

「どうするんですか保谷さん……」

 事態は既に幹部役員には知れ渡っており、急遽、会議で集められた面々は皆一様に不安げな表情を浮かべ、そんな事を口走って来た。

「サークル好奇心と言えば、何でも調査して秘密を暴くっていうところだよね……じゃあもう……」

「やめろって、交渉の申し込みかもしれないじゃないか……」

 小さな声はこの時ばかりは、まるで拡声器で音量を上げられた様に保谷の耳に届き、より思考を乱していった。

 久野山能大の中で商業サークルを運営していて、サークル好奇心の名を知らない人間はいない。ましてや営業内容は言うまでもない。だからこそ、彼女からの申し見込み書は、彼らがこちらの秘密を暴いたぞ、という宣戦布告に思えてならないのだ。

 でも、でも。でもどうだろうか。仮に、あまり役に立たない補佐役の言う通り、こちらとの交渉の意志を示す申し込みである場合も考えられる。可能性としては捨て切れない。けれど、それなら何故、普通にメールなり電話なりで正式に場を設けないのか。向こうの方がこちらの秘密を暴いた、という有利な立場にあるのだから、何でも交渉の場は有利に運べるだろうに。あえて、それをしないという時点で、やはり宣戦布告なのではないだろうか。

 そもそも、どうして営業を始めて三年も経った今、好奇心が自分たちの事を調べに来たのか、という点においても保谷はまるで意味が分からなかった。

何かサークル好奇心自体や、そのメンバーに恨みを買う事など恐れているからこそ、今まで一度もなかったので心当たりがまるでない。とすると、好奇心へ調査した人物がいる。好奇心も商業サークル同士のお目こぼしが、通用しない上の相手である。

「……上手く交渉のテーブルに乗せるしかないな」

 ギロチンの刃を止める辛うじての突破口に、彼は縋るしかなかった。

 

 ◇

 

「つ~ま~ん~な~い~!」

 幼児が如く、退屈に耐えかねて酒魅は吠える。

 三毛矢にコマースの特別オークションへの参加を取り次いでもらって二日。コマースの方から、何か面白みのあるアクションの一つや二つ、あって当然であろうと期待していたが、それを裏切る様に何の音沙汰もないまま、オークション当日を迎えた。何であれば、向こうは招待状を送ってくるに留める静かな対応をしてきたので、なおさら、面白みがなかったのだ。

「まぁ別に無抵抗で現場を押さえさせてくれるなら良いじゃんかよ」

「そうそう。サクッと潜入して記録して皆で飲み行こうよ。今日は色んなサークル呼んで宴会の予約してるんだし」

 理事長からのリクエストにも応えられるだろ、と呆れるオレンに楚馬も同調した。

 確かに実際にオークションで取り扱っている現場を証拠として押さえろ、という注文であるが、別にそんなもの、当人でもとっ捕まえて自白させれば済む事である。既に三毛矢が提供したという事実も押さえているのだから。

「やっぱさぁ成果あっての宴会が一番楽しいじゃ~ん。私ヤダよ~オークションまで、こうやって報告書チェックするの」

 AIが調査結果を元に自動で報告書作成をしてくれるものの、代表としておおよそ、どんな調査があったのか軽くでも目を通さなければ何かあった際に対処が遅れる上に、交渉などの駆け引きの際にとても有利に働く商材のためにチェックは欠かせない。とはいえ、調査の九割は微塵も関係のない他人の恋路関係であるが。

「ボクは寿ちゃんと仕事できるから楽しいぜ。普段はちづ君と向こうの事務所に籠りっきりだし?」

 心の底からそう思っている事が伝わる満面の笑みを浮かべ、生記は言った。

 好奇心も一企業である。普段は知鶴と共に外部向けの何でも調査を請け負う、探偵業の様な仕事をメインとしているため、こうしてサークルの方にいる事自体が珍しい。そして彼女たちと仕事をする機会も滅多にないので、ご機嫌という訳である。

「しかして、これで今日何もなかったら生記ちゃんの代わりに、向こうに投入したバイト分がちょっと無駄になるんだけどね」

 けれど、今こうして精鋭の内の一人を待機させ、請け負っている仕事の依頼主は理事長であるため、もろもろ請求してしまっても構わない相手であるが―――、

「寿‼ 寿はいるか‼」

 突如、酷く緊迫した声色で呼びつけられた。

 何事かと慌てて表のカウンターへ向かうと、憂鬱だった気持ちを吹き飛ばす吉報の姿があった。思わず、口角が緩んで品のない笑みを浮かべるところをぐっと抑え、

「どうかしました? 三毛矢さん」

 平静を取り繕って応対する。

 額には大粒の汗を浮かべ、肩で大きく息をしている事を鑑みるに、何か切羽詰まった状況であることは明確だった。しかし、それが余計に酒魅は悦楽の到来を予期させる様に感じ、目の前の彼とは対照的な心地を覚えていた。

「佳奈美が……! コマースの連中に捕まったんだ……!」

「あぁやっぱり……それは大変ですね! 詳しくお話を伺いたいので、どうぞ中へ」

 彼の切迫した様子に同調し、中へと誘導する。そのついでに「生記ちゃんアレね」とだけ伝えると、瞬時に意図が伝わった様で「了解!」と元気よくキッチンへ駆けていく。

 三毛矢を件の椅子に座らせ、詳しい事情を聞き出すと、どうやらコマースは突然、三毛矢の恋人である谷中佳奈美を拉致し、彼にそれを通告した様である。

「それでコマースの方は谷中さんを材料に、何て持ち掛けて来たんですか?」

「寿を連れて来いって……そうしたら交換で佳奈美を解放するって言われたんだ」

「なるほど」とだけ短く返答し、思考を巡らせる。

 正直、彼らの行動は酒魅の予想の域を出ていなかった。むしろ、もう少し利口な対処をするかとも思っていたので、こんなに要求が透けて見える安易な選択をしてれくれて助かった。だって、宴会を早く始められそうだから。

「ところで、この話は私たち以外にされましたか?」

「いいや。誰にも。コマースの方が大学側とか外部に漏らしたら危害を加えるって言って――」

「分かりました。生記ちゃん」

 食い気味に返答をすると同時に、三毛矢の背後に回っていた生記が、勢いよく彼の口元を抑える。最初は必死に抵抗をしていたが、それも虚しくすぐに彼の意識は落ちた。

「ナイス生記ちゃ~ん。ちゃんと薬の使い方覚えたね」

「そりゃあもちろん! この前ミスッちゃったからねっ」

 酒魅の言葉に、むしろ褒めて欲しいと言わんばかりの勝ち誇った表情で返した。一方で、終始を見ていた男二人は最初こそ何事かと注視していたが、途中から彼女の意図に気が付き、事情を聞き出す最中も仕事をしていたので、ようやくかと立ち上がる。そしてそのついでに椅子にそのまま三毛矢を縛り付けた。

「で、コマース的にどういう意図があったんだよ?」

「恐らく、本命の狙いは交渉材料の入手だろうね。谷中さんと私を交換、その後に私を材料に同様に大学側と交渉、上手い事取り計らってもらってウチの調査を帳消しにしてもらう算段でしょ。私だったら大学側も無視できない人間だし?」

 また、大学側もようやく前科が世間的に忘れられて来て、今は良い軌道に乗って順調に生徒数も回復してきているところであるため、これ以上、何か大学で事件を起こして評判を下げられない。しかも問題視しているコマースの商品の特質上、余計に公にするには、はばかられる物であるため、大学側の内々に収めたいという心理を熟知した戦略と言える。罪に問われる手段を取ってまで行う価値があるだろう。

 その旨も併せてオレンの質問に答えた。

「でもさぁ、何で寿ちゃんがオークション行くっていうのに、あえて別の相手とトレードするの? 敵地にホイホイ来るんだから、そこで捕まえれば早いのにさ」

「たぶんビビったんでしょ。もしも私を上手く捕まえられないと、意図が露呈して事が厄介な方向にいくから。それに、証拠を取りに行くってあからさまに分かってるだろうから、向こうも来させたくはなかっただろうし?」

 生記の言い分ももっともであったが、最初はオークションへ来させて捕まえるつもりだったのだろう。しかし、逃げ足と襲われた時の手が出るのが早いという噂を聞き、作戦変更をしたというのは想像に難くない。

「上手い事、企業としてもサークルとしても継続できる道を見つけたって訳だ。それで寿ちゃんは乗ってあげるの?」

「まさか。お金を払ってもらうまではウチの大事なクライアント。谷中さんは正しくその範疇な訳よ。その大事なクライアントが拉致監禁された上に、もしかしたら危害を加えられるかもしれない。これを黙って見過ごす訳ないでしょ?」

 名実共にバッチリな酒魅は楚馬へニヤリと不敵な笑みで返した。

 

 ◇

 

 構内二十八号館、その教室で一人の男が緊張の糸を張り詰めていた。息苦しささえ覚える程、胸の内は不安と焦燥感でいっぱいであったが、僅かな勝機を糧に耐えていた。目の前には疲れ切った様子でうなだれる谷中佳奈美がおり、その様子に少しばかりの良心が痛んだ。しかし、今更ここで引けるはずもなく、じっと静かに進展を待っていた。

 彼らコマースが立てこもる二十八号館は、他のどの館とも連絡通路が繋がっておらず、完全に独立して建っているのだ。しかも立地が事務局や学生課などが入る本部棟から、かなり離れているため何か用事がなければ滅多に立ち寄らない場所となっている。アクセスの悪さや建物の老朽化等の兼ね合いもあり、今では使用される事も少なく、代わりにコマースのオークション会場として利用されて長く、それもまた周知の事実であった。文字通り、彼らのホームグランドであり、立て籠もりには持ってこいの場所なのだ。

「ていうか、さっきまでいた菜多岐さんいなくない……?」

「マジで……? 創設初期からの付き合いでもやっぱり……」

 コマースの幹部役員のみで立て籠もっているが、仕入れ部署代表の菜多岐が消えて久しい事は当然、保谷も認知していた。また、三毛矢を好奇心へ派遣してだいぶ時間が経っている事や今のトイレに立ったっきり戻らない菜多岐の事を合わせて、だいぶ不安感が募っている事もまた理解している。

 本来はもっと早く事が進展するとばかり希望的に考えていたせいで、あまりの進展の遅さに焦燥感が顕著に増していた。

 大学側に好奇心が相談し、警察組織と動いている可能性も否めないが、何にしても一度は人質を取っている限りは、一度は交渉のフェーズが入る事は確かであるのでそこに懸ける他ない事に変わりはない。

『あー……テステス……コマーーース‼ そして保谷敬弥‼ お前らは完全に包囲されている‼ 大人しく人質を解放し、投降しなさい!』

 その折、スピーカーから完全に聞き覚えのある声が聞こえて来た。

「寿さん……?」

 救助の声に谷中は思わず顔を上げた。

『ちなみに‼ うちの大事なクライアントを拉致監禁した時点でお前らとは一切の交渉の余地はなくなった‼ よって、お前らは大人しく投降するように‼ 今から五分待つ! それまでに投降の意志がない場合は実力を行使する!』

それは完全なる死刑宣告でもあった。

「保谷さん! 窓の外……」

 その声で彼も窓を覗くと、確かに銃らしき物で武装した人間が建物を取り囲んでいる様であった。

 その光景に、僅かばかりに縋っていた窮地を打開する手立てが完全に潰えた事を悟ったが、同時に聞き捨てならない言葉があった。

 谷中佳奈美が好奇心のクライアントだって……? 


 ◇


 遡る事二時間前。

 三毛矢を眠らせてから、酒魅はすぐコマースに対抗すべく、いくつかのサークルに招集をかけた。

 サバイバルゲームサークル『サヴィ』、イベント用品を専門的に扱うサークル『エベント』、そして柳杜々率いるロボット研究サークルが車の荷台いっぱいにドローンを積み、二十八号館前で合流した。

「皆さん突然の招集にも関わらずお集まり頂き、ありがとうございます。さっそくお呼び立てした理由をご説明しますと、今ウチのクライアントがコマースに捕まっておりまして、経緯はちょっと長くなるので省きますが、その奪還にぜひご協力頂きたく思います」

「もちろん、今日はそのための宴会のセッティングだろ?」

 男勝りな笑みを見せ、サバゲ―サークル代表の火種が言う。彼女同様にその他各サークルの代表からも同意の視線を受け取った。

「今現在の状況は我々が今いる二十八号館のいずれかの教室に立て籠もっている、というところまでしか把握できていません。また館内の監視カメラですが、あちらによって目隠しされている状況です。そのためサヴィには偵察を、ロボ研とエベントは我々好奇心と準備をお願いします」

「よっしゃいくぞお前らー!」

 火種の勇ましい掛け声と共に作戦が開始された。

 火種率いるサヴィは本物の軍や警察さながらの訓練を行っており、非常に統率の取れたチームワークでその手の大会では常勝。そのため、こうした事案にはまさに持ってこいの人材なのだ。そんな彼女たちの動きを彼女たちが装備したボディカメラ越しに見ながら、酒魅は次なる準備の指示した。

『赤外線及び目視で確認したが、一階はもぬけの殻。二階は五部屋の内四部屋を確認したが特になく、最奥の教室に立て籠もっていると見られる。これよりダクトに侵入して中の様子を確認する』

 侵入して十五分程度で第一報が届いた。無線の感度もバッチリである。それから間もなくして、引き続き火種より立て籠もっている室内の映像が送られた。ダクトの隙間より小型カメラが降下し、周囲の様子を映し出す。

『ターゲットはどいつだ』

「えぇっと……いた。黒板前の椅子に縛られてる華奢な女子がウチのクライアント。何とか救出を優先したいところなんだけどね……」

 出入口から黒板までは直線上だが、そこまでに周囲の座席には保谷率いるコマースのメンバーが配置されている事が分かった。

『見たところ、特に武装や武器の類もなく、立て籠もるにあたっての物資も各々ペットボトル一本程度だから、そう長く籠る気はないみたいだな。となれば、ターゲットと同性も多いだろうから補給のために一度は外に出るだろうな』

 彼らが籠っている教室の外の間近には給湯室と、その近くには自販機、並びにトイレが対面にあるので、誰かが退出して向かう可能性は高い。しかもそれらの手前側には教室があるので、サヴィの偵察隊が隠れるスペースも十全にあった。

「本当は誰かが退出したタイミングで捕まえて、ターゲットを連れ出してもらう形を取りたいんだけど……ちんたらやってたら学校側にバレるかもしれないし、せっかくの計画がおじゃんになるから、」

 そう、こういうのは早い方が良い。

 自分が実行したいと思っている計画は早いところ、実行に移さなければ茶々を入れられて、せっかくの機会を逃して出しどころがなくなってしまう。名実共に十分な条件が揃った今しかない訳である。

「なぁほんとにやるのかよ」

「当たり前でしょ。第一ウチのクライアントを拉致った向こうが悪いんだし? きっちり落とし前付けてもらわないと。サークルの威信に関わるんだから」

 眉間に深いシワを作り、酒魅はオレンに答えた。

『こちらは突入の準備が完了した』

 火種の声を受けて、教室内の映像を確認するも、特に谷中佳奈美の拘束を解くといった様子もなく立て籠もりの継続が窺え、かつ猶予の時間もちょうど来た。

『そちらの意志はよく分かった! これより実力行使に移る!』

 そう一声吠え「よぉし各自、着火お願いします!」と後ろで控える彼らに指示を伝えた。そして間髪入れず、

「特に投降の意志も確認できないため、これより実力行使に移ります! 発進!」

 そう言って酒魅は楚馬へ目配せする。彼はそれを受けて、パソコンで操作を行うと同時に、彼女の合図でドローンの軍勢が二十八号館へと飛び立っていった。ドローンは大量のロケット花火の弾帯を風になびかせ、火花と煙の筋を残しながら飛行していく。

「サヴィ突入! 手早くターゲットを回収して下さい!」

『おう!』

 その間にサヴィが催涙弾を先手で散布、教室内へと突入。白煙が煙る中、素早くターゲットへ接近、拘束を解除して勢いよく彼女は担ぎ上げられ、再度サヴィと共に煙を切って行く。救出の際に催涙ガスを受けない様に、ガスマスクを付けられたので、一体何が何だか分からない状況であったろうが、とかく無事に救出された事がボディカメラ越しに確認できた。しかし、サヴィはそのまま場を制圧するのかと思いきや、一目散にターゲットに向かい、また同様に出入口を目指し、慌てて扉を締め切ったのだ。

 それから間もなく、教室内で甲高い音が聞こえたかと思うと、すぐにポップコーンが弾ける様な何かが爆ぜた音が聞こえた。直後には悲鳴とパニックの声で溢れ返った。

「いやぁ綺麗綺麗。夏を先取りしたなぁ」

 夕闇時という事もあり、二十八号館で瞬く色とりどりの閃光は非常に映える光景だった。もはや風流ささえ覚えながら酒魅は、その光を背に帰って来たサヴィを迎える。

 そう、ロケット花火を教室内に撃ち込んだのである。先ほど、楚馬が大学の設備コントロールシステムに侵入し、大きく開閉する換気窓を開け、そこから教室内にロケット花火が次々と撃ち込まれているのだ。

 柳杜々お手製着火装置付きのミサイル連射ドローンに、ロケット花火を積んだ一品は、容赦のない連射を繰り返して教室内をパニックに陥れる。しかも二階最奥の教室は出入口以外の壁際三辺が窓であり、三辺共に換気窓が付いているので三方向から火花が降り注いでいる状況である。

 先ほど仕掛けたカメラはすっかり煙が立ち込めて、中の様子は見えなくなっていたが、外から見る分には割と火花が綺麗に見えた。しかし、やはりエベントにあまり市販されていない、大きさと火力の強い花火を注文したので、今度はこんな狭い場所では使うまいと思った。

「お疲れ様です! 谷中さんは⁉」

「何とか無事だ。ほら、ちょっと伸びてるがな」

 火種に担がれた谷中佳奈美はすっかり気絶していたが、特に怪我をした様子もないので一安心である。

「つうか、お前ギリギリ過ぎないか⁉」

「ごめんなさ~い、だってぇ……突入からすぐの方が不意を突けて良いかなって思って。催涙ガスで右往左往してる中の方が良いしぃ?」

 両手を合わせて可愛く謝るも、彼女は呆れた様子で溜息を着いた。

 サヴィがターゲットを回収し、手早く撤収するという最低限の動きをしたのはこのためである。早く撤収しなくては、コマース同様に自分たちも火力が強めのロケット花火の餌食になる事が事前に分かっていたからである。

 本来は催涙ガスを散布後、戦闘訓練を積んでいる彼女たちが手早く場を制圧できたものの、あえてロケット花火を撃ち込んだのは酒魅の鉄拳制裁であった。大切な自社の顧客を拉致監禁をし、危険な目に遭わせる可能性もあったからである。純粋にその気持ちもあるのだが、何よりも人に花火を向けるというやってはいけない事をしたらどうなるのだろう、という単純な好奇心に駆られた事、また連中が慌てふためき、恐怖さえする状況を見て見たかったというのは秘密である。

「寿ちゃん、ほら、治まったみたいだよ」

 楚馬に呼ばれて教室内の映像を見てみると、スプリンクラーが作動した様ですっかり煙は消えていた。

「んじゃ、ちょっと行ってくるから好奇心以外は撤収でお願いします! 十九時半に事前にお伝えしたお店で再度集合になります! よろしくお願いします! 皆さん一旦お疲れ様でした!」

 実は酒魅にはもう一仕事あるため、彼女だけ再度二十八号館、そのコマースが籠城していた教室へと足を運んだ。

「うわ~コゲくさ~い……」

 スプリンクラーがいくら作動したとはいえ、やはり木製の机などはロケット花火で少々燃えたか焦げたかしていた様で、周囲には焦げ臭さが漂っていた。ついでに言えば鎮火のための薬剤もスプリンクラーの水には混ざっているので、それと合わさって何だかとてもケミカルな香りがしている。

「あぁいたいた」

 黒板前で倒れている保谷を見つけて酒魅は駆け寄り、そのまま彼のポケットを物色する。男のジーンズのポケットは十分に収納できる大きさと深さがあるので、彼の体を転がしながら探るのは骨が折れた。女性のはどんぐりしか入らない飾り程度の物が多いので、探すならカバン辺りで済むのだが。

「あった~」

 鍵の束をポケットから見つけ出し、ニヤニヤと一人、悪戯気な笑みを浮かべる。

「っ……寿……」

「お。やぁ保谷君、ご機嫌いかが? 今回はやりやがったなぁ?」

 たまたま気が付いた保谷の前髪を掴み、彼女はじっと見つめた。彼はすっかり襲撃にやられた様で起き上がる気力もないのか、静かにされるがままである。

「お前だろ……なんだよコレ……」

「先に手を出したのはそっちだから。ウチのクライアントにさえ手を出さなければ、私はお前らの事も黙ってあげてたんだけどさ。例えば、裏帳簿と引き換えに、ね?」

 今回、彼は変に頭を回し過ぎたのである。

 いつも通り臆病に下手の交渉に来れば、十分に彼らがサークルとしても企業としても続けていける道はあったのだ。それをすっかり好奇心を交渉相手ではなく、材料として使おうとした時点で選択を間違えていた訳である。下手にクライアントに手を出さず、助けてくれと懇願でも何でもすれば、それ次第で大学側からの評価はやや下がるが、引き換えに黙るという事もできた。酒魅だって、むやみに同じ商業系サークルと敵対したい訳ではないのだから。むしろ、好奇心的には相手に借りを作れるので内容次第では悪い話ではなかったのだ。

 「でもねぇウチも大事なクライアントに手を出されたらさぁ、敵対する他ない訳なの。今回は判断を見誤ったね」

「っ……クライアントだったのは知らなかったんだ……」

「だろうね。ていうか、そもそも、ウチは善意の協力者ってヤツがクライアント……谷中さんじゃない方に、コマースの事を報告したから調査する事になった経緯があったんだけど、正直、ウチでも善意の協力者を見つけられてなくてね。だから、運悪く今回はどこかのサークルにでも嵌められたんじゃない? って思ってる。思い当る節ない?」

 そう、今回最も正体を知りたかった、理事長にコマースの事を報告した「善意の協力者」について正直、何も今回は情報を得られなかったのである。これが自分たちにも及ぶ可能性がある危険として認識しているので、早いところ突き止めたいのだ。

「お互い、恨まれる節はごまんとあるしな……」

「まぁそうか……自衛に力入れる事にする。じゃあね」

 それだけ残して酒魅はその場を立ち去った。

 彼ももう何も言おうとしなかったし、火災報知器が反応したという事は既に消防に通報が入っているので、時間の問題で駆け付けられてしまうからだ。

 そうして酒魅が次に向かったのは、おおよそ全ての商業サークルの事務所が入った〝商業サークル事務所棟〟である。目的はもちろん、コマースの営業事務所であり、扱った物品等の資料がある事だろう。

 楚馬に内部の警備システムに侵入してもらい、全ての警報装置と監視カメラを切ってもらい、先ほど取って来た鍵で悠然と侵入した。

こんな時に持ってこいの人材が生記である。恋心を抱いた相手の事はとことんまで知り尽くしたいタチなので、部屋の不正解錠から侵入、相手を知るための物品漁りなどが得意なのだ。無論、相手の職場や交友関係を知るためのストーカー等の行為ももはや上級者であり、それが今の仕事で大いに活きている。今日はこのためだけに生記を待機させていたのだ。

「任せて、ボクってばこういうの見つける天才だから!」

 これから散歩に出る犬が如く、非常に楽しそうな事が窺える弾んだ語調で言った。とりあえず、生記だけは自由行動にし、残りの三人で各机をチェックしていく。

 それでも見つからないと酒魅がゴネていると、

「おぉっ? ここおかしいぞ! 寿ちゃん、ちょっと鍵持って来て!」

 何か見つけたのか手招いている。生記はどうやら保谷の席の壁際にあるラックが気になった様だった。ラックには造花が飾られていたり、誰かの私物と思しき本が置かれている。

「どうしたの?」

「いい? 聞いてて」

 そう言ってラック横の壁ととラックの壁、つまり物が置いてある奥の板を交互にノックすると、あからさまにラックの壁の音が軽かった。まるでその後ろに空間がある様で―――。

「ね、あるでしょ? で、たぶんだけど、このラック自体が扉になってて、何かがトリガーになって、入るための扉が出るはず……鍵束の量的に」

 気が付いて顔を見ると、生記は笑みを浮かべて引き続き捜索の手を進めると、予言した通り、置物を触ったところ軽妙な音が鳴り、ラック自体が扉の様に手前側に開いた。そして姿を現したのは普通の扉である。

「厳重だね。もしも誰かがここを開けても、最後は鍵がないと開かない様にしてるんだねぇ」

 そうして、ようやく開いた扉の先は、一畳ほどの小さなスペースであり、丁寧に照明まで付く仕様になっている。内容量は思った程多くなく、段ボールが七箱ある程度であった。そこにぎっしりと手書きのノートが詰まっている形である。そう、これが酒魅の欲していた裏帳簿であった。

「よぉし、今日最後の仕事だ!」

 時間も迫っているため、手早く四人で運び出し、人目に付かない様に静かに撤収した。

 そして、いよいよお待ちかねの瞬間がやって来た。

「皆さん今日はありがとうございました~‼ かんぱ~~い‼」

 酒魅が音頭を取り、今日力を貸してくれたサークルを労う飲み会が始まった。感謝を伝えに各サークルの席を一回りし、元の席に戻ったところで、

「三毛矢さんと谷中さんも色々災難でしたね、お疲れ様でした。今日はウチが持つので、好きに飲み食いして下さい」

 と今回は被害者になってしまった二人にも声をかける。

「本当に……気が付いたら佳奈美がいて一件落着してたけど、一時はどうなる事かと思った」

「そうだね。まさか拉致される日が来るとは思わなかったよ」

 それでも、二人はそっと寄り添って一緒にいられる喜びを噛みしめている様だった。結局、三毛矢を好奇心が拉致監禁した日以来、二人は会っていなかったらしく、改めて彼から浮気ではないという旨が伝えられた。

「と、いう訳で報告は三毛矢さんからして頂いた通りになります。今ちょうど報告書と請求書を作っているところですので、出来上がり次第、またご連絡させて頂きますね」

 後日、届いた請求書の額に彼女が驚くのはまた別の話である。

「お、ちづ君来た~! お疲れ~! バイトちゃんも!」

 いち早く、知鶴の到着に気が付き、生記が声をかける。どうやら今日の生記の穴埋め要員のバイトも連れて来た様であった。

「ちづちゃんお疲れ~」

「お疲れ様。そういえばサークル好奇心主催で飲み会やってるってほとんどのサークルが何か知ってるみたいで、今参加しても良いかって連絡とか、そもそも向かってるみたいな連絡めちゃくちゃ来てるよ」

 どうやら好奇心のメンバーであれば、誰でも参加可というメールを回した影響で、こちらもいち早く周りに漏れていた様である。これはまたもや人が人を呼び、一晩飲み明かす事になりそうだ。

「まぁウチ主催の飲み会何て、皆余所との交流の場として使うからね。そりゃあ人気でしょうとも」

 もっぱら企業の側面も持つサークルは参加率が高い。なぜなら、企業同士の交流の場に早変わりするからである。

「今回の依頼は面白かった?」

「うん、おかげで結構楽しめた」

 そう酒魅が笑みを浮かべると、

「じゃあ何があったか聞かせてもらおうかな」

 と知鶴も優しい笑みと声色で返した。

「いいよ~まずね――」

 そうして話し終わる頃には方々から、色々なサークルの人間が集い、すっかり二日酔いで吐いた時の状況そっくりになった。もちろん、飲み過ぎてまた一日トイレと友情を育んだのは言うまでもない。

 そして後日、事態も無事に収束したので改めて理事長の元へ報告しに酒魅は参上した。

「こちら報告書になります。簡易的にご報告申し上げますと、やはり構内にアダルトビデオが出回ったのは、コマースの自社オークションを経由しての事と分かりました。また報告書には記載済みですが、アダルトビデオの製作関係者について、何卒、ご寛大な処置をお願い申し上げます」

 そう言って深々と頭を下げた。

 これは少しばかり賭けであった。一企業として依頼を請け負っている以上、事の全貌を明らかにして説明できて当然である。しかも生業としているものではなおさらである。分かりませんでしたでは能力がないと見なされ、看板に傷が付いてしまう。故に誠意を持って理解を仰ぐ事にしたのである。関わった彼らには黙っておいてあげる、何て事を言ったが、酒魅にそんな選択肢は最初からなかったのだ。

「ぜひ話してみて下さい。寿さんがそう言うのですから」

 理事長の古川は優しく微笑んだ。

「ありがとうございます。ビデオに関しまして、教育機関という公の場には非常に相応しくない物だとよく理解はしています。ですが、実物のパッケージや内容を拝見致しまして、私は、非常に芸術作品として素晴らしいものであると感動致しました」

 エロスという美をとことんまで追求し、その極地へ至らんと表現された数々の創意工夫は非常に目を見張るものがあった。それ単体では美の真価を発揮し切れていないドールをより引き立てる様に作られた衣装や、艶めかしさを演出するドール内部の仕組み。そして、それらを全て背負って最大限のエロスを引き出す嬌声。全てが相まって美の真骨頂を現したそれは、もはや芸術・美術作品の域に達しているのだ。これを公共の場には似つかわしくないなどという些末な理由に潰してしまうのは非常にもったいない。ましてや、そんな素晴らしい物を生み出せる才能ある人間ごと潰してしまうなぞ愚行に過ぎない。

 生徒が作ったものであるという説明も加味し、弁護に近しい力説をした。

「以上の事から何卒、ご容赦頂けますと幸いです」

 再度、深々と頭を下げた。

 これで関わった人間が全員、退学処分なり厳罰を食らえばちょっと彼らには申し訳ない事をしたと思う。

「寿さんの気持ちはすごくよく分かりました。何も耳を傾けず、処分を下してしまうのはとても簡単な事です。ですが、そういった物事について深く知るのは案外、機会がないと難しいものですし、それに我が校は生徒の才能を伸ばすために多彩な学びの分野を設けていますからね。まぁその延長でこういった事態に発展しまう事もあるでしょう。今回はそういった事が聞けただけでも良かったと思います」

 不安から事を憂い、ワントーン低く下がったその声に内心ちょっとばかり気が気ではなかったが、

「そういう事でしたら、今回は大目に見させてもらおうかなと思います。今後は販売する場所に気を付ける様に注意はしますが」

 女神が如き深い慈愛の微笑みに、窮地は去った事を理解した。

「先生ありがとうございますっ! やっぱり分かって下さると思ってました! そういう柔軟なところが本当に尊敬できます!」

 嬉しさから舞い上がり、酒魅は褒めちぎった。

 当初から、恐らく理事長であれば、こちらが真摯に訴えかければ理解を示してくれるだろうとは思っていたが、やはり人間というものは話してみるまでは分からないので、今では結果論である。

「ウチで現物何個か確保してるんでぜひ機会があったら見て下さい! ほんとに芸術点高いんですよ!」

「分かりました。追々見させて頂きます。それよりも寿さん、二十八号館の件ですが」

 その言葉に思わず息が止まった。かなり好き勝手したのは重々理解していたが―――。

「火災用のスプリンクラーの作動から二十八号館で、複数人の生徒が倒れているのを見つけたと、通報を受けた消防から報告が来ました。そこで生徒を確認したらコマースの方々だったんですが、報告書を見てようやく繋がりました。あまり大胆な事をされると、こちらも庇えなくなりますから、気を付けて下さいね」

「すみません……ウチもクライアントを拉致られたという良い理由がありましたので……」

「まぁ寿さんたちがやったという証拠も今のところはないですし、コマースには生徒の拉致監禁、並びに屋内で花火を使用した事と最近かけられている疑惑の件で処分を下す方向です」と加えて説明を受けた。

「あ、先生。そういえば先生ご所望のコマースがアダルトビデオを扱っていた証拠の提出ですが、秘密裏にこちらで捜査しましたところ、そちらも含めて大量のよろしくない物を扱った帳簿が出てきましたので、こちらも提出させて頂きます」

 そう言って扉を開け、あらかじめ外でスタンバイさせていた楚馬とオレンの二人が、台車に積んだコマースの裏帳簿を持って来た。

 これは先日、慌てて飲み会前にコマースの事務所に入って分捕って来た裏帳簿であり、中には大学内で人気のある女子の私物やら、アダルトビデオに次ぐ更にコマースの罪を問える品々が記載されている。これには報告書や二十八号館での屋内花火使用以上の咎の立派な証拠だった。

 これで一応、コマースの面々を大学側へ引き渡すこと、コマースがビデオを扱っている証拠を提出すること、またビデオの制作関係者を暴くこと、の計三つの彼のリクエストを無事に消化できた。

「ところで先生。今回の調査で一つだけ分からなかった事があるんです」

「はい? なんでしょう?」

 リクエストも完璧に達成し、特に何もないと思っていた様で不思議そうな顔をして彼は答えた。

「先生にコマースが今回のアダルトビデオを扱っている、と実物と告発文を渡した〝善意の協力者〟についてです。ウチの方でも色々と調べてみたのですが、まるで手掛かりが掴めなくて。先生何かご存知じゃありませんか?」

 そう、この〝善意の協力者〟の存在のせいで、酒魅の中では全てが綺麗に解決していなかった。先に述べた様にこんな自分たちにも、もちろん他のサークルにも矛先を向けかねない正体不明の怪しい存在が野放しという時点で警戒すべき状況なのだ。

「いいえ。本当に朝来たら理事長室のドアノブにそれがかけてあっただけで、何も分からないんです。私の方でも不審に思って監視カメラ――」

「監視カメラを見たけど、恐らくドアノブにそれをかけに来た時間だけ映像が綺麗にくり抜かれてなかった、そうですね?」

 彼の言葉を代弁するかの様に楚馬が言った。その問いに「そうです、よくご存知でしたね」と驚きを見せる。

 無論、それは好奇心、中でも楚馬のハッキングスキルで一早く構内の警備システムに侵入して同様に確認したからだ。しかも根本からデータが消されていたがために復元さえもできず、警備システム大元の会社のクラウドに通常であれば一定期間保存されるものが、そこからも削除されていた事を鑑みるに、人為的なものである事は言わずも分かった。しかし、現状ではどうしようもないため、警戒を強める事がせめてもの気休めだろう。

「ありがとうございます。また詳細は報告書に記載してありますのでご確認を。あと、今回の調査の請求書です。以上、問題ない様でしたら今回のご依頼はこれで完了となります。よろしいでしょうか?」

「えぇ問題ありません。どうも皆さんご苦労様でした。支払い完了までお待ちくださいね」

 古川と固い握手を交わし、好奇心一行は理事長室の入る本部棟を後にした。

「あ~~~終わった~~~~」

「お疲れ。あっ寿、レポート代行の扱いまでは出してないだろうな⁉」

 めいいっぱいに伸びて疲れを癒す彼女に対し、思い出した様にオレンが言う。

それは大学生という生き物が窮地に陥った際に頼る、駆け込み寺的存在である。商業サークルに携わる人間であれば、学業をおろそかにしがちであるので、なおさら頼る可能性が高い。それ故に、構内では商業サークル並びに、ほとんどの生徒が大学側にその存在を隠蔽する、レポート代行を生業とする人間がいるのだ。中でもオークションで高値が付くような人間は誰かの一年分のレポートを丸々肩代わりする様なレジェンドであり、今やサークル規模にまで発展しているとの噂であるが、誰も詳しくは知らない。全員が隠蔽しようとするあまり、誰も深くは知ろうとしないからである。

「もちろん。レポート代行の記載は抜いたコピーをちゃんと渡したよ。みすみす原本とそんな大事な生命線を渡す訳ないじゃん」

 大丈夫だぜ兄弟、と励ます様に言うと安堵の表情を浮かべた。

「いやぁ徹夜で刷った甲斐があったねぇ……さすがに段ボール七箱分の帳簿コピーするのきつかった……」

「まぁこれで隠蔽できたし、良かった良かった」

 生徒であれば誰でもその恩恵を授かる可能性はあるので、夜通し頑張った甲斐があったねと楚馬を励まし、帰路へと歩みを進めた。


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好奇心一座 春夏秋冬 万花 @hitotose_banka_

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